嵐の前夜
散歩に出かけてしまっていた八戒くんと悟浄くんを迎えに行き、宿屋の女将さんに教えてもらった蟹の専門店にて夕食中。この時期は上海蟹が美味しい、と聞いていましたが、確かにすっごく美味しいです!
蟹って高いから長安にいた頃はほとんど食べたことがなかったんですよね。家族と暮らしていた頃は、川しか近くになかったから食べていたのは川魚ばかりだったし。だから八戒くん達と暮らすようになって初めて食べたのだけれど、海鮮ってどれも美味しくてびっくりしちゃいました。
「〜〜〜マジで美味かったな蟹!!」
「ええ、とっても」
「珍しく目を輝かせてましたもんね、貴方」
「しばらくは沢蟹も見たくねーな」
「さんざ食っといてよく抜かす…」
先頭を歩いていた三蔵様が、部屋のドアを開けた瞬間―――あまり聞きたくなかった声が聞こえた。これは明らかにヘイゼルさんの声、そっと隙間から中を覗いてみれば、予想通りの人物が我が物顔でベッドに座りワイングラスを傾けていました。とりあえず、無言でドアを閉めましたよね。当然ながら。
けれど、私達が取れたのはこの部屋だけだし…せっかく町に着くことができたのに野宿なんて死んでもごめんです。かと言って、あの人と顔を合わすのも嫌ですけど背に腹は代えられないってやつですよね。仕方がないので嫌々部屋に入る他、方法はありません。
(―――にしても、この人は東に向かっていたはずでは?)
私達は彼らが来た方向、つまり西へと向かっている最中ですので、完全に行く方向が逆なんです。だからあの時、道を分かつ結果になったはずだったんですけど…何故、戻ってきたのだろうか?それとも急用でも思い出して、西の大陸へ戻ろうとしているとか。あれ、それだと下手すればまーたジープに7人も乗るハメになりそうじゃありません?ガトさんはなかなか興味深い方なので、別に構いませんけど。
うっわぁ、と内心、眉間にシワを寄せていると、いつの間にやら悟浄くんがヘイゼルさんのワインを飲んでいらっしゃいました。文句は言いながらもちゃんと頂くものは頂くんですね…ちゃっかりしてます、ほんと。
「香ちゃん、お前も飲む?」
「じゃあ一口だけ」
全部飲んでいーよ、と言われたので、皆さんの話に耳を傾けながらソレを一気に飲み干した。あ、これ美味しい。
それにしても、…どうやって部屋の中に入ったのかと思ったら、やっぱりこの町では何処でも顔パスなんだそうですよ。黄色い瞳の方がたくさんいらっしゃったので、恐らくそうだろうとは思ってましたが。
「―――確かにこの町には黄色い瞳の肩が大勢いらっしゃいましたけど、ヘイゼルさんとは無関係かと思ってました」
「おや、何でですのん?」
「この町では誰も、僕らを妖怪だと言って襲ってきませんから」
「…ほう、そら良かったですなぁ」
「ああいう卑怯な手段は今後も控えて頂けると助かりますね」
「なんの話かようわからんな」
「理解力に欠けていらっしゃるようなら結構です」
「なんやごっつい独り言やなぁ〜〜ビックリするわ」
あらまぁ、ものすっごい険悪な雰囲気ですねぇ。八戒くんがこの人のことをあまり快く思っていないのは気がついていましたけど、ここまでだとは思いませんでしたわ。
笑顔で繰り広げられる言葉の応酬を、お代わりとして頂いたワインを飲みながら見ていると、背中にギュウッと誰かがしがみついてきたことに気がついた。誰だろう、と後ろを向いてみれば冷や汗をかいている悟空でした。
「悟空?」
「…なんで香鈴何ともねーの?俺、今チビリそうだ……」
「なんの、……ああ、あの2人のこと」
ここまであからさまに険悪だと、もういっそ清々しいんですもの。それに八戒くんの敵意がこっちに向いているわけでもありませんしね。別に気にすることもないんじゃないかな、っていうのが私の見解。ヘイゼルさんの敵意が私達(三蔵様除く)に向けられているのは、それこそ最初からですし。
確かに笑顔で口にするような言葉ではありませんし、空気はすっごく険悪ですからね…悟空が怖がるのは無理ないかもしれないけど、私は何ともなかった。八戒くんの黒い笑顔が怖い、とよく聞くけれど、不思議とほとんど怖いと思ったことなかったし。
そんな会話をしていたら、ベッドの上で煙草を吸って傍観していた三蔵様が不意に口を開いた。何故、西に戻ってきたのか、と。それに対してヘイゼルさんは三蔵様の顔が見たくなっただけ、と非常にふざけた答えを返してきましたけど…本当はとある妖怪を捜しに来たんだそうです。
「妖怪…って?」
「なんでもごっつう狂暴な妖怪が西におるいう話を聞いてな、引き返してきた所なんよ」
狂暴な妖怪、ねぇ…私達はそんな話を聞いた覚えはありませんけど、でも頼りになる司教様にだけお話した可能性は高いですよね。噂話というものはあっという間に広がるものですから。…もしくは、人間を襲っていないか―――ですよね。それならば噂になっていない理由も頷ける。けれどこのご時世で、そんな妖怪が存在するのかしら?何とも不思議な話ではあります。
(それとも紅孩児さん達のことなのかしら…?ううん、でも元々そっちの方角から来たのだから、紅孩児さん達のことを今更知ったというのもおかしな話だわ)
ヘイゼルさん曰く、その妖怪を捜し出してどうするかはまだ決めていないそうです。けれど、噂通り、人間に害を及ぼすような妖怪だったら、始末しないといけないと、冷たい瞳で言い放った。
ま、そうでしょうねぇ…ただ捜し出して、会って、そのままーなんて何の為に戻ってきたのかわかったもんじゃありませんもん。
「先に申し上げておきますけれど、…私達は一切手をお貸し致しませんのでご勝手にどうぞ?」
「おや。むしろ、うちらが一緒におった方が便利なんと違います?」
「便利じゃねーです。」
「…断るつっただろーが」
「暴発必至の銃を懐に入れて歩くようなモンですからねえ」
「そもそも、ご一緒して私達にメリットなんか一ミリもありませんから」
「2人してひどい物言いやな、ほんま」
その後、町の人がとても豪華な宿を用意してくれた、とか、蟹はタラバに限る、とか言い残して去って行かれました。
幼稚な挑発に見事に引っかかったのは悟空と悟浄くん。確かに私もカチンッときましたけど、ここで怒ったら相手の思うツボですよね。冷静に、冷静に…。
「上海蟹だって美味しいもん…」
「見事に挑発に引っかかってんじゃねーよ、バカ」
「あはは。可愛らしい拗ね方してますね、香鈴」
「むー…子供扱いしないでください」
腹が立つ。何でだかわからないけど、あの人はずっと気に食わない。苦手だ。
…けれど何だろう…彼が引き返してきた目的を聞いた後から、胸騒ぎがするの。どうしようもなく胸がざわついて、良くないことが起きるような気がしてならない。まるで何かを失う前触れのような、そんな―――そんな予感が、ずっと渦巻いている。
お願い、…お願いだから、
何も壊れないで。
消えて、いかないで。