灰色と残像
ぐっと背伸びをすれば、心なしか体がバキバキに固まっている気がする。ジョーカーさんを追って、ある程度の情報を集めた僕は夜も大分更けた頃、主とセバスがいるであろう街屋敷へと戻ってきた。
まぁ、主はもうぐっすり眠っていたから会えてないんだけどさ。セバスには会ったけど、…うん、案の定、ご立腹でした。色々と。悪いことばっかりじゃなかったからいいんだけど。でももう今回のような真似はしない、と心に決めた瞬間でもあるのです。そしてやっぱり本来の姿より、男装の姿の方が楽だ。
諸々の仕事を終えて、そろそろ主が起きる頃合かなーと階段を登ると…
「今すぐやめろ命令だ!!気持ち悪いにも程がある!!」
そんな声が聞こえました。病み上がりなのにそんな大声出して大丈夫かなぁ。
―――ガチャッ
「主ー?起きたの?」
「…クロード」
「顔色がずいぶん良くなってますね、安心した」
中に入ってみれば、健康な人間に近い顔色に戻っていて、しっかりとご飯も食べてるみたい。熱も下がっているみたいだし、咳も治まってる。それに呼吸音も正常、っと。一時はどうなることかと思ったけど、快方に向かっているみたいで一安心だね。
…それにしても。主の顔を見るのが、ひどく久しぶりに感じるのは何でだろ?会っていないのは、ジョーカーさんの所に行っている間だけだったはずだったのに。あ、昨日街屋敷に戻って来てからも会ってないか。丸1日くらい?
「…で?今日、動くの?」
「ああ。情報は集めてきただろう?」
「もちろん!セバスの集めた情報はもう聞いてる?」
「聞いた。"ケルヴィン男爵"だろう」
この表情から察するに、主もこの名前に覚えがあるみたいだ。…もちろん、僕もね。
ジョーカーさんが持っていた写真からは面影を感じられなかったけど、名前とあの時に聞いた声は覚えがある。確か先代の護衛で付いて行った何かのパーティーで、会ったことがあるはずだから。
…ここまでわかっていれば十分か。"ケルヴィン男爵"がいる屋敷も、もう調べがついているしね。
「屋敷は調べてあるんだろうな?」
「ええ。アリスが実際に行っています」
「わざわざその名前を言わなくてもいいでしょ…。えっと、ロンドンから鉄道と馬車を乗り継いで丸1日くらいの距離かな?」
「お前達なら1時間とかからず行けるな?」
「ま、朝飯前だねー」
「ご命令とあらば」
「さっさと終わらせて本邸に戻るぞ」
「「御意、ご主人様」」
…さぁ、謎解きの始まりだ。
―――ザザッ!
屋敷を出る直前に王子に少し時間を取られたけど、上手くかわせたからそんなにロスはしていないはずだ。そして僕は今、主達と別れ1人で本邸へと向かっている。何故かと言いますと、主からの命令で。実は今、本邸には主に会いに来たエリザベス様がいらっしゃるんだ。主に会うまではご自宅に戻る気がないらしくてねー…。
あのサーカス団は、恐らく黒だ。
これはジョーカーさんと"ケルヴィン男爵"との会話でも垣間見られたし、あの屋敷から感じ取れた子供の気配。誘拐事件に間違いなく、彼らは関わっている。そして僕達のことも向こうには伝わってるし…今回、ロンドンに来た目的が主だとするならば―――本邸に、サーカス団の奴らが来る可能性が高い。それ自体は何も心配はないんだけどー…エリザベス様を巻き込むわけにはいかない。
というわけで、彼女をお護りする為に僕は本邸に行くよう命じられたわけです。その方が安心感が増す、と言ってくれたからね。断る理由は一切ない。主に頼られるのは大好きだ。その為に僕は、存在しているんだし。
「でも…あっちの方が心配なんだけどな、本音を言うと」
"ケルヴィン男爵"の目的は、主を見つけること…何故、彼を捜していたのかはわからない。わからないけど…何故か、とても嫌な予感がするんだ。この言いようのない不安感は、どんどん大きくなって胸を掻き毟りたくなる。セバスがいるから、主が傷つくことはないと思ってるけど…それでも不安は消えてくれなくて。お傍にいたい、って思うんだ。
ジョーカーさんから仕入れた情報は、全てセバスに話してある。あの男が主の為に地下室を用意してある、というのも教えたし…そこには気をつけてほしいって念を押しておいた。上手く説明出来ないけど、その地下室には…よくないものがある気がするから。
「さっさと片付けて、合流しろ。クロード」
…わかってますよ、主。命令されたお仕事は迅速に済ませるから。すぐにお傍に行きますから。だから―――
「どうか…貴方のその心が、傷つくことがありませんよう」
本邸へ向かうスピードを上げ、僕は森の中を走り抜けた。
「よっし、とーちゃく!」
見慣れた本邸の扉を開ければ、そこにはバルドさん、フィニ、メイリンさん、タナカさんの姿があった。一様にこっちを向いて、驚きの表情をしている。タナカさんだけはいつも通りの穏やかな笑みを浮かべているけど。…ま、そりゃ驚くか。主と一緒に街屋敷に行ってたわけだし?
「クロードさん!どうしたんですか?坊ちゃんとセバスチャンさんは?」
「僕だけ主の命令で戻ってきたんだよ。…仕事が終われば、また向こうに戻るけど」
とは言っても、まだ仕事の準備を始めるには早いか…。攫いに来るのであれば、行動を起こすのはきっと夜中になってから。陽は沈んでいるけど、闇に乗じて動けるような時間じゃないからねー今の時間帯は。だからきっと、まだサーカス団は動かない。
いつも通りの仕事をしている皆に声を掛け、僕は自室に戻ることにした。別に街屋敷からずっと走って来て疲れているわけじゃない。この体は疲れを訴えないし。だけど、僕には主の命以外に仕事がないからね。ずっと此処にいても暇なだけなんだ。少し考え事もしたかったし。
「"ケルヴィン男爵"…ね。確か、初めて会ったのは5年前…まだ先代であるヴィンセント様が生きてらした頃だ」
そう。あの日、僕はヴィンセント様の護衛でとあるパーティーに参加してた。病み上がりのシエル様も一緒で…とても、幸せな時だったっけ。
あの頃のシエル様は体が弱くて、あまり外に出ることもなかったから人見知りでねー?男爵相手に挨拶するのが精一杯だったな。挨拶が済むとすぐに僕の後ろに隠れてしまって、可愛かった覚えがある。その後は、クラウス様を見つけて…僕を引っ張っていかれたんだっけ。
「今思えば…あの時、何かに焦がれるような瞳でヴィンセント様とシエル様を見ていたな」
それは、あの男と本邸で二度目に再会した時も変わらなかった。勢い良く挨拶してきたあの男に、ヴィンセント様とディーデリヒ様は少し訝しげな表情をしていた記憶がある。…あ、ヴィンセント様は人当たりの良い笑みを浮かべていたっけ。一応は。
ディーデリヒ様は知らなくても仕方ないけど、ヴィンセント様も覚えてなかったんだよな、あの男のこと。僕もあの時は「何処かで会ったような…」くらいしか思わなかったけど。
「―――…そうか。始まりは、5年前のあの日ってわけか」
普通の人間とは違う"何か"を、あの男は感じ取った。そしてヴィンセント様とシエル様に、焦がれるような憧れを持って…今でさえ、執着しているんだろう。
くくっ…憧れるのは勝手だけど、彼を―――シエル様を手に入れるのは、絶対に無理な話だろうなぁ。あの方は誰のものにもならないし、それ以前に僕が許さないよ。
「それに…どんな理由であれ、あの方に危害を加えたり、傷つけることは―――尚、許さない」