賽は投げられた
―――天界
「長安の三仏神からご報告が。下界にて三蔵一行を西へ向かわせたとのことです」
1人の男が少しだけ顔を歪ませて呟いた。とうとう動き出してしまった、と。
「―――ふん。全てはとっくに始まっていたさ」
五百年前のあの時から―――そうだろう?生意気な、俺の愛する姫君さんよ。
長安を旅立ってそろそろ1週間程。東の大きな砂漠を越えてきたものだから、途中に町なんてなくてずっと野宿でした。でもまぁ、西に行くと話を聞いていた時点で野宿なんてしょっちゅうだろうと覚悟していたからあまり堪えてはいないのだけれど。
ああ…だけど、いい加減お風呂には入りたいですね。川で水浴びはしましたけど。
「皆さん、町が見えてきましたよ」
「マジか!メシ、メシー!」
「うるっせぇよ猿!…っと、香ちゃん?どした?黙りこくっちゃって」
「あ…いいえ、私もさすがにお腹空いちゃって」
お風呂にも入りたいけど、お腹も空いた。きちんと食べてはいるのだけど、野宿だとそこまでしっかりとしたご飯は用意できませんからね。それに、…食事の時間はいつでも戦争なので、つい手が引っ込んでしまうクセがついてしまったんです。だってすごいんですもの、悟空と悟浄くんの取り合いが。あれだけは何年付き合いを続けていても慣れませんねぇ。
宿を見つけてご飯にしましょうね、とミラー越しに微笑む八戒くんに頷きを返して、再び視線を前方に見えてきた町へと向ける。そこそこ大きい町のようですし、宿屋はいっぱいありそうかしら…せっかく町に着いて空き室がなくて野宿、というのは避けたい所です。
最初から野宿とわかっている分には辛くも何ともありませんが、町にいながら野宿なのはやっぱりこう…落ち込みます。嫌ですよね、やっぱり。
―――茄陳の町―――
「その果物置いてきゃ許してやるって。可愛いカオに傷残したくないだろ?ああ?」
ふと聞こえた声に思わず眉間にシワが寄ったのがわかった。全く…ああいう輩は本当に何処でもいるんですね。ちょっと助けてきます、とジープを飛び降りて女の子の元へ向かう。背中を蹴っ飛ばしてやろう、と思っていたのに私が足を出す前に黒髪の男が地面に沈められてしまいました。
…何だ。ジープに乗ったままだと思っていたのに、ちゃっかり一緒に下りてきたのね―――悟浄くんってば。それと悟空も。
「チッ―――ンだ、ガキかよ」
「悟浄くん?そういう言い方は良くありませんよ。ねえ、私達宿屋を探しているんだけど…」
「ンだてめぇら?!……っと、女の方は上玉じゃねぇか。姉ちゃんが俺らと遊んでくれるっつーなら―――」
―――ゴッ
「ぶ。」
「どわあ!!」
「ビンゴ!だーめじゃん、香鈴にまで手ェ出そうとしちゃあ」
悟空が殴り飛ばした男は、仲間にぶつかって倒れ込んだけれど…ぶっ飛ばす先はもう少し考えた方が良かったかもしれませんね。だって私と絡まれていた女の子の近くだったんですもの。私は避けられる自信があるけど、この子は難しいんじゃないかしら?咄嗟に庇ったから怪我はしてないと思うけど。
そうこうしているうちにジープに乗ったままだった三蔵様と八戒くんもご到着。三蔵様は私達3人に派手な行動を取るな、と怒ってらっしゃいますけど、貴方達も十分目立ってますからね?ジープ―――鉄の乗り物は珍しいですし、それに三蔵様は真っ白な法衣を着て双肩には経文をかけていらっしゃるんですもの。いくら仏道に帰依していない方でも、この格好を見ればお偉いお坊様なんだなっていうのはすぐにわかります。
「私はそんなに目立った覚えはないんですけど…」
「それに8.5倍は地味だって」
「当社比だろ?」
「どんな会話をしてらっしゃるんですか、…あ、貴方、怪我はしてない?」
「え?あ、はい、大丈夫です…!」
転がっていたピーマンを悟空が女の子に手渡し、この辺りに宿屋はないかともう一度尋ねている。ジープがあるから駐車場完備だと嬉しいですし、悟空からしてみればご飯が美味しい所がいいでしょうね。きっと。私はお風呂に入れて、ゆっくり眠ることが出来れば文句はないかな…屋根がある場所で眠れるのって、今更だけどとても幸せなことだったのね。
色々と一気に起きすぎたのか、少し放心状態だった女の子が教えてくれた宿屋は―――彼女のお父さんが経営しているという宿屋だった。
「ふう…サッパリした」
水浴びはしていたけれど、温かいお風呂はやっぱり気持ち良いですね。
本当は部屋に備え付けてあるシャワーで済ませよう、と思っていたのだけれど、せっかくだから大浴場に行ってくるといいと皆さん(三蔵様以外、ですけど)に言われたので、お言葉に甘えて荷物整理もそこそこにお風呂に入りに来てしまったんです。うん、でも正解でしたねぇ。
ある程度水気をとってから伸びた髪を髪留めでしっかり固定してから大浴場を出ると、少し先にある休憩所のソファに見知った姿を見つけた。慌てて駆け寄ると、人の良い笑みを浮かべて気持ち良かったですか?と声をかけてくれる―――八戒くん。
「そろそろ夕食の時間なので迎えに来ました。三蔵達は先に食堂に行ってますよ」
「そうなんですか。ごめんなさい、お手を煩わせてしまいました」
「いいんですよ、僕がしたくてしてるんですから。荷物、貸してください」
「え?あ、―――…」
大丈夫です、と言う前にさり気ない仕草で取り上げられてしまった着替えが入った袋。こういう紳士な所は出逢った頃からずっと変わらない。悟浄くんもそうですけど、八戒くんも私に甘すぎると思うんですよねぇ…それを嫌だ、と思ったことはありませんが子供でもないので気恥ずかしいんです。甘やかされるのって。
だからなるべくやんわりと断るようにしているんですけど、甘えなさすぎ・頼らなすぎと言われてしまうこともしばしば。そうすると今度は、形式的に了承を得る声をかけてはくれるんですけど、どっちかと言うと…拒否権がないような言い方なんです。…こんなに優しくされて、私は2人に何か返せているのでしょうか。
歩きながら考え事に没頭してしまったらしく、八戒くんに腕を引かれるまで私は全く気が付いていませんでした。食堂を通り過ぎてしまうことに。
「ご、ごめんなさいボーッとしてました…!」
「大丈夫。…さ、お腹空いたでしょう?食べましょうか」
食堂に入ると三蔵様達が座っているテーブルには、所狭しとたくさんの料理が並んでいました。エビチリに酢豚に麻婆豆腐、それから炒飯に餃子に焼売に小籠包…その他諸々。うわぁ、どれもとても美味しそう!それに缶詰以外のご飯は久しぶりで、待ちきれなかったのか悟空と私のお腹がぐう〜と盛大な音を立てました。
わわわ、…これは恥ずかしすぎて穴に埋まりたい気分!仏頂面が常の三蔵様でさえ、肩を震わせて笑ってらっしゃいます。ああもう本当にどうしてこんな時に鳴るの!もう少し空気を読んで、私のお腹……いや、空気を読んだ結果、鳴ったのか。間違ってはいない気がしますね。
私以外の方々の笑いが治まった頃に始まった食事。案の定、悟空と悟浄くんは食事を取り合っていらっしゃいます…何処に行っても変わらない人達だこと。まぁ、外で食べるからと言って大人しくなるような人達ではないことはわかってるし、今更恥ずかしいなあとか思わないですけど。
「香鈴、お皿貸してください。麻婆豆腐好きでしたよね?」
「はい。…あ、それならそっちの春巻きも欲しいです」
「言いやがったなC級エロ河童!!」
「ンだとコラクソチビ猿!!」
「2人共、その辺にしないと―――」
―――パパンッ
「静かに食え静かに!!!」
「三蔵様のハリセンが、…ってもう遅かったですね」
仕方ないか。三蔵様はものすっごく短気な御方ですもの、そう待ってはいられないですよねぇ。
八戒くんに取って頂いた麻婆豆腐と春巻きに舌鼓を打っていると、お盆を持って控えていた女の子―――朋茗ちゃんがクスクスと楽しそうに笑っていた。騒がしくてごめんなさいね、と声をかければ、そんなことないですと首を振ってくれたけれど。
「ちょっとだけ、変な人達だなぁとは思いましたけど」
「ふふ、そうね。その認識で間違っていないわ」
「おうお客さん達!朋茗を助けてくれた礼だ、どんどん食ってくれ」
「お父さん」
この人が朋茗ちゃんのお父さん…とても物腰が柔らかくて、優しそうな人。素敵な親子ですね。
「恩にきます」
「多分、食べすぎちゃってると思います…」
「いやぁ、なんの。―――ところでお客さん達、東から来たんだってね」
朋茗ちゃんのお父さんの言葉に頷くと、彼女が珍しい、と声を弾ませた。何のことだろう、と思っていたのだけれど、どうやら私達が通ってきた東の砂漠はとても物騒で、あんまり通る人はいないんですって。…ああ、そういえば妖怪は多かったけれど、人間の姿はほとんど見かけなかったかもしれない…あれってそういう理由だったんですね。
よく無事でしたね、という彼女の感嘆の声に悟空以外のメンバー(私含め)はぎくり、と体を僅かに震わせた。うん、まぁ当然の反応ですよね…まさか片っ端からブッ倒してきましたー、と言うわけにもいきませんし…。
「特に最近すっごく狂暴な5人組の妖怪が出没するってウワサですよ。彼らの通った跡には妖怪の屍の山ができるって」
同種争いで人間には被害ないみたいですけど。
更に続いた彼女の言葉には、もう乾いた笑いでそうなんだー、としか言う他ありません。だって、そのうちの1人が人間で、しかも最高僧である三蔵法師様だなんて言えるわけもありませんし。
…というか、そんなウワサいつの間に立っていたんでしょう。しかも人間の間で。そこまで言われる程に妖怪を倒した覚えもないのだけれど…だって屍の山ができる、って相当よ?
「へー、でもそれってまるで俺らのことみた―――」
―――がごっ!!
「ああスマン、今お前の頭にハエがいたんだ」
「惜しーな、逃げられたか」
「仕方ないですよ、すばしっこいですから」
「気にしないでくださいね」
八戒くんのフォローに少しの間、訝しげな顔をしていた朋茗ちゃんだけれど、その後に続いた三蔵様の言葉で意識を逸らしてくれたみたいです。…良かった、変な詮索されなくて。上手く誤魔化せたとも思ってはいませんが。
「ところでこの界隈での妖怪の動向はどうなってるんだ?」
「…どうもこうもないがね。ちょっと前まではこの町にも妖怪が普通に生活してたさ」
ご主人はグッと悲しそうに眉を寄せた。その顔を見ればどんなことがこの町で起きたのか、容易に想像がつきます。
ある日を境に妖怪達は皆、何処かへ消えてしまったそうです。その際、町の人間が10人程犠牲になり、妖怪に喰われてしまった、と。
それは旅に出る前、三蔵様から聞かされていた他の町の状況と何ら変わりなかった。やっぱり、この『異変』というのは桃源郷全域に広まっていると見て間違いないのかもしれません。
ただでさえ、人間は妖怪に恐怖心を抱いている人だって少なくないのに、そこへ狂暴化した妖怪に襲われたとあれば―――さらに強い恐怖を植え付けて、バランスの崩壊に拍車をかけていくことになるでしょう。正に、悪循環…と言った所でしょうか。
「―――私、妖怪なんて嫌い」
「朋茗ちゃん?」
「だって人間食べるのよ?!ただの化け物じゃない!人間と妖怪が一緒に暮らすなんて無理よッ町の皆もそう言ってる!」
彼女の悲痛な声が食堂に響き渡る。
ご主人曰く、朋茗ちゃんのお友達が妖怪に喰われてしまった被害者の1人だったらしい。…そっか…だからこの子はこんなにも、妖怪に嫌悪感を抱いているんですね。大切な人を奪われてしまったら、憎みたくもなりますよね。
薄らと涙を浮かべる朋茗ちゃんの顔を見て、奥深くに仕舞い込んだ記憶がズキリ、と痛んだような気がした。
「…さてとごちそうさまでした。この料理、朋茗さんが作って下さったんですね?」
「あ…はい」
「えっマジで?!すげーじゃん!!こんなウマイ物久々に食ったよ俺。香鈴のメシもしばらく食ってないし」
「でも朋茗ちゃんの方が上手だと思いますよ。エビチリとか教わりたいくらい」
「そっ…そのくらい、全然いくらでも…!」
「本当?そしたら後でお話ししましょう」
「メシ、さんきゅなッ」
「…あ、…ありがとう…」
エビチリと小籠包のレシピを教えてもらってから八戒くんの部屋を訪ねると、三蔵様は椅子に座って何か考え事。他の3人はベッドに腰掛けて、カードゲームをしているみたい。コーヒーの準備をしながらゲームの成り行きを見守っていると、どうやら八戒くんの勝ちみたいですね。
いつものことだ。八戒くんは賭け事に滅法強いから。悟浄くんだって負けないくらいに強いはずなんだけど、彼には一度も勝ったことがないんだって前にぼやいていたことがありましたっけ。
人数分のコーヒーを淹れて三蔵様に声をかけてみるけれど、珍しくボーッとしてしまっているらしく聞こえてないようだ。もう一度だけ三蔵様、と声をかけるとようやく気が付いてくださいました。
「…あ?」
「コーヒー淹れましたけど、お飲みになりますか?」
「ああ、さんきゅ」
「…それにしても先程の話からすると、人間達は妖怪の存在にかなりの不信感を抱いてしまっていますね」
八戒くんの言う通りだ。ご主人の様子からすると、異変が桃源郷全域を覆い尽くす前はきっと人間と妖怪の関係は上手くいっていたんだと思う。…けど、一度生まれてしまった溝はそう簡単に埋まることはないのでしょう…だって朋茗ちゃんは、死ぬまでずっと妖怪のことを許すことはないと思うから。
ほとんどの人間はこの妖怪の狂暴化の原因を知らない。知る由もないのだから当然のことだろうけれど、そんな人間達からすれば妖怪が本性を現したようにしか見えないものね。
「理解しろっつっても無理な話だろうがよ」
「否定はできませんね…悟浄くんの言葉」
「悟浄はともかく…僕と香鈴と悟空はこの妖力制御装置がないと町を歩けませんね」
歩いたら最後。きっと命を狙われて、地の果てまでも追いかけられるのでしょうね。…まぁ、今だって妖怪に追い掛け回されてはいるのだけど。
吐き出しそうになった溜息を飲み込むようにコーヒーを啜っていると、もう大分遅い時間帯なのに外がザワザワと騒がしくなってきましたね。窓から覗いてみるとたくさんの人間、…がそこにはいました。
団体客のようですね。何でも、さっき団体客の予約があったそうな。
「旅の一座だとよ」
「…それってどんなことをするんですか?」
「ほら、長安のお祭りで大道芸を見たじゃないですか。あんな感じです」
「へぇ…」
「ひょー、踊り子の姉ちゃん達イケてんじゃん。俺のベッドでも踊ってもらうか」
いつも通りの悟浄くんの言葉に私は溜息、八戒くんはどこからともなく取り出したホイッスルを吹いて「教育的指導。」と、これまた良い笑顔で言い放った。確かにあのお姉様方はスタイル抜群ですし、綺麗な方々ですけどね…せめて私がいない所で言ってくれないものでしょうか。
慣れちゃったから今更、気にもしませんけど。
―――それにしても、…あの団体さん方。なーんかおかしい気がするんだけど、どうしてでしょう?男性達の頭に巻かれた布が、どことなく不自然な気がしているのだけど。ううん、でも私の勘違いかもしれないし…しばらく様子見、というのが一番いい形かしら。
「…で今夜どーすんの?団体客が入ったから個室余ってるって朋茗が言ってたぜ」
「そうなんだ?」
「ああ。俺達はいつ何時、妖怪の不意打ちを食らうかわからん。なるべく寝食共にするのが得策だな」
まぁ、そうですよね。バラバラに部屋を取ってしまったら危険ですし。
「―――と言いたい所だが、宿屋に来てまで野郎の寝顔は見たくない。解散!!」
「自分に正直なのはいいことだと思いますけど、…それ私も入ってるんですかね…」
「それはないと思いますけど、貴方は個室でないとダメですよ?」
「あまり気にしませんけどね?…とりあえず、おやすみなさい八戒くん」
「ええ、おやすみなさい。香鈴」
割り振られた部屋のベッドに倒れ込むように寝転がれば、思っていた以上に体は疲れていたらしい。私はあっという間に夢の世界へと旅立っていった。
この後―――何が起きるかなんて、わかるはずもないまま。