花火の下で


「え?花火、ですか?」


珍しく人数分の個室が確保できて、それぞれ好きに時間を過ごしていた時だった。訪ねてきた八戒くんに花火を見に行きませんか、と誘われたのは。
そんなのがあるのか、と思ってオウム返しをしてしまったけど…彼は気にすることもなく、にっこり笑って頷いてくれました。
花火かぁ…旅に出る前、長安で見たことがありましたけどすっごく綺麗でした。あれをまた見れるんですね、それも八戒くんと一緒に。急に言われたから驚いてしまいましたけど、断る要素なんて1つもない。もちろんです、と返す以外にありませんよね?


「そういえば受付で浴衣を借りられるそうですよ。着てみますか?」
「着たまま出かけられるんですの?」
「大丈夫みたいです。何人か出て行くのを見ましたから」
「へぇ…浴衣なんて着る機会ありませんし、いいかもしれませんね」


早速受付のお姉さんに話を聞いてみると、浴衣は女性ものだけではなく男性ものも用意してあるんだそうです。どうせだったら八戒くんも巻き込んで、浴衣デートっていうのも悪くないかもしれません。
あ、それだったら悟浄くん達にも声をかけて全員で行くのもアリかなぁ…ボソッと呟いた言葉は、当然ながら隣に立っていた八戒くんにも届いていました。彼が何を思ったのか知りませんが、そっと手を握られ、顔を覗き込まれてビックリしてしまいました。ちょっと仰け反りました。
な、何なんですか急に…!気持ちを通じ合わせたと言っても、誰かとつき合ったことのない私はわからないことだらけで、初体験ばかりの毎日なのです。だから、今みたいなのも…照れてしまうのだ。まだまだ慣れそうにはありませんね。
とりあえず落ち着こう、ここは宿屋の受付だ…!そっと息を吐いて、いまだじーっとこっちを見ている八戒くんに何ですか?と問いかけた。すぐに返事が返ってくるものだと思っていたのだけれど、彼は微動だにしないまま「んー」とだけ音を発しました。え?なんていうか、もしかして八戒くんフリーズしてる?
この方、たまーに何かを思い出そうとする時に数秒フリーズすることがあるんですよね。悟空曰く、フリーズしている間にものすっごいスピードで記憶辿ってるらしいです。今回もそれでしょうか?でも何か思い出さなくちゃいけないようなこと、言ってませんよね?私。


「あの、…八戒くん?」
「香鈴は―――僕とデートするの嫌ですか?」
「へっ?」
「ほら、悟浄達を誘おうかって言ってたじゃないですか」
「…あ、それでフリーズしてたの?」


思わずクセである敬語が抜けた。そしてぽかーんとしたマヌケ面を晒しました。でも今はそれを気にしている場合ではないし、余裕もない。だ、だっていつだって笑顔を絶やさない八戒くんが拗ねた表情をしてるんですもの…!自分のマヌケ面なんて気にしていられないでしょ?
うわ、言ったら怒られるから胸の内に秘めておくけどめちゃくちゃ可愛い!拗ねている八戒くんなんて初めて見ましたよ、私!今だったら恥ずかしさとか全部かなぐり捨てて抱きつける自信があります。むしろ、泊まっている部屋の中だったら抱きついていたと思います。さすがにたくさんの旅行客がいる受付で、そんなことしませんけど!


「〜〜〜嫌なワケないじゃないですか…!」
「そうですか?」
「当たり前です。悟浄くん達の名前を出したのは、その…まだ君と恋人、ってことに慣れて、なくて…!」


言い訳がましいですが、あれです。今までの慣れというか、クセってやつなんだと思います。


「確かに今までの香鈴は、必ず悟浄達を誘っていましたっけ…」
「ほら、悟空なんて拗ねちゃうことがあるから」
「あははっそういえばそうですね。置いてかれることを嫌がる子ですから」
「…少しずつ、慣れていきますから…あの、頑張ります」
「頑張る必要はないんですけどね。…そうだ、じゃあ僕の浴衣を選んでくれませんか?」


代わりに香鈴の浴衣は僕が選びます。いいでしょう?
これまた断る要素が1つもないので頷いてしまいましたが、私、他人の服なんて選んだことないですよ…?!浴衣なんて尚更です!!
ど、どうしよう…自分のセンスが壊滅的に悪いとは思ってないですけど、かといってセンスがいいわけでもないんですよね?!彼に似合うものを見つけられるか不安ですけど、でも自分の好みに仕上げられるというのは―――ちょっと優越感、ですね。


「うっわぁ…!すっごい数の浴衣ですねぇ」
「お選びになられましたら、あちらの更衣室をご利用ください。中に着付けができる者が待機しておりますので」
「わかりました。ありがとうございます」


簡単な説明だけして、受付のお姉さんは出て行かれました。まぁ、あとは浴衣を選ぶだけですし…ひっついている必要性はありませんものね。
それにしても、本当にすごい数です。女性ものが多いのは頷けますけど、男性ものもたっくさんありますねぇ。何となく偏見?で男性ものの浴衣は数が少ない、と思っていたんですけど、そんなこともなかったみたい。
これは余計に選ぶのが大変そう…ええっと、色別で並べられているようですし、まずは色から選びましょうか。白、黒、紺、緑…あ、灰色もありますね。八戒くんに似合いそうな色はどれでしょうか。何かどれでも着こなしてしまいそうで迷っちゃいます。

(うーん、緑も素敵ですけど普段着ている服もその色ですから、浴衣くらい別の色がいいな)

緑を除外するとしたら白?黒も捨てがたいけどなぁ…髪色を考えるのだとすれば、やっぱり紺が綺麗でしょうか。うん、色は紺にしよう。次は柄ですけど、男性ものの浴衣って女性ものとは違ってあまり柄が入っているのはないんですね。割とシンプルなのが多い印象です。ああでも、男性が着るのならばシンプルなものの方が映えそうだ。
あ、これいいな。薄らとだけどストライプの模様が入ってる。


「香鈴、決まりました?」
「あ、はい。何とか。八戒くんも?」
「決まりましたよ。でもこれだけ数があると、選ぶの大変でした…どれも貴方に似合いそうで」
「はっ八戒くん!」
「相変わらず顔に出やすいですね、貴方は。さ、早く着替えましょうか」


〜〜〜もう!八戒くんったら、いつもこうやって私の反応を楽しむんだから…!
まだ熱い頬に手を当てて、溜息を1つ吐き出した。





「……っ!」
「ああ、着替え終わりましたか香鈴。―――香鈴?」


着替え終わって宿屋の外へ出ると、一足先に着替え終えていたらしい八戒くんが佇んでいらっしゃいました。
あまりにも似合っていて、あまりにもカッコ良くて、何と言葉を発すればいいのかわからなくて…息を飲んで立ち尽くすしかできません。今だって名前を呼ばれたのに、何も返せない。だって、…本当に素敵すぎるんです。


「やっぱり貴方には桜が似合いますね。綺麗ですよ」
「えっう、あ…ありがと、ございます…!」
「そういえば、さっきお祭りに出かける三蔵達に会いましたよ」
「…へ?三蔵様も出かけたんですか?!」


思わずビックリ。だって三蔵様は宿に着くと、ほぼ引き籠り状態になるんですもの。出かけたことなんて片手で事足りるくらいなんじゃないでしょうか。それなのに人がいっぱいいることがわかっているお祭りに行くとか…天地がひっくり返っても有り得なさそうなことなのに。
いくら悟空にせがまれても、あの御方だったらハリセン一発で沈めてしまいそうなんだけどなぁ。お祭りに興味でも……いや、それこそないな。お祭りにはしゃぐ三蔵様とか、怖いもの見たさで見てみたい気もするけど、目撃したら絶対に大笑いします。そして熱があるのでは、と疑います。つまり、それくらい意外だってことですよ。


「悟空と悟浄に連れ出される形でしたけどね。花火も見てくるそうなので、どこかでバッタリ会うかも」
「あー…出くわしたら私、三蔵様のこと指差して笑っちゃいそう」
「命が惜しくないなら止めませんけど、確実に鉛玉が飛んでくると思いますよ?」
「いや、そこは止めてくださいよ!!」
「香鈴が望むことは叶えてあげたいので」


しれっと言いましたけど、ずいぶん楽しそうですね?!


「もう、八戒くんの意地悪」
「すみません、貴方の反応が可愛くて。…どこから回ります?」
「んー、お腹空いたので何か食べたいです」


時刻は夕方だ。お昼もしっかり食べたけれど、この時間になれば自然とお腹も空いてきますよね。そうでなくてもどこからかソースが焼ける香ばしい匂いが漂ってきて、食欲を刺激しているんですから。
この町の花火大会は結構盛大なようで、それに乗じて開かれるお祭りもなかなかの規模のようです。それに比例するかのように屋台の数も多いみたいですね。色んな所から屋台を営業している方の声が聞こえますもの。皆さん、1つでも多く買ってもらおうと頑張っていらっしゃるんですねぇ。
それにしても来る度に思いますけど、どうしてお祭りの屋台ってこうも食欲を刺激されるんでしょう。どこにでもあるようなもので何も特別なものではないのに、どうしたって惹かれてしまいます。
うん、どれも美味しそうで迷う…!今回は2人で来ているから、あまり多く買ってしまうと食べきれない…だけど、絞り切れていないのが現状だったりするのです。


「甘いのは後にして、先に食事になるものを選んでくださいね」
「う、何か見透かされてる…」
「だって貴方、こういう時は必ず甘いものを最初に指差すじゃないですか」
「そうですけどっ…」


いい加減、慣れましたよ。
そう言って笑う八戒くんに、乾いた笑いしか返せませんでした。うう、慣れる程、私ってやらかしてました…?確かに初めて一緒に行ったお祭りでも、いの一番にわたあめを挙げましたけど!甘いものを見つけると手を出しそうになってますけど!!


「お好み焼き、食べたいです」
「僕は焼きそばにしようかな。混んでいますし、甘いものも買ってしまいましょう」
「えっいいんですか?」
「あははっさっきまでしょんぼりしてたのに、一気にテンション上がりましたね」
「うぐ…」
「香鈴のそういう所、可愛くて大好きですよ」


君は何度爆弾発言をすれば気が済むんですか…!つき合うようになってから何度、爆弾を落とされたかわかったもんじゃありません。いつまで経っても慣れないなぁ、本当に。抗議するかのように繋がれた手をぎゅーっと握ってみるけれど、それは効果がないみたい。一瞬だけきょとんとした表情になったけど、すぐに嬉しそうに目を細められましたから。

(まあ…私だって八戒くんに同じことされたら、多分、嬉しくて頬が緩みますけど)

当たり前ではなかったことが、どんどん当たり前になって。それが少しずつ、少しずつ増えていって…私はこの方達に出会って、どれくらいの『当たり前』が増えたんだろう。
こんな風に誰かを愛することも、愛されることも、毎日を笑って暮らすのも、…どれもこれも持っていなかったことや、一度は失ったもの達だ。二度と手にすることはないだろう、と諦めていたもの達だ。手が届くことはないだろう、と漠然と思っていたのだけれど…意外ですね、こんなにも簡単に掴めてしまいました。いや、簡単では、ないのですけれども。


「さて、飲み物も買いましたし…移動しましょうか」


移動?一体、どこに移動すると言うのだろうか。首を傾げると、イイとこですよ、とウインクされました。何でも宿屋の女将さんから綺麗に花火が見える場所―――しかも穴場がある、と聞いたそうなんです。せっかくだからそこから見てみよう、ということでした。
人混みを抜けて、少し道を外れてしまえばそこは確かに静かで人の気配がしない…成程、穴場というのはあながち嘘ではないのかも。そして手を引かれるままに進むこと数十分。慣れない下駄で足が痛いなぁ、と思い始めていた時、着きましたよと彼の穏やかな声が聞こえました。


「此処、ですか?」
「女将さん曰く、ですけどね。でももう花火が打ち上がる時間ですし、直に―――」


―――ドォンッ!

八戒くんの声を遮るように、彼の背中側から花火が打ち上がりました。建物や人、木に邪魔されることなく綺麗に見えます…!これは当たりですね!!ガヤガヤとしている中で見る花火も嫌いではありませんが、落ち着いて見られるのも案外悪くはないのかもしれません。それはきっと、八戒くんと2人きりだから。
チラッと見上げた彼の横顔は、次々に打ち上がる花火に照らされている。見慣れている横顔でも、少しシチュエーションが変わるだけでこんなにもドキッとしてしまうなんて…そんなこと、ちっとも知りませんでした。
ドキドキと忙しなく動く心臓を抑えながら、ようやく視線を花火戻す。それでも心臓はうるさいままで、視線は花火に向いているのに意識は八戒くん、というとても稀有な状況になってしまっています。ああもう、こんなにドキドキするなんて…!


「…香鈴、」
「え?」


花火が打ち上がる瞬間、彼の顔がゆっくり近づいてきて―――唇が重なった。


「ッ?!」
「嫌だったら、突き飛ばしてください」
「そ、んな…そんなこと」


私に君を突き飛ばせ、なんて…できないとわかっていて言っているのでしょうか?というか、私が嫌がると…八戒くんは思っているんですか?それは少しばかり心外です。こんなにも好きで、愛おしくて、…恥ずかしいけれどいつだって触れてほしいと思っているのに。
そう思ってからの私の行動は早かった。グッと背伸びをして、彼の唇に触れるだけのキスを。こ、これだけでかなり心臓がバクバクいっていてパニック寸前ですけど、きっと八戒くんには私がどう思っているか伝わったと、思いたい。


「香っ…?!」
「わ、私だって八戒くんと同じ気持ちなんです!い、嫌だとか…そんなの思いませんから、見くびらないでください…!」


キッと睨んでみたけれど、威力はゼロなんだろう。その証拠に八戒くんがくつくつと笑っていますから。全く可愛いなぁ、とか言いながら。…うん、わかってましたよ。真っ赤になっているであろう顔で睨んだって何の効力もないことくらい!
それでもやっぱり、嫌がるかもしれないって思われていたことが嫌だったんですもん。君ばかりが恋焦がれているなんて、思わないで。
まだ笑っている八戒くんから目を逸らし、僅かに唇を尖らせる。子供じみたことをしているなぁ、というのは重々承知していますけれど、このくらいしたっていいでしょう?これでも怒っているんですから。
何をしているんだろう、と思いながら、再び視線は空へ。数分、目を離してしまっていましたが、まだ大輪の花がそこら中で咲いています。意識が徐々に花火へ向いていたのに、指を絡めるようにして繋がれた手が、また一気に意識を彼へと引き戻されてしまいました。
ちょ、いつもと繋ぎ方が違う…!


「もう一度だけ、触れても構いませんか?」
「…触れる気、満々のくせに」


花火で照らされた八戒くんの顔は、憎らしいくらいに嬉しそうでした。
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