灰色と天才剣士


あれだけの大きさの氷山にぶつかったってことは浸水してしまう恐れが高い。まずはそれを防がないとこの船は確実に沈没する。
普通ならこうなる前に船員達が危険信号を発したり、船長に報告に行ったりしてるもんなんだろうけど…さっきの惨劇を見ているから大体想像がつく、きっとその辺りの人間はもうすでに屍人に喰われた後だ。そうでなければ、氷山にむざむざ突っ込んでいくことはしないだろうし。


「セバス!ひとまず水密扉をっ」
「わかってます!…これですね」


―――ガコッ

よし、これでしばらくは大丈夫だろう…でもきっと完全に防ぐことは出来ないだろうな。操舵室にいた人間も一人残らず喰われちまってるし…ほんっと!最悪な夜になっちゃったよ。コンチクショウ。


「どのくらい損傷しているのか、確認しておいた方がいいかもしれませんね」
「おう」


ジャケット、ベスト、ネクタイ、靴をデッキに脱ぎ捨てて海へと飛び込んだ。さすがにまだ春先ってだけあるね…水温がかなり低い。これ、浸水して体が水に浸かり始めたら主のお体に触るなぁ…確実に。
サーカス団に潜入していた時も外で水をかぶって高熱を出して、喘息がぶり返してしまったんだ。その前にどうにかお迎えに行って差し上げないといけないよな。尚更、急がないといけなくなったな。
ざっと船の周りを泳いで、念のため船底にまで潜ってどれくらいの損傷があるのか確かめてデッキへと戻る。海から上がるとすでにセバスが戻ってきていた。おや、早いなぁセバスの奴。僕も急いで見てきた方なんだけど。


「どうだった?」
「ひどいものですね」
「こっちもだよ。ってことは、船体のかなり広範囲に傷が生じてるってことだな」
「ええ。3…いえ、4区画は浸水しきってるとみて間違いないでしょう」


操舵室にあった船の見取り図を広げてあとどれくらいの浸水で沈没してしまうのか、頭の中で簡単に計算をしてみる。ええっと、…確か船が耐えられる浸水量って船の重さと同等の質量まで、だったよな?んでもって、4区画が浸水しきってると仮定をすると―――…ありゃ、これは思っていた以上に時間がないなぁ。
そう時間も経たないうちにこの船、完全に沈没の末路を辿る。


「急いだ方が良さそうですね」
「水温はおよそ2度…長く浸かったらマズイことになる」


屍人に襲われてパニックになってる船内を走っていると、馬に攫われていく人間の姿が目に映った。つーか、馬車まであったのかよ…そしてあの馬も死んでるな、確実に。一体、どこまで完全救済とやらを試しやがったんだあの男。人間だけかと思えば動物までいるし、しかも馬車を動かしてんのも屍人だろ?どうやって指示出してんだかわかんねぇことだらけだ。まず、魂のない死体が動くこと自体、有り得ないことだっつーのにさ。
その辺りの謎は主達、あの男から聞くことが出来たのかねぇ?…ま、それを考えるのはあとでもいいか。今は主とエリザベス様の安全を確保するのが最優先だ。

気配を辿って着いた先は二等旅客用の食堂。そこのダクトの蓋がガタガタ揺れてるし、主達の気配と声もする。うん、良かった…お2人共、怪我もしてないみたい。無事な姿を見て心底ホッとしたよ。
セバスがエリザベス様を下に下ろして、フランシス様達が無事だったことと他の乗客を救助されると仰っていたことを説明している。その事実に娘である彼女はお母様らしい、と笑ってる。皆一緒なら大丈夫、とも。
そうですね、あの方達の腕を知っているエリザベス様がそう断言されるのでしたら―――僕達が心配せずとも、きっと大丈夫なのでしょう。


「くしゅっ」
「あ、主…大丈夫?僕のジャケット羽織る?」
「いや、いい。僕じゃ尻尾を引きずる」
「ですが坊ちゃん、お身体を冷やされますとまたお咳が…」
「今その話はするな!」


小声だけどでもとても鋭い声で僕達を止めた主の瞳の先、それはエリザベス様。そうか、主は彼女にそれを知られたくないんだ…きっと、余計な心配をかけてしまうから。ただでさえ怖い思いをたくさんして不安だろうに、そこへ主の体調が悪くなる話などしてしまったら、エリザベス様はもっと不安を募らせてしまうもんね。
僕とセバスもそれをすぐに理解し、その話はすぐにストップして話を切り替えることにした。確かデッキで救命ボートの準備が始まってたよね、早くお2人をそこまで案内しないと―――――

―――ギャラララッ

上からチェーンソーの音が聞こえた。咄嗟に上を向けば、丸く切り取られた天井と共に落ちてくる2人の死神の姿。おいおいおい!なんつー無茶なことをしてやがんだこいつら!!
落ちてくる瓦礫で怪我をしないように主とエリザベス様の体をきつく抱きしめれば、そのすぐ後ろで天井が床に叩き付ける音が大きく響いた。うっわ、あっぶね〜…!これ危機一髪っつーか、間一髪っつーか…とりあえず音に気が付いて良かった、気が付かなかったらぺしゃんこになってたんじゃねぇの?これ。


「ンフッ色男ハッケーン」
「うわ、出た変態死神…」
「相変わらずねぇ、クロちゃん?それにお久しぶり、セバスちゃん。こんな所で再会できたのはきっと運命ね!」


いや、どう考えてもただの偶然だろ。変なこと言い出すんじゃねーよ、やっぱり変態だなコイツ。
もう1人の死神と何やらモメ始めたので、その間にさっさかずらかっちゃった方が身の為だ。特にエリザベス様の教育によろしくないし、この人。先も急がなきゃいけないしねー。
…だけど、そう簡単に逃がしてくれる気はないらしい。どうやら変態死神は変なスイッチが入ったっつーか…身体に火がついちまったらしくてさ?その責任を取れー、的なことをセバスに言ってる。うん、多分セバスは何もしてないぞ?向こうが勝手に着火しただけのはず。できればコイツと関わりたくない、って思ってるのは表情から丸わかりだしね。


「うあー…面倒だけど、やるっきゃない感じ?」
「ええ。協力して頂きますよ?クロード」
「はいはい、わかってますよーセバス。…主、エリザベス様?ちょーっとだけお待ちくださいね」


2人ににっこり笑みを向けて変態死神へ向き直る。もう1人の死神はやる気ないみたいだし、実質2対1ってことでいいのかな?でもまぁ…警戒だけはしておいた方が良さそうだ。何をしてくるかわかんないし。
振り回されるチェーンソーを避けるべく、僕達は双方に飛んだ。…んだけど、セバスが足を着いたのはまさかの壁。そこに取り付けられた小さな窓には水が映っていた。そう、廊下にはもうすでにかなりの量の水が入り込んできてるってこと。
それにすぐ気が付いて声を上げたんだけど、そんなの気にもしない変態死神は切れ味の鋭いチェーンソーで壁と窓を切り裂きやがった。その後の展開は…どんなに鈍い奴でもわかんだろ?室内に入り込んできた大量の水を僕達はまともにかぶっちまって、主とエリザベス様に至っては部屋の外にまで押し流されて。
でも変態死神は水をかぶって動けそうにないし、今の内ならお2人を助けに行くことが出来る!水に足を取られながら走り出せば、ふっと現れた何かに壁際まで吹っ飛ばされた。


「ぐっ…!」
「クロード?!」

―――ドッ!
―――ギギギッ…

「俺もいるって忘れてたっしょ?」
「くッ…」


しま、った…アイツの言う通り、もう1人の死神のことすっかり忘れてた。対峙してたのは変態死神だけだったから…くっそ、これは完全に僕とセバスの失態だ。護衛失格になり兼ねないぞ、本当に。
軋む体を起こして部屋の外に目を向けると、エリザベス様が今にも屍人に襲われそうになっていた。主が持っていた銃で応戦しているけど、数も多いしエリザベス様のすぐ近くまで迫っているせいか追いつかない。更に弾切れまで…っ!これじゃあエリザベス様が屍人に喰われちまうじゃんか!!


「シエルの前では最後まで、可愛い姿でいたかったな…」


とても綺麗に微笑んだエリザベス様。待って、ダメです、諦めないで…助けます、必ず主が大切に思っている貴女のことを助けますから、そんな諦めたような笑みを浮かべないで。
必死に足を動かして手を伸ばした、もう少しであの人に届く―――という所で、肉に刃が刺さるような音が聞こえた。視線の先にいたのは、剣を両手に持った美しきお嬢様。


「今度はあたしが貴方を守ってみせる!」
「エリザベス様、…」
「我が名は英国騎士団団長アレクシス・レオン・ミッドフォード侯爵が娘、エリザベス!」


凛とした声。真っ直ぐに前を見据えるその瞳は、誰よりも凛々しく綺麗だと思った。
この方が将来の我が主の、…女王の番犬を務めるシエル・ファントムハイヴ伯爵の妻なのだ。
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