雨のち晴れ


そっと目を開けば、最初に映ったのは木目の天井。此処は何処だろう、と一瞬思ったけれど、すぐに泊まっている宿の一室だということに気が付きました。ああそうだ、真夜中に宿屋のお姉さんの叫び声がして、それで妖怪と対峙していたのだけれど…六道様、と呼ばれるお坊様に出会ったんだ。それで三蔵様が刺されて、悟空が暴走して、観世音菩薩様にお会いしたんでしたっけ。

ズキズキと痛む身体を起こすと、タイミング良く部屋に入ってきた八戒くんの顔に安堵の表情が浮かんだ。


「目を覚ましたんですね、良かった…具合はいかかですか?」
「……デジャヴ、」
「え?」
「あ、いえ、ごめんなさい…初めて会った時も、こんな感じだったなぁって」


苦笑交じりにそう伝えれば、彼も笑いながらそういえばこんな会話しましたね、と頷いてくれました。そんなに昔のことではないのだけれど、何だか懐かしく感じてしまいますね。そう思うのはきっと、彼らと過ごしてきた日々が濃厚だったっていうことなのでしょう。
…ふふ、皆さんからしてみればもういいって思うのかもしれませんが、私にとっては大切な宝物のようなものです。


「…そうだ。3人は、」
「大丈夫、三蔵もまだ眠ってはいますが容体は安定しています。悟浄も貧血気味ですが問題ないですし、悟空も元気ですよ」


ご飯を食べるまでは少し、落ち込んでいましたけど。
八戒くんの言葉を聞いて、私はようやくホッと息をついた。特に三蔵様の怪我はとてもひどいものだったから…傷は塞いでくれていたし、失血した分も菩薩様が何とかしてくれていたからきっと大丈夫だろう、と思っていたけれど、やっぱりどこか心配でしたから。

でもきっと、あの御方は目を覚ましたら決着をつけに宿を抜け出してしまうんでしょうね。傷口が開かないといいんですけど、…あのお坊様と対峙するのであれば無傷では済まないって思ってるんです。
あの傷がある程度癒えるまでは無茶をしないでくれたら、とは思ってますけど、あのままにしたまま先へ進むとはこれっぽっちも思っていませんから。


「お腹空いていませんか?僕が作ったもので良ければ、香鈴の分も残してあるんですけど」
「わぁ、八戒くんの作ったご飯大好きです!もちろん頂きます」
「じゃあ準備しますね、待っていてください」


旅に出てからは八戒くんの手料理を食べる機会が減ってしまったんですよね…それは仕方のないことですし、文句を言う気は更々ないんですけど。でもやっぱり時々、恋しくなっちゃうんですよ。まだ旅に出て一月ちょっとしか経っていないんですけど、ずーっと食べ続けてきていたものですからねぇ…舌が馴染んじゃうんですよね。
もちろん、お店で食べる料理もとても美味しいんですけど、私の中では八戒くんの手料理が断トツです。


「んー!美味しい…っ八戒くんのご飯、久しぶりです」
「あはは、作る機会が減っちゃいましたからね。そんなに喜んでもらえると嬉しいですよ」

―――ガチャッ

「お、目ェ覚ましたか香ちゃん」
「香鈴っ!もう大丈夫なのか?!」
「ええ、もう大丈夫よ悟空。悟浄くんもご心配かけてすみません」


まだ痛む箇所はあるけれど、気を失う前に比べれば断然いい。骨が折れている様子もありませんし、旅をするには支障ないと思います。看病してくれていた八戒くんも骨は折れていない、と言っていましたしね。
それを悟空に説明してあげれば、本当に嬉しそうに笑って良かった、と言ってくれて、こっちまで笑顔になっちゃいます。


「だけど、しばらく無理は禁物ですよ。骨は大丈夫でしたが、数か所ひどい打撲がありますから」
「結構な勢いで壁に激突してたからな…あん時ゃビビったぜ」
「受け身を取ったつもりだったんですけどねぇ…間に合わなかったみたい」
「……香鈴、」


最後の一口を食べ終えて、食器を八戒くんに渡していると悟空の沈んだ声が耳に届いた。どうしてそんな声を出しているのだろう、と首を傾げていると、消え入りそうな声でごめんな、と彼が紡ぐ。上げられた顔は悲しげに歪んでいて、今にも瞳から大粒の涙を流しそうだとも思う。悟空のこんな顔、久しぶりに見たかもしれません。

初めて見たのは―――3年前の雪の日だ。

でもやっぱり、彼が私に謝る理由がよくわからない。何かされましたっけ?


「だってっ…その怪我、俺がやったんだろ?全然覚えてねぇけど、俺がさ…!」
「…謝ることないんじゃないかな。壁にぶつかったのは受け身を取りきれなかった私のせいでもあるもの、悟空が気に病むことないわ」


だからそんなに泣きそうな顔、しないで。私は貴方の笑った顔が大好きなんだから。


「ま、そう言っても気に病んでしまうんでしょうけど」
「う…」
「でもさ、私生きてるもん。それは悟空が無意識に手加減した、ってことでしょう?」


あれだけの力を秘めているのならば、一発で殺されていた可能性だってあったんです。でも私は怪我だけで済んでるし、三蔵様ほど重傷を負ったわけでもない。だからきっと、無意識に手加減をしてくれたんじゃないかなって今でも思ってるんですよ。悟空の本能が理性に負けきらなかったってことなんじゃないのかなーって、私は案外楽観的に受け止めていました。

にっこりと笑って頭を撫でてあげれば、うぐっと顔を歪めて勢い良く抱きつかれちゃいました。その時に痛めた所がズキリ、と痛んだけれど、でもこんな状態の彼を前にして痛いとは口に出せませんよねぇ…多分、顔には出てしまったでしょうから八戒くんと悟浄くんには気が付かれてしまったと思いますけど。
腰に腕を回してごめん、と繰り返す悟空をぎゅーっと抱きしめてみれば、同じくらいの力でぎゅーっとしがみついてくるのが何だか可愛いなぁ。もう。


「おら猿、いー加減離してやれっての!香ちゃんは寝起きよ?」
「あっそっか!悪い、香鈴!」
「さ、もう少し休んだ方がいいと思います。横になって」
「何だか八戒くんも悟浄くんも過保護です…」
「過保護にもなるっての。俺らのお姫様はいつだって無茶すんだからよ」
「僕達もこの部屋で休みますから、安心してくださいね」
「んじゃ俺、眠れるまで横にいるっ!」
「ふふ、ありがと悟空」


布団に潜って悟空のお話に耳を傾けていると、徐々に瞼が重くなってきました。それに逆らうことなく目を閉じれば、あっという間に意識が沈んでいくのを感じた。





次に目を覚ました時には部屋の中は真っ暗で、眠る前は確かに空いたままだったベッドが大きく膨らんでいました。暗くてよく見えないけれど、多分、八戒くんと悟空だと思います。髪型的に。
…あれ?でももう1つのベッドは空いたままだ…それに綺麗に整えられているし、使われた形跡もないみたい。悟浄くんったら何処に行っちゃったんでしょう。まだ貧血気味みたいだから外に遊びに行ったとかではなさそうですけど、あんなことがあったばかりですから何だか気になっちゃいますね。

そっとドアを開けて廊下に出てみれば、捜し人は案外簡単に見つかっちゃいました。誰かの部屋の前に座り込んで煙草を吸っている―――悟浄くん。
何をしてるんですか、と聞いてみれば、目覚めた三蔵様が出て行ってしまわぬように見張りをしてるんだ、と教えてくれました。きっと八戒くん、ですね、それを彼に頼んだのは。


「人が動く気配してっから、多分そろそろ―――」

―――ガタンッ

「あ…」
「な?コッソリ出て行く準備してんだよ。―――そこのタレ目お兄さんよ」


ノックをして声を掛ければ、部屋の中で息を飲む気配がした。
彼は確かに監視役でドアの前にいる、と仰っていますが、三蔵様のしようとしていること・出て行こうとしていることを止める気はなさそうです。本来なら止めるべきだと思うんです、だってひどい怪我を負っているから…満足に動くこともできないと思いますしね。
けれどきっと、悟浄くんには止めても無駄だというのがよくわかっているのでしょう。そしてあのお坊様のことは、三蔵様自身の問題だ、ということも。
止めても無駄、というよりは、私達には止める義理がないと思っている―――というのが正しい見解かもしれません。


「六道が首にしてた数珠、あれお前のだろ」
「―――それがどうした」
「…やっぱりな」


そういえば…悟空があのお坊様に止めを刺そうとした瞬間、あの数珠が光った覚えがあります。まるであの方を庇おうと、守ろうとしているかのように見えました。もしかして、お坊様がまだ正気を保っていられるのはあの数珠があるから…あの数珠が、お坊様の精神を支えているということなのでしょうか。
だとすれば、あの数珠が札の力に耐えきれなくなってしまったら―――あの方の精神も、正気も崩されて…全て札に呑み込まれてしまうということ。


「…三蔵様。あのお坊様を止めてあげてください、これは私の勘でしかありませんが―――」

あの方はきっと、三蔵様にしか止められないと思います。

「……」
「俺は別にいーんだけどォ、お前に何かあるとうるせーのが2人…いや、3人もいるからさぁ。モテモテじゃん三蔵様」
「ふん、…勝手にほざいてろ」
「ん。じゃーな」
「いってらっしゃい、三蔵様」


カタリ、と室内で何かが開く音がして、三蔵様の気配が遠ざかっていった。しばらくしてあの御方が使っていた部屋のドアを開けてみると、やっぱり三蔵様の姿は見当たらない。銃も見当たりませんし、窓も開けっ放し…うん、お坊様の元へ向かったんですね。決着をつける為に。
悟浄くんと苦笑を浮かべて顔を見合わせていると、後ろから声が2つ聞こえた。あら、起こしてしまったんでしょうか。


「三蔵、行ったのか?」
「…まぁ、何となく予想はしていましたけどね」
「先程、出かけられましたよ」
「まだ陽が昇るまで時間あるし、俺達も少し休もーぜ。あとで拾いに行くんだろ?」
「夜明けと共に出発すれば、ちょうどいいと思いますよ」


部屋に戻って横になる。あれだけ寝たのだし、もうさすがに眠気はこないだろうと踏んでいたのだけれど、身体は思っていた以上に疲労を感じていたらしい。ゆるゆると重くなる瞼に驚きつつ、私はもう一度眠りについた。
そして束の間の休息を得た私達は、日の出と共に三蔵様のお迎えに行くべく宿を出発しました。あ、ちゃんとお支払いは済んでますよ?犯罪になっちゃいますからね、支払っておかないと。


「ああ、雨が止んで晴れましたね」
「今日はいい天気になりそうですねぇ」


私の千里眼で三蔵様達がいる場所を確認し、此処なら必ず通るだろうとジープを停めた。そこでしばらく待っていると、一発の銃声と鳥達がバサバサと飛び立つ音が聞こえてきました…きっと、全てが終了した合図で間違いないでしょうね。その証拠に疲れた表情を浮かべた三蔵様が現れたのですから。
疲れた表情を浮かべているのは眠っていないのと、あと怪我が治っていないからでしょう。次の町に着くまでの間、助手席で眠らせてあげた方が良さそうですね。悟浄くんと悟空が喧嘩をし始めないようにしっかり見ておかないと。


「お客さん何処までー?」
「初乗りいちまんえんだよン」
「……西に決まってンだろ。俺は寝る!起こした奴は殺すぞ」
「クス、…はい、承知致しました」
「おやすみなさい」


銃を悟空に放り投げ、乱暴に助手席へと腰を落ち着けた三蔵様はジープが走り出すのを待たずに眠りについた。


「…あ、」
「どうしました?香鈴」
「いえ、三蔵様におかえりなさい、って言うの忘れちゃいました」
「気にしねーんじゃねぇの?コイツなら」
「言ってもただいまーなんて返してくんねーしな」
「それが三蔵なんでしょう。今更ですよ、悟浄、悟空」


…ま、それが私達って所でしょうか。それに三蔵様が起きたら言えばいいこと、ですよね、おかえりなさいって。
こうしてまた、私達は騒がしく、賑やかに西を目指すんだ。
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