互いを想う、


「…ああ、そういえばお伝えするのを忘れていました」


5人で夕食を済ませ、まだ本調子には程遠い香鈴を部屋まで送っていた時。楽しい食事でした、と笑っていた彼女が突然何かを思い出したようにぽむ、と手を叩いた。何だろう、と思いつつも口を出すのは良くないかと思って黙って待っていれば、僕よりも幾らか低い位置にある黒曜の瞳が真っ直ぐにこっちを見上げていて―――少しだけ、胸が高鳴った。


「何を、忘れていたんですか?」


ドキドキしている心臓を誤魔化すように声を出せば、それは僅かだけれど掠れていて…明らかに動揺してしまっている自分に嫌気がさす。僕には誰かを愛することも、この手に誰かを抱くこともできるはずがないのに。

血は洗い流せる、そうやって自分達は生きていくんだ、と…そう言ったのは他の誰でもない自分自身だ、でもまだ―――整理がついていないのも本当で。

過去を引きずって生きていくのはもうやめた。悲観的に生きていくのもやめた。いつ死んでもいいとは、思わなくなった。できることならもう少しだけ、自分の為に生きてみたいと思えるようになった。…それでも、また誰かを愛することだけは怖いと、そう思ってしまうんだ。いくら洗い流そうとも消えることのない罪で汚れきったこの両手で、誰かを抱くことが許されるのかって。


「八戒くん、森の中で言っていましたよね?自分はここにいてもいいのか、って」
「あ、―――」
「まだその答え、お伝えしていないなぁと思いまして」


思わず足を止めてしまった僕を振り返った香鈴は、綺麗な銀髪をふわりと揺らし―――とても優しい笑みを浮かべていました。
そうしてまた僕の心臓はドクリ、と鼓動を早くする。


「あ、の、…香鈴、」
「いてくれなくちゃ、困ります」
「!」
「八戒くんがここにいてくれなきゃ、…困りますよ?私」


もっと一緒にいて、色んなもの見たり聞いたり、お話したりしたいんですから。
4年一緒にいるだけじゃあ、まだまだ足りないんだと笑う貴方は、どれだけ優しいのだろう。貴方のその言葉が、笑顔が、どれだけ僕の心の支えになっているか…どれだけ僕を救ってくれているのか、香鈴、貴方は知らないでしょう?


「だから―――もう二度と、そんなこと言わないで。今度言われたら、怒るよりも、ぶっ飛ばすよりも…泣いちゃうかもしれませんから」
「…ええ、約束します」


部屋の前まで送り届ければ、いつもの笑顔でおやすみなさい、と笑う。僕も同じように笑っておやすみなさい、と返すけれど…何故だろう、彼女に触れたい―――そう思ってしまった。

ドアノブにかけられた手を取り、ぎゅうっと握りしめるとまるでリンゴのように真っ赤になってしまって思わず吹き出してしまう。笑ってしまった僕を見て頬を膨らませて怒った表情になって、出会った頃に比べてコロコロと変わるようになった彼女を見ると「ああ、可愛いなぁ」って思ってしまうんですよね。それなのに時折、僕達4人の誰よりも男前な言葉を紡いだりする…不思議な人ですよ、本当。

コツン、と彼女の額に自分の額をぶつける。その瞬間にまた赤くなってしまった香鈴は、まるでエサを待つ金魚のように口をパクパクと閉じたり開いたりしています。…何だかものすごく動揺されちゃってますね。


「今日は、本当にありがとうございました。香鈴」
「ぅえ、えっと、あの、…いいえ、お礼を言われるようなこと、」
「ふふ。驚かせちゃいましたね、すみません」
「だい、じょうぶ…です…!」


真っ赤な顔のままふるふると首を振る彼女は、さながら小動物のようだと思った。手を離してそっと身体を引く、本当はもう少しだけ触れ合っていたいような気持もあるけど、これ以上は香鈴を怖がらせてしまいそうな気がしてしまったから。

―――この子に嫌われるのは、何よりも嫌なんだ。

自分の過去を話す時に真っ先に浮かんだのは、ソレだった。話すことで嫌われるかもしれない、拒まれるかもしれない、離れていかれるかもしれない…そう考えると、怖くて仕方なかった。まぁ、それは僕の杞憂だったんですけどね。


「あの、えっと…おやすみ、なさい」
「―――香鈴」
「……?」
「僕もね、貴方にいなくなられたら困ります。だからここに、いてくださいね?」
「!…はい、約束します」


二度目のおやすみなさいを伝えて、僕達はそれぞれの部屋に戻った。
ああ、今日は久しぶりにいい夢を見られそうですね。
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