悪夢の月夜
あんなことがあった町で宿をとれるはずもなく、私達は少し進んだ先の森で一夜を明かすことになりました。
簡易的な夕食を食べながら、私が別行動をしていた時の話を悟空から聞いてみると、あの後やっぱり紅孩児さん達が来て大乱闘になったそうですよ。倒したはずの式神がまた動き出したりして大変だったんだ、と熱く語られちゃいました。
悟浄くんからはこっそり、捜していたお兄さんが紅孩児さんの剣客として生きていたこと、そして八戒くんの様子がおかしいことを教えて頂きました。それを聞いて三蔵様とお話をしている八戒くんにそっと視線を移してみるけれど、今の所、いつも通りにしか…見えません、よね?確かに清一色に変なことを言われた時は、珍しく動揺していらっしゃるように見えましたが。
―――しばらく、注視していた方がいいのかも。せめて、事が落ち着くまでは。
ジープの後部座席に身を預け目を閉じていたら、ギシリと物音がした。そのすぐ後に三蔵様と八戒くんが言葉を交わして、彼は散歩へ行くと言い残してジープを降りて行ったみたいです。
本当ならこのまま放っておいてあげた方がいいのかもしれませんが、気になって仕方ありませんよね…追いかけたりしたら怒られる、でしょうか。
「―――香ちゃん、行くぞ」
「え、あ、はい!三蔵様、ちょっと出てきます」
「…勝手にしろ」
悟浄くんと共にジープを降りて追いかければ、彼の後ろ姿はすぐに発見できました。両手をじっと見つめて何か考え込んでいるようですが、私達がこんなに近づいても気が付く素振りを見せないなんてびっくりしちゃいますよね。
いつだって他人の気配に敏感で、そっと近づいてもすぐに気が付いてしまうような方なのに。
「お前、生命線短けぇな…」
「あ、本当ですねぇ」
「…ビックリしたぁ」
「そりゃこっちのセリフだ。なぁ、香ちゃん」
「はい。全く気が付く気配がないんですもん…」
ぎゅう、と腕に抱きついたまま八戒くんの顔を見上げれば、痛そうだった表情が少しだけ和らいで困った笑みを浮かべていて。今は悟浄くんと生命線はどれだ、とか、悟浄くんの生命線は長いとか話してらっしゃいますけど…でもやっぱり、時折見え隠れする影が…気になっちゃいますよね。
居候するようになった時から感じていましたけど、この2人の間にはいまだに入り込めない絆のようなものがある気がしてならないんです。本人達に言ってみてもそんなことない、って一蹴されちゃうんですけど、でも私とは違う信頼関係?と呼べるものが八戒くんと悟浄くんにはあるんじゃないかなって、ずっと思ってるんですよ。お互いが一番、相手のことをわかっているんじゃないかなって。
「―――3年前のあの時、どうして僕を助けたんですか」
放っておけば野垂れ死んだ―――そうなるべきだったかもしれない僕を。
断片的に語られる八戒くんの過去は、私は一切知らないもの。いや、今までに何度も聞く機会はあったはずだけれど、聞こうとは思わなかったのかもしれませんね。彼自身が話したくない、話すようなものではないと思っているものなら尚更、私が聞いていいものではありませんし。
でもそっか…彼も悟浄くんに拾われた人、なんですね。だからあの時、「こりないですね」って笑ったのかな。
「…香鈴?」
「何でも、ないです」
教えてくださいと言ったら、貴方は過去を話してくれますか?私に、教えてくれますか?…なんて、聞けるはずもありませんよねぇ?あんなに痛そうな顔をしている、彼に。
いい加減戻りましょう、と2人に声を掛けようと思ったら、ガサリと茂みが揺れてカタカタと音が聞こえてきました。一体何でしょう…えらく下の方から聞こえてきますけど。
視線を下に向けてギョッとした、趣味の悪い人形がカタカタと音を立てて歩いていたんですもの。からくり人形、と呼ばれるものなのでしょうか。
でも何でこんな森の中に人形が―――
『ニーハオ!』
「ひ、…?!」
『ニーハオ!ヒトゴロシノ猪悟能!!』
人形が持っていたのは麻雀の牌…つまり、これは薄気味悪い易者である清一色の仕業ってことなんですね。対峙した時、この名前も聞いた覚えがありますし。
どうやら私の推測通り、『猪悟能』というのは八戒くんの名前のようです。理由はわかりませんが、本名はそちらの名前らしくて何か理由があって今は、『猪八戒』と名乗っているみたい。
それもきっと、彼の過去が関係しているのでしょうが今は聞いている場合ではありませんよね。
『―――生キ血ハ女ノ肌ヨリ温カッタカイ?ソレトモ蘭ノヨウニ香シカッタカナ?』
「……」
『忘レテルミタイダカラ僕ガ思イダサセテアゲル。君ニハ安ラゲル場所ナンテ何処ニモナインダヨ―――ダッテ君ハ、罪人ナンダカラ!』
言いたい放題言ってくれちゃってまぁ…何が目的なのか知りませんけど、こんな薄気味悪い人形なんかすぐに破壊して差し上げます。
銃を抜こうとしたら、八戒くんに制されてしまいました。その時に見えた彼の顔は、今までに見たことのない怒りを露わにした表情で少しだけ―――驚いてしまったんです。だっていつも笑みを絶やさない人だったから、こんな風に怒っている所は見たことがなかったんですもの。
けれどその顔は人形の言葉を合図に、すぐに驚きの表情へと戻った。さっきの顔が八戒くんの本当の顔、って…どういう意味なんでしょう。何もかもわかりませんが、別行動は避けた方が良さそうですね。
「八戒くん、悟浄くんっすぐにジープに戻りましょう!何だかおかしい―――」
「悟浄、危ない…!!」
蹴り飛ばされたはずの人形の口から何かが飛んできて、それは真っ直ぐに悟浄くんの胸を貫いた。
「―――悟浄!!」
「悟浄くん?!」
―――ザザッ
「八戒、香鈴!何があった?!」
「三蔵様っ悟空…!ごじょ、悟浄くんが…っ!」
胸を撃たれたんです、と説明しようとしたら、倒れ込んだ悟浄くんの身体がビクンと痙攣したのが視界の端に映り込んだ。何事かと思って視線を戻せば、メキメキと嫌な音を立てて血管が浮き出ていました…それは止まることをせず、苦しそうに声を上げている彼の姿に自然と涙が浮かんでくる。
何かが血管の中を這い回っている、という彼の言葉から推測するに、何かを植え込まれた可能性が高いってことだ。でも何を植えられたのかわからない、そんな私達の疑問に答えたのはあの人形。
血を吸って血管に根をはる生きた種を、悟浄くんの心臓のすぐ隣に植えたらしいです。
楽しい、と。早く君もこっちへおいでよ、とふざけたことばかり言う人形を銃で壊した瞬間、何でこんなことをしたのか―――予想がついてしまった。
「…いいご趣味をお持ちらしいですね、あの男は」
「お前も気が付いたか、アイツの望みに」
「出来れば気が付きたくなかったですけどね」
溜息を1つ吐いて悟浄くんに近寄り、いまだに苦しんでいる彼の足を全体重かけて押さえ込んだ。何をしているのか、と問いかけてきた悟空には腕をしっかり押さえこむようにお願いをして、三蔵様に視線だけを投げかける。それだけであの御方は全てを理解してくれて、悟浄くんへと照準を合わせたのです。
その光景を見た悟空は驚きを隠せないみたいだけど、これしか方法はないし…それを見越して、心臓のすぐ隣に種を植え付けたんでしょう。清一色は。
「待ってください!!的が小さすぎる…それに例え撃ち抜いても、心臓へのショックが」
「八戒くん、気功術を使う準備しておいてください」
「え…?」
「三蔵様が撃ったらすぐに傷を塞いで」
「しっかり押さえておけよ悟空、香鈴!」
コクリ、と頷いて私はもう一度、改めて全体重をかける。そうでもしないと苦しむ彼を押さえこむことは出来ませんし、下手すると種を撃ち抜くことができない可能性だってありますから。これはもう、…一種の賭けなんですよ、とても趣味の悪い、ね。
静かな森の中に1発の銃声が響き渡り、その衝撃で悟浄くんの身体が跳ねる。瞬間、私は弾き飛ばされてしまったけど何とか撃ち抜くことに成功したみたい…浮き出ていた血管は正常に戻ったし、傷もすぐに八戒くんが塞いでくれました。
さすがに意識は失っていらっしゃるみたいですが、…脈も呼吸も正常。悟浄くんはちゃんと生きている…それを確認して私と悟空はそっと息を吐いた。
「…僕のせいなんですね」
ポツリ、と呟かれた言葉。発信源は間違いなく八戒くん。
彼の表情には痛さと、辛さと、苦しみが滲み出ていて、悟浄くんがあんな目に遭ったのは自分のせいだと言い募る。清一色の狙いは明らかに自分自身だ、と。
「落ち着いて八戒くん!」
「ここでお前が取り乱したら、それこそ奴の思うツボなんだ!」
「ッ、!」
「八戒く、…!」
八戒くんは、突然気を失って倒れてしまった。三蔵様に手伝ってもらって彼を横にすれば、苦しそうな表情で呼吸を繰り返しているのが目に入って…何とも言えない気持ちになるのと同時に、言い様のない怒りがお腹の奥底からせり上がってくるのを感じていました。
「―――クソッ!」
「…清一色のシナリオ通り、といった所でしょうか」
「俺達は見事に踊らされた…悟浄の心臓のすぐ横を狙ったのもわざとだろう」
そうすれば、私達がどんな行動をとるのか予想して―――ああいうふざけた真似をしてきたのでしょうね。八戒くんの目の前で悟浄くんを撃たせる為に。
理由はわからないけど、清一色は八戒くんに憎悪を抱いている可能性が高い…でも彼自身に手を出してこない所を見ると、目的は殺すことじゃないってことなんでしょうか?
だって殺したいのならば、悟浄くんではなく八戒くん自身を狙えば済むこと。それなのにあんな回りくどいことをしてくるなんて、…あれではまるで、八戒くんの精神面を壊そうとしてるみたいでした。
「もしかして、壊し…たいの?」
「恐らくな。殺すんじゃなく、八戒を壊したい…それだけは明らかだ」
ああ、やっぱりそうなのか。それならばあんな回りくどいことをした理由も納得がいきますね…本当に趣味が悪いったらありゃしません。どこまで八戒くんを追い詰めていくつもりかはわかりませんが、しばらく個人行動を控えておいた方がいいですね…こんな森の中で1人になったら、その瞬間、何かを仕掛けてきそうな気がします。
そういえば…さっき三蔵様に頼まれて悟空がジープに水筒を取りに行ったんでした。何かあったら大変ですし、私も行ってくるとしましょうか。それと2人を寝かせる為に必要なシートや毛布も、ついでに持ってきた方が良さそうですね。此処からならジープまでそう遠くありませんし、走っていけば大丈夫でしょう。…きっと。
三蔵様にその旨を伝えて、私はジープの元へ急ぐことにした。