闇に飲まれゆく
―――無天経文。全てを無にかえる力だ。
「攻撃を無効にするどころか、空間さえも無にして繋いでしまうってことですかね…」
「瞬間移動もお手の物でしょうね」
「その気になりゃあ俺達も消しちまえるってか?僧侶じゃなくマジシャンだろ、そりゃ」
「あー。そーゆー商売もアリだったな〜〜結構儲かるし、テレビにも出られたのに」
おちゃらけたような口調。この男の真意は、どこにあるのだろう?のらりくらりと躱されているような、バカにされているかのような、…挑発されているかのような、そんな印象。遊んでいるような感じ、とでも言えばいいのでしょうか?
それはあの時、カミサマから感じていたのと同じものだけれど、この男も生き死に自体をゲームだと思っている?いや、でもそれとはまた違う感じもするけど…ああダメだ、考えれば考える程にわからなくなってくる。
「玄奘三蔵はともかく、君らを消したくはないんだな。もったいなくて」
「どういうこと…?」
「今、この場が僕ら研究者にとって、垂涎モノの標本展示会だって自覚、ある?例えば―――」
ツイ、と視線が動く。
「妖怪と人間の混血…禁忌と呼ばれる遺伝子を持つ者、『沙悟浄』」
悟浄くんに、
「―――はたまた、人間から妖怪へと体組織そのものを変貌させた者…『猪八戒』」
八戒くんに、
「人間でも妖怪でもない―――エネルギー体として独立した魂を持つ伝説の精霊、『斉天大聖・孫悟空』」
悟空、
「歌姫一族である家系に生まれ、聖と魔を併せ持つ歌姫、『香鈴』」
私、
「…そして、他者の魂を受け蘇生した死人、『ガティ=ネネホーク』と」
ガトさんと、
「妖の魂を体内に共生させることで、特殊な蘇生能力を操る呪術師―――『ヘイゼル=グロース』」
そしてヘイゼルさんに、烏哭三蔵法師の視線が向いた。
けれど、ヘイゼルさんの体内に妖怪がいる、って…どういうことですか?妖怪の魂を用いて人間を蘇生する能力も、その妖怪が体内にいるからできているとか、もうワケがわからないことばかり、烏哭三蔵法師の口から零れていく。
ヘイゼルさんが叫んだ刹那―――空気が、変わった…?いや、ヘイゼルさんの気配に別の、違う『何か』の気配が混ざっている感じがします。もしかしてこれが、彼の体内にずっといたという妖怪の気配なんでしょうか。
「ヘイゼルちゃうわ、ボケ。ワシの名は『ヴラハル』や」
上げられた顔に浮かんでいた笑みは、何度か見たヘイゼルさんの笑みとは全く違う―――好戦的な笑みだ。どうやら烏哭三蔵法師が言っていたことは本当のことのようですね、ただ二重人格のようにも見えますが…今ならハッキリ感じ取ることができる、悪質な妖気を。
人間の身体というのは都合の良いようにできているもの。精神の自己防衛の為に、余程辛い記憶は脳が回路を遮蔽するようにできているものだから…だから、ヘイゼルさんは忘れていたのかもしれません。マスターという方が亡くなった瞬間も、特殊能力が身に着いていたことも、…自らの身体の中に、妖怪が潜んでいたことも。
蘇生能力はヴラハルと名乗った妖怪の妖力の賜物、ということだったんですね。
「死にさらせ、カスどもが」
「危ない!!」
「八戒くん、三蔵様をっ!」
「ええ!」
八戒くんの気功術に似ているソレは、木々を一気に薙ぎ倒していった。すごい威力だわ…当たってしまったら、跡形もなく散ってしまいそうなくらいに。さっきまではまだ、微かにだけどヘイゼルさんの気配を感じ取ることができたけれど、今はもうわからなくなっている。
辺りに漂うのは悪質な妖気と、ヘイゼルさんとは違う気配―――ああ、彼は完全に飲み込まれてしまったのだろうか?あの、プライドの高い人が。
「―――ヘイゼルさんを抑えるの、お願いしますね」
「何をするつもりだ?」
「…ちょっと八つ当たりをしに」
全く、ややこしくしてくれちゃって…とんでもなく、悪趣味な方ですよね?烏哭三蔵法師―――
「おっと。君の狙いは僕?」
「というか、最初から倒したいのはアンタだけよ」
「あれ?思ったより口悪いなぁ」
「アンタ如きに敬意を払えって?―――嫌に決まってる、でしょう!」
―――ガゥンッガゥンッ!
ホルスターから抜いた銃をぶっ放すけれど、掠りすらしない。法力で逸らしているのか、それとも経文の力でなかったことにしているのかはわからないけれど…でもだからと言って、怯むわけにもいかないの。
私には八戒くんのような気功術は扱えない、扱えるのは二丁の拳銃と愛刀のみ。どう考えても接近戦しかできないから、厄介な能力と身体能力を持つこの人相手じゃあ不利。めちゃくちゃ不利。―――ピアスを外せば、僅かに勝率は上がるかもしれないけれど…それは何か、嫌だ。半分意地かもしれないけれど、妖怪の姿ではなく…今の私のまま、コイツに勝ちたいんです。
「はッ!」
「甘いなぁ。―――君は僕に捕まる。そういう運命なんだよ」
目の前でニヤリ、と笑う黒い三蔵法師。あの方と同じで、経文も持っていて、そして強い。
だけどやっぱり、この人とあの方は違う。天地開元経文の守り人が『三蔵』だというのは重々わかっているつもりですけれど、でも―――私にとっての『三蔵』は眩しい程の金糸を持つあの方だけだ。
「捕まることが、私の運命?」
「そ。…そうすればきっと、君にとっての楽園が待ってると思うんだけどなぁ」
この人の口から出てくる言葉は、恐ろしい。瞳に宿っているのは光ではなく、底が知れないほどの深い闇…囚われたらダメだ、と理解していても自然と耳に入ってきてしまうこの言葉達は、振り払うことができずにいる。
…でも、こんな人に囚われたらダメだ。楽園が待っている?そんなの、所詮アンタが言っているだけの戯言じゃあないか。私の楽園は私が見つける、運命だって…自分自身の手で掴み取ってやる。そうじゃなきゃ、あの方達の隣に立つ資格なんてないんだから。
そっと瞳を閉じて、もう一度開く。そしていまだニヤついた笑みを張りつけたまま立っている 彼 を、睨み上げた。私はアンタに囚われない。勝てないことはわかっているけれど、でもだからといってそう簡単に負けを認めるほど、諦めがいいわけでもないんですから。
「―――…運命なんて、クソくらえ。です」
「…くくっなぁんだ、イイ目をしちゃってムカつくなぁ」
なら、足掻いてごらんよ?運命ってやつにさ。
言われなくても足掻く気満々ですよ?その為に私は今、此処に立っているの。ギュッと拳を握り込んで、地を蹴った。
「あの時の絶望に打ちひしがれたような瞳…僕、結構好きだったんだけどね」
「ふざけるな。アンタに好かれたくなんか、ないわよ!」
「そう?僕みたい奴、君の好みかと思ってちょっとドキドキしてたんだけど」
黒髪に眼鏡―――君の愛する彼と、同じでしょ?
いつの間に後ろに回っていたのだろう。耳元で囁かれた声に、ゾクリと背中が粟立った。急いで振り返って拳を振り上げたけれど、もう遅くて、お腹に一発―――まともに食らってしまう。思った以上に勢いがあったらしいソレを受け、私はそのまま吹っ飛ばされて木にぶつかってようやく止まった。
威力が尋常じゃない、…悟空の打撃も重いけれど、それと同等かそれ以上。確実に肋がイッているような気がしますね。
「ゲホッ…アンタと、彼を一緒にするな」
「それは残念♪…簡単に落とせると思っていた君が、一番厄介だったとは」
せり上がってきた血を吐き出して、立ち上がる。まだ、…まだだ、倒れるには早い。せめて、あっちが片付くまでは持ち堪えないと意味がないんです…そしてできれば、さっき食らった打撃のお返しをするまでは倒れている場合じゃありませんから。
刀も、銃も、体術も、なにひとつコイツには通用しないのならば。…歌姫の力を、あの子達をもう一度呼ぶしかないかな。結構疲れるからあんまり使いたくはないのだけれど、そうも言っていられませんよね。
無様でも何でもいいんです、最後の最後までみっともなく足掻いてやるって決めてるんですから。カッコ悪かろうが何だろうが、それで目の前で笑うコイツを、…烏哭三蔵法師を仕留めることができるのなら、構わない。
―――ズルッ…
さあ、お前達。思う存分、暴れてしまえ。そして喰らい尽くしなさい―――骨の髄まで。
「へえ?前より操れるようになってるじゃない。ま、それも当然かー玄奘ちゃん達を失いたくなくて、必死に修業したんだもんね?いじらしい香鈴ちゃんは」
「茶化すのも大概にしろ。…『喰らってしまえ』」
息を吸い込んでメロディを紡ぐ。それは全てを飲み込む歌、生者を地の底へと引きずり込む歌。
―――アンタを、葬り去る為の歌だ。
無数の黒い手が蠢き、烏哭三蔵法師を捕らえようと、喰いつくそうと這い回る。けれど、どれもあの男を捉えることができない…何度やっても、やっても、やっても、掠ってもくれないなんて腹が立って仕方がない。
「はっはぁ、…!」
「香鈴ちゃんと遊んでるのも楽しいんだけど―――ここらが限界かな?」
気配が、消えた。そして次の瞬間には、身体中に激痛が走って倒れ込んでしまいました。
遠くから誰かの声がする…私の名前を呼んでいるような、気がするのに、声を発することができないんです。ただ浅い呼吸を繰り返し、ゴポリ、と血を吐き出して―――私は、意識を手放した。
「香鈴―――!!」