いずれ散る


何が何でも取り戻したいと思った。こんな所で失って堪るか、と心がそう叫んでいた。…傷つこうが何だろうが、彼女を失うことがこの世で一番恐ろしいのだから。
結末の先に、彼女の涙が待っていたとしても、それでも―――貴方が生きていてくれるのなら、僕は。


 side:八戒


香鈴を宿まで連れて帰り、僕達は今、先程の男性―――蘇芳さんがいるであろう場所を目指して走っていた。ジープに乗っていくのが一番早いんでしょうけど、町中をスピード出して激走するわけにもいきませんからねぇ…立ち塞がっているのが刺客であればそのまま轢いてしまっても構わないんですけど、何の関係もない町の方々では強行突破をしたらマズいことになりますから。

そしてようやく辿り着いた先。そこは障害物が何もなく、だだっ広い草原が広がっていました。まぁ、此処に着くまでに果てしなく長い階段を上ってきましたけどね…カミサマと対峙した時の階段より遥かにマシですが、それでもなかなか堪えますね。走って上ってきたから尚更。


「―――思っていたより早かったのだな。逃げおおせたかと思った」
「だぁれが逃げっかよ!」
「まだ香鈴の魂返してもらってねーもん」
「仲間を奪われて、逃げるわけがないでしょう」
「…ごちゃごちゃうるせーんだよ」


一発の銃声。それが開始の合図だった。

ただの肉弾戦であれば、こちらに分があるかな、と考えていたんですが…彼が封印を解き放った四神を手懐けていたのをすっかり忘れていました。朱雀と思われる鳥だけは、三蔵の魔天経文で倒していましたが…残りの3体は蘇芳さんの手元に残ったまま。…つまり、それらの相手をしなくちゃいけないということ。
予想通り、彼の背後には青龍・白虎・玄武がその姿を現していました。姿こそ神々しく感じますが、何が起きているのか感じるのは禍々しい妖気に酷似したものなんです。何か術を施しているのか…?だが、そう簡単に手懐け、思うがままに操ることなんて可能なんでしょうか?


「青龍、玄武、白虎。…さあ、暴れるがいい」


その言葉が合図だったかのように、さっきまで大人しかったはずの3体が一斉攻撃を仕掛けてきた。物理攻撃が効かないことは立証済み…となれば、三蔵に経文を発動してもらう他なさそうですね。名前を呼べば、瞬時に察してくれたようですぐさま発動の準備に入る。
それまでの間、三蔵に攻撃がいかないよう僕達で時間を稼ぐ必要がある。攻撃が効かない状態でどこまで稼げるかはわかりませんが…そんなことを言っている暇はありませんね。
僕たちの目は、3体にしかいっていなかった。彼自ら動くなんてきっと、頭になかったんですね。動くはずがないと、そう勝手に思いこんでいたから、だから気がつかなかったんだ。何かが地面を滑るような音が聞こえる、その時まで。


「三蔵?!」
「ぐ、…っ!」
「私が戦えないなんて、誰が言いましたか?金蝉様」
「ゲホッ…誰の名を、呼んでいやがる…俺の名前は、玄奘三蔵だ」
「ああ…そうですね、あなた方は生まれ変わり、ここ下界にて生を受けた…ですが、貴様らの犯した罪は消えやしない…!」
「俺達の罪…?ンだよ、それ。妖怪殺しの罪―――ってか?」


ゆぅらりと顔を上げた彼の顔には、恐ろしい程の憎悪が浮かんでいました。背筋にゾクリ、と悪寒が走るほどに。


「忘れたとは言わせない…貴様らはあの方を誑かし、失わなくていいはずの命を失わせた…!貴様らさえいなければ、あの方はずっと私の傍にいてくれたのに」
「な、…なに言ってんのかわかんねーよ!俺ら、アンタに会ったの今日が初めてだぞ?!」
「ああ。今の貴様らに会ったのは今日が初めてだ、だが…その罪は魂に刻みこまれている。何度生まれ変わろうと消えることはない!」


1人の少女を巻き込んだ―――瞳から大粒の涙を流しながら、彼はそう呟いた。1人の少女を巻き込み、あまつさえ命を落とさせたのだと。それが、僕達の魂に刻みこまれた未来永劫許されることのない罪なんだと。
一体、誰のことを言っているのか…さっぱり見当もつきません。その人が蘇芳さんの大切な人だったんだろう、というのは想像ができますが、どれだけ考えてもやっぱり思い当たらない。人間を手にかけたことなんてない、なんて綺麗事は言いませんけどね。

―――何故、あの方が死ななければいけなかった。

呟かれた言葉にドクリ、と心臓が跳ねた。その言葉は数年前、僕が思っていたことと全く一緒だった。
どうして彼女だったのか。どうして何もしていない花喃が死ななければいけなかったのか。ずっとそう思っていました、彼女を売った村の人々を心底憎んで、そして…この手で。
蘇芳さんも同じなのかもしれません…大切な人を守りたくて、でも守れなくて。全てを憎んでいるのかもしれません、その人を取り巻いていたもの全てを。


「貴様が、…一番憎いのだ、天蓬元帥。何故だ、何故貴様があの方の愛情を一身に受ける?!あまつさえ、あの方は貴様を助けようと命を投げ出した…!」


この人の気持ちが、


「どうしてだ…どうして貴様なんだ!貴様さえいなければあの方はっ…!」


痛いくらいにわかってしまった。


「あのバカッ…!八戒!!」


刃物を振り上げる気配がした。大気が震える程の咆哮が聞こえた。
…それなのに、僕はその場を動くことができない。全てがスローモーションのように、見えたんです。

けれど、それをぶち壊したのは―――数発の銃声。そして、彼女の声だった。


「ハッハァ、ハァ…!な、にもこんな辺鄙な所を選ばなくたって、いいんじゃないんですか…?!」
「紅英、様……?」


そこに立っていたのは確かに香鈴だった。目覚めるはずがない、だって彼女の魂はまだ蘇芳さんの手元にあったはず…僕達は誰もそれを奪えていないのに。蘇芳さんも何故、という目で香鈴を見つめている。永遠に眠り続けるかもしれなかった、彼女を。
構えていた銃を下ろし、しっかりとした足取りで香鈴はこっちへと歩いてきた。その後ろには桜華の姿もあって、再度驚いてしまいました。だって一緒に連れてくるなんて思いもしなかったから。
あまり関係のない人を巻き込むのを嫌がる節がありますから、香鈴の性格を考えると宿に置いてくる確率の方がずっと高い。それとも彼女も関係しているのだろうか?蘇芳さんのことを知っているようだったし。


「どう、して…そんな目で私を見るのですか紅英様!私が、お判りにならないのですか?」
「申し訳ありませんが、…私は『紅英』という名ではありません。香鈴です」
「違う!貴方は紅英様だ、間違いない。私がっ…貴方を間違えるわけがないんだ!」


蘇芳さんの叫びに呼応するかのように、一度は動きを止めたはずの3体が再び動き出してしまった。そいつらの目が香鈴と桜華へと向く。
マズイ、あれは完全に彼女達を獲物として認識してしまっています!何とか助けないと―――僕と悟浄が動いたのはほぼ同時、でも攻撃のスピードの方が早くて間に合いそうになかった。
それでも諦めることができなくて必死に手を伸ばした瞬間、ふわりと風が吹いた。ふわりと花弁が舞った。薄いピンク色をしたこれは…桜の花?


「もう…お止めになってください、蘇芳様。こんなことをしても貴方が辛くなるだけですのよ?」
「お前、は、まさか…桜華……?!」


蘇芳さんと香鈴の間に立っていたのは、桜華の面影を残した1人の女性。その瞳は見覚えのあるピンク色ですし、蘇芳さんの反応を見る限り、桜華本人であることには間違いがないようですね。
けれど、…どうして姿が変化したのでしょう?それとも今の姿が本来の彼女、ということなのでしょうか。


「桜華、貴様までそやつらの味方をするのか?!貴様の主人は誰だと思っている!」
「それはもちろん蘇芳様ですわ!けれどっ…これ以上、貴方が傷つくのも、香鈴さまが泣くのも見たくありませんの!」
「うるさい…黙れ!!紅英様は誰にも渡さない、…私に背くのならば、貴様などいらない!」


嫌な予感しかしませんでした。激高した人ほど、何をするかわからない人はいないと思います。
その予感通り―――桜華の身体は切り裂かれ、花弁が舞ったんだ。はらはら、はらはらと。まるで命の儚さを表すかのように。


「す、おうさま、」


私はずっと貴方を―――
彼女の言葉は最後まで紡がれることはなかった。一陣の風が吹き、彼女だった花弁は舞い上がり消えていく。その光景の何と幻想的なことか。
ふわりと、手の上に1枚の花弁が落ちてきた。触れる頃には淡い光を放って消えてしまいましたけど、消える瞬間に桜華の声が聞こえたんです。

―――香鈴さまをお願いね、八戒。

確かに、…任されましたよ。桜華。必ずその約束を果たしてみせますから、どうか…安らかに眠ってください。短い間でしたが貴方と過ごせて、意外と楽しかったですよ。
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