灰色の一日
執事の朝は早い。夜は誰より遅く仕事を終え、朝は誰より早く仕事を始める。それが屋敷を一切仕切る、執事の勤めである。
「…セバス、髪伸びてきたな」
「ええ。でも勝手に縮めてはいけないのでね」
「……」
「?どうしました」
「縮められんの?髪」
「出来ますよ。けれど、坊ちゃんからそれらしくしろと言われていますから」
「悪魔ってそんなことも出来るのか…」
「人間というのはどうにも面倒だ。さて、参りますか」
セバスと僕はこの屋敷の執事だ。けど、使用人を取り纏めるのは専らセバスの役目。
まず始めに、使用人に一日の仕事の指示を出すとこから。
―――ガチャッ
「おはようございます、皆さん。そろそろ始業時間ですよ」
使用人の控え室に行くと、フィニ、メイリンさん、バルドさん、タナカさんの4人はもうきちんと準備が終わっていた。バルドさんは朝が弱いのか…まーだ半分夢の中って感じだけど。
「メイリンはリネンの整備を、フィニは庭の木の手入れを、バルドは昼食の準備をお願いします」
「タナカさんは?」
「タナカさんはお茶でも飲んでて下さい」
えー…確かに仕事をしているタナカさんは見たことないけども!確かにいつもお茶を飲んで過ごしてるけども!うん、それはわかる。常に見ている光景だから。でもさ?だからって仕事の啓示の場で言わなくてもいいんじゃって思うのは、僕だけなんでしょうか?
でもまぁ…いっか。タナカさん自身が嫌そうな顔してないから。
「さ、わかったら早く持ち場へ行きなさい!ボサッとしない!」
「(鬼上司…)セバス、今日の紅茶は何にする?」
「そうですね…アッサムの良い茶葉を取り寄せたので、それにしましょうか」
「リョーカイ」
使用人達を送り出したら、次は当主の起床に備えて目覚めの紅茶(アーリーモーニングティー)と朝食の準備に取り掛かる。準備が終わればカップとポットを台車に乗せて、主の部屋へ向かう。
「坊ちゃん、おはようございます。お目覚めの時間です」
「今日は良い天気だよー」
シャッとカーテンを開けると、薄暗かった部屋に太陽の光が差し込む。とっくに起きていた僕らにとっては何でもない光だけど、今まで寝ていた主にとってはかなり眩しいらしい。「うー」と唸りながら目を開け、その眩しさに目を細めている。
我が屋敷の主人、シエル・ファントムハイヴ伯爵は12歳にして広大な領地を治める当主である。それと同時に、玩具・製菓メーカー「ファントム社」の社長としての顔も持ち、狡賢い才能溢れる経営方法であっという間に「ファントム社」を巨大企業に成長させた。
「そういえば、バートン伯の養護院の子ども達を屋敷(ココ)に招くことになった」
貴族の富は社会に貢献する為にある。その有り余る財を使い、民に施しを行うのだ。名門たるファントムハイヴ家も例外はなく、社会への奉仕活動を行っている…らしい。
「(その辺のことは、ぜーんぶセバスが請け負ってるからな)」
僕が知ってるのは"何となく"。全てを把握しているわけじゃない。執事でもあるから…本当は知ってなきゃいけないんだろうけど。ま、そんなことより。
「へえ、子どもを此処に招くんだ。いつ?」
「明日。」
あした?何て言うか…それはまた急な話だなぁ。セバスなんか、まっくろーいオーラを出しながら笑顔で固まってるし。
「了解しました。どんな小さなお客様にも、ファントムハイヴの名に恥じぬ最高のおもてなしを」
(このガ…坊ちゃん。私に任せておけば、何でもかんでも何とかなると思ってませんか?いい加減、人(?)使いが荒すぎます)
かろうじて口には出してないけど、心の声がだだ漏れです。セバスチャンさん。
「あ、そうだ。この前注文したヘレンドのシノズワリーのティーセットが届いたよ」
「では、本日の午後の紅茶(アフタヌーンティー)はキーマン茶に。ベリーも入ってきましたから、おやつはカラントとベリーでサマープティングにしましょうか。いかがです?」
「任せる」
「了解致しました。では私は早速、明日の準備に取り掛かります。クロードをお借りしてよろしいですか?」
「あぁ、構わない」
「何かあったら、すぐに呼んで下さいね」
お召しかえまで終わった所で、僕達は主の部屋から退室。
明日のお客様は、小さい子どもか…子どものおもてなしなら、お菓子や今流行のモノとかが喜ばれんのかな?…ま、僕が考えなくてもセバスの頭の中には、もう完成図があるんだろうけど。どんな物が作り上がっていくのか…ちょっと楽しみかも。
「さて、どんな物がお好きなんでしょうね?」
「来るのは子どもだろ?やっぱりお菓子なんじゃないの、喜ばれるのは」
「ふむ。…でしたら、チョコレート細工にでも挑戦してみましょう」
「それじゃ、それ以外のお菓子は僕が担当するよ。好きに作って構わないだろ?」
「ええ。貴方の好みで大丈夫でしょう。…バルドじゃありませんし(ボソッ)」
「……」
うん。それはさておき。何を作ろうか…見た目でも楽しめるものにしたいな。見た瞬間に、子ども達が目をキラキラさせるようなさ。
よし!まずはクッキーの生地から作ることにしよう。セバスがチョコレートを刻んで、溶かしている横でクッキーの生地を練り始める。形はどんなんがいいかなー…。
「ギャーーーーーッ!」
―――ビクゥッ
「今の…ローンドリ・ルームからか?」
「ということは、メイリンですか…」
「僕が見に行ってくるよ。たまには」
「じゃあ、お願いします。あまりに悲惨な状態だったら呼んで下さい、手伝いますから」
あーあ…今度は何をやらかしてくれたのかなぁ、メイリンさんは。洗濯してるはずだから、何かを破壊したりとかはないハズだけど……洗濯機を壊すってこともあるのか。そうなってたら、僕にはもうどうにも出来ないなぁ。
「メイリンさん、一体どうしたんですか?」
扉を開けたら、そこは真っ白でした。
何、コレ。此処ってお風呂場でしたっけ?泡風呂でもする気か。
「この洗剤っ説明書通り、スプーンXXX(30)杯いれたのにおかしいですだよ〜〜〜〜」
「XXX(30)?ちょっと見せてください…」
普通の洗濯で洗剤をXXX(30)杯もいれるか?多すぎるだろ。そう思って箱の説明書きを注意深く読んでみたら…書いてあったのは、XXXじゃなくてV。
…何をどう見れば、これがXXXに見えたんだろうか。すげー謎。
「メイリンさん、これXXX杯じゃなくてV杯。」
「えっ?!!!」
「これじゃあ、泡だらけにもなるわな…」
「すっすみませんですだ、クロードさあああぁあんっ!!!」
はあ…最早、目が悪いとかそういう問題じゃない気がする。明らかにおかしいのは説明書じゃなくて、自分の頭だっていうことになーんで気づかないかなぁ。世間ではドジなメイドに愛嬌が存在するっていう話も聞くけど、きっと僕にはいつになろうとも理解ができないと思う。(する気もないけど)
※あまりのひどさに、腹黒クロードさん降臨です。
「はいはい、泣かないでくださいね〜。大丈夫ですから」
泡で汚れた床を掃除するためのモップを持ってきてもらい、ひたすら拭く!
綺麗になった所で、もう一度きちんと洗剤の量を量って洗濯のやり直し!
洗濯が終わったら、外に干す!シワにならないようにピシッと伸ばして。
「すごいですだ、クロードさん…!」
「次は失敗しないようにして下さいね?それじゃ僕はこれで」
「はっはい!」
これでやっと自分の仕事に取り掛かれる…そんなに時間があるわけでもない時に、頼むから派手な失敗をしないでほしいと…切に思います。結構、片付けに時間がかかっちゃったから、セバスはかなり仕事が進んでるんだろうなぁ。どーーーーーしても!終わる気配がなかったら、セバスに手伝ってもらうかな。
はあ…と溜息を1つついて、作業していた部屋に戻ったら…セバスがいなかった。お菓子も作りかけの状態だし。
「(こんな半端な状態でいなくなるなんて…フィニかバルドさんに呼ばれたってトコかな)」
「…おや、メイリンの失敗は片付いたんですか…?」
「ああ、うん。ちょっと時間はかかったけど。どっか行ってたのか?」
「爆発音が聞こえたので、見に行っていたんです」
「バルドさんかー…今度はどんなモノを作ったのさ」
「いつも通りの炭ですね」
確か、今日の昼食の予定はラムのラベンダー焼き。それを新しく取り寄せた武器で焼いたらしいんだけど…見事に爆発したんだって。
武器で焼けばね、そりゃあ肉が炭に変わるってもんだ。バルドさんのことだから、使ったのはきっと火炎放射器だろうし。結局、お昼はセバスが作ったものが出てくるんだろう。炭なんか主に食わせられん。
「全く…料理を語るのは、一度でいいから『料理』を作ってからにして頂きたいですね」
「作ったモノの8割が炭、2割が有害物質だしね」
「食べられる物を作ってほしいですよ…でなければ、あの人も炭になればいいと思います」
仕事の邪魔をされてるからか、セバスの毒舌絶好調ですよ。それにしても…2人の使用人が大失敗した、ということは…残る1人も何か失敗してもおかしくないんだよなぁ。木を折ったとか、芝生を除草したとか、もうむしろ中庭が更地になったとか。庭師のフィニはそのくらいのこと、いっつもやるから。
とりあえず、起きてもいないことを心配しても仕方ないか。今は目の前のお菓子作りに集中することにしよう…今日中に終わらなくなっちゃうし。再び、クッキーやケーキを作り始めた頃。隣で天板にブラウンシュガーを広げようとしてたセバスに、
「うわーんっ」
フィニが突っ込んだ。しかも泣きながら。
天板に広げられるハズだったブラウンシュガーは、作業台の上にぶちまけられました。そりゃあ、もうど派手に。有り得ないくらいに。結構いい砂糖だったのにもったいな…。
泣いたまま何も話さなかったフィニに連れて行かれたのは、当然ながら中庭。そこに広がっていた光景は、いつぞやの更地。
「枝を切りそろえようと思ったんですけど…」
「わーぉ」
「この芝生は…」
「こないだから除草剤の散布機、壊れてるのを忘れてて!!」
ああ、クラウス様がお越しになった時か。…ん?あれってこないだっていうか、2〜3日前の話じゃなかったか?つまり壊れてるのを忘れて、今日まで放っておいたってことか。
何かもう…ここまでくると、逆にすごいって思ってしまう。一種の才能だよ、こういうのも。うん。欲しいか?って聞かれたら、即座にノーって答えるけど。いらないもん。
「はあ…ここまできたら、私にはどうしようもありません。植木屋で木を買っていらっしゃい…」
「どういう木を買ってきたらいいですか?」
「庭師はフィニだ。庭をデザインするのもフィニの仕事。だから、いいなーって思ったものを買ってくればいいんじゃねーの?」
「えっじゃあじゃあ、合体ロボみたく格好イイ庭にしたいですっ!!!いいですか?!」
「……程々にしてあげてくれ、主が泣くから。はい、お金な」
「わーいっいってきまーす!」
うわー…今までに見たことないくらいに輝いてる。セバスは今までに見たことないくらいに疲れきってる。まだまだ終わりは見えないけど、ちょっと休憩させた方がいいのかもな。その間に僕が少しでも進めておけばいいし。
「…セバス、休憩してきていいぞ。その間は僕がやっておくからさ」
「え…?」
「いつも可愛がってる黒猫。そろそろ、エサをあげてる時間だろ?」
「知ってたんですか…」
「うん?まーね、1回見かけたことあったからさ」
「それなら貴方も一緒に来ますか?癒されますよ」
「行っていいなら…」
「クロードなら構いませんよ」
…ということなので。僕も一緒に行くことに。見かけたことはあったけど、実際に猫に会うのは初めてなんだよな。ちょっと楽しみだ。
向かった場所は裏庭。いつも此処に来てるらしいんだけど……お、いた。
「猫はいい。無駄な事を喋らないし(しないし)、何より可愛いのです」
「確かに可愛いけど…あっちにはいないのか?」
「いえ、愛玩動物というものは存在しますが…あれはいただけない。」
「?ふーん」
肉球をぷにぷに触ってるセバスの表情は、初めて見る。うっとりとして、まるで恋をしているかのような恍惚とした表情で。
本当に好きなんだな、猫。でも悪魔の彼でも、可愛いものは可愛いって思うんだなぁ。
「また明日、お待ちしていますよ」
「あれ?もういいの?」
「ええ、もう十分です。続きをやらなくてはいけませんしね」
気がついたら、撫でたり、肉球を触っていた猫を解放していた。どうやら満足したようで…笑顔が少しだけ、いつもの余裕綽々なものに戻っていた。僕も少しだけ触ってみたかったけど、来る時間が大体わかってるから今度1人で来てみるかな?
そんなことを考えながら戻ろうとしたら、セバスの顔がやたら近くにあってちょっとびっくり。声を出したりはしなかったけど、ビクッと体が反応しちまった…。
「な、何だよセバス…音もなく近くに寄られるとびっくりするんだけど」
「ああ、申し訳ない。少し気になりまして」
そう言いながら、思案顔で僕の首元に顔を寄せてきた。………えっ?!!な、何だ?!!!セバスってもしかして、あっちの趣味なのか?!僕、此処で襲われちゃうわけ?!
「…貴方、甘い香りがしますね。まるで女性のように」
「甘い香り…?あんたと一緒にスイーツ作ってるんだから、その香りが移ったんじゃねーの…っ」
「いえ、スイーツなどの類ではないです。こう…内側から、とでも言うのでしょうか」
「何言って…っ!あんた、男が好きなのか?」
「どうやらそのようですねぇ…貴方が本当に男性ならば、のお話ですが」
―――ドキッとした。
全てを見透かしたように光る赤い瞳が、僕を真っ直ぐに射抜いてきて。逸らそうとしても、まるで固まってしまったかのように逸らすことができないんだ。クスリと薄く笑う姿はとても妖艶で、そこら辺にいる人ならすぐにでも落ちてしまいそうなほどにね。
「くく…っ面白いことを言うね?僕の今の姿が偽りとでも?」
「偽りとは言いませんが、何だか違和感がありまして。気になったのです…いつも香るこの甘い香りの正体が」
「悪いけど、セバスの気のせいじゃないの?僕はあんたみたいに上品な香りのコロンとかはつけてないからさ」
「気のせい…ねぇ?」
「ほら、早く続きをやらないと終わらないぜ?主の午後の紅茶(アフタヌーンティー)の準備とかもあるわけだし」
早くこの話題から気を逸らさせたい。これ以上、このことについて話していたら核心に近づかれてしまう。もうこの話は終わりだと、屋敷の中へと歩みを進めた。
「ダメだ…まだ悟られちゃいけない。いや、この先ずっと…悟られちゃいけないことだから」
勘の良い彼だから、僕の本当の正体に気がつくまでにそう時間はかからないだろうなぁ。なるべく早くに覚悟を決めておくべきか、それとも気づかれてしまう前に…屋敷を飛び出してしまうか。
自分の正体と、主。天秤にかけたら一体、どっちが勝つのだろうか。
「(そんなこと…愚問だってわかってはいるんだけど)」
「クロード?どうかしたんですか?」
「いんや、何でもないよ!早く行こうぜ」
屋敷内に戻って、早く明日の準備を終わらせないと…。焼き菓子もたくさん作るからね、さっさかと作っていかなきゃ時間が足りない。まだまだやることはたくさんある。コツコツとやり進めていかないとね。明日の準備だけが、僕達の仕事じゃないし。
「(見た目は完璧に男性…なのに、微かに残る香りはむせ返るほどに甘い。髪などから香るものではない、あれは魂そのものから香るものですね)興味深いですね、クロード。貴方は一体、何者なのか…」
僕が歩いている後ろで、静かに悪魔が微笑んでいた―――――