銀の君、降臨す。
「ん、…」
あれ…私、いつの間に眠っちゃってたんだろう。確かベッドに座って本を読んでたはずなんだけど―――そっか、それでうとうとしちゃってたのかな。
いつの間にかかけられていた布団をどけて体を起こせば、八戒くんと悟浄くんが何処かに行こうとしているのが視界に映った。時計を確認すればもうとっくのとうに夜は更けている、2人でお酒でも飲みに行くのでしょうか?
置いていかれるのは嫌だな、と思ってしまって名前を呼べば、八戒くんが柔らかな笑みを浮かべて起こしちゃいましたか?って。自然に目が覚めただけ、と答えればホッとした表情。本当にこの方は優しいなぁ。
「三蔵と悟空が出て行ったっきり帰ってこねぇからよ、捜しに行こうとしてたんだ」
「目が覚めたのなら貴方も行きますか?」
「行きます。…なんか、1人でいるのヤダ」
ボソリと本音が漏れた。けれど、寝起きで頭がボーッとしているらしい私はそんなことにも気がつかず、もぞもぞと出かける準備をしていると、八戒くんと悟浄くんがぽかーんとマヌケ面でこっちを見ていることに気がつきました。…あれ?何でこの方達はこんなにもマヌケ面を晒していらっしゃるんでしょう?私、何か変なことを言いましたっけ?全く覚えがないんですけど。
首を傾げつつも、知らぬ間に脱がされていたブーツを履いて立ち上がると今度は肩を震わせて笑い始めたよこの方達。うん、楽しそうに笑っているのは見ていて嬉しいものですけど、人の顔を凝視した後に笑い始めるとか失礼極まりないんですけど君達。
つーか、何なんですかマジで。むう、と頬を膨らませて怒りを露わにすれば2人の笑いはどんどん濃くなっていくし…どーすりゃいいんですか。
「ふ、…くくっすみません、香鈴。貴方がずいぶんと可愛らしいことを言ってくれたから…あははっ」
「はー、かっわいかったぜぇ?さっきの香ちゃん!」
「全く褒められている気がしないんですけど、それ。」
もーいいです。さっさと三蔵様と悟空を捜しに行きましょう、といまだ笑いが治まらない2人の背を押して部屋を出た。そして宿を出た瞬間、ドクリと心臓が嫌な音をたて―――発動していないのに、視界に映像が映り込んでくる。
それは身体中から血を吹き出させて倒れゆく、悟空の姿とそれを驚愕の表情で見つめる三蔵様の姿だ。あまりの衝撃に言葉を失い、歩くことすら止めてしまった私にどうした?と悟浄くんが声を掛けてくれたけれど、どう言葉にしたらいいかわからなくて、今見えた映像が本当のことなのかわからなくて…でも、身体中が恐怖で震えているのだけはわかるの。
そして―――銃声が轟いた。
間違いない、この銃声は三蔵様だ。何でわかるんだ、と聞かれれば勘でしかないけれど、こんな町中で気にせず銃をぶっ放すような方はあの方しかいない。ガトさんも滞在しているけれど、でも彼の持っている銃はあんな軽い音じゃなかったはず。もっと重くて、お腹に響くような轟音だったもの。
音がした方へ行ってみれば、そこにはさっきの映像と寸分違わぬ姿があった。血塗れで倒れている悟空と、まるで魂が抜け落ちてしまったかのような三蔵様。そんなっ…あれが夢でも嘘でもなかったなんて!!
「香鈴!手を貸してくださいっ!!」
「あっ…はい!!」
いけない、しっかりしなくちゃ…!誰にやられたとか、どうしてこんなことにとか、気になることはたくさんある。でも今はとにかく、悟空を助けることだけを考えないと!お願いだから届いて、…どうか私の歌を聞いて悟空!
八戒くんが気功で傷口を塞ごうと奮闘している横で、中から傷を癒そうとメロディを紡ぐ。でもダメなの、悟空に意識がないからか一向に効いている様子がない。傷が深すぎるせいか気功も追いつかなくて、どんどん悟空の身体が冷たくなっていくのがわかった…これじゃ、本当に、
(方法は、ないの?このまま悟空が死んでいくのを、ただ黙って見ている他に術はないの?)
頭を過る最悪の結果に頭を振る。ダメ、そんな弱気になってたって仕方がないし、この子が助かるわけでもないじゃない!諦めるなんて私らしく、ない。足掻け、…足掻け、足掻け!泣きそうになるのを堪えて、もう一度最初からメロディを紡ぎ始める。でもやっぱり結果は、変わらない。血が止まらない。
ジャリ、と何かを踏みしめる音がした。それは三蔵様の靴の音で、彼は―――ひどく純粋な殺意を抱いた瞳で、空を見つめていたんです。ただひたすらに誰かを殺したい、と心の底から願っている瞳だ。
私は知らない、こんな瞳をする三蔵様を…私は知らないわ。
「あ、…三蔵様!!」
「―――手遅れです。これ以上、手の施しようがありません」
「八戒、くん…?」
最終宣告だと思った。…けれど、八戒くんの様子が何と言うか、とても落ち着いているといるような―――そっか、そうだったんだ、この方はまだ策があることを知っている。気功も、癒しの歌も効かないとわかった今、彼の命を繋ぎ止めることができる方法は…1つしか、ないじゃないですか。
「金鈷を外すんです」
「やっぱり、その方法になりますよね…今の今まで忘れていましたわ」
悟空の―――というか、斉天大聖の強大な妖力をもってすれば、最悪の結果は免れるかもしれない。そして残された最後の、唯一の手段であることは間違いない。
…でも、今この場所で…?たくさんの町の人達が野次馬となって集まっている、金鈷を外した悟空は理性なんて持っていないからきっと誰彼構わず襲い始めるに違いない。そうなってしまったら、別の最悪の結果が待ち受けている。リスクは高い、でも…
「迷ってる時間すら、惜しいですよね」
「だな。―――やるぜ、いいな」
悟浄くんの手が金鈷を、外した。刹那、カッと目を見開いた彼はまるで風のように屋根の上へと移動していたんです。
―――ズンッ
大地が揺れた。斉天大聖の咆哮に応えるように、大地がグラグラと揺れている。そして何か光のようなものが次々に彼の身体へと、吸い込まれていくのが見えた。あれはまさか、…大地の気そのものを吸い上げているということ?!吸い上げて、吸い上げて…あれだけひどかった傷は1つ残らず塞がって、まるで傷つけられたことが夢であったかのように、彼の身体は綺麗になっていました。
は、はは…可能性に賭けてみましたけれど、ここまでとは思いませんでした。正に予想外の効果、でしたねぇ。でも何とか悟空の命を繋ぎ止めることには成功しました…結果だけを言えば最高の一言ですけれど、現状を見たら最悪の一言に過ぎない。
斉天大聖の力は二度ほど、目にしているし体感もした。敵ったことは一度もない。止められたこともない。一度目は菩薩様が、二度目は三蔵様が―――けれど、唯一の方も今此処にはいらっしゃらない。
いない人を頼ることはできないし、三蔵様を捜しに行っている暇があるのならば、私達が彼を止める他ないんだ。それがきっと、被害を拡大させない唯一の方法だから。
町の人達の叫びが木霊する。それを聞いた悟空は、私達に向けていた視線を彼らに移した。マズイ、あれは完全に町に人達を獲物として捉えてしまった目だ…!
急いで逃げてください、と声を荒げて臨戦態勢に入った。でも止まらない、止められない…悟浄くんの錫杖の鎖は切り刻まれ、八戒くんの放った気功砲は受け止めただけではなく、増幅させて跳ね返してきたんです。何て、…何て桁違いのパワーなの?
「ゲホッ…」
人の気配が、した。視線を上げてみると、そこにはさっきまでいなかったはずのヘイゼルさんとガトさんが立っていらっしゃいました。
…そうか、斉天大聖の妖気を辿ってここまで…これだけ大地や空気が震えていれば、その筋の人にはわかりますよね。
「悟空はん―――いや、『斉天大聖』。…それがあんさんの本当の姿ってわけやな」
「?!」
どうして…?どうして西の大陸から来た人が、斉天大聖の名を知っているの?桃源郷に住んでいる者のほとんどがその名前どころか、存在すら認知していないというのに。それなのに、どうして―――
『なんでもごっつう狂暴な妖怪が西におるいう話を聞いてな、引き返してきた所なんよ』
…そうだ、あの人はあの時そう言っていたんだ。その妖怪が斉天大聖のことだとしたら、…誰かがヘイゼルさんにそのことを吹き込んだ奴がいるということ。彼らの様子からすれば、悟空を傷つけたのはまた違う奴でしょう…あまり信用していませんけど、でもさっきの口ぶりは演技というわけではなさそうでしたから。
(つまり、三蔵様が殺す、と仰っていたのもその人物―――もしかすると、あの方は予想がついている?)
いや、その話を考えるのは後回しだ。今はとにかく、悟空を元に戻さないと大変なことになってしまう!けれど、一体どうしたらいい?大地の気を吸い上げて回復した彼の力は、今までの比ではないように感じます。一度も敵うことのなかった私達では到底止めることが不可能なんじゃ…とすら思ってしまう。それでも止めなければいけないのだけれど。
お腹に響くような轟音―――それはガトさんの銃の音。でも彼には効かないらしい、高速で打ち出される銃弾はひどい高温なんです。素手で掴むことなんてできないし、それを掴み取るなんて出来っこないのに、斉天大聖の力をもってすればそんなことは容易いらしいですね。
おまけに銃弾を口でも止められるとか、どれだけ人間離れしてんですか。そんな相手を止めるのなら、―――方法は1つだけ。
「砂漠で―――あの時は悟空が自分で金鈷を外した。『止めてくれ』と言われたのに、僕は何も出来ませんでした」
「八戒…?」
「長丁場になったら僕も自信ありません。もし僕が―――」
「待って!」
「香鈴?」
君の言いたいことはわかりますよ、今度こそ悟空を止めたいんですよね?果たせなかった約束を、果たそうとしているんですよね?…だけど、ごめんなさい。私は君に…八戒くんに辛い思いをさせたくないの、痛い思いをさせたくないの。それはただの我が儘、私の一方的な思いだっていうのはわかってるの。それでも、
「私が行きます。…行かせてください」
「何言って、…そんな危険なことさせられるわけないでしょう?!」
「それはこっちのセリフでもあるんですよ?八戒くん」
グッと言葉に詰まる彼に笑みを返して、私は生まれて初めて自分から―――右耳の妖力制御装置を、外した。