雷光と雨
―――ゴロゴロゴロ…
ああ、雷が鳴り始めちゃいました。少し前から空もどんより曇ってきてしまってますし、これは一雨きそうな気配がしますね。
ジープは屋根がないタイプの車ですし、雨が降ってきてしまう前に町へ着きたい所ですが…地図を見る限り、もう少し時間がかかるでしょうか。それまで天気がもってくれると有難いのだけれど、この空模様はなかなか難しいかもしれません。
悟浄くん達が宿か何かに着くまでに間に合うか賭けよう、とか仰ってますが、全員が「無理」な方に賭けてしまってるんですよね。それじゃあ賭けは成立しないと思うんですけど。
でも私も無理な方に賭けるかな、ともう一度、曇天を見上げる。…何だろう、さっきから異様な気配と変な―――何かを燃やした、焦げたようなニオイがする気がします。そのニオイには悟空も気が付いたみたいで、くん、と鼻を鳴らしている。一体何処から、と思っていたのだけれど、八戒くんが慌てた声を上げて急ブレーキをかけた。
「焦げたようなニオイの原因はコレ、ですね…」
「何だよコレ……」
進路の先に見えたのは体中に札が貼られ、息絶えた妖怪の死体だった。死体からは微かに煙が上がっていて、そこからさっきから感じていた変なニオイ―――焦げたようなニオイが立ち上っている。
一体、何がどうなっているんだろう…そしてこの札は、呪符?だとすれば、これをやったのはお坊様ということになるのでしょうか?妖怪を死に至らしめる力とすれば、法力という可能性が一番高いはずですよね。それにしても…札のみで妖怪を殺してしまうなんて、よっぽどの威力なんでしょう。
「香鈴?どうかしましたか?」
「え?あ、いえ―――何でも、ないです」
嫌な予感ばかりが胸を過る。でも漠然としすぎていて説明のしようがなくて、心配そうな顔でこっちを見ている八戒くんに曖昧な返事しか返すことができない。それでも深くは聞こうとはせず、降られる前に急いで町へ向かいましょう、とジープを発進させた。
さっきまでより僅かにスピードを上げたジープに乗ったまま、私はあの死体があった場所を振り返る。だけど何度見ても、何か手がかりが得られるはずもない…そっと溜息を吐いて前を向いた時、鼻先にピチョンと冷たいものが当たったような気がした。
「―――あ、」
「うわっ降ってきやがった!!」
可能な限り飛ばしてもらって、当初の予定より早く町に辿り着いたものの…その頃には雨も本降りと化していて、賭けていた通り、宿か何かに着くまで間に合わなかったですね。そして誰も間に合う方に賭けてはいらっしゃらなかったので、やっぱり賭ける意味は皆無だったなぁ。…ま、あの曇天具合で間に合うはずもないとは薄々とはわかってましたけど。
びしょ濡れにはなりましたけど、何とか宿を確保することはできました。さすがにこの大雨じゃ先に進むことも出来ませんし、野宿も不可能でしたから本当に空いていて助かりました。5人同室なので悟浄くんが少しだけ不満げな顔をしてましたけどね。
でも仕方ないんですよ、この間の紅孩児さんの一件で個人行動を控えろ、と三蔵様に言われたばかりなので。
「あ、光った光った」
「近いな、こりゃ」
「―――ほら悟空、ちゃんと乾かさないとダメですよ」
八戒くんが悟空の髪をわしゃわしゃ拭いてるの、何だか微笑ましいですねぇ。自分の髪を拭きながらほわん、と和んでいたら、宿屋のお姉さんが温かいお茶を持ってきてくれました。
お礼を言って湯呑みを受け取りながら世間話をしていると、どうやらこの雨はしばらく続くみたいです…うーん、思わぬ所で足止めを食ってしまいますが仕方ありませんね。
「―――ちょっと、此処に来る途中、妖怪の死体と大量に出くわしたんだが…?」
「ああ、それはきっと六道様だわ」
「「六道」…?」
「誰ソレ」
詳しく話を聞いてみると、最近この辺りで救世主とまで呼ばれているお坊様だそうです。妖怪を退治する為に各地を転々としているらしく、姿を見た方は少ないという。でも様々な噂は飛び交っているようで、身体中に札を張った大男で、彼の呪符にかかればいかなる妖怪も滅するという、凄まじい力を持った法力僧だという話のようですね。
…やっぱり、あんなことが出来るのはお坊様ですよね…それもすごい力を持っている。何もないと思いたいけど、運悪く目をつけられてしまったら面倒なことになってしまいそうな気がします。三蔵様はともかく、私達4人は妖怪だから。妖力制御装置をつけていて人間と何ら変わりない見た目をしているとはいえ、わかる人にはわかってしまいますしね…六道さんという方がお坊様なら、恐らく一発で見破られてしまうと思う。
「気になりますか?」
「あ、…八戒くん」
「はい、お茶冷めちゃいますよ」
「ありがとう。…何か、あの死体の山を見た時から胸騒ぎがして…気にしすぎだとは思うんですけどね」
温くなってしまったお茶を一口飲んで、いつの間にか詰めていたらしい息を吐き出した。
「警戒しすぎるのも疲れちゃいますが、全くしないのもアレですし…悟浄みたいに」
「あはは…いつものアレですか、こりないですねぇ悟浄くんも」
八戒くんが向けた視線の先には宿屋のお姉さんを口説く悟浄くんと、その行動を窘める三蔵様の姿があった。悟空は紅孩児さんの名前を聞いた途端、目をキラキラとさせて今度いつ来るのかな、とワクワクしちゃってるし。本当に気に入ってしまったんですねぇ、紅孩児さんの強さを。一応、彼らとは敵同士なんですが…あんな感じでいいのでしょうか?何だか友達みたいになっちゃってますけど。
あんな光景を見た後でもいつもと何ら変わりない様子の彼らを見て、少しだけ心が軽くなったような気がして笑みを零す。そして雨が上がるまではこの宿で休むことになり、私達は早めに就寝することになりました。
「―――ん、…」
どれくらい眠っていたのだろう。何故だかわからないけど、急に意識が覚醒してしまった。そっと目を開けてみると、部屋の中はまだ真っ暗で、朝まで時間があることを示していました。部屋の中が暗いのはきっと、降り続けている雨のせいもあるのだとは思いますが。
もぞり、と寝返りを打ってみると、隣のベッドで休んでいるはずの八戒くんの姿がなかった。トイレかな、と思ったのだけれど、捜し人は案外近くに―――窓際で、ぼんやりと雨が降りしきる外を眺めていました。
その横顔が、あの時見たものと酷似していて心臓がドクリ、と跳ねる。今にも何処かへいってしまいそうな、そんな不安が胸を過るんです。
「八戒、…くん」
「―――香鈴?…すみません、起こしてしまいましたか?」
「いいえ、自然に目が覚めてしまっただけです。…眠れないんですか?」
眠っている3人を起こしてしまわぬようにそっとベッドから降り、八戒くんの傍へと歩み寄る。こちらを向いた翡翠の瞳は優しげだったけれど、でもやっぱりどこか辛そうに見えます。もしかして雨が、苦手なんでしょうか?気になるし、心配だし、聞いてみたい…けど、今までそんな話を聞いたことがなかったから、言いたくないことなのかもしれませんよね…そう考えると聞いてみたくても、聞けない。
でもせめて、今だけでもその辛い気持ちを和らげることができるのなら―――微かな願いを込めて、私は八戒くんの隣へと腰を下ろした。彼も同じかはわからないけれど、私は辛い時に誰かが傍にいてくれるとホッとできるから。
「…雨の夜が、ダメなんです」
ざあざあと雨が降りしきる音だけが響く中、ポツリと漏らされた言葉。笑顔を浮かべてはいるけれど、何かを思い出しているのか時折、辛そうにその笑顔が歪む。そしてまた、遠くを見るんだ…その先に彼の大切な人が、いるのでしょうか。
…ああ、ダメだ。これ以上のことは何も望まない、と決めていたはずなのに、そんな顔をした八戒くんを目の当たりにしてしまうと決意が崩れていってしまいそう。此処にいない誰かを想わないで、私だけを見て…なんて、浅ましくて醜い感情が腹の底から湧き出てきてしまいそうで怖くなる。その感情を振り払うかのように緩く頭を振る。ただそれだけで消えてくれるわけではないけれど、でも何もしないよりかは頭がスッキリします。
きっと、彼の中には大切な人が眠ってる。それは間違いないことだと思うんです、だってそうでなきゃ―――あんな辛そうな顔、するわけないもの。
それが男性か女性かも、更に言えば恋人かどうかもわからないけれど、でも…私は八戒くんの心の中には入ることができない、ということだけはわかるんです。
「何か、温かい飲み物淹れますね。そうすればきっと、よく眠れると思います」
「すみません…」
「いいえ。少し待っていてくださいね」
部屋の中に簡易的な台所があって助かりましたね。料理は出来ませんけど、お茶を淹れるくらいならできますから。ええっと、眠れない時にコーヒーや紅茶、緑茶は良くないんですよね…本当はホットミルクやココアがいいんですけど、牛乳なんて買って―――あったな、そういえば。朝に飲みたいから、って宿屋の売店で悟空が買っていた記憶があります。
部屋の中に置いてある小さな冷蔵庫を開けてみれば、そこには私の記憶通り牛乳が入っていました。器具も少しはありましたから、これでホットミルクを作りましょうか。あとは蜂蜜が必要ですね、これは私の荷物の中にいれていたはず…あ、ありました。
そっとガスコンロに火をつけて牛乳を温めていると、魘されているような声が聞こえてきました。誰だろう、悟空と悟浄くんはぐっすり眠っているようだし、八戒くんは起きてる…ということは、
「三蔵様…?」
「のようですね、悪い夢でも見ているんでしょうか…」
あの魘され具合ですと起こして差し上げた方が良さそうですが、下手に近づくのもよろしくない気がします…ああいう時の人の精神状態ってあまり良くありませんから、三蔵様のような御方ですと銃を発砲しかねませんもの。このままにしておく、というのは気が引けてしまいますが、自然と目が覚めるのを待った方がいいかもしれませんね。
寝起きにホットミルクというのは些かおかしいとは思いますが、良くない夢を見ていらっしゃるなら少しは気持ちを落ち着けることができるはずですし…三蔵様の分も作っておきましょう。
「…大丈夫ですか?」
「八戒」
「ひどく魘されていましたよ。…どうぞ、少し甘めに作ってありますから落ち着くと思いますが」
「香鈴、…すまない」
「いいえ、八戒くんもどうぞ」
「ありがとうございます。…実は僕もダメなんです、雨の夜は」
「―――そうだったな」
ああ、そうか…三蔵様は知っていらっしゃるのですね。八戒くんの過去に何があったのか。
私は皆さんの過去は何も知らない。悟浄くんの過去は本人からお話して頂きましたけど、他の3人の過去は何一つ知らないんです。別に昔の彼らを知らなくても、今の彼らを知っていれば構わないと思ってはいますが…こういう時に何もできないのは、やっぱり嫌ですね。自分が無力なのは重々承知していますが。
牛乳を温めるのに使った器具を洗っていると、部屋の外から女性の叫び声が聞こえた。こんな真夜中に一体何があったんでしょうか…でも考えている暇はありませんよね。軽く身なりを整えて、私達は部屋の外へと飛び出した。それと同時に宿屋のお姉さんが助けて、と走ってきたので事情を伺ってみると、どうやら調理場に妖怪が出たみたいです。
―――バンッ
調理場の扉を開けば、薄暗いそこに広がっていたのは何かを喰らう不気味な音と、人間の臓物を口にする妖怪の姿。散々妖怪の死体を見てきましたから、このくらいで吐いたりしませんが…やっぱり気持ちは悪いです。
そしてゾッとする―――いつか、私もこうなるかもしれない未来を、思うと。
「調理場はなァモノ食う所じゃねェんだよ!!」
―――ドゴッ
「悟浄、後ろにも…!!」
「おらァ!!」
「はっ!」
―――ゴッ
―――ドサァ!
さて、このお行儀の悪い方達はどうするべきでしょうか。やっぱりこの場で殺してしまうのが一番いいのか、と考えていた時だった。後ろから、何かおぞましい殺気のようなものを感じたんです。
後ろを振り向くと同時に何かが腕を掠って飛んできた。その正体が何か、と考える間もなく、目の前にいた妖怪達が悲鳴を上げて倒れ込む。それと同時に昼間に感じた覚えのある変なニオイが辺りに充満して…倒れた妖怪達の体には札が貼りついていました。
…これはあの時に見た妖怪の死体にも、貼られていたもの…?
―――シャン!
「…我が名は六道。この世の妖怪は一匹残らず、俺が滅する」
雷光に照らされたのは、宿屋のお姉さんが教えてくれた―――六道様、と呼ばれていた人に間違いないでしょう。大柄で身体中に札を張っている、男性。
でも何なんでしょう、この悪しきオーラは。お坊様だと聞いていましたが、何だか…そんな風には見えません。この人は、一体…?