神様、仏様
「三蔵ぉッ!!さんぞ…」
「ダメよ悟空、動かさないで!」
手が真っ赤になろうとも、服がダメになろうとも、そんなの構わなかった。とにかくこれ以上、誰かを失うことは嫌だったの…今度こそは、助けたいの。繋ぎ止めたいの。
ビシャリ、と血を吸いに吸った服の切れ端を投げ捨てて、服ごと傷口に押し当てる。これで止まってくれるとは思わないけど、何もしないまま見ているだけなんて嫌だもの。私にできることは全てやるんだ。だけど、このまま押さえているだけじゃあダメだ…それに私の力じゃ止血するには足りないと思うし、何かできつく傷口を塞がなくちゃ意味がないですよね。
いっそのこと、服をお腹に巻き付けて袖を紐代わりに縛り付けてみようか。そんなことを考えていたら、悟空の様子がおかしいことに気が付いた。カタカタと体を震わせ、呼吸も乱れてきてる…もしかして、三蔵様の血塗れの姿を見たショックで過呼吸を起こしかけてるの?!
「八戒くん代わって!」
「あ、はい!」
血で汚れてしまってるけど、それを気にする余裕はない。苦しそうに呼吸をしている悟空の顔を無理矢理上に向かせて、目線を合わせる。
「悟空!悟空、しっかりして!落ち着いて呼吸しなさい、私の目を見てちょうだい悟空っ」
「はっはぁ、香―――あ…ッ」
必死に呼びかけてみるけれど、悟空の目の焦点が合うことも、呼吸が正常に戻ることもなく―――パキン、と甲高い音と共に、額につけられた妖力制御装置である金鈷が砕け散ってしまいました。
その瞬間、溢れ出した凄まじいオーラと言いますか、妖気…なんでしょうね。圧倒的なソレに息を飲むことしかできない。
「香鈴、こっちに!」
―――グイッ
「あ、れが…悟空、なんですか?」
「ええ。妖力制御の封印から解き放たれた生来の姿―――大地のオーラが集結し、巨石に宿った異端なる生命体。斉天大聖孫悟空」
ニヤリ、と笑った悟空は、普段とは比べものにならないスピードでお坊様を押し倒した。彼が札を投げても、それらは悟空に届く前に焼き切れてしまっているし…まるで手の出しようがない、と言った所でしょうか。
だけど、それを呆然と見ている場合じゃないですよね…まずは三蔵様をどうにかしなくちゃ。これだけ血を流し続けて、更に雨で体温を奪われているんですもの。早く手を打たなければ手遅れになってしまう、それだけはどうにか回避しなくちゃいけない。
「…八戒くん、三蔵様をお願いしてもいいですか?」
「はい、気功で傷口を塞げるはずですから」
「お願いします。…悟浄くんはこっちを手伝ってくれますか?悟空を止めなくちゃ」
「あ、ああ」
きっと彼の止め方は三蔵様でないとわからないと思う…でも今の彼は明らかに正気を失っている状態だし、このまま放っておいたら強大な己が妖力を抑えきれなくなって、全てを破壊するまで暴走してしまう恐れがあると思うんです。そうなってしまったら、元に戻れなくなることだって有り得るはずだ。
お坊様の苦痛に悶える声が聞こえる。バッと振り向いてみれば、悟空に肩を食いちぎられる光景が目に入った…ああ、ダメよ悟空。これ以上暴れてしまっては、辛いのは貴方なんですよ?
止めようと足を動かした時、お坊様が首にかけていた数珠が光り、その光をまともに受けた悟空は苦しそうに頭を抱えています。その好機を見逃さず、彼は姿を消した…必ず、妖怪全てを呪符の肥やしにする為に戻ってくる、と言葉を残して。
あの札の支配から逃れられない限り―――きっと何度でも、彼は私達の前に姿を現すのでしょうね。でも今の問題はそこじゃない。
「悟空っ…」
―――ゴッ
「きゃっ…!やっぱり判別能力がなくなってる…!」
素手で立ち向かうには無謀すぎるけど、でも刀を使うわけにもいきませんよね。悟空相手なら、尚更です!
振るわれた拳を真正面から受け止め、その腕を握りこんで抑え込もうとしたのだけれど、そのまま振り払われてしまいました。その力も尋常じゃなくて、思った以上に飛んだ身体はそのまま宿屋の壁に叩き付けられる。
「香鈴?!」
「香ちゃん!!クソッ…これでも、食ってな!!」
ブシュ、と嫌な音が耳に届いた。霞む意識を必死に繋ぎ止めて顔を上げると、悟浄くんの腕に悟空が噛みついているのが見える…どうにかしなくちゃ、と身体を起こそうとするけれど、ミシミシと痛みを訴えるだけで上手く動けない。自分の身体なのに動かせないなんて、歯痒いにもほどがあるじゃないですか…!
―――そのまま抑えておけ!!―――
何処からともなく声が、聞こえたような気がした。誰の声かもわからない、何処から聞こえたかもわからない。でも確かに誰かの声が、した…それは悟浄くんにも聞こえていたらしく、彼も驚いた表情を浮かべて辺りを見回している。
でもやっぱりそこには誰もいなくて、一体何だったのだろうと思った時、悟空の頭の周りに金色の輪っかが見えたんです。その輪っかは金鈷へと変わり、カシッとはまった瞬間―――悟空の暴走は、止まった。姿も元に戻っているし、さっきまで感じていた凄まじい程の妖気も消えているみたいです。当の本人は気持ち良さそうに眠ってしまったみたい。
ようやく動いた身体を引きずるようにして3人の元へ近寄れば、それに気が付いた八戒くんが慌てて支えてくれました。
「大丈夫ですか?無理して動いたらダメじゃないですか!」
「だって、…」
「―――ったく。だらしないねー」
あ、この声…さっき聞こえた声にそっくりだ。女性のように思えるけれど、でも中性的にも感じる―――綺麗な、声。
振り返ればそこには、えっと…とても言葉では表現しづらい服を着ていらっしゃる女性…と、困ったような表情を浮かべていらっしゃる初老の男性が立っていらっしゃいました。さっきの声の主だと思うのですけど、何て言うか…うん、やっぱりすごい格好をしていらっしゃいますねぇ。そしてどちら様?
「あ…貴女は一体…?」
八戒くんの言葉には一切答えず、意識を失っている三蔵様と眠っている悟空を一瞥した後、僅かに口角を上げた。
「―――ふん。こんな所で足止め食らってるようじゃ、大したことないな。お前らも」
「なっ何者だてめえ!!」
「お、落ち着いて悟浄くん!」
「おい貴様!口を慎め!!この御方こそ、天界を司る五大菩薩が一人、慈愛と慈悲の象徴・観世音菩薩様にあらせられるぞ!!」
かんぜおんぼさつ、…ということは、通称・観音様ってこと、ですか?神様ってことですよね?そんな風には一切見えないんですけれど、人は見た目に寄らないとよく言いますからわかりませんね。あ、この御方は両性体らしく女性でもあるし、男性でもあるそうです…だから中性的だと思うハスキーな声をしていらっしゃるんですね。
でもやっぱり神様には見えません。八戒くんなんか「自愛と淫猥の象徴」って感じなんですけど…とか言っちゃってますし。まぁ、この格好を目の当たりにしたらそんな感想を持ってもおかしくないかもしれませんが。
…あれ?そういえば、さっき聞こえた声と同じ、ということは―――悟空の妖力制御装置を付け直してくれたのはこの御方ということになるんですね。
菩薩様曰く、彼がつけていた金鈷は一般化されている制御装置とはわけが違うそうです。何でも、通常の物質ではなく強大な神通力を固形化した、「神」のみが施すことのできる特殊な金鈷―――つまり、それだけ悟空の力は桁外れだということなんですね…でも確かに、少しの間だけでしたが彼の力は異常な程でした。普段の悟空からは想像がつかない程に。
「まだ天界にいた頃からな」
「―――え…?」
今、悟空が天界にいた頃…って仰いましたよね?あの子は五行山に閉じ込められる前、天界にいたってこと?
一体、どうしてあそこに閉じ込められたのだろう。
「さてと、問題はコイツか。かなりこっぴどくヤられたようだな」
「傷口は塞いだんですけど、失血量がかなり多くて…こればっかりは」
「任せろ。この俺に不可能はない」
「唯我独尊って…こういう方のことを言うんでしょうか」
「神様って皆さんこうなんですか?」
「あ…いえ、そういうわけでは…」
あはは…つまり、菩薩様が特殊だってことなんでしょうね。きっと。困ったように笑った方―――二郎神様はかなりご苦労されていらっしゃいそうだなぁ…此処まで着いてきているということは、側近だということなんでしょうし。
だけど、どうするおつもりなんでしょう?失血量が多いということは、輸血をしなければいけないのだと思うんですが…辺りを見回してみても輸血する道具は一切見えない。でも任せろ、と仰ってましたから何か考えがあってのことだとは思うのですが―――と思っていたら、ビシッと悟浄くんを指差していらっしゃいます。そのまま顔を貸せ、と引き寄せたかと思えば、唇を重ねちゃいましたよこの御方!!
「わ、…!」
そのままの状態がどれだけ続いたでしょうか。静か、…というか、何とも微妙な空気のまま時間が流れ、ようやく離れたかと思ったら、悟浄くんがその場に倒れてしまいました。それに顔色も良くありません…菩薩様に何をされのかと思えば、何でも大量の血気を吸い取った…らしいです。なので、あまり動くと貧血を起こしてしまうそう。ああ、だから顔色も悪くなっているし、倒れ込んでしまったんですね。
そのまま三蔵様の耳元で何かを仰ったように見えたけれど、この距離ではさすがに声は聞こえませんね。悟浄くんの時と同じように唇を重ね、吸い取った血気を彼に移したそうなので輸血の必要はないそうですよ。
何だか神様ってやることがすごいんですね…もちろん、神様全員がこんな感じというわけではないのはわかっておりますけど。二郎神様もそう仰っていましたしね。
「礼なら身体で払ってくれ。俺は善意や道徳心で手を貸したんじゃないぜ。この旅の真の目的…牛魔王の蘇生実験を阻止する為だ」
「…その命を三蔵様に言い渡したのは…菩薩様、なんですか?」
「お前―――香鈴、とか言ったか」
名を尋ねられ素直に頷けば、にんまりと笑って顔をずずいっと寄せられました。突然のことに驚いて、思わず八戒くんにしがみつく。
その光景を笑みを浮かべたまま見ていた菩薩様は、更に笑みを濃くされたようですが…な、何でこんなに距離が近いんですか…っ!
「あ、あの…っ?」
「んー、やっぱり魂は同じだなぁお前は。惹かれる奴が変わってない」
「は…?」
「ま、それも当然のことか。…おい、香鈴。今度は離すんじゃねーぞ?最期のその時までな」
愛しい、愛しい―――姫君さんよ。
全く意味のわからない言葉を並べられ、姫君と呼ばれ、菩薩様はまたな、と仰って霧のように消えてしまいました。
あの御方は一体、私に何を伝えたかったのでしょう。何を離すな、と仰っていたのでしょう。言葉の意味はもちろんわかりますけど、その言葉の真意といいますか…仰っている意味がわかりませんでした。それなのに満足そうに笑っていたのは、何故?私の顔を見て懐かしそうに瞳を緩められたのは―――何故なんですか?
ああ、わからない。わからないことが多すぎて、頭がクラクラする。