水を操る龍
『甘味屋さん?!行くっ行きたいです!』
昨日の彼女の顔を思い出し、そっと笑みを零す。あの時の香鈴は、本当にとても可愛らしくて…それと同時にちょっと面白くなって笑ってしまいましたが。
side:八戒
甘味屋さんのことを宿の人に聞いたのは本当に偶然で。だけど、それを耳にした時に真っ先に連れて行きたいと思ったのは、やっぱり香鈴だった。甘いものが好きな子だから、というのもあるんですけど…一番はもっと邪な思いからなんですよね。2人っきりになれるかも、と思ってしまって…これを彼女に知られてしまったら、どんな顔をされるのか想像もつかない。
ふと昨日のことを思い出しながら、いまだ真剣にメニューを見ている香鈴に視線を向ける。甘いものを頼む時だけはとても優柔不断になるこの子は、いつまでも変わらないなぁと思うんです。
洋菓子でも、和菓子でも、とにかく甘いものとなるとどれも魅力的に見えてしまうんだそう。それで目移りしてなかなか決められないんだ、と前に聞いたことがあったな。今もきっと、いくつかで迷っているんだろうと思う。
「香鈴、悩んでます?」
「あっすみません!待たせちゃってますよね…!」
「いえ、悩んでいる貴方も可愛らしいので構わないんですけど…どれで悩んでるんですか?」
「……!」
「?どうかしましたか」
「…最近の八戒くん、私をからかっている気がします…!!」
メニューで口元を隠している彼女の顔は、耳まで真っ赤に染まっている。ふふ、そういう所が可愛いと思っていることはきっと、この子は知らないんでしょうね。
少しずつ態度や言葉に出していこう、と思って実践していたんですが―――効果ありと思っていいのか、本気にされていないのか、ちょっと見定めが難しい気がしてきました。香鈴の中では「からかわれている」という認識になりつつあるみたいですし。…だけど、この反応を見ていると…もしかして、と淡い期待を抱いてしまいそうになります。
僕のことをどう思っていますか?その言葉を飲み込んで、改めてどれで悩んでいるのかを聞いてみれば、まだ赤みが残る顔を上げて、みたらし団子と抹茶のセットとあんみつで悩んでいるのだと小さな声で教えてくれました。どっちも美味しそうで選べなくて、と。
ふむ、それなら…
「だったら両方頼みましょう」
「え?」
「それで僕と半分こしましょう。ね?」
「い、いいんですか?八戒くんだって食べたいもの…」
「みたらし団子もあんみつも好きですから、何の問題もありませんよ」
そう言えばパアッと目を輝かせて、満面の笑みでありがとうございますと返された。…時々、彼女は反則だと感じる程の笑みを見せてくれる。ソレは決して、悟浄達には見せない笑みで―――見慣れた笑みよりもずっと、甘く優しいもの。僕はずっとその笑顔に囚われているように思う。
(…いや、囚われているっていうのは語弊があるか)
うーん、でもどうなんでしょう。語弊があるようにも思うし、的を得ているような気もするし…とりあえずハッキリしているのは、どんなことがあろうとも僕は彼女のことを諦めきれないだろうということ。そして誰よりも、何よりも彼女が好きだということだ。いつまでもずっと、この気持ちは薄れないという自信がある。
そんなことを考えながら、店員さんに注文している香鈴の姿を目に映す。嬉しそうに見えるのは絶対に、僕の気のせいではないと思うんです。注文を終えてこっちを向いた彼女は、一瞬だけキョトンとした表情を浮かべて、それから今日一番の笑顔を見せてくれました。…心臓が大きく跳ねたのは、僕だけの秘密。
こういう時、あまり感情が表に出るタイプでなくて良かったと心底思いますね…素直な悟空であれば、今、顔を真っ赤にしているところだろう。僅かに熱を帯びた頬を隠すように頬杖をつき、笑顔を返した。
「…それにしても、悟空達を誘わなくて良かったんですか?」
程なくしてみたらし団子とあんみつが運ばれてきた。それに舌鼓をうちながら香鈴は、宿に置いてきた3人のことを口にする。
「甘味屋さんと聞いて、真っ先に浮かんだのが貴方だったんです」
「……?」
「たまには香鈴と2人で、と思ってのことだったんですが…嫌でした?」
「いっ嫌だなんてとんでもない!!」
「じゃあいいじゃないですか。今は3人のことは忘れてください」
我ながら子供じみた嫉妬だなぁ、と苦笑したくなるけれど、本当にそう思ってしまったのだから仕方がないと思うんです。
団子をひとくち齧って咀嚼する。チラ、と香鈴に視線を向けてみれば、スプーンを咥えたまま固まっていた。そしてじわじわと顔が赤く染まっていくのが見えて、思わず抱きしめたいと思ってしまう。もちろん、そんなことできるはずもなくて、水と一緒にそれを飲み下す。
「時々、…八戒くんってすごいこと言いますよね」
「そうですか?」
「はい。あんみつ食べますか?」
「いただきます。香鈴もどうぞ」
まだ口をつけていないもう1本の団子を差し出せば、彼女は再び固まった。ビシッと。どうしたんだろう、と首を傾げていると、一度グッと眉間にシワを寄せてからおずおずと団子に噛り付く。そこでようやく気がついたんです、香鈴が固まった理由に。
理由がわかり、理解すれば、途端に恥ずかしさが込み上げてきて顔に熱が帯びていく。さっきの熱と同様、もしくはそれ以上の熱さで…顔から火が出る、ってこういうことを言うのかもしれません。無意識だったとはいえ、すごいことをしてしまいましたねぇ。
我に返ったのは、香鈴の「美味しいですね」という小さな呟き。彼女の顔も僅かに赤く染まっていた、でも、それでも笑顔を浮かべてもう一度、「美味しいですね」と言うものですから、僕もそうですね、と笑みを返す。
どこかホッとして抹茶を飲み干した所で、目の前にスプーンが突き出されました。何ですか、なんて野暮なことは聞かなくてもわかる。スプーンの上には寒天、餡子、果物が載せられていたから。
「えっと…」
「八戒くん、どうぞ?」
「―――…いただきます」
ああ、これは恥ずかしい。する方も恥ずかしかったですけど、される方はそれ以上に恥ずかしいんですね。じわじわと舞い戻ってくる熱を感じながら、口にいれた寒天達をもごもごと咀嚼する。
「さっきの私の気持ち、わかってくれました?」
「…ええもう、十分すぎる程に」
「ふふ、ならいいです。あんみつも美味しいでしょう」
「美味しいです。オススメされただけはありますね、この甘味屋さん」
「ですねぇ。抹茶パフェとかも美味しそうだったんですけど…お持ち帰りとかできないかな」
立て掛けていたメニューを引っ張り出して、真剣な顔をしたかと思えば、そんなことを言い出した香鈴。本人は至って真面目なんでしょうが、僕からしてみれば面白くて大変可愛い状況にしか見えません。でも素直に口にすればまた、顔を真っ赤にして黙ってしまいそうだ…照れている香鈴を見るのは嫌いではありませんが、言いすぎてしまうと怒られてしまいそうですからね。本当に。
ここは言うまい、と残っている団子に口をつけた時だった。耳鳴りが―――した。キィン、と甲高い金属音。
それは香鈴の耳にも届いていたようで、向かいの席で眉間にシワを寄せている。そしてハッとしたように辺りを見渡していた。彼女に倣うように僕も視線を動かして、絶句…あれだけ賑やかだったはずなのに、お店の中には誰一人いないんです。まるで最初から誰もいなかったかのように、テーブルの上も綺麗な状態のまま。
「これは一体…?!」
「っ八戒くん、外!!」
「え?―――あれは…っ」
窓の外に見えたのは、綺麗な青色の体の―――大きな龍。お伽噺や、空想の世界にしか存在しないはずの龍が佇んでいた。
慌てて外に出れば、佇む龍以外に人の姿は一切見当たらない…お店の中とまるっきり同じ状況で、最初からいなかったかのような雰囲気。
刹那。龍が吼えた。耳をつんざくような、それでいて腹に響くような、そんな咆哮に身体がビリビリと震える。大気まで震わすようなソレは、思わず耳を塞ぎたくなってしまいます。
ようやく収まったかと思えば、ギョロリと大きな目玉がこっちに向いた。昨日の大きな鳥が襲ってきた時の状況と、恐ろしい程に合致して背中に冷たいモノが流れ落ちていく。
「まるっきり嫌な予感しかしないんですけど。」
「奇遇ですね、僕もですよ」
何故、町中に突然龍が現れたのか。
何故、人の姿が見えなくなったのか。
わからないことがたくさんありすぎるけれど、でも今考えなくちゃいけないのは―――どうやってこの馬鹿でかい龍を倒すか、ってことですよね。昨日は偶然にも三蔵達が来てくれて事なきを得ることができましたが、…いくら宿の近くだからといってまた都合良く来てくれるとは限りません。そもそも、人が1人もいなくなってしまったこの空間にあの3人が存在しているのかどうかも怪しい所ですしね。
さあ、どう切り抜ける。
掌に力を込めながら自問する、隣では刀を握った香鈴が遥か上を睨みつけていた。その端正な横顔に、汗が一筋、ツゥと流れ落ちていくのが目に映る。…さすがにこの威圧感を目の前にしたら、そうなりますよねぇ。
魔天経文以外の攻撃は効かないかもしれない、という不安はあったけれど、でもだからといって何もしないわけにはいきませんから…掌に込めた力を一気に放出すれば、それは光の玉となって龍の体へとヒットした。したのだけれど、…
「案の定、効きませんか。厄介ですね」
「やっぱり三蔵様の魔天経文でないと―――」
ざわり、と空気が揺れた。それと同時にどこからともなく現れた大量の水が、渦を巻いてこっちに向かってくる。ただ濡れるだけならいいんですが、あの量・スピードからすると…避けないと怪我どころの話じゃない気がします。
呆気に取られている香鈴の身体を抱き寄せて、地面に転がった。さっきまで僕達が立っていた所には、水でやったとは思えない程の大きな穴が開いていて絶句しかける。あれは、…本当に喰らったら最後だ。ゾクリ、と背中に悪寒が走る。
どうする…突破口を見つけないと、このまま2人共、お陀仏―――なんて、洒落になりません。
「鈴の、音……?」
抱き寄せたままだった香鈴が、腕の中でポツリと呟いた。鈴の音なんてどこからも…と思った瞬間シャン、シャンと確かに鈴の音のようなものが耳に届きました。
さっきまで僕達以外に誰もいなかったはずなのに、突然現れたその気配に警戒しないわけがない。―――裏を返せば、その人物がこの龍を操っている可能性があるんですからね。
―――シャンッ…
「ああ…ようやくお会いできましたな」
「え…?」
「これで二体。あともう少しでお迎えに上がります―――」
紅英様。
そう呟き、香鈴の頬を撫でた男は…跡形もなく姿を消した。青い龍と共に。