灰色と計画
「―――シ、シエル…?」
「…僕は…家族を殺され、家を焼かれ、家畜にも劣る屈辱を味わわされた」
あの日、僕は屋敷にいなかった。アンジェリーナ様を迎えに行って戻ってきたら、全てが赤に染まっていたんだ。何が起きて、どんな奴らにヴィンセント様達が殺されたのかもわからない。
大切な人達を奪われ、全てを…僕自身の存在意義も失って。―――だけど、主が生きていた。戻ってきてくれた。屈辱と、悲しみと、痛みと、憎しみと…その小さな身体と心にあらゆる負の感情を抱え込んで。僕の知らない、決して語ろうとしなかった空白の時間―――
「僕は無力で、子供だった。だから僕は僕をそんな目に遭わせた奴らに、同じ屈辱を味わわせるためにこの場所(ファントムハイブ)に戻って来た。3年前に先代達を殺した連中にとって、ファントムハイブが邪魔なんだとしたら…僕が当主の座に居座り続ければまた狙ってくるだろう」
…主がセバスを、悪魔を召喚してしまったのはそういう理由。同じ屈辱を、同じ痛みを―――そいつらに。
他の奴らにしてみれば "そんなこと" かもしれない。でも主が今此処にいるのは、生きているのは、存在しているのは…それを成し遂げる為。
「僕は待ってる、そいつらが僕を殺しに此処へやって来るのを」
「何で…そこまで…」
「悲観して、嘆いて、立ち止まって…それで何になる?立ち止まることなら、死人でもできる。だけど、僕は生きていて、僕の力で立ってる」
この人は―――――強い。どれだけの絶望に堕ちようと、その瞳の輝きだけは失われない。立ち止まらない。そして、必ず立ち上がる。
僕はできなかった…自分の力で立ち上がれなかった。…いや、立ち上がらなかったのか。死にたくないと思ったくせに、あいつらを殺して生き延びたくせに、立ち止まった。
「たとえ、地獄のような場所で絶望の淵に立たされたとしても、そこから這い上がれる蜘蛛の糸があるのなら諦めずにそれを掴む。僕ら(人間)はその強さを持ってる」
それを掴むか掴まないかは…きっと本人次第。
「下らん話は終わりだ。セバスチャン、ウエストの件で話がある。来い」
「は」
「……」
部屋を出る時に見えたのは、俯いて何かを考えるように立っている王子の姿。主の言葉で、何か思うことがあったんだろうね。…多分、きっと恐らく。
いつも通り、主の斜め後ろを歩いてたら、いつの間に横に並んでいたのでしょうか。じーっと見上げてくる瞳とぶつかった。
「…何さ、主」
「いや。久々にお前がキレた所を見たと思ってな」
「あぁ…そんなことか。何かプチッと切れちゃったみたいだねぇ」
「まるで他人事ですね…あれだけ怯えさせておいて」
「よっく言うよ、セバスだってひどかっただろ」
「(どっちもどっちだ…)それで、お前の機嫌は直ったのか?クロ―――」
「シエル!」
「…王子?」
「俺はっ…恥ずかしい。俺は17にもなるのに、お前よりずっと馬鹿で世間知らずだ」
「本当にな…ムグッ」
「少し黙ってなさい」
「親に与えられた温床で甘えてばかりで、他人のことなど知ろうともしなかった。アグニが悩んでいるのを気づいていたくせに、話も聞いてやらなかった。だけど、今は知りたい。二人に直接会って、俺の傍から離れた理由を確かめたい。だから頼む!俺も一緒に」
「断る。」
まさかのばっさり切ったよ、この主。
せっかく王子のヤツがいい顔になったと思ったら、想像もしてなかった返答に呆然としちゃってるし。…うん。残念だったね、王子様。
「お前のような世間知らずのお守はごめんだ。…まぁ、談話室のドアは最初から鍵は付いていないがな」
全く…素直じゃないんだから。優しいよね、我が主は。
"鍵は付いてない。だから、来たいなら勝手に来い。"
さっきの言葉は訳すと、きっとこんな感じだろう。そんな風に言うなら最初から断るなんて言わなければいいのにな。
言葉の意味を理解したらしい王子は、嬉しそうに主に抱きついて。さっきティーカップを割ったことを謝っていた。…あら、素直だね。
「それから」
僕とセバスの方を振り向いて…すすす、と主の後ろに隠れた王子。微かに震えてます。
「お…お前らもすまなかった…」
「いえ…」
「…面白いな」
再び、劉様のいる部屋に戻って来た僕達。割られてしまったティーカップは綺麗に片付けられていて、新しい紅茶をセバスが淹れていた。…てか、劉様は1人で此処にいたのか。
「―――さて。王子様に中断されちゃった話の続きをしようじゃないか」
彼の何気ない一言に(多分、悪気はない…ハズ)、王子は申し訳なさそうに俯いた。…ふーん?少しはマシになったのかな。この短時間で。
とりあえず、話を進めるべきかな。
「まず例の事件はウエストがアグニにやらせていると見て、間違いないだろう」
「彼の身体能力からして、一人で事件を起こすのは何てことないでしょうしね」
「ウエストの話に出てきたのは"3年がかりの計画"、 "計画の完成は一週間後"、 "アグニの右手が不可欠"ということだ。ここで一番重要なファクターは、『一週間後』という日程だが…」
アグニさんの"神の右手"が不可欠…何か大きなイベントでも襲う、とか?でも今の季節は冬だ。大きな催し物なんかは終わってるはずだ。女王の即位50周年も、去年終わってるし。ロンドン市内で一週間後にある催し物といえば―――
ウエストミンスター寺院で、聖ソフィア学院主催の聖歌隊コンサート
コヴェント・ガーデン歌劇場で、ワーグナーの上演
クリスタルパレスで、帝国におけるインド文化とその繁栄展
大英博物館で、世界の通貨博覧会
こんなものだったっけ?主宛の招待状では。…ん?インド文化?
「あー…」
「貴方も思い出しましたか」
「思い出した、思い出した」
「…インド?」
「うん、主。今度からちゃんと招待状読もうか。いい加減に」
「ご自分に送られたお手紙は、どんな内容でもきちんとお読みになるのが紳士というものですよ」
はぁ…と溜息をつく僕達に、さっさと詳細を話すように命令する主。詳細を話すと長いんだよね…コレ。
「要約すると、ここ英国のインドにおける功績とか産業の展示をメインとしたものだよ。…その一環として、カリーの品評会が行われる予定」
「坊ちゃんはその品評会の特別審査員として招待状が来ておりました」
他にも個人主催のパーティーとか調べることもできるけど…正直、もう十分だよな。インド、そしてカリー。更に"3年"、"品評会"…ブランド好きのウエストの考えそうなことと言えば、答えは1つしかない。主も想像がついたようで、もんのすごくげっそりしてる。
「まさか本当にこんな下らない事件だったとはな。呆れてものも言えん…」
「???」
「あはは 本当に無駄足だったわけか」
「ちょっと待て!訳がわからん、一から説明しろ!!」
僕達の話を黙って聞いてるのかと思ったら、意味がわからなかったから大人しかったのか。
「まぁ、落ち着きなよ王子様。今、順序立てて説明するからさ」
「おや。珍しく劉様が?」
「伯爵が!」
「…うん、そうですよねー」
「お前、また知ったかぶってたな?」
そうだよね、劉様だもの。説明できる程、わかってはいないよね…。いつも通りの適当な相槌だったわけですか。いい加減に慣れたけどさ。イラッとした主は気を取り直し、ゴホンと咳払いをして説明を始めた。
あの人が経営するのコーヒーハウスは、カリーがメイン。きっと"カリー"で"ロイヤルワラント"を獲ろうしてるんだろうなぁ。それが貰えれば、店によっては売り上げが3倍になる場合もあるって聞くし。カリーも一時期と違ってブームも下火だし、是が非でも称号が欲しいといったところだろう。一通り説明が終わった所で、王子から質問がきた。
「ウエストがその"ろいやるわらんと"とやらが欲しいのはわかった。だがそれと今回の事件が、何故つながるんだ?」
英国王室御用達(ロイヤルワラント)を得るには、二つの条件があるんだ。
一つ目は"品評会で品質を認められる事"、そして二つ目は―――――
「"3年間の王室への無償奉仕"…」
「……!」
王室へ輸入品の無償奉仕を続けてきたウエストは、1週間後の品評会に出場するライバルを潰そうとあの事件を起こしたって訳だねー。英国に恨みを持つインド人の仕業に見せるために、わざわざ偽装までして。
はぁ…何て言うか、本当に下らない事件だなぁ。それだけのためにここロンドンまで主が呼ばれたのかと思うと…ちょっとムカツクね。
「多分アグニはミーナをダシに、この馬鹿げた計画の片棒を担がされているってことだろう。自分の神のためにな」
「え?」
セバスに目配せをして、いつぞやの張り紙を受け取る主。アグニさんの真意を、王子に教えるために。
王子に張り紙を見せ、一番下に書かれているマークを指差した。最初は何のことなんだかさっぱりだったし、ランドル卿は英国を侮辱しているマークだと怒ってたけど…本当の意味は別にあったんだよ。
「お前らが祈るアレだろう?」
「あ…」
「お二人の神といえば、舌を出した姿のカーリー女神。そしてこれを描いたアグニさんの"神"(カーリー)といえば?」
「総ては神(お前)のため。祈りと謝罪の意をここに込めたんじゃないのか?」
「アグニさんは貴方から離れた後も、貴方を信仰し貴方の為に生きている。良い執事を持たれましたね」
うん、めでたしめでたし…だね?ひとまず。
「じゃあ我達は手を引くとしようか。この話を市警(ヤード)に持ってって、後は任せたら?」
「ま、待ってくれ!それじゃあアグニは…ミーナはどうなる?!」
「さあ?」
「今回の事件は裏の住人(ぼくら)に関係ないことがわかった訳だしな」
「僕達も慈善事業でやってるわけでもないですしね」
くあ〜とあくびをしながら言葉を紡ぐ主。もう大分遅い時間だからね。…ってか、もうすぐ朝だし。元々眠かったんだし、話も終わって、事件も解決の方向へと向かってる。そりゃ眠気もぶり返してくるってもんです。
「…っわかった…」
「うん?」
「確かにこれは俺の問題だ。俺一人で何とかする方法を考えてみる」
ぐしゃりとさっき渡した紙を握りつぶし、自分一人で…そう言った王子様。少し前までの彼なら、きっと喚き散らしていただろうに。何だ。まだまだ変われるじゃないか、この王子様も。
王子の言葉を聞いて、にんまりと何やら不敵な笑みを浮かべている主。あーらら、悪い顔してるなぁ。
「いい心構えだ。じゃあ、僕は僕で仕事をするとしよう」
「仕事…?」
「あぁ。こんな下らない事件で冬のロンドンに呼び出されたんだぞ?」
「!…駄賃くらい貰っても、ってことか」
彼の企みを理解して言葉を続けると、更に笑みを濃くして僕の顔を見上げてきた。うん確かにね。結局は裏の事件でなく、表での事件。しかもただ、自分の欲の為に引き起こされた事件だったわけで。主の言う通り、実に下らない事件だったのです。それに見合う駄賃くらい、貰って帰ったとしても罰は当たらないよね?
僕らの会話で何を指してるのかわかったんだろう。横に立っているセバスも不敵な笑みを浮かべている。
「英国王室御用達(ロイヤルワラント)は、3年の無償奉仕と品評会での成績によって授けられる」
「品評会は1週間後。そして幸運なことに、有力なライバルは出場は不可能な状態です」
「そうだ。―――我がファントム社が出場してウエストに勝利すれば、英国王室御用達(ロイヤルワラント)は我が社のものだ」
元々主は製菓と玩具で御用達を得たら、食品事業にも手を広げようと思っていたところだし。それに最初に品評会で御用達を得ることが出来れば、話題になるのは間違いないからね。食品事業の旗揚げには、これ以上ない首級になる。それだけじゃない。英国王室御用達(ロイヤルワラント)が手に入れば、今までの商品も売り上げが伸びるだろうし、何より宣伝になるから。
それを考えながら、淡々と話す主の瞳は―――まさに一会社の社長のもの。全てを会社の利益にする為に、ね。
「でも今から食品事業部を作るったって、1週間しかないんだよ?カリーの専門家やら、機材やら、店舗やら間に合うのかい?」
ふむ。確かに劉様の言うことには一理ありますね。全てを用意するには、1週間では到底間に合わない。…それらを準備するならば、だけれど。だって主の顔には焦りなんてない。あるのは自信のみ。心配なんかこれっぽっちもしていないんですよ、この方は。
「そんなもの必要ない。そうだろう?セバスチャン」
「ファントムハイブ家の執事たる者、それ位出来なくてどうします?必ずや英国王室御用達(ロイヤルワラント)を…」
「それは無理だ!」
うん?セバスの言葉を遮ったのは、少し焦ったような王子の声。全員の頭に?が浮かぶ。一体何を焦っていて、何が無理なんだ?
「ウエストにカリー勝負を挑むなんて、勝てる訳がない!」
「どうしてだい?」
「…セバスも料理上手だけど」
「上手い・下手の問題じゃない!あっちにはアグニが―――神の右手があるんだぞ」
「確かに"神の右手"の破壊力は驚異的だが、今回は格闘技じゃない。料理(カリー)勝負だ」
「だから言っている!今回はフェンシングのような格闘技じゃないんだ。料理(カリー)勝負だぞ!」
どっちも意味合いは一緒だよね?でも何か話が噛み合ってないような気もする…王子が何を僕達に伝えたいのか、さっぱりわからん!
「すみません。話が見えないのですが…」
「王子は何が言いたいのさ」
「お前達はアグニの力を知らない。本当のカリーを知らない」
本物のカリーは、香辛料(スパイス)で決まる。何百という香辛料(スパイス)から選択する種類と、調合する分量で味・辛さ・香り…全てが変わってくる。つまり、選択肢は無限大。最高のカリーを作ること、それは宇宙から真実を見つけ出すようなもの。
確かそんなことを本で読んだような気がする。読んで即座にカリーってめんどくさ!って思ったんだ。
「指先一つで無数の香辛料(スパイス)の中から、最良の種類を最適な分量で調合し…奇跡のカリー創り出す。無から世界を創造するその力は、正に神の領域。だからアグニはこう呼ばれていた。神(カーリー)の右手と!俺はアグニのカリー以上に美味いカリーなんか食べたことがない。だから、その右手は生涯俺に捧げるように言っんだ」
「つまり"神の右手"は」
「神レベルの"強さ"じゃなくて、神レベルの"カリー上手"ってこと?」
「………マジで?」
ずっと彼の尋常でない強さのことを指してるのかと思えば…まさかのカリー上手ときましたか。…それは確かに勝てる相手じゃないかもね?
なーんてな。ウチの完璧執事セバスチャンなら、どんな相手でも勝ってしまうだろう。
「だってよ?セバス」
「それはそれは…手強そうですね」