おまじない
いつもは元気にじゃあな、って言ってくれていた悟空がここ数日、あまり元気がない。元気がないと言っても、決して具合が悪いとかそういうのではなくて…ええっと、しょんぼりしてる?って感じでしょうか。あ、でもそれもずっとじゃないんです、私が仕事が終わって帰る時とか、八戒くん達が帰る時とか、あと私達の家に遊びに来て帰る時―――しょんぼりしているのは、そんな時だ。キュッと唇を一文字に引き結んで、必死に何かを耐えるようなそんな顔をしているのをよく覚えてる。
最初はね、三蔵様と喧嘩でもしてしまったのかなとか、悟浄くんと何かあったのかなとか考えていたんだけれど、よくよく見ていると喧嘩している様子なんて少しもなくて。まぁ、私が寺院にいる間は三蔵様も忙しくお仕事をなさっていますから、喧嘩する暇なんてこれっぽっちもないんですけれど。
だからこそ、悟空のあの表情の意味がわからなくて…少し、心配になる。
「では三蔵様、また明日来ますので。お疲れ様でした」
「…ああ」
―――クイッ
「悟空?」
「……っ」
今日も仕事が終わり、買い物をして帰ろうかとした時だった。しょんぼりした顔をした悟空が、私の服の裾をギュッと握り込んでいたんです。それで何か言いたげにしているんですけど、それは言葉にならないまま飲み込まれてしまったようだ。
服の裾を握ったまま動かない悟空を訝しげに見て、三蔵様は何をしている、と声をかけていらっしゃるけど、悟空は反応を示さなかった。
…あら珍しい。三蔵様の声には即座に反応する子なのに。これは本格的に何かあったなぁ…でも今日だって三蔵様がお仕事をされている間は中庭で遊んでいたり、この執務室で静かに絵本を読んでいたりしていてトラブルに巻き込まれていたような様子はなかったんだけどなぁ。
悟空の目線に合うように腰をかがめてどうしたの?と問いかけてみると、ゆるゆると視線を上げた大きな瞳には薄らと涙が浮かんでいてこれまたびっくり。そのままボロボロと泣き出しちゃったものだから、私も三蔵様もギョッとしてしまって。
「わっ悟空?!どうしたの」
「なに泣いてやがんだ、悟空」
「だ、だってぇ〜」
「んー?どうしちゃったの、悟空。お坊様方に何か言われちゃった?」
生傷が絶えない悟空はたまに、本当にたまに慶雲院の一部のお坊様方に暴力を振るわれることがあったらしい。最近は減ってきていたみたいだけれど、それでも三蔵様が三仏神様に呼び出しを受けて外出してしまうと途端に向けられる視線が冷たくなる―――なんてこと、しょっちゅうあるらしくて。純粋な心を持っている悟空はきっと辛かったでしょうね…それでも三蔵様がいるから大丈夫、なんて笑っていましたけど。
だからもしかして、何か言われたりしたのかなぁと思ってそう聞いたのだけれど、彼は首を横に振った。そうじゃない、そうじゃないけど…と、嗚咽を漏らしながらも必死に言葉を紡ごうとしている。
ああもう、そんなにしゃくり上げたら過呼吸を起こしちゃう。大丈夫だから、落ち着いてからでいいから、と背中を優しく撫でながら腰回りに抱きついてきた彼の小さな身体をギュウッと抱きしめる。落ち着けるようにトン、トン、と背中を叩いているうちに泣き止み始めたらしく、ポツリポツリと話し出した。
「はっか、いも、ごじょ、も、香鈴、も…夕方になると帰っちゃうし、ぐす、そ、そっちに遊びに行っても夕方には帰んなきゃいげないし…!」
「そうね。私も今は帰る家があるし、悟空の帰る家は慶雲院(此処)でしょう?」
「わがってるけど、でもみんないなくなっちゃうじゃん…!やだぁ…っ!!」
そこまで言うと悟空はまたギューッと抱きつく腕に力を込めて、大泣きし始めてしまいました。思わず全部聞いていたであろう三蔵様と顔を見合わせてしまうくらい、それくらいこの子の必死の訴えは驚きに満ちていたということなのですけれど…知らなかった、悟空がそんなことを考えていたなんて。
―――ああそうか。ここ最近、悟空がしょんぼりしていたのはそういうことだったんだ。
淋しかったんですね、だからあんな表情をしていたんだ…もしかして、5人でいる時間が一番好きなのかなぁ。悟空は。
「はー…馬鹿らしい。朝になりゃあコイツはまた此処に来るだろうが」
「それでもヤダッ!離れんのヤダ!!」
「おい猿、わがまま言うのもいい加減に―――」
「ねぇ、悟空」
このまま三蔵様と言い争いになられては堪らない、と悟空の名を呼んだ。泣きまくったからか目尻がほんのり赤くなっている彼のまん丸な瞳が、私を見上げて。
涙に濡れた頬を持っていたハンカチで拭いながら、昔、お母さんから教えてもらった話を口にした。
「1ついいことを教えてあげる」
「ぐすっ…いいこと?」
「そう、いいこと。あのね、淋しくならないおまじないがあるのよ」
―――さよならとかバイバイじゃなくて、またね。
「今度からそう言ってごらん?」
「またね…?」
不思議そうに首を傾げる悟空の頭を撫でて、またねっていうのはお別れの言葉じゃなくてまた会いましょう、って約束になるんだよって教えてあげた。さよならとかバイバイだと、もう会えないんじゃないかって気になっちゃって淋しくなるけれど、でも…またねって言葉は『また貴方に会いたい』って気持ちが込められているんだよ。だからまた会う約束になるの、そう考えたら淋しくならないでしょう?
「また、…会える約束、」
「そう。だから誰かと別れる時、帰る時、そう言ってごらんなさい。きっと淋しさも感じなくなるわ」
だってそれは、再び会うまでの短いお別れなんだから。
「…香鈴や八戒や悟浄にも、言っていいの?またねって、また明日ねって」
「もちろんよ。悟空にそう言ってもらえたら、私達も嬉しいわ」
「!じゃ、じゃあ今日からそうするっ!」
「ふふっうん、そうしてちょうだい。…涙は止まった?」
にっこり笑ってそう問いかけると、恥ずかしそうな表情を浮かべた悟空がコクリと頷いた。
さて、問題―――というか、心配事も解決したようだし、そろそろ帰らないと2人が心配してしまいますね。帰りますね、と立ち上がった時、執務室の扉がノックされ、顔を出したお坊様が三蔵様にお客様です、と。
もう夕方だし、今日はお客様が来るなんてお約束はなかったはずなんですが…スケジュール帳に書いていた予定を思い返してみるものの、やっぱりそんな約束はなかった。一体、どちら様でしょうか。
とりあえずお客様をお迎えしてからお茶の準備をしに行こう、と思っていたら、入ってきたのは八戒くんと悟浄くんでした。
「八戒と悟浄だ!どうしたんだ?」
「よー、相変わらず元気だなぁ小猿ちゃん」
「猿言うなエロ河童!!」
「……何しに来やがった」
「やだなぁ、そんなに邪険にしないでくださいよ。用事があって近くまで来たので、彼女をお迎えに」
「え、わざわざすみません」
では買い物して帰りましょうか、とにこやかに言う八戒くんに頷きを返して、今度こそ帰ろうと2人に声をかけた。
「買い物してくんだっけ?」
「ええ。悟浄、しっかりと荷物持ちお願いしますね?」
「…へーへー」
「は、…八戒!悟浄!香鈴!!」
「あ?」
「どうしました?悟空」
「えっと、……ま、またな!」
叫ぶように投げかけられた言葉は、ぶっきらぼうのようで、でも悟空の気持ちと願いが目一杯込められていて、私達は顔を見合わせて微笑んだ。
「おー、またな悟空、生臭坊主!」
「ええ、また」
「また明日ね、悟空。三蔵様も」
私達がそう返すと、悟空はパアッと瞳を輝かせてとても嬉しそうに微笑んだのです。
(なーんかご機嫌だったな、悟空の奴)
(最近は淋しそうな顔をしてましたからね。さっきのだって香鈴が教えたんでしょう?)
(ふふっはい。私達が帰っちゃうのが淋しかったみたいなので、そういう時はまたねって言ってごらんって)
(…ま、確かにそっちのがあったけーかもなぁ)
(悟空の淋しさを紛らわすというより、僕達の方が嬉しくなっちゃいましたしね)
(嬉しいですよね、ああいうの)