黒く染まる


あの人はとても純粋無垢で、一途な人だ。
だから、…だからこそ、固執してしまっているのだと思う。違うとわかっていても、もう何処にもいないのだとわかっていても、心が拒否をしてしまっているの。自分を置いてあの方がいなくなるはずがない、と。


「でもね?…いないの、もう何処にもいないんですのよ。蘇芳様」


貴方の愛しい人は、何よりも大切な人はもう―――貴方の傍に戻ってこないのです。本当はわかっておいでなのでしょう?心が拒否をし続けているだけで、聡明な貴方はずっと昔に…受け入れているのでしょう?紅英様がお亡くなりになっていることを。それなのに追い求めるのは、追い求めてしまうのは…性、というものなのでしょう。

…ねぇ、蘇芳様。少しでも理性が残っているのであれば、お願いです。紅英様を―――いいえ、香鈴さまをそっとしておいてあげてください。あの人はどう足掻こうと、どんな手を使おうと、貴方のモノになどなってはくれませんわ。
ですからどうか、香鈴さまの幸せを…あの方の二度目の人生の幸せを、願って差し上げてくださいな。





「残るのはええっと、…」
「白虎と玄武です。香鈴さま」
「あ、そっか」
「…香鈴も桜華も何をしてるんです?」


まだ小さいのにこの町についての知識を山ほど持っている桜華。それを偶然知った私は、図書館で借りてきた大量の本に囲まれながら彼女に色んなことを質問していました。
そこにやって来たのは、3人分のマグカップを持った八戒くん。テーブルの上にも、ベッドの上にも本が置かれているし、2人して本を覗き込んでいるもんだから何をしているんだろう、と思ったみたいです。
にっこり笑って勉強中なんです、と返せば、熱心ですねぇと至極真面目な回答をされてしまいました。いや、珍回答を待っていたわけでもないんですけれども。


「はい、コーヒーです。桜華のはココアですよ」
「本当?!ありがとう、八戒!」
「そういえば、お三方は何をしていらっしゃるんです?」
「三蔵は部屋で新聞を読んでいて、悟浄と悟空は暇を持て余しているみたいですね」


唯一の橋が壊れてしまって早3日。まだ直る見込みがないので、依然、私達は件の町に滞在中なのです。直るまでに5日はかかる、と言われていますから、どうしようもないんですけどね。
でも悟浄くんと悟空は大分暇で、することがないーって言っていた気がしますねぇ…カードゲームも言葉遊びもやり尽くしてしまったし、外で遊ぶ―――というような子供でもありません。それにこの町には所謂、悟浄くんが好むようなお店がないようなので夜遊びもできないみたい。
なので、私達は宿に引き籠っている状態がほとんどなんですよねぇ。私は借りてきた本がありますから暇つぶしができていますし、八戒くんも図書館の本や持ってきている文庫本を読んでいるみたいなのでそれほど参ってはいないみたい。
三蔵様もインドア派の方なので、室内でじっとしているというのも平気なようですよ。…なかなか出発できないことに関しては、イラついていらっしゃいますけど。…まぁ、暇つぶしの本があるとは言っても、たまーに外に出たくなるので、悟浄くん達の気持ちもわかるかなぁ。

(せっかくだし、他の町にも足を運んでみようかしら…)

それぞれの町に封印の石がある、と聞いているし、それの確認と気分転換も兼ねて散歩でもしてきましょう。ついでに悟浄くんと悟空も誘ってみようかな、興味はないでしょうがこのまま宿にいるよりはマシって言うでしょうしね。


―――ガタッ

「あれ?香鈴さま、お出かけ?」
「うん。本も粗方読み終えてしまったし、他の町に行ってみようかなと思って」
「そういえば、この町以外には足をのばしたことがありませんでしたね」
「そうなんですよ、封印の石の確認がてら散歩をしてみようかと」
「僕も行ってもいいですか?」
「もちろん!桜華はどうする?一緒に行く?」
「ううん、私はお留守番してるよ。本も片づけておくから、楽しんできてくださいね」


そう言うが早く、桜華はさっさと広げっぱなしになっていた本達を掻き集めていく。片付けはしてから行くよ、と言ってもこのくらいなら全然大丈夫!と彼女が笑うから、それなら…とお礼の言葉を述べて、私達は部屋を後にした。


「何だか嫌な予感がする…何も、起きないといいんだけど。―――香鈴さま……」





部屋にいらっしゃった三蔵様、悟空、悟浄くんに声をかけた所、まさかの全員参加となりました。三蔵様だけは渋っていらっしゃって、悟空が無理矢理連れ出してきた感じになりましたけどね。


「へぇ、近くにある町でも感じが全然違ぇんだな」
「本当ですね。僕達が滞在している町はとても賑やかですが、こっちは穏やかというか…落ち着いた感じですね」
「住んでいる奴らが違えば、それぞれの特性は出るもんだろ」
「ああ、成程…確かにそうかも。今まで通ってきた町も、それぞれ違いましたもんね」


建物の感じは似ている所が多かったけれど、西寄りになるにつれて景色がガラッと変わってきていますし…住んでいる環境って大きく影響しているものなのかも。私が住んでいた家は木造でしたし、近くの町も同じでしたけど、悟浄くんと八戒くんの家はコンクリートでしたもんねぇ。
長安の建物もとてもしっかりした印象を受けた覚えがあります。きっと色んな出来事とか、移民とか、たくさんの知識が集まってできていくものなんでしょうね。こういう所って。


「あっ肉まん!!三蔵、あれ食いたい!!」
「うるせぇ。夕飯まで待ちやがれ!」

―――スパーンッ!

「うわぁ…顔面にダイレクトヒット…」
「相変わらず厳しいお父さんだなぁ?三蔵サマは」


またそういう軽口叩くと三蔵様が怒る―――と言いかけた所で、発砲音が聞こえたので、もう遅かったみたいですね…だから、どうして悟空にはハリセンで悟浄くんには銃なのかしら?八戒くんが周りの方達にすでに謝りに行ってくれていますけど、こうやってご迷惑をかけてしまうんだから発砲するのは止めたらいいのに。
何度か意見したことがあるんですけど、「あのゴキブリ河童は撃っても問題ねぇ」の一点張りだったんですよね。仲が悪いのは昔からですけど、…もう少しだけ、町中で銃をぶっ放すのは控えて頂けたら嬉しいんですけど。そうすれば八戒くんの苦労と心配事が1つ減りますしね。

八戒くんの謝罪・仲裁虚しく、三蔵様と悟浄くんはいまだに口喧嘩を続けていらっしゃいます。よく飽きないなぁと思う反面、何だか急にこの当たり前な光景が愛しいものに思えてきて―――胸の奥がツキン、と痛んだ気がした。
切ない、と言い表すような光景でないことはわかっているはずなのに、どうしてでしょう。私の感情のようで、違う方の感情のような気もしていて不思議な感じ。まるで、少し前にしょっちゅう見ていた夢の中に揺蕩っているような気がします。

(ここは夢の中じゃない…現実なのに)

この目に映る光景も、笑ったり話したりしている皆さんも、確かにそこに存在している。触れられない幻でも、夢でも何でもない―――消えたりなんか、しないの。だから、不安になるようなことなんて1つもないはず。
それなのに胸の奥に何か不安の塊のようなものが少しずつ形を成していっているような…そんな感じがするんです。上手く、言葉にはできないんですけれど。


「香鈴?ぼんやりとしていますけど、大丈夫ですか?」
「あ、…はい、大丈夫です。ちょっと考え事を…」
「…何か心配なことでもありました?」
「うーん…心配なことというか、」


どう説明しようか、と考えていると、何か…空気が変わったような気がしました。これは二度ほど、経験している感覚だ…真っ赤な鳥と龍に出会った時の感覚と全く一緒。
辺りを見渡してみれば、そこにいたのは私達5人だけ。あれだけたくさんいらっしゃった町の方々が1人も、歩いていらっしゃいません。


「この感覚―――…似ているな、あの時と」
「でっかい鳥に会った時だろ?三蔵」
「それと昨日、香ちゃん達が出かけてる時に感じたのと…な」
「…ということは、この町の封印の石が壊されたと思って間違いはなさそうですねぇ」


八戒くんの言葉はきっと、当たりだと思う。どういう仕掛けになっているのかはわからない、でも封印の石が壊される度に空間が歪んでいるのは確かだと思うんです。…というか、私達が別空間に閉じ込められていると言った方が正しいのかもしれませんね。封印されている四神が持っている力によるものなのか、もしくは封印を解いた人物による結界のようなものなのか―――それはハッキリしませんけど。

何が起こるかわからない。ホルスターに収めてある銃にそっと手をかけ、宿に残してきた桜華のことを思う。あの子が留守番をしている、と言ってくれて良かったかもしれません…知識が豊富とはいえ、あの子はまだ子供だ。こんな危険なことに巻き込んではいけない。絶対に。

―――ズシン、

重く、お腹に響くような地響き。何の音だ、と思うよりも先に悟空の声が響き渡って視線を上げた。その先にいたのは、夢でも見ているのだろうか?と現実逃避したくなるような、大きな生き物が2匹近づいてきていました。


「なんだあれ!亀と虎か?!」
「2匹いっぺんに来るとは思っていませんでしたよ…桜華の話が本当なら、玄武と白虎ということになりますね」
「…確かに書物で見たことのある見かけはしていやがるがな」
「うっわ、でっけぇ!!」
「これ、…物理攻撃効きます?確か、真っ赤な鳥の時は全く効いてなかった気がするんですけど」


そう。あの時、悟空の打撃すら効かなかったんです。龍の時は確か八戒くんが気功を放ったけどちっとも………ん?ちょっと待って、今まで忘れていましたけど龍は倒していないんですよね。あの男性と一緒に消えてしまって、そのまま…ということは、あの龍はまだ何処かにいるということになります。
もし、…もしですよ?四神の封印を解いているのがあの男性だとしたら、龍が姿を現してもおかしくないってことじゃないかしら。
自分の推測に血の気が引きそうになっていると、聞き覚えのある咆哮が鼓膜を揺らす。視界の端に映り込んだソレに、今度こそ全身の血の気が引いていくような気がしました。…本当に嫌な予感ばかり的中するんですから…もう少し嬉しいこととか楽しいことの予感に使いたいですよね。そんなこと思っても無駄ですけど。

―――ああ、これで…手に入れることができる。

誰かの声が、澄んだ鈴の音が、地面を踏みしめる靴音が、聞こえた。あれだけ臨戦態勢だった3匹も、今は大人しく佇んでいるだけ。襲ってくる様子も、吼える様子もない。一体、何故…?


「!香鈴、あの人……っ」
「え?…あ、」


八戒くんが指差した先。昨日、確かに青い龍と共に姿を消した方そのものでした。穏やかな笑みを浮かべ、懐かしそうに目を細めている…彼の視線の先にいるのは、私…?
一歩ずつ、静かに、でも確かにこっちへと近づいてくる。不思議と恐怖感は感じませんけれど、…私はこの方を知らないのにそれなのにどうして、懐かしいという感情が胸の中で渦巻いているの?どうしてこんなにも哀しいと思ってしまうの?込み上げてくる涙と、胸の痛みは誰のものなのですか?

とくり、とくりと心臓がゆっくりと鼓動を刻む。勝手に口が開いて誰かの名前を紡ごうとした瞬間―――ゾワリ、と身体が震えたんです。奥からじわじわとせり上がってくるこれは、間違いなく恐怖…!
いまだ笑みを崩さない男性の後ろに、今までに感じたこともない邪悪な気を感じました。妖気とは違うけれど、でもそれにかなり近いもの。そして妖気よりももっと、おぞましいものだ。


「この瞬間をずっと待っていました―――さあ、共に参りましょう。…紅英様」

―――ズプリ。

「え……?」


何が何だか、わからない。自分の身に今、何が起きているのかもわからない。けれど、確かなのは私の胸に刀が深く刺さっていること…そして皆さんの、私の名前を呼ぶ声がどんどん、遠ざかっていっていること。

(血も出ていないのに、痛みも感じていないのに…どうして、)

意識が遠ざかる。視界が真っ黒に染まっていく。ゆっくりと傾いでいく身体、刀がズルズルと引き抜かれる感覚、それだけが妙にリアルで気持ちが悪いと心底、そう思ったんです。
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