銀世界の外へようこそ
買い物から帰ってみると、ドアを開ける前から騒がしい声が聞こえた。
私がこの家に居候するようになってから、割と日常になってしまった2人のじゃれ合いにそっと笑みを零す。
「ただ今帰りました」
「おかえりなさい、香鈴。すみません、1人で行かせてしまって」
「いいえ、このくらい大丈夫ですよ。いらっしゃい、三蔵様、悟空」
「ああ」
「おかえり香鈴っ!」
「てっめぇ猿!いっつも香鈴ちゃんに抱きついてるんじゃねぇよ!!」
あらら、一度は収まったと思われた悟浄くんと悟空のじゃれ合いがまた始まってしまったみたい。それを見ているのは結構楽しいのだけれど、あまりうるさくしすぎると三蔵様から怒りの鉄槌ならぬ、怒りのハリセンが飛んできてしまいそうですね。まぁ、一度それを食らえば大人しくなるのだけれど…ふふ、でも2人ってばいつまで経っても懲りないんです。痛い思いをしているのに、何度も。
私もあのハリセンは前に二度食らったことがありますけど、思っていた以上に痛くて頭がぐわんぐわんしたのでもう二度と食らいたくないです。正直。
あの時の痛みを思い出しながら荷物を片づけて戻れば、何やらお鍋の話になっていた。どうして急にそんな話になったのかと思えば、私達がこの前スキヤキ鍋を買ったことを八戒くんが2人にお話ししたみたい。それで悟空がそれを食べたことがないようで知らなかったから、説明していたみたいですね。
「うーまーそーうーっ食いてぇえ!!」
「ふふ、じゃあ今度作りましょうか。スキヤキ」
「食い物なら何でも食いたいんじゃねーか」
そろそろお鍋の時期ですしちょうどいいかもしれません。3人でもお鍋はできますけど、5人で食べたらきっともっと美味しいでしょうし。寒さも厳しくなってきたので、雪ももうすぐ降るんでしょうか。
「あ、八戒くん、悟浄くん。三蔵様に?」
「はい、依頼が終わったので報告に」
―――ドン。
「おらよ」
「…早かったな」
「三蔵様、…そんな顔しないで差し上げて下さい」
「苦労したんですよ、コレ取り戻すの」
三蔵様が2人に依頼したのは、元々三仏神様からこの方にされたもの…なのだけれど。意外と面倒くさがりなのか、私が知る限りではその依頼のほとんどを八戒くん達に頼んで―――もとい、押し付けているような気がします。私も同行することが多いのですが、最近は三蔵様の執務のお手伝いが忙しくて行けていないんですよね。
それに、同行しようとすると八戒くんと悟浄くんは、少しだけ顔を顰めるんです。心配を、してくれているのでしょうか…彼らの気遣いは擽ったいけれどとても温かい。
だけど、三蔵様のお手伝いをすることを条件に自由に暮らさせて頂いているので、その辺りは大目に見て頂けると有難いんですけどね。
「寒かったでしょう、お茶淹れてきましたからどうぞ」
「おー、さっすが香ちゃん!やっさしー」
「ありがとうございます。そういえば、悟空は外ですか?」
「…それが、」
「一昨日から寝室に籠りっぱなしだ。―――怖いんだと」
外は雪。一昨日から降り続けたそれは辺りを真っ白に埋め尽くしていた。さすがに雪を見てはしゃぐ歳ではないけれど、やっぱり真っ白に染まった世界を目にすると少しだけ胸が躍る。きっと悟空もこの雪景色にはしゃいで外を元気に駆け回っているのだろう、と踏んでいたのだけれど…それは私の思い違いだったのです。
いつものようにお茶の用意をして三蔵様の執務室を訪ねれば、そこには悟空の姿はなくて。珍しくまだ眠っているのかと三蔵様に尋ねてみれば、起きちゃいるが寝室に籠ってる、とだけ返ってきました。
もしかしたら寒くて具合が悪いのかもしれない、と思って許可を頂いてから、悟空が籠っているという寝室に足を運んだのだけれど…扉を開けた先にいたのは、部屋の隅に蹲り毛布を頭から被った姿。布団に潜っているものだと勝手に思い込んでいたから、ちょっとだけ驚いてしまったけど。
悟空、と声を掛ければチラリ、とこっちを見るけれど、すぐに膝に顔を埋めてしまった。いつもの元気な声も聞こえないし、明るい太陽のような笑顔すら見せてくれない。―――まるで、何かに覚えているかのように自らの体を抱きしめて、じっとしている。
何度声をかけても返事が返ってくることがなく、仕方なく三蔵様の元へ戻って何事かを問いかけてみれば、怖いと言って出てこねぇ。この時期になると毎年だ。と教えて下さった。
「しゃーねぇ、行ってみるか」
「ですね。香鈴も来るでしょう?」
「で、も…きっと何も反応してくれないと思うんです」
大丈夫ですよ、きっと。
八戒くんは微笑んで、私の手を優しく引いた。悟浄くんと3人で寝室へ向かっていると、私達の後ろを三蔵様が歩いていて。執務室に残られるであろうと思っていたのに…意外だわ、びっくりしちゃった。もしかして、口ではああ言っていたけれど悟空のことを一番心配しているのは、三蔵様なのかもしれませんね。放置主義ではありますけれど。
寝室へ続く扉をそっと開いて中に入れば、そこにはやはり一昨日と変わらずに部屋の隅で蹲る悟空の姿。すっぽりと頭から毛布を被っているのもあの時のまま。悟浄くんが何をしてるのか、と呆れた声音で尋ねれば、うるせーなっといつもより小さめではあるけれど、反応が返ってきた。
…すごい、私の時は声を聞かせてくれなかったのに…悟浄くんと悟空って喧嘩友達のような関係だし、やはり話しやすいのでしょうか。うーん、彼の言葉に反応してくれたのを見てホッとしたけれど、ちょっとだけ寂しいなぁ。
「ガキは雪降ったらはしゃぐモンだろ、普通はよ―――」
―――ぐいっ
「ぎゃーッやめろよ離せッ!!ヤだっつったらヤなんだよ!!」
悟浄くんが半ば無理矢理に彼が被っていた毛布をひっぺ剥がすと、より強い拒絶の声が部屋中に響き渡る。毛布の代わりに、とでも言うように両手で頭を覆って何も見ないように、何も聞こえないようにしているみたい。知り合ってもう1年くらい経つけれど、こんな悟空は初めて見ました。
執務室を出る時から繋がれたままだった手を離して、八戒くんが優しい声音で悟空に尋ねる。
「ねえ悟空、どうしてそんなに雪が嫌いなんですか?」
「……だって、寒いし、すっげ冷たいし、」
「厚着すりゃいーじゃねーか」
「―――そーゆーんじゃなくてッダメなんだよっ」
ダメなんだ。
そう言葉にしたっきり、また膝に顔を埋めて黙り込んでしまった悟空。これ以上は無駄だ、とでも言うように三蔵様が踵を返して静かに寝室を後にする。私達もそれに倣うように寝室を出て、執務室へと戻って来た。
「香鈴。今日の仕事は仕舞いだ」
「あ、はい…わかりました」
「―――三蔵。悟空は山の頂に閉じ込められてたと言ってましたよね」
「ああ、理由は判らんが。…あの辺は未開の地で人も寄りつかん、山頂なんざ尚更だろう」
「!…それじゃあきっと、」
「ええ。…冬になれば雪も深かったでしょうね…」
帰り支度を済ませて外に出てみると、朝と同じように雪がはらはらと舞っている。それはまだ止む気配を見せない、このまま降り続ければもっと雪は深くなっていくでしょうね。
「香ちゃん?」
「…悟空は、1人で雪の中を生きていたんですね」
雪は積もれば積もるほど、全ての音を飲み込んでいって、静寂だけを連れてくるものだ。人里にいればまた違うのかもしれませんが、どれだけ周りに人が住んでいたとしても―――とても、静か。怖いくらいの静寂を連れてくるんです。
「雪って、…不思議なんです。そんなことないのに、自分しかいないような錯覚に陥って怖くなる。誰もいないんじゃないかって思っちゃうんですよ」
きっと悟空も、そんな世界が怖いって思ったんだと思います。
ただ寒いだけじゃなくて、冷たいだけじゃなくて―――音がなくて、怖いくらいに静かで、誰の姿も見えなくて、真っ白な世界に自分一人だけ取り残されたような、そんな世界が、ただ怖かった。だからこそ、そんな世界を見ることが怖くて、出てくることができないんじゃないのかなって思うんですよ。
「ピンポンパンポーン」
「え、ちょ、悟浄くん?」
「香鈴、しっ―――此処は彼にお任せしましょう」
悪戯っぽく笑う八戒くんに頷いて、私も彼の隣で成り行きを見守ることにした。
「お呼び出しを申し上げまァス。長安にお住いのバカ猿様、生臭坊主様。足が長くて超かっこいい沙悟浄様がお呼びでェす」
ふざけたような呼び出しにノッてくるような方ではないんじゃないか、と思ったのだけれど、静かに窓が開け放たれ不機嫌な顔の三蔵様と、きょとんとした顔の悟空が顔を出した。
そんな2人の様子なんか気にすることなく、悟浄くんはただ一言、「スキヤキだ、行こーぜ」と笑うんだ。
―――ああ、そうか。これは彼なりの悟空への優しさ、なのかもしれない。外に出てこれない、出てこようとしない彼が一歩踏み出すことが出来るように背中を押そうとしているんですね。
無理矢理に引きずり出してくることもできるはずだけど、こういうことって本人が動かないとダメなものだから。ふふっほーんと…優しいんだから、悟浄くんってば。
「オラ、早く出てこいよ」
「今からァ?!今度でいーじゃんかよッ」
「雪が降って寒いですからね、こういう日はお鍋ですよね」
「3人で鍋してもいいんですけど、まぁ5人の方がもっといいですし」
戸惑った顔を見せていた悟空が、窓の外に降り積もる雪を一瞥して息を飲んだ。そしてまた中に引っ込んでしまったようです。見えないけど、膝を抱えて蹲っているのかもしれません。
うーん、もう一息のような気もするんですけれど…なかなか上手くいかないものですね。最終的には荒療治しか方法がないかしら、と考えていたら、ざくっと雪を踏みしめる音が聞こえた。悟空が出てきたのか、と視線を向けてみたのだけれど、そこにいたのは彼ではなく三蔵様。
「…今度は、自分で出てこい。悟空」
三蔵様は八戒くんと悟浄くんの間に立つと、ただ一言。それだけを悟空に届けた。
その言葉はきちんと彼の胸へ届いたみたいですね。だって照れたような、拗ねたような顔をして頬を赤くしてますもの。
「……なんだよ。なんだよもー皆してさぁ」
「スキヤキはうめーぞー牛肉、長ネギ、豆腐、シイタケ」
「く、食いモンで釣るなよちくしょー」
あの声音からすると、今度こそもう一息、ですね。
「シラタキも忘れちゃいけませんね」
「…麩も入れろ」
「あとは炊き立てご飯」
「私、うどんも食べたいです」
「ああ、シメにいいですね」
ねえ悟空。大丈夫、大丈夫だから―――
「来いよ、バカ猿」
「〜〜バカ猿言うなクソ河童―!!」
少しだけ久しぶりな彼の元気な声に、私は自然と笑みが零れた。
ああ、一歩踏み出すことが出来ましたね。最初の一歩を踏み出すことが出来れば、きっともう大丈夫。もう雪が怖いなんて思わないでしょう?
遅い、と言った悟浄くんに雪の中へ埋められかけた悟空を立たせて、顔や服についた雪を払ってあげれば何かを言いたいのか気まずそうに口を開けたり閉じたりしている。…勘でしかないからあれですけど、もしかして一昨日のこと気にしているのかしら?
「あ、あの、さ、香鈴っ…!」
「悟空」
「え、…?」
「綺麗に積もった雪に足跡つけるの、結構楽しいんですよ」
ほら、と手を引いてまだ何も跡がない雪の上をざくざくと歩く。こうすれば自分がいることも、他の人がいることも確かめられる。…ね?もう怖いなんて思わないでしょう?
手を繋いだままにっこりと笑えば、彼も嬉しそうに笑ってざくざくと足跡をつけていく。
「なーにちゃっかり香鈴ちゃんと2人で楽しんでんだよ、悟空!」
「いーじゃんか別にっ!
「さっさと行くぞ、寒い」
「あ、ビールも買っていきましょうね」
「何言ってんの〜熱燗でしょ熱燗」
「そうですか?お鍋にビールって最高だと思いますけど」
ざくざく、ざくざく。
5人で踏みしめた雪は、数えきれないほどの足跡がついていてもうどれが誰のものかなんてわからない。でもそれでいいんです、たくさんの中の1つになってくれて。それは誰かと一緒に生きている、確かな証拠になるんですから。
(うんめぇー!!)
(肉…足りませんでしたね…)
(卵は黄身だけ入れるモンだ。それから肉とシラタキを近くに置くと肉が硬くなる)
(わぁ!三蔵様、よく知っていらっしゃいますね!)
(香ちゃん感動するとこじゃねぇから。コイツめんどーな鍋奉行なだけじゃねぇか!!)