煙草と彼女
朝食の後から部屋に籠ってしまった香鈴は、悟空の町へ出かけようと誘いも珍しく断ってしまったらしい。シュンとしてしまった悟空に仕方ないですよ、お土産買ってきましょうねと声をかければ、すぐにいつもの元気を取り戻して屋敷の外へと飛び出していった。
先に行ってしまった悟空を追いかけながら、ふと立ち止まって屋敷を見上げる。僕達がお借りしている部屋は2階で、彼女が泊まっている部屋は…確かあの辺りだ。窓を開けているらしく、時折吹く風にカーテンがゆらゆらと揺れている。
外に出ることが割と好きな香鈴が自ら部屋に籠るなんて…それもこんなに天気が良い日に。もしかして具合が悪かったのだろうか、と心配になるけれど、朝食の時に見た顔色は悪くなかったし、ご飯もしっかり食べていたはずだ。
それならどうして、部屋に籠ってしまっているのだろう?疑問を浮かべつつも、遠くから僕の名を呼ぶ悟空と悟浄に追いつく為、脳内にちらつく彼女の姿を振り切るようにして駆け出した。
―――コンコン、
「香鈴、八戒です、入ってもいいですか?」
彼女へのお土産に、と買ってきた肉まんや甘い物が入った紙袋を抱え、僕は香鈴が泊まっている部屋の前にいた。ノックをして声をかけてみたものの、一向に返事が返ってくる様子がない。
眠ってしまっているのか、それとも何処かへ出かけてしまっているのか…うーん、返事が返ってこないのに勝手に入るのは失礼ですよねと思いつつも、様子が気になって仕方ないのでそっとドアを開けて中に入った。
1人部屋にしてはだだっ広い室内、そこに置かれているソファやベッドには捜し人の姿はない。ただ紙が散乱しているだけだ。その1枚を拾い上げてみると、ずいぶんと可愛らしい字で文字が書き連ねられていた。これは、…何だろう?香鈴の字であることに間違いはないのだけれど、でも書かれている文章がよくわからない…手紙、ではないだろうし。
テーブルの上に紙袋を置き、ひとまず散乱している紙を集めているとふわり、と風が吹き込んできた。吹き込んできた先に視線を移すと窓が開いていて、カーテンが揺れていた。
…そういえば屋敷を出た時も窓が開いていましたね、ベランダにいるんでしょうか。集めた紙の束を紙袋の下に置き、僕はベランダへと足を向けた。
「あら、おかえりなさい八戒くん」
「……ただいま」
捜し人は確かにベランダにいた。小さなテーブルの上に紙とペン、そして飲み物を淹れたマグカップ…そして見慣れているけど見慣れていない煙草とライターが置かれていて、思わず目を瞠る。彼女自身が外にいたから全く気がつかなかったけど、ここは微かに煙草の香りがしていた。
おかえりなさい、と穏やかに笑みを浮かべた香鈴の口元には、煙草が咥えられていて、紫煙を燻らせていたんです。
「煙草、吸うんですね」
「吸うって言っても、長安を出てからは初めてですよ」
「そうだったんですか」
かなり久しぶりに吸った、と煙草をもみ消した彼女の顔には僅かな疲労が浮かんでいた。何をしていたのか、と聞いてみれば、お祭りで歌う祈り歌の歌詞を覚えていたそうです。でもなかなか覚えられなくて歌を口ずさみながら紙に書いていたらしい。
…ああ成程、部屋の中に散乱していた紙達に書かれていた文字は歌詞だったんですね。ようやくわかりました。
何でもメロディを覚えるのは得意だけれど、歌詞を覚えるのは大の苦手らしい。だからあの手・この手を使って覚えようと努力をしていたようなんですが―――上手くいかずに煙草に手を伸ばしてしまった、と。
「前は甘い物だったんだけど、それだと太っちゃうでしょう?そんな時に悟浄くんに煙草を貰って…」
「全く、あの人は何をしてるんですか…」
「私が強請ったんですから、悟浄くんを責めないでくださいね?…というか、別に私いい子ちゃんでもないので」
だから吸っても問題ないでしょう?と貴方は笑うけれど、煙草って喉に良くないんですよ?せっかく綺麗な声をしていて、歌声もとても素晴らしいのに…もったいないなぁって僕は思っちゃうんですけどね。
煙草の煙自体は悟浄と三蔵がいるので今更、どうのこうのと言うつもりはありませんが。
「煮詰まっているのならお茶にしませんか?悟空からお土産も預かってきたんです」
「わ、本当ですか?」
「根を詰め過ぎるのも良くありませんから、休憩にしましょう」
「はい」
ねぇ、香鈴。煮詰まって上手くいかないのなら、煙草や甘い物に頼らないで―――僕を頼ってくれませんか?息抜きに外へ連れ出すことも出来ますし、気分転換の話し相手にだってなれますよ。
…なんて、こんなこと本人には言えませんけどね。