安らぐ気持ち


「悟浄の髪って本当に綺麗よね」


いつもだったら適当に流せる言葉も、この時は何故か流しきれなくて、一気に気分が冷めて、俺は初めてコトに及ぶ前に部屋を出て行った。引き止めようとする女の声も、縋ってくる腕も―――無視、して。
何でだかわかんねぇけど、無性にあの子に会いたくなっちまった。



 side:悟浄



勢い良く開けて、更に勢い良く閉めたドアの音が闇に呑み込まれて消えていく。ああ、こんな時間じゃあ八戒も香ちゃんも寝てて当然か…今の音で起こしちまったかな。そうは思ってもどうにもイラついて仕方ねぇ、電気をつけることもなくドアに背を預けてしゃがみ込んで肺に溜まった息を吐き出せば少しだけ楽になったような気がした。


「…ああ、やっぱり悟浄くんだ。おかえりなさい」
「たーだいま、ワリ、起こした?」
「本を読んでいましたから大丈夫ですよ。きっと八戒くんも起きてます」


お茶淹れますね。
そう言ってにこやかに笑った香ちゃん。でもどこか眠そうな顔をしているような気がする、きっと起きてたっつーのは嘘で…さっき俺が立てた音で起きたんだと思う。それを言わないのは彼女なりの気遣いっつーか、優しさなんだろーな。俺が気にしちまうことがないように。
ほーんと、香ちゃんってば甘いんだから。まぁ、そんなとこも気に入ってるんだけど。


「香ちゃん、俺シャワー浴びて寝るからお茶用意しなくてもいいぜ」
「普段の悟浄くんだったら、明け方まで帰ってこないでしょう?なのに、こんな時間に帰ってくるってことは何かあったんじゃありません?」
「え…」
「ほら、図星。意外と嘘がつけないんですね」


クスクスと笑う彼女はとても楽しそうにしてるけど、俺はちっとも笑えねぇ。だってよ、顔とか態度には出してないつもりだったんだぜ?香ちゃんは優しすぎる節があっから、あんまり心配かけねぇようにしようって思ってた。この俺が、だぜ?そう思ってんのは八戒も同じらしくて、心配かけるようなひどい無茶はしねぇっつーのが俺とアイツの間の暗黙の了解になってるっつーわけ。

まぁ、そんなのは今どーでも良くて。何で、何かあったのか察することができたんだろうな。
確かに普段は夜が明けるのと同じくらいの時間に帰ってきて、昼まで寝てることが多い。まだまだ夜はこれから、っつー時間に帰ってくることはほとんどねぇ。賭博で負けることなんか早々ねぇし、綺麗なおねーちゃんを捕まえられないこともほとんどねぇからな。こう見えてもモテるのよ?俺。


「はい。温かいものを飲むと落ち着きますよ」
「…さーんきゅ」


カタン、と向かいに腰を下ろした香ちゃんは眠そうな顔をして、欠伸を噛み殺してっけど部屋に戻ろうとする素振りを見せない。寝てもいい、部屋に戻って構わない…そう言ってあげたいのに、1人残されるのがとてつもなく嫌で黙ってお茶を啜るだけ。
変だよな、俺を待っている奴がいるってことにどうにも馴染めなかったっつーのにさ。…ああでも、今じゃ悪くないって思えるかもしんね。八戒と香ちゃんが待ってるこの家に、帰ってくるのは。

八戒とは最初こそぎくしゃくしてたけど、今じゃそこそこ上手くやってると思う。香ちゃんに至っては何の違和感もなく、すんなりと俺らの間に溶け込んでいったような気がするんだ。ぎくしゃくもしなくて、居心地が悪いっつーのもなくて…いつからか、彼女が笑顔でおかえりなさいって言ってくれるのが何か嬉しくて。

―――そうか。あったけぇんだ、あの子の傍は。

あったかくて、ホッとして、全部、ぜーんぶ…ぶちまけたくなっちまう。


「香ちゃんは、さ。俺の髪、何に見える?」
「?何に、と言われましても…紛うことなく髪の毛でしょう?」
「へ?」
「髪の毛以外には見えませんよ」


思わぬ回答にぽかんとしちまった。この子、しっかりしてそうに見えんのに変なとこ天然だなぁ。真面目な話してたつもりだったのに、斜め上過ぎて笑いがこみ上げてくる。


「…どうして笑うんですかね、悟浄くん」
「く、くくっ…いや、予想してた答えと全く違ったからよ。…あ、この髪色なにに見える?って聞けば良かったのか」
「髪色、ですか?」
「そ、髪色」


冷めちまったお茶を飲みながら言葉を投げれば、真剣な顔をして考え始めた。変なとこ天然で、変なとこ真面目なのな…なーんか八戒に通ずるものがある気がしてならねぇんだけど。
そして彼女が考え始めること数分。やっぱり変なこと聞いちまったかな、と思い始めた時、ようやく鈴を転がしたかのような心地良い声が耳を擽った。


「夕焼け、ですかね。やっぱり」
「あれはオレンジじゃねーのか?」
「うん、そうなんですけど…ほら、赤みがかかっていることがあるでしょう?あんな感じ」
「はは、んな綺麗な色かねぇ?これ」


自嘲的な笑みを浮かべてそうぼやけば、ムッとした声で綺麗ですよ、と言い切られちまった。その声音に、言葉にびっくりして伏せていた瞳を上げれば、そこには予想通り頬を若干膨らませた香ちゃんの姿。怒ってるっつーよりは拗ねてるようにも、見えて、可愛らしい。口説きたくなるのとは、違うけどな。
そんなことを考えながらも何も答えられずにいたら、もう一度、綺麗なんです、と言葉を紡ぐ。


「綺麗、ね…」
「む、まだそんなこと言うんですか。誰が何と言おうとも悟浄くんの瞳と髪はとても綺麗ですよ?初めて見た時は宝石みたいだ、って思いましたから」


キラキラと輝く宝石のようだ、と屈託のない笑みを浮かべてそう言う。嬉しくないわけではねぇ、けど…どうにも言われ慣れてないもんだからどう反応したらいいのかがわかんねーんだ。長い間ずっと、この色は疎まれるべきものだったし、褒められたことなんて一度もない。


「それとも、」
「ん?」
「血の色みたいだ、って言った方が納得して頂けました?」


ドクン、と心臓が気持ちワリィ程に跳ねた。笑ってるのに笑ってない、彼女の顔に浮かんでいる笑みは今までに感じたことがないくらいに冷え切っているような気がして、背筋がゾッとする。香ちゃんの笑顔を怖いと思ったのは、これが初めてかもしんね。
黙ったまま凝視していれば、冷たい空気がフッと消え失せて。次の瞬間にはもう、見慣れた笑みを浮かべている。一瞬見せたあの笑みは、彼女の隠された本性のようなものなんだろうか。…というか、ちょっと怒ってんのか、な。もしかして。


「…香ちゃんさ、今、ちょっと怒ってる?」
「どうして?」
「いや、何つーか、さっきの笑み…」
「だって、悟浄くんが私の言うことを信じてくれないんですもの」


笑顔を消してはぁ、とつかれた大きな溜息。もうさっきみたいな冷たい空気も、ピリピリしたモンも感じないから大丈夫みてーだけど…アレだな、この子も怒らせないようにした方が良さそうだ。笑顔浮かべたまま怒られるのって意外とダメージでかいのよ、八戒の場合もそうだったっけ。逆らうな、って本能が警鐘鳴らすくらいだし。

つーか、香ちゃんの言うことを信じてないってわけではねぇんだ。多分、そう言っても彼女は不思議な顔を浮かべるだろうけど、それは本音。…けどさ、どうしたっていつまでもついて回るんだ、あの人の泣き顔が、俺を罵る言葉が。
血の色だとしか思えねぇ、この瞳と髪は―――どうしたって好きになれなかったんだよ。


「赤イコール血の色、っていうのは間違っていませんが、安直です」
「あ、安直…?」
「だってそうじゃありませんか。赤を連想させるものってたくさんあります、赤は…血の色だけじゃないんですよ。悟浄くん」


リンゴ、イチゴ、赤唐辛子、トマト、さくらんぼ、…ああ、茹でたカニも赤くなりますね、と指折り数えながら次々と挙げられていくものは、全部食い物。時々、宝石の名前も出てきてはいたけど、ほっとんどが食べ物でなーんかおっかしくなってきちまったなぁ。悩んでたのが、バカみてぇ。
くつくつと肩を震わせて笑っちまったから、まぁた怒らせちまったかなーと思ったんだけど、そんなことはなかったらしい。視線の先にいた香ちゃんは穏やかに微笑んで、禁忌の子だからって何だと言うの?と言って退けた。
妖怪だろうが、人間だろうが、禁忌の子だろうが、悟浄は悟浄でしょう?なーんて笑うから、俺は君に甘えたくなって仕方なくなるんだけど。


「もーさぁ…香ちゃんてば、優しすぎ」
「そうですか?思ったこと言っただけですよ。…貴方がその赤を好きになれない分は私が好きでいますからね」
「…そりゃドーモ」
「それに…血は穢れだけじゃありません。私達が生きていく上でなくてはならないものですし、それによって生かされてるようなものなんだから」


そんなこと言われたらもう何も言えなくなっちまうじゃねーの。
ほんとさ、アイツらといい、この子といい…変な奴らだよ。この穢れた禁忌の色を、意味を一切気にしないなんてよ。


「やっぱり綺麗ですよ、悟浄くんの髪も瞳も」


あの時は嫌で仕方なかったのに。彼女にこう言われるのは、どうしてだか嫌だと思わねぇ。不思議な子だよ、ほんと。
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