削がれた想い


「―――言えなかった?」


ぼんやりと月を見上げていたら、紫煙を燻らせている悟浄にそう問いかけられて心臓が、跳ねた。



 side:八戒



彼女を好きだと自覚したのは、彼女は歌姫だと言われて祭り上げられていたあの不可思議な町―――。その時も悟浄の一言でようやく、自分の気持ちに気がついた。無意識にずっと目を逸らしていた事実に気がつくきっかけをくれたんです。
でも伝えていいのか、僕が彼女を愛していいのか…ずっと悩んでいました。血に濡れた、罪で穢れたこの両手で香鈴を抱きしめていいのか―――そればかりが胸の中をぐるぐるまわっていて、気持ちが悪いほど。だけど、それでも本能的に求めているのは明らかで、そう思う僕の気持ちとは裏腹に何度も僕は、この手で、腕で彼女を抱きしめていて。
その行為を嫌がられたことは、一度もなかった。少なくとも拒否をされているわけではなさそうだけれど、…でもやっぱりどこか踏ん切りをつけられないでいた。

そんな時。彼女の身体に異変が起きて、観世音菩薩に彼女の能力の話を聞いて、彼女が…自らの意志で天界へ行くことを決めたと聞いた時、ガラガラと何かが音を立てて崩れていくような感覚を覚えた。全てを失うと、錯覚しそうになったんだ。だけどそれは杞憂で、彼女は修業を終えたら必ず戻ってくる、と笑っていて。
ホッと胸を撫で下ろした瞬間、こんな思いを繰り返すくらいなら伝えてしまった方がいいんじゃないか、って思い始めたんですよね。
言えぬまま別れることが来るとすれば、僕はきっとあの時のように後悔をすると思った。あの時とは何もかもが違うけれど、でももう二度と―――できなかった、と後悔をすることだけは嫌なんです。


「…言えませんでした」


でもそれは、叶わなかった。


「まっさか告白する寸前だとは思わなかったわ。…悪かったな」
「別に貴方が謝る必要はないでしょう。誰が悪いわけでも、ないはずですから」


そう、悟空が悪いわけじゃない。本当にただ、タイミングが悪かっただけなんです。またこれから、彼女と一緒に旅をすることができる、だから言うことなんていつだってできるんだと思ってはいるんですが…言おう、と決めた瞬間に言えないのって結構、気持ちが悪いんですねぇ。
また今度、と香鈴には伝えたけれど、その今度が本当に来るかどうか―――それだけが疑問です。いや、そのタイミングは自分で作れよって話なんですけど。


「ちょっと拍子抜けしちゃって、…また、言えなくなっちゃいそうです」
「機会はいつでも転がってるんじゃね?」
「ええ、まぁそうなんですけど…一度削がれちゃうと、余計ネガティブになりません?」
「バーカ。ンなのお前だけだっつーの」
「あはは、そう…そうかもしれませんね」


苦笑が漏れる。自分の情けなさに、…それこそ自分自身に。


「…けどさ、言えずに終わるのだけは―――勘弁だろ?」
「そうですね、…そんなの死んでもごめんですよ」
「だったら気張れよ、八戒。…ぶつかってナンボ、砕けて来いって」
「ええ?砕けるのはごめんだなぁ」
「そうしたらあの子は俺がもらってやっからさ」
「…それもごめんですね。貴方に渡すのだけは、嫌ですよ」
「ふはっ相変わらず毒舌だなーお前」


月を背に笑う深紅の男に、背中を押されたような気がした。
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