哀しい瞳


私は寝起きがあまり良くありません。決して早起きが苦手というわけではないんですけれど、どうにも頭がスッキリするまで時間がかかってしまうんですよねぇ。それは旅に出るようになってからも変わっていないんですけど、今日は何故かスッキリと目が覚めてしまいました。
ふわ、と欠伸をしながら体を起こすと、すでに起きていたらしい旬麗さんが着替えている所だった。私が起きたのを気配で察したらしい彼女は、朝だというのにとても綺麗な笑みを浮かべておはようございます、と声を掛けて下さって。だから私もつられて笑顔で挨拶を返したんです。

朝食の前に洗濯へ行ってきます、と出かけていった旬麗さんを見送って、私はその間に朝食を作ることにしました。昨日はお昼も夕食もごちそうになってしまいましたし、お手伝いできたのも洗濯物を干すのと夕食の片付けだけでしたから…泊めて頂いたお礼も兼ねて、朝食くらい手伝わせてくださいって申し出たんですよ。
それを聞いた旬麗さんは申し訳ないから、と眉をハの字にしていらっしゃいましたけど、申し訳ないのはこちらだからこのくらいさせて、と引き下がらずにいたら折れてくれたんです。…半ば、強引だったような気もしますけどね。

冷蔵庫を開けさせてもらって何があるのか確認をすると、卵とベーコンを発見。これでベーコンエッグを作って、使いかけの野菜も拝借して野菜のコンソメスープでも作りましょうか。それにパンを焼けば朝食としては十分ですよね。本当はサラダも作りたい所ですけど、食材を使い切ってしまうのも良くありませんから。
作るメニューをざっと決めて、まずは野菜スープを作ろうと野菜を取り出していたら慌てた様子の半おばさんが飛び込んできました。こんな朝早くにどうしたのでしょう…この慌てっぷりは、尋常ではありませんよね?


「えっと、…おはようございます?」
「ああ、おはよう。旬麗は?!」
「さっき洗濯をしに行くと出て行かれましたけど…どうかなさったんですか?」
「村のウワサ話を聞いちまったみたいで、これを残して何処かに行っちまったんだ!」


半おばさんがテーブルの上に置いたのは、服が入った洗濯カゴ。旬麗さんが昨日会った時も持っていて、さっき出て行った時も持っていたものだ。それが家のすぐ近くに落ちていたんだ、と教えてくれました。もしかしたら何者かに連れ去られたのかもしれない、と思ったけど、半おばさんによればウワサ話をしていた村の人達がどこかへ走っていく旬麗さんを見たってこと。
そのウワサ話というのは、昨晩西の森に現れて人間を襲った妖怪が―――旬麗さんの恋人・慈燕さんによく似ていたそうなんです。
…これはもしかしなくても、彼女は1人でその森へ向かってしまったんですね。人間を襲った妖怪が慈燕さんだとしても、違う妖怪だったとしても、1人で向かうなんて危険すぎる。


「あの子達はまだ寝てんのかい?」
「まだ早い時間ですから。半おばさん、申し訳ないんですけど彼らを起こして事情を説明してくださいませんか?」
「それはもちろんいいけど、…アンタはどうするんだい?」
「私は先に森へ行っています!旬麗さん1人で森へ、なんて危険すぎますもの」


お願いします、と頭を下げて私も森へと駆け出した。彼女が出て行ってからそんなに時間は経っていないし、女性の足だもの…まだそこまで遠くまでは行っていないはず。急いで追いかければ、妖怪と出くわしてしまう前に捕まえることが出来るはず。

森の中程へ入った所で一度立ち止まり、目を閉じる。そして意識を集中させれば、目の前に広がる場所ではない映像が脳裏に少しずつ広がっていく。…何処、何処にいるの?旬麗さん。映る映像は深い森ばかりで人の姿が見当たらない、もしかしてもう妖怪に―――嫌な予感が胸に過った時、後ろから車の音が聞こえた。それと一緒に私の名を呼ぶ、聞き慣れた声も。


「っ皆さん!」
「たく、なーに1人で先に行っちゃってんのよ香ちゃん」
「何してやがんだバカ女が!」
「だ、だって…」
「女性1人じゃ危険、というのは貴方にも当てはまるんですよ?」
「おばちゃんに聞いた時はビビったぞ」


ご、ごめんなさい…?
何故か皆さんにお叱りを受けてしまって、よくわからないまま謝罪の言葉を口にすれば納得されたのか、二手に分かれて旬麗さんを捜すことにしました。私は八戒くんと悟浄くんと一緒に。
千里眼で視てみたけれど、まだ見つけられていないんです、とポツリと零せば、大丈夫、きっと無事ですよと優しい八戒くんの声が耳に届く。


「…そうだ、悟浄。すみませんでした、お兄さんのこと皆に話してしまって」
「ああ、いーって別に」
「悟空スネてましたよ。秘密事とか極端に嫌いますからね」
「ふふ、悟空らしいです」
「チッおせっかいな奴。他人のことなんざほっとけっつーの、なぁ?」


悟浄くんの言葉にピクリ、と八戒くんと私が反応した。


「そういう言い方しちゃうと、…怒っちゃいますよ?」
「ガキだかんなぁ、悟空は」
「―――いいえ。僕が、です」
「私も、怒ります。何せ私も八戒くんもガキですから。ね?」
「はい」


いけませんか?と2人で首を傾げれば、居心地悪そうに悟浄くんは言葉を探しているように見えた。彼が口を開こうとした瞬間、静かな森の中に女性の叫び声が響き渡った。
今の声は…旬麗さん?!急いで千里眼で視てみれば、ようやく見つけることが出来た…その途中にジープも視えたし、声が聞こえた方角からしてもジープを置いてきた方で間違いない。
2人に目で合図をして走り出した。先頭を走るのは悟浄くん―――その先に妖怪の姿が見えた、と思った瞬間にはもう彼が蹴りを繰り出していました。だけど、その更に向こう側には悟空も蹴りを繰り出している姿も見えて、あ。と思った瞬間には、2人―――いや、妖怪を含めた3人は地面に転がっていたのです。まぁ、あの勢いで突っ込んでいったらああなるのは目に見えますよねぇ。
八戒くんは楽しそうに「今のがクロスカウンターってやつですね!」って言ってますけど、多分、というか確実に違うと思います。


「旬麗さん!怪我とかないですか?!」
「はい、大丈夫です」
「あんたの恋人じゃないんだな?」
「ええ…背格好はよく似ているけど違います」


旬麗さんが慈燕さんの所在を知らないか、と聞いているけれど、この辺りで銀髪の妖怪は2人分の蹴りを食らった彼だけらしい。それを聞いた旬麗さんは気が緩んでしまったらしくふらり、と倒れ込んでしまった…無理もないですよね、こんな森の奥深くまで走ってきたんですもの。
彼女を八戒くんにジープに運んでもらって、私達はそのまま帰ろうとした。この妖怪達は私達のことを全く知らなかったから紅孩児さんの刺客でないのは明白だし、それに―――悟浄くんが今日は人殺しする気分じゃない、と言い放ったから。本当ならここで倒してしまった方がいいんだろうけれど、それで皆さんが納得しているならいいかしら…人助けをして回っているわけでもないですしね。一応。


「―――おい、ちょっと待て!あの赤毛の男…」
「赤毛…(悟浄くんの、こと?)」
「俺、昔聞いたことあるぜ。人間と妖怪の間にできた禁忌の子供は、深紅の瞳と髪を持って生まれるってな」
「―――何だ。じゃあアイツ、出来そこないじゃねぇかッ」


…ああ、その言葉だけは頂けませんねぇ。
言ってはいけない言葉を発した彼らに向けて、一発―――発砲した。それと同時に他の3人もそれぞれ動いて、内心笑みを浮かべている私がいる。


「ホラ、「口は災いの元」ってよく言いますよねぇ?」
「彼を出来そこないって言い切るアンタ達は、どれだけ完璧なのかしら?私からすれば―――平気でそんなことを言えるアンタ達の方がよっぽど出来そこないだと思いますけど。それに、」
「続きが言いたきゃあの世でどうぞ」


本当ならこの場で八つ裂きにしてあげても良かったんですけど、三蔵様の「詫びるくらいなら最初っから言わなきゃいーんだよ、バァーカ」って言葉を合図に八戒くんも悟空も、妖怪から手を離したので私も握っていた拳銃をホルスターにしまわざるを得ない。…うん、でも少しはスッキリしたかしら。


「…変な奴らだよ、お前ら」
「ふふ、そんなの―――今更じゃありません?」
「ま、そーだよな」


さあ、今度こそおばさんの待つ旬麗さんの家に帰ろうと足を進めた瞬間。まーだ諦めていなかった妖怪達が刃物を片手に飛びかかってきました。背中を向けている今なら勝てる、とでも思ったんでしょうねぇ。…無駄だと思いますけど?


「何、そんなに興味あんの?アソコの毛の色」

―――ザシュッ

「ま、確かめられんのは「イイ女」だけだけどな。…香ちゃんみたいな」
「あら、光栄だわ。…でもそれ、セクハラで訴えちゃいますよ?」
「きししっちゃんと黒いよな、黒!風呂場で見たもんね、オレ」
「言うな!」


はー…全く、朝っぱらから何て話してるんでしょ。私達ってば。


村まで旬麗さんを送り届けた後、私達はすぐに出発することにしました。おばさんに旬麗さんが目覚めるまでは、って止められたけど、先を急ぐからごめんなさいとお断りさせて頂いたんです。心配ではあったし、ちゃんとお礼やさよならを言いたい気持ちはあったんですけどね。

『俺達は桃源郷の異変の原因を突き止める為に旅してんだ。―――だから近いうちに必ずさ、コイビトは旬麗の元へ帰ってくるって伝えといてくれよ』

この言葉を、いまだ眠ったままの彼女に伝えてほしいと託して。


「ふーん。じゃあ今回は悟浄の兄貴とは別人だったんだ」
「多分な…兄貴は銀髪じゃねぇし…―――ま、イイってことよ。お互い生きてりゃその内どっかでスレ違うくらいはするだろ」


彼のその言葉に、私と八戒くんは静かに口角を上げた。


「…しっかしアレだな、フリーのイイ女はなかなかいねぇよ」
「え?香鈴は?」
「香ちゃんさえその気になってくれりゃあ、ごじょさんはいつだってOKだけど―――…」


お前が夢中なの、俺じゃないっしょ?
私にだけ聞こえるように紡がれた言葉に首を傾げるけれど、悟浄くんは楽しげに笑うだけで言葉の意味や真意を教えてくれない。それどころか下らない、と呟いた三蔵様にホモなの?って命知らずな発言をし出す始末。…彼は、私が誰に夢中になっていると言ったんだろう。


「あはは、三蔵、4〜5発悟浄に撃ち込んで構いませんよ」
「おい、八戒!!」
「―――…あら?このトランプなぁに?」


座席の隙間に挟まっていたのは1枚のトランプ。昨日のあの騒ぎの時に落ちたのかも、と思ったけど、こんな所に挟まったりしないですよね?普通。何となしにそのトランプを指で遊んでいれば、それを見た悟空が「昨日のトランプ!」と叫んで悟浄くんに突っかかっています。…私を挟んで。
あの時は半分眠っていたからよく覚えていないけど、悟空と悟浄くんはカードゲームをしていたんでしたっけ。そういえば何やら揉めていたような記憶が薄ら残ってる、イカサマした時のカードを私が見つけてしまった…ということかしら。もしかしなくても。うん、八戒くんに三蔵様、何だかごめんなさい。半分私のせいで騒がしくしてしまったし。
いまだ私を挟んだ状態で暴れている2人に溜息を1つ。その次の瞬間、ぐらりと車体が傾き始めました。あの、ものすっごーく嫌な予感がするんですけど!


「ちょ、」
「ああっ?!」
「オイ、まさか」

―――ドボンッ!
―――バシャンッ

「だああッ!」
「〜〜〜っ悟空!悟浄くん!!」
「やっぱり撃つ!!」


ああもう、どうするんですか。もう夕方ですし、今日は野宿の予定だというのに…。びしょ濡れのまま川から這い上がれば、1つだけ川に落ちていない荷物があった。どうやら揉み合っているうちにジープから落ちたようですね…他の荷物は全滅ですけど。
せっかく旬麗さんが綺麗に洗濯してくれたのに、これじゃあ台無しじゃないですか。でももうあの村に戻ることは出来ないし、この状態でどうにか耐えるしかありませんね。地図を見る限りだと、明日には次の町に着けそうですし。一晩だけ何とか凌げれば。
ひとまず、無事な荷物が何なのか確認してみないと…カバンを開けてみれば、それは八戒くんのものだったらしく、彼の着替えと数枚のタオルが入っていました。


「八戒くん、貴方の荷物は無事だったみたいなので着替えてください」
「え?…ああ、本当だ。タオルもありますし、助かりましたね」
「ええ。…三蔵様、悟空、悟浄くん!これで体とか髪とか拭いてください」


あとは薪を拾ってきてたき火を起こさないいけませんね。八戒くんはともかく、他の3人は上だけでも服を脱いでもらわないと余計に体が冷えてしまいますし、他の服がダメなら今着ているものだけでも乾かさないとさすがにマズイですもの。
3人にタオルを渡し、八戒くんには着替えるように言ってから森の奥へたき火に使う薪を集めに行こうと歩を進めたら、八戒くんに止められました。それもにっこり笑顔だったので、何だか嫌な予感。


「何処に行くんですか?香鈴」
「薪を拾いに…たき火を起こさないと寒いでしょう?」
「それはそうですが、貴方、今の自分の状況わかってます?」


そう言われてはた、と気が付いた。服はびしょ濡れで透けていることに。
自覚した途端に恥ずかしくなってきて、顔に一気に熱が集まってきたからきっと、今真っ赤な顔してると思います…!


「うう…」
「僕の服貸しますから、あの岩陰で着替えてきてください。風邪、ひいちゃいますよ?」


優しく諭されて、渡されたタオルとシャツを手に岩陰へと素早く身を隠した。後ろでは皆さんが何かを話している声が聞こえる、そのうちにガサガサと茂みを掻き分けるような音が聞こえ始めたから誰かが森の奥へと入っていったことが窺える。
濡れて体にまとわりつくシャツをようやく脱ぎ捨ててタオルで水気を吸い取っていく。髪は…着替えてから拭けばいいか、先に何か着ないと寒いし、下手すると痴女だと思われてしまいそうだし。借りたシャツに手を通せば、案の定サイズが合わなくてワンピースみたいになってしまいましたけど。でもさっきの服を着たままでいるより、いいですよね…寒くもないし。
岩にかけておいたタオルで髪を拭いていると、向こう側に誰かが寄りかかったような気配がした。


「―――香ちゃん」
「…悟浄くん?」
「俺さ、兄貴に罪悪感みたいなモンがあったんだと思う」


自分なんかの命と引き換えに母殺しの罪を背負い、姿を消したお兄さんに。だから会ったら謝るべきか、とか色々考えていたみたいです。だけど、それはやっぱりヤメた、と。


「伝えたいのは謝罪でも感謝でもねーや。―――ただ、ありのままを胸をはって」

俺が今こうして生きてるっつーこと。

「…そうですか」
「おう。そう思えるようになったの、香ちゃんのおかげだからさ。…さんきゅ」
「いいえ、私は何もしていませんよ」


それに気が付くことが出来たのは、悟浄くん自身。だから私は何もしていないのと一緒なんですよ?
そう言いながら岩陰から姿を現せば、彼は目を丸くしていらっしゃいました。私の姿を見て。一体、どうしたんでしょう?濡れていた服は脱いで着替えたから透けてはいないはずですし、変な所も…ないはずですよね?鏡がないから確認することは出来ませんけど。
どうしたんですか、と聞いてみても反応が返ってこないので、顔を覗き込んでみれば若干、顔を赤くしている彼。…あら?こんな反応、初めて見たかもしれません。


「どうしたんですか?悟浄くん」
「香ちゃんさ、…誘ってんの?ソレ」
「は?」


彼の手が私の頬に振れそうな所まで伸ばされた所で、低い声で悟浄くんの名を呼ぶ八戒くんの声が聞こえた。


「は、はっかい…?」
「何処に行ったのかと思えば…着替えている女性の元へ行くなんてセクハラ所の騒ぎじゃありませんよ」


ほら、貴方も薪を集めてきてください。たき火分と夕食を作る分、たくさん必要なんですから。
にっこり笑顔を浮かべてはいるものの、雰囲気はとげとげしくてちょっと怖いです…それを悟浄くんも察したのか何も文句を言わずに森の奥へと消えていきました。上半身裸ですけど、大丈夫でしょうか。寒さもそうですけど、人に会った時に変質者だと勘違いされてしまいそうだ。


「…何もされていませんか?」
「へ?あ、はい…というか、悟浄くんはそんな人じゃないですよ?」
「香鈴は―――少し危機感というものを持つべきだ」
「え?」


―――トン、

すぐ後ろにあった岩に背中がぶつかったと思ったら、顔の両側に彼の腕が置かれて逃げ道を塞がれてしまう。何度か間近で八戒くんの顔を見たことはあるけれど、やっぱりドキドキしてしまう。


「あ、の、…はっかいく、」
「僕達だって皆、男なんです。力では貴方は絶対に僕達に敵いませんし、こうされることだって―――可能性はゼロじゃないんですよ」


そう言って私を見下ろしてくる翡翠の瞳は、どこまでも優しい光を灯しているのに何故か哀しそうに見えたんです。
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