血濡れの雨
六道様、と呼ばれるお坊様が妖怪達を退治してくれた。それによって私達は何もすることがなくなったわけだけど、何だか嫌な感じです。でもわけのわからない嫌な感じのことを考えていても仕方がないですね、部屋に戻って休むことにしましょう…まだ夜更けですし、もう少しはゆっくり出来るはずですから。雨も止む気配がないですしね。
戻りましょう、と皆さんと一緒に調理場を出ようとした瞬間、首元に錫杖が突き付けられた。
「…何かご用ですか?」
「貴様ら人間か?」
「またずいぶんと不躾な質問ですね」
「俺の目は誤魔化せんぞ。貴様ら4人共、」
―――妖怪だな
「だったらどうだってゆーんだよッ!俺達は…」
悟空が反論しようとしたけれど、相手は全く聞く耳持たず。それどころか襲い掛かってくる始末だ。
「―――オン!」
真言と共に飛んでくる札。それを必死に避けるものの、狭い室内じゃあ思うように動けませんね…!
悟空が着地した先にいたのはお坊様。完全に後ろをとられてしまって、いくら運動神経のいい彼でも避けられそうにない、と思った瞬間、振り下ろされた錫杖はとある人物の手によって止められた。
―――三蔵様―――
鋭い目つきでお坊様を見つめ、彼は確かに「朱泱」と口にした。さっき、このお坊様が入ってきた時に驚いた表情を浮かべていたのを見かけましたが、もしかしてお知り合いの方、…なのでしょうか?
三蔵様の顔を見たお坊様も気がついたのか、とても驚いた表情を浮かべていらっしゃいます。でもその顔はすぐに歪み、何かに気が付いたかのように笑い始めちゃいました。
「ははッ―――そうか!!噂には聞いていたが…まさかこんな所で出くわそうとはな」
お坊様が聞いた噂というのは「今代の三蔵法師には不逞の輩がいる。下賤の民を従者に選んだ」というもの、らしいです。まぁ、確かに私達は妖怪ですし、仏道に帰依する者でもありませんけど…そうもキッパリ言われると腹が立ちますねぇ。それに三蔵様をバカにしたような言い方も納得いきません、このお坊様は三蔵様の古いお知り合いの方でなはなかったの?それなのに何故あんな言い方をするのでしょう。
そして彼の口から語られたのは10年前のこと―――三蔵様の、過去だ。
三蔵様にはお師匠様がいて、10年前、妖怪の夜盗に襲われて命を落としたそうです。あの御方の双肩にかかっている魔天経文は、三蔵様ごとそのお師匠様―――先代の三蔵様が庇って下さって無事だったのだけれど、もう1つの経文である聖天経文はその夜盗に奪われてしまったそうです。
三蔵様はお師匠様が襲われる直前、法名を授かり2つの経文の正式な継承者となったそうですよ。奪われたもう1つの経文を取り返すべく、人知れず山を下りたそうですが…その直後、三蔵様がいた寺院に夜盗が再度攻め込んできた。奪いそびれた魔天経文を狙って。
お寺の法力僧が総動員しても妖怪達には敵わなかったらしい。けれど、彼はどうしても妖怪達を倒したかったのでしょう…「禁じ手」と呼ばれる呪符で自らに呪いをかけ、その対価として全ての妖怪を滅することのできる強大な法力を手に入れた。
「だが一度解放した力を抑えることはできない…もはやこの俺の身体はコイツが妖怪の魂を喰らう為の道具でしかない…!」
身体に貼りつけられた札は、完全に根を張っているように見えますね。私にはよくわかりませんがきっと、ああなってしまった以上、もうどうすることもできないのでしょう。
命を―――絶つことでしか、解放されることはないんだ。
「イッちまってるよコイツ…―――どっちが妖怪だってェの!」
「どっちが妖怪か確かめようじゃねぇか!!」
―――バッ
「此処じゃ危険です!」
「ええ、外へ…!」
裏口のドアをこじ開けて転げるように外へ出ると、土砂降りの雨で視界が悪すぎる。だからきっと彼は気が付くことができなかったんだ、後ろに迫る人影に。
「―――八戒くん!」
彼を庇うように薙いだ腕は簡単に掴まれてしまった。それを振り解こうとした時、腕が灼けるように熱くなった。それと同時に漂ってくる焦げたニオイ。
…そうか、このお坊様の身体は全身があの呪符と同化してしまってるんだ…人間なら露知れず、私達4人は妖怪。素手で触れることはできないということなんですね。それはまた、厄介なことになってしまいましたねぇ…人間相手に刀を使うわけにはいかないというのに。
「離せよてめぇ!!」
―――キィン!
「大丈夫ですか、香鈴!」
「え、ええ…何とか、」
むき出しになっていた肌は軽い火傷のようになっていたけれど、動かす分には何の問題もなさそう。けれど、全てを片づけたら治療しますよ、と言われてしまっては頷く他ないですよね。このくらいなら治療せずとも大丈夫だとは思うんですが…また心配、させてしまいましたね。
大丈夫です、と心配そうな顔を浮かべている八戒くんに告げて、ふと宿がある方を振り返ると、姿が見えないと思っていた三蔵様がそこにいた。雨に濡れないよう、ちゃっかり屋根の下に避難してらっしゃいます。いや、避難っていうより最初からそこを出ていないんでしょうね。だって、法衣は濡れていらっしゃらないから。
「どうした玄奘三蔵!やはり妖怪には手を貸せんか?」
「…違ーよ。俺が手ェ貸さなかろーがどうせ、死なねーもんそいつら」
「ふはっ三蔵様らしい言い草ですねぇ」
「ま、そりゃそーだ」
「死んでもお経上げてくれなさそーですしねえ」
「それだったら私が歌いますよ、鎮魂の歌」
あんな風に言われたら、意地でも死なないようにしなくちゃいけませんよね。…とは言ったものの、近づけないし術はハネ返されてしまうし、どうしたらいいですかねぇ。
本当は、わかってるんです。お坊様を呪符から解放する術は、たった1つしかないってことに。それをわかっているのは私だけじゃない、八戒くんも、悟浄くんも、悟空も―――きっとわかってる。だけど、心のどこかでそれをしてはいけないような気がしてるのも本当で…だって、このお坊様は三蔵様のお知り合いだった方だから。今でこそこんな風に変わってしまったのかもしれないけど、でもきっと昔は―――仲がよろしかったのでしょう?
三蔵様自身は割り切っていらっしゃるのか、変な義理立てはするなと仰っていますけど、それを必死に止めているのは悟空だ。真剣な顔で、声音で、やめろ、と。
その2人の背後に人影が見えた。先が槍のように尖った錫杖を振り上げた―――お坊様の姿。悟空を今にも突き刺そうとしている光景に、足を動かした。
だけど、伸ばした手は届かない。
「ッ、…三蔵様!!」
錫杖が突き刺さっていたのは悟空ではなく、三蔵様のお腹。傷口からはおびただしいほどの血が流れ出ていて、早く止血をしないと手遅れになってしまう。着ていた上着を切り裂いて傷口に押し当て、止血を試みるけれどそう簡単には止まってくれなくて…手が、震えてくる。
お願いだから止まって…!
「三蔵っ…目ェ開けろよ三蔵?!」
「何ガラでもねぇことしてんだよ!!三蔵…!!」
―――うるせーな。…そんなの、俺が聞きてぇよ。