欠片をひとつ、
―――ガランガランッ!
翌日。何とか熱が下がった八戒くんと外に出ていたら、小屋の中から何かが倒れるような音が聞こえてきた。悟浄くんも川べりで顔を洗っていたから、中にいるのはまだ目を覚ましていない悟空だけ…ハッと彼と顔を見合わせて、急いでドアを開けた。
「悟空!!」
「ああ、良かった。悟浄、悟空が目を覚ましましたよ!」
どうやら悟空は目を覚ましてベッドから下りようとしたら、足に力が入らなくてそのまま転んでしまったみたいです。それも当然のことだ、だってあれだけの大怪我を負って出血もひどくて…3日間も寝込んだまま目を覚まさなかったんだもの。急に起き上がって動けた方が不思議だわ。でも良かった、目を覚ましてくれて。
ホッと安堵の息を吐くけれど、悟空は何かおかしいことに気がついたみたい。八戒くんも、悟浄くんも、私もいる。でも何かがおかしい―――と。
そして彼はポツリ、と呟いたんです、三蔵はどうしたんだって。三蔵に何かあったのか、って。
でも私達は何も答えない、…というか、どう説明したものかって感じなんですよね。実際。今、あの御方がどうしているのかは私達にもわからないんですから。
そんな時、悟浄くんの低い声が小屋の中に響いた。
「何もしなかったんだよ、アイツは」
「……え?」
「お前が危ねぇ状態の時にあのクソ坊主は、現場放棄してどっか行っちまいやがったんだよ」
「悟浄」
「それ以外の何だってんだ?!―――悟空が!!目の前で死にかけたってんだぞ?!」
ヒートアップする悟浄くんを、冷静な声と口調で八戒くんがおさめようとするけれど、一度火がついてしまった怒りというものはなかなか引っ込まないんです。
2人の会話で三蔵様を意図的に置いてきたのか、と感じ取った悟空が声を荒げたけど、でも実際の所…あの御方も私達を追いかけて来ようとしなかったんですよ。それどころか逆方向に歩いていって、ヘイゼルさん達に声を掛けているように見えたのでもしかしたら一緒にいるかもしれませんが。
それはきっと悟空にとって、信じがたいことなのでしょうね。大きく目を見開いた彼は、だってそんな…と呟いた。その後は言葉にしなかったけれど、恐らくは『三蔵が俺を置いていくはずがない』って続くはずだったんでしょう。
でも現実にあの御方は悟空を置いていってしまわれた…別の理由があるんだろう、と推測してはいますが、あくまでも私の推測にしか過ぎませんからね。悟空を安心させる要素にはならないでしょう。
―――ドサァッ!
「?!…は、…八戒くん!」
「このバカ!お前こそ無茶すんなっつっただろーが!!」
「悟浄くん、彼をベッドに運んでください。治療します」
「大丈夫、ですから、…!」
「―――…それ、俺が、やった?」
小屋の中の時間だけ、ピタリと止まってしまったような気がした。八戒くんは悟空のせいじゃない、と言うけれど、悟空は納得しそうにない。自分が暴れたから、それを止めようとして大怪我を負ったんだろうと―――悲痛な叫びが、木霊する。
更に紡がれるのは、悟空らしくない弱気な言葉。自分が弱いから、自分がやられたから…そう呟く悟空は、まるで捨て犬のようだと思う。もしかして三蔵様がいなくなったのも、それが理由だと思っているのかしら?
しん、とした空間の中に、八戒くんの冷たい声が響き渡った。弱音なら聞きたくない、と。
「誰かのせいにしようなんてこれっぽっちも考えてませんよ。―――前にも言いましたよね?僕らにできるのはただ、『応える』ことだけだと」
壊れていく音が、胸に、頭に響いているような気がする。
それを振り切るかのように、改めて悟浄くんに八戒くんをベッドに運んでくれるようにお願いする。癒しの歌は使わないでおこう、と思っていましたが、もうダメです。我慢の限界です。こんなの、…見てられない。わがままとかエゴとか言われたっていい、それでも私は―――彼の背中の傷を、そのままにしておくなんてできないんです。
―――コツン、
「いいですか?歌だけに、私の声だけに集中してください」
「香鈴、僕ならだいじょう―――」
「私が嫌なんです!…っわたし、が、耐えられないんです」
悟浄くんに偉そうなことを言っておきながら、私も似たようなことを考えていたんだ。私には何もできないって。守ることも、癒すことも、何もできないただの役立たずだって…それがずっと悔しくて、嫌だった。
いつだって守られるばっかりで、何も返せていないんです。増えていく一方なんですよ…?そんなの気にしなくていい、と笑われるかもしれませんが、それでも嫌なものは嫌なんです。
額同士をくっつけて、半ば無理矢理にメロディを紡ぐ。少しでいい、少しでも痛みが和らいでくれれば、少しでも楽になってくれれば―――その思いだけで、歌うんだ。私は、ずっと。
「大分、楽になりました」
「…そうですか」
良かった、と笑みを浮かべて、少しだけ横になっていてくださいと声を掛ける。何もすぐに出発する必要はない、悟空も目を覚ましたばかりだし、少し落ち着いてからでも遅くはないでしょう。
「三蔵は、ほんとに…」
「ああ、嘘言ったってしゃーねぇだろ」
「―――これはあくまでも私の見解ですが、」
「香ちゃん?」
「目の前で誰かが死にかけるということは、精神的な大きなダメージを受ける。それが大切に思っている『誰か』だとしたら…余計でしょう」
悟浄くんはアイツがそんなタマか?って訝し気ですけど、強い御方だから尚更―――ってこともあるんですよ?
「私には現場放棄した、というより、誰かを捜しているように見えました。死にかけている悟空を見て、ただひたすらに誰かへの殺意を高ぶらせているように見えたんです」
「けどよ、結局悟空の命よりそっちを優先したってことだろ?」
「私も―――三蔵様と同じ立場になったら、同じことをすると思いますよ」
「?!」
「大切な人を奪った奴を許さない。…そう思うのは生きていて当然のことでしょう」
三蔵様の気持ちは本人にしかわかりませんけど、私はそう思いました。だからこそ、姿を消してしまわれた三蔵様を頭ごなしに怒ろうって気になれないんだ。
…奪われた哀しさも、憎しみも、悔しさも、何もかもがわかるから。
「…三蔵の行動も、何か考えがあってのことかもしれません。しばらくは独りにするべきなんじゃないでしょうか?」
出発の準備を終えて川の近くでボーっとしていると、ジャリッと踏みしめる音が聞こえました。視線を向けてみれば、そこにいたのは八戒くん―――けれど、いつもの笑みは浮かんでいなくて雰囲気も若干ですがピリピリしています。
…ああこれは、ちょっと怒っていらっしゃるなぁ。理由も見当がついているから、…うん、今すぐにでも此処から逃げ出したい気分です。
静かに隣に腰を下ろした八戒くんは、幾分か低い声で私の名前を呼ぶ。あまり聞き慣れない低さと、冷たさに僅かに身体が跳ねた。悪いのは私だとわかっているし、彼が怒る理由もわかるんだけれど…それでもやっぱり、八戒くんに怒られて嫌われるのは嫌だって自分勝手なことを思ってしまうんです。
「あ、の…」
「貴方、僕が気功を使おうとした時に言いましたよね?傷が完治するまでダメです、って」
「…はい、言いました」
「僕が同じように思っていた、って思わなかったんですか?」
思わなかったわけじゃない。きっと怒るだろうなって、心配させちゃうだろうなってわかっていました。それを判っていた上で、私は力を使うことを決断したんです。
―――ギュウ、…
「どうしてっ…どうしてそう無茶なことばかりするんですか…!」
「……八戒、」
「傷口が痛むよりも、力を使うことで香鈴が苦しむ方がずっと痛いんですよ。いい加減…それを理解してください、お願いですから」
それは懇願。悲痛なる、八戒くんの心からの叫びだと、そう思ったんです。