命短し、恋せよ乙女。


部屋を押さえた後。食べ損ねたお昼ご飯分も取り返すかのような悟空の食欲に苦笑しながら夕食を終え、皆さんは宛がわれた部屋へ。私はそのままお風呂へ入ろう、と大浴場へ。
埃に塗れてしまった体や髪を綺麗にして大浴場を後にすると、途中にある喫煙所で煙草を吸っている悟浄くんを発見。あら?でも今回の部屋、別に禁煙じゃなかったわよね?それとも悟空のことを気にして、…それはないか、ジープに乗っている時は気にせず吸っているものね。


「悟浄くん、どうしたんですか?」
「んー?香ちゃん待ってた。…って言ったら、ときめいてくれる?」
「ふふ、相変わらず口が上手いのね」


クスクスと笑いながら冷たい飲み物を買っていたら、冗談じゃねーんだけどなって不貞腐れる声。


「でも待ってたのはホント。ちょっと元気なかったろ」
「え?」
「八戒とあのおねーちゃんが対峙してんの見た後から、ずっと」


その言葉に心底驚いて、悟浄くんの顔を凝視してしまった。余程、驚いた顔をしていたのか、私の顔を見て悟浄くんは図星だな、と笑う。でもすぐにその笑みは消えて、心配そうな表情になって…ああ、心配をかけてしまっていたのかと申し訳なくなってしまいますね。
…彼なら、胸の中に渦巻くよくわからない気持ちの名前を―――答えてくれるでしょうか。


「あの時の八戒くんは…誰を、見ていたのでしょうか」
「…おねーちゃんが自害しようとした時?」
「はい。あの時の彼を見て、どこか遠くへ行ってしまうような気がして怖かったんです。失って、しまうような気がして…」


明らかに彼女を見ていたわけではなかった。彼女のあの姿を通して、別の人を見ていたんです。
それがとてつもなく嫌だった、私の知らない八戒くんを見ている気がして。彼にあんな顔をさせる見知らぬ誰かを憎い、と思ってしまった。あの女性に優しくしているのを見た時よりずっと、嫌な気持ちになったの。


「香ちゃんはさ、八戒が好き?」
「え?ええ、もちろん…悟浄くんのことも、悟空のことも、三蔵様のことも好きですけど」
「それは光栄だな。…けどさ、俺達に恋人ができたとしたらどー思う?」


八戒以外の3人で考えてな?
そう言われて考えてみたけれど、3人に大切な女性ができたとしたら心から祝福したいって思います。だってとてもおめでたいことですもの、一緒に喜びたいって思いますわ。素直に答えれば、八戒くんの時みたいに嫌な気持ちになるかって聞かれちゃいました…けど、そうは思わなかったんですよね。ただ嬉しい、って思うだけで、お祝いしてあげたいって思うだけだった。


「嫌だなんて、少しも思いません」
「んじゃ、それが答えじゃね?」
「こ、たえ…?」
「そ。香ちゃんが八戒に抱いてる好きっつーのは、俺達に向けてるのとは違う…特別な気持ちってことだ」


だから別の女に優しくしてる姿なんて見たくないって思うんだろーし、アイツを失いたくないって思うんだろ。
失いたくないのも、失うのが怖いと思うのは悟浄くん達も一緒ですが、…でもきっと、八戒くんを失うことはそれ以上に怖いのかもしれません。だからあんなにも必死に縋りついて、引き止めようとしてしまった―――何処かに行ってしまうなんてこと、なかったはずなのに。

ずっと、ずぅっとわからなかったんです。八戒くんに触れるとドキドキすること、一緒にいられることが楽しくて嬉しくて仕方ないこと、ずっと傍にいたいって思ったこと、ずっと傍にいてほしいと思ったこと…そして、彼のことを考えると胸に甘い痛みが走ること。
だけど今、悟浄くんとお話していてようやくわかりました…私は―――


「恋を、していたんですね」


ボソリ、と呟いた言葉は反発することなく、胸の中にストンと落ちた。つっかえていたものが落ちたような気がして、何だか心が軽くなったような気さえします。ただ自分の心の中にある彼への想いを認めただけなのに、それだけでこんなにも楽になるものなのだろうか。
初めての気持ちに戸惑ってはいるし、気恥ずかしくはあるけれど、でもきっと何も変わらないし変えるつもりもない…そう思っているからこそ、こんなにもすんなり認められたのかもしれませんね。だって私達は三仏神様の命を受けて旅をしている最中ですし、何より想い人である八戒くんの心の中には大切な誰かが眠っているんですもの。そんな人にしている恋なんて、行きつく先は決まっているじゃない。


「だからって全部を諦める必要はねぇと思うけどなーごじょさんは」
「…いいんですよ。この恋が実ることがなくたって、この旅が終わるまでは傍にいられるんですから」


誰よりも近くにいられるんだから、それ以上のことなんて望まない。―――いえ、望んではいけないと思うんです。今の幸せ以上のことを、罪と血で汚れきった私は。
本当ならば、今の幸せだって私にはもったいなさすぎるくらいなんですから。


「んー!でもこの気持ちがわかっただけでもスッキリしました。ありがとう、悟浄くん」
「いーや。女の子には優しく、がモットーだしな。それに香ちゃんが元気ねーと嫌なんだわ、俺」
「ふふっ相変わらず優しいですね、貴方は」





話が済んだ所で部屋へ戻ってきたのだけれど、どうにもドアを開けにくい…!僅かに聞こえる2人の会話にドアノブにかけた手を止め、その場に立ち尽くす。…このまま此処にいたら盗み聞きになってしまうのはわかっているのだけれど、何だか開ける勇気もなくって。
でもそれ以上に、私の知らない八戒くんの過去が―――少しだけ、気になってしまったのかもしれない。


「―――ちょっと色々思い出しちゃったんで。別に忘れてたわけじゃないんですけどね」
「…八戒。お前がもし、あの時のことに復讐という形ででも決着つけたいと思っているなら、無理にこの旅に付き合うこともない。お前はお前の思う道を進めばいいんだ」


三蔵様の言葉に答える彼の言葉を聞きたくなくて、そっとドアを離れて壁に寄りかかって天井を仰いだ。ああもう、スッキリはしたけど…こうも彼の言葉や挙動に一喜一憂していたらダメじゃないですか。このままでは旅に支障が出てきてしまうだろうし、下手をすればこの気持ちが本人に伝わってしまうかもしれないのだ。それだけはどんな手段を使ってでも避けなくてはいけないことですよね。
この旅には必要のない感情であるのだから、自覚してしまった以上、溢れ出してしまわぬように蓋をしてしまわなければならない。少しの漏れもないよう、きつく、きつく。大丈夫、心を偽ることは慣れているもの…彼への想いに蓋をすることなんて容易いわ。

覚悟を新たにして閉じていた目を開ければ、悟浄くんと悟空がすごい勢いで私達の部屋に入っていくのが見えた。…一体、何があったんでしょうか。悟浄くんが部屋に戻ってそんなに時間が経っていないはずなんですが。
そっと部屋の中を覗いてみれば、悟浄くんが悟空の足の裏に落書きをしたとか、悟空の鼾がうるさくて眠れないだとか騒いでいらっしゃいました。
あーあ…そろそろ三蔵様の雷が落ちるんじゃないでしょうか。昼間にたくさんお酒を飲まれて体調もよろしくないでしょうし、時折、こめかみを押さえていらっしゃったから頭痛もしているんだと思うんです。所謂、二日酔いですね。…あ、やっぱり二日酔いに響くって仰ってますね。でも叫んだら余計に頭に響くと思いますよー?


「香鈴、戻ってきてたんですね。温まりましたか?」
「はい。のんびり浸かってきました」
「…俺も風呂に行ってくる」


悟浄くんと悟空を蹴り飛ばして部屋の外に出し、三蔵様もそのまま大浴場へ行ってくると部屋を出て行ってしまいました。つまり、部屋の中には私と八戒くんの2人しかいないということになるんですが…気にしないようにしよう、と思えば思うほど、ドキドキしちゃって意識しちゃうんですけど?!
あああ、自覚する前もドキドキして大変だったのに、自覚しちゃったらしちゃったでドキドキ具合が半端なくなってしまいました…!さっきの覚悟がガラガラと音を立てて崩れていってしまいそうで、危ない。


「は、八戒くんもお風呂入ってきたら如何です?!気持ち良かったですよ」
「…ふ、そんなに勢いつけて言わなくても伝わりますよ。でも…そうですね、僕も行ってきます」
「いってらっしゃい」
「いってきます。待っていなくて構いませんから、眠くなったら寝てくださいね?」


頭をぽんぽん、と撫でて出て行く八戒くんの後ろ姿を見送り、ドアがパタンとしまった瞬間に私は顔を真っ赤にしてベッドへと倒れ込んだ。
だ、だって…!頭を撫でるのも、あんなに優しい顔で笑うのも反則だもの!


「これはちょっとマズイです…思っていた以上に、好きかもしれません」


呟いた言葉は闇に溶けた。
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