愛していた、と笑う君
あの忌々しい出来事があった森を抜けて3日―――私達はようやく町に着くことができました。
傷は塞いでもらったものの、いまだ本調子ではない私を気遣ってくれたようでこの町にはしばらく滞在することになったそうです。珍しく三蔵様も文句を言うことがなかったらしいのですが…悟浄くん曰く、八戒の笑顔はマジ怖い。ですって。それを聞いて何となく悟っちゃいました…あの人、三蔵様を脅しやがりましたね?あの御方が敵わないのって完全に八戒くんだけ、ですよね。
まぁ、それはさておき。早く本調子に戻さないといけませんね。そうのんびりできるような旅でもないんですし。
「香鈴、八戒です。入っても構いませんか?」
「あ、はい!大丈夫です」
今回とった宿は偶然にも個室が1つ空いていたらしく、個室1と大部屋1でとったんです。刺客に襲われることも多いですから、本当なら5人同室の方がいいんですけど…騒がしい部屋じゃ療養できないでしょう、という八戒くんの提案で個室を1部屋とったんだそうです。皆さんの部屋とは少し離れてしまっているんですが、看病と称して誰かしらが私の部屋を訪れてくれているのであんまり問題はないですね。刺客に襲われたとしても。…あ、三蔵様だけはあまり来ませんけど。
その中でも一番私を気にかけてくれているのは八戒くん。1日のほとんどを私の部屋で過ごしているんじゃないでしょうか。傷を塞いでもらったのだからもう血は止まっているし、貧血気味の身体も少しずつではありますが快方に向かっているのは確かなんです。
だから、八戒くん自身の時間を削ってまで私の傍にいてくれなくてもいいのに―――そんな風に思ってしまう。一緒にいられるのは、そりゃあ嬉しいですけど…片思いしている相手ですし。
「…すみませんでした」
「え?」
突然聞こえた謝罪に目を丸くして、彼に視線を移せば。本を読んでいたはずの彼が痛そうに顔を歪めて、言うなれば…今にも泣きだしそうな顔をしていらっしゃいました。あらあら…何て顔をしていらっしゃるんでしょう、この人。ついさっきまで晴れ晴れとした顔をしていたというのに。
クスリ、と笑みを零して何で謝るんですか、と聞いてみれば、怪我を負わせてしまったから―――ですって。
「八戒くんのせいじゃないでしょう?」
「けど、あの男の狙いは明らかに僕個人で―――」
ああ、この会話。少し前に森の中でしたような気がします、デジャヴってやつですね。溜息を1つ吐いてまだ何かを口にしようとしている彼の唇に人差指をあてれば、驚いたような表情を浮かべてこっちを凝視しています。
確かに清一色の狙いは八戒くんを壊すことだった。その為に悟浄くん、悟空、三蔵様、私をいたぶろうと手を出してきたことは事実なんですけど、でもそれを八戒くんが気に病んでしまったら元も子もないですし、そんな風に気にされたままでいたら…潰されなかった私達がバカみたいじゃないですか。
せっかく前に進めそうになっていたのに、まだ過去を引きずるおつもりなんですか?
―――むに、
「あ、あの…?」
「八戒くんは意外とバカなんですね」
「は…?」
「私が―――いいえ、私達が貴方のせいにするとでも思った?それはちょっと心外です」
むにむにと意外と柔らかい彼の頬をつねりながらむう、と眉間にシワを寄せれば、泣きそうに歪んでいた顔が困ったように微笑んだ。私のよく知る笑顔、参ったなって思っている時によく見る笑顔です。それはつまり、降参だって言っているのと同義ということ。
一体、誰が貴方を責めました?貴方を罵りました?…誰もそうしなかったでしょう。それがどういうことかわかっているものだと思っていましたが、わかっていなかったんですね。
他人のことには聡い方なのに、自分のこととなると途端に鈍くなるタイプなのでしょうか。
「責めない、ということは、誰も貴方のせいだと思っていないということ。というか、そんなもの最初っから頭にないってことなんですよ?」
「……はい」
「現に誰も潰されなかったし、貴方はあの男に打ち勝ったじゃないですか。壊れなかったじゃないですか。…もう一度、謝罪の言葉を口にしたら私は本気で貴方を怒りますし―――ぶっ飛ばしますよ」
「はは、…ほんと、香鈴ってカッコイイですね。悟浄の言っていた通りだ」
それにね、八戒くん。こういう時に言うのは謝罪の言葉じゃないでしょう?
「ありがとう、香鈴」
「はい、よくできました」
にっこりと笑みを浮かべれば、ようやく八戒くんもホッとしたように笑みを浮かべてくれました。うん、今度は苦笑でもない心からの笑顔ですね、良かった。私は笑っている貴方の顔が好きなんです、辛そうに顔を歪めているのを見るのは…私も辛いから。だからできれば、ずっと笑っていてほしいってずっと思ってるんですよ。
言葉にすることはできないけれど、でもずっと、貴方が笑っていられますように―――そう願っていたいんです。
「…喉、乾いちゃいましたね。お茶淹れます」
「ああ、それなら僕が淹れますよ。貴方はベッドにいなさい」
「えええ…もう大丈夫なんですけど」
「バカ言わないで下さいよ。ようやく熱が下がった所なんですし、まともに休めていなかったんですから少しは大人しくしてること。わかりました?」
「…はぁい」
「よろしい」
八戒くんって、…まるでお母さんみたいです。本人は保父さんだ、と前に仰っていましたけど、保父さんよりはお母さんって言葉の方がしっくりきます。3人で暮らしていた頃からずっと思っていましたけど。元々、誰かの世話を焼くのが好きな方なのかなぁ…悟浄くんと暮らし始めた頃から、家事は全て彼が担っていたと聞いたこともありますし。
世話焼きで、困ってる人を放っておけなくて、優しくて、心配性…こう並べてみるとお母さん要素はないはずなんですけど、さっきみたいに諭す所を見ちゃうとやっぱりお母さんだ。
淹れてくれたのはコーヒーでも、紅茶でもなく、中国茶だった。ふわりと香るのはとても安らげる香りで、何だかリラックスできそうですね。食事している時にウーロン茶を飲むことは多いけれど、中国茶ってあんまり淹れないかも…宿の部屋に置いてあることも多いのに、いつもコーヒーばかり飲んでいる気がします。
「どうぞ。コーヒーよりこっちの方がいいでしょう?」
「うん、すっごくいい香り…」
「ジャスミン茶にはリラックス効果があるそうですよ。寝る前に飲むものとしては向いてませんが」
「ああ、カフェインが入ってるんでしたっけ。でもコーヒーを毎日飲んじゃってますし、今更な気もします」
「それは、そうですね…」
私が言うまで気が付いていなかったらしい八戒くんは、ハッとした表情になって確かにそうだ、と深く頷いていらっしゃいます。…何だか、こんな風に彼と穏やかに会話をするのはとても久しぶりに感じちゃうなぁ。本当はそんなことないんでしょうけれど、ちょっと色々ありましたし…大変だったから、尚更そんな風に感じるのかも。
いまだ湯気が立ち上るジャスミン茶を覚ましながら少しずつ飲んでいると、同じようにお茶を飲んでいたはずの八戒くんがとても真剣な表情でこっちを見つめていることに気が付きました。
どうしたんでしょう…何かあった、と言っても、ずっと部屋の中にいましたし、外が騒がしくなった様子もありません。どちらかと言えば、珍しく静かなくらいだ。
「八戒くん?」
「……僕の、昔話を聞いてもらってもいいですか?」
「昔話?」
「はい。―――僕の過去、を」
サイドテーブルにコップを置いて聞かせてください、と八戒くんに向き直れば、コップを持つ手に僅かながら力がこもったように見えました。そっと口を開いた彼が語り始めたのは、とても悲しくて、辛くて―――でも愛しい人と過ごせた、幸せな日々。
もしかして、と推測していた通り―――彼の心の中にはとても大事な方がいらっしゃいました。その方の名前は『花喃』さん、八戒くんの実の双子の姉だったそうです。
とある町でひっそりと2人で暮らしていて、彼は町はずれの子供塾で働いて…お給料はいい方ではなかったけれど、それでも幸せだったんだと笑っていた。ただ花喃さんと一緒に暮らすことができれば、花喃さんの傍にいることができればそれで良かったんだ、って。
だけど、そんな幸せな日々は長くは続きませんでした。ある日、子供達と遊んでいて帰りが遅くなった八戒くんを出迎えたのは、めちゃくちゃになった―――2人の幸せがたくさん詰まった家。
真っ暗な室内には誰もいなくて、町の人に話を聞いてみれば「女狩り」で有名な百眼魔王の一族がやって来たそうです…大切な自分の娘を化け物にやってたまるか、と思った彼らは、花喃さんを身代わりに差し出した。
「そして僕は怒りに呑み込まれ、町の住人を殺しました。一人残らず、全て」
「……」
「捜して、捜して…ようやく百眼魔王の城を見つけたのに、花喃を見つけたのに…手遅れだった」
「え…?」
花喃さんは地下牢に閉じ込められ、確かに生きていた。でも手遅れだった、って…どういうこと?
「彼女のお腹の中には、百眼魔王の子供がいたそうなんです」
望まない子供。望まない性交。それを苦にした花喃さんは、八戒くんが持っていた短刀で自らお腹を刺して命を絶ってしまったそうなんです。…彼の、目の前で―――涙を流しながらも、笑って「さよなら」と告げた。
…ああ、そうか。八百鼡さんが自害しようとした瞬間、彼が動揺していたのはそれが理由だったんですね。彼女の姿に花喃さんが自害する瞬間を、重ねてしまった結果だったんだ。
だからあんなにも、辛そうな顔をして止めようとしていたのか。
「僕は、元々人間でした」
「え?だってそのカフス―――」
「妖力制御装置に間違いありませんよ、今の僕は妖怪です。元・人間なので半妖…と言うんでしょうね」
千の妖怪の血を浴びると妖怪になれる―――――そんな言い伝えがあることは知っていました。だけどそれはただの迷信だと思っていたんですが…もしかして本当、なのでしょうか?
八戒くん曰く、それが本当かどうかはいまだにわからないそうなんです。けれど、百眼魔王の城にいる妖怪を全て殺し、清一色の血を浴びた瞬間。彼の身体は人間から妖怪へと生まれ変わったのは事実に違いない。
「…あの男が生まれ変わった刹那に立ち合った、って言っていたのは…そういう意味」
「はい。…びっくりしました?」
「そりゃあもう…!言い伝え自体は知っていましたけど、ただの迷信だと思っていましたから」
「いやあ、迷信であることには違いないと思いますよ?」
多分、ですけど。妖怪を憎んで、それらを殺す力が欲しいという願う思いが人を妖怪へと変えるんじゃないでしょうか。彼が千人目だったのかどうかも不明ですし。
でもそうか…彼自身、殺した数を覚えているわけがないし…というか、そんな状況で数えるような方もいらっしゃらないと思いますしね。事実ではあるけれど、真相は闇の中―――ってことでしょうか。迷信も彼の推測も真実ではないですし、真実を調べる手段も私達にはないから。
うん、でもまぁいいかな?真相なんか知らなくても。目の前にあるものが私にとっての真実ってことにしておけばいんだからね。
はあ…それにしても、八戒くんってとても波乱万丈というか…すごい人生を送ってきたんですねぇ。でも、会った時からどこか同じ匂いがするな、と思っていたのはこういうことだったんだ。
「香鈴?」
「ずっと―――私と同じ匂いがする、似てるって…そんな気がしていたんです。その理由がようやくわかりました」
同じ、だったんですね。私達の犯した罪は。
「僕も同じことを、香鈴の過去を聞いた時に思いましたよ。ああ似ている、って」
「それで2人共、悟浄くんに拾われて今に至る、ってことですか。ふふ、本当に似ています」
「―――…軽蔑、しないんですか?」
ひとしきり笑って冷めてしまったお茶を飲んでいると、問いかけられた。僕の話を聞いて軽蔑しなかったのか、って。
一体、どこに軽蔑する要素があったんでしょうか。人間を殺したこと?妖怪を殺したこと?それとも―――…
「実の姉を、愛したこと?」
「!」
「実を言うとね、過去を話してくれたことは嬉しかったけど…その内容に関しては似てるな、としか思っていないの」
「…え?」
「そりゃあ波乱万丈だなぁとか、元・人間だったってことには大層驚きましたけど」
「……それだけ、ですか…?」
「?はい。だって私が今、何を思ってももうどうにもできないじゃないですか。過ぎてしまったことですもの」
貴方は実の姉を愛してしまったことを、私が軽蔑するとか穢らわしいと思ったんじゃないかって心配しているのかもしれないけど…そんなことこれっぽっちも思わなかったし、きっとこれから先も思わないんじゃないかなぁ。むしろ、そんなにも愛された花喃さんがとっても羨ましいです。…なんて、本人に言えるわけもありませんが。
俯いてしまった八戒くんの手にそっと触れれば、ビクリと肩が揺れた。けど私はそれを気にすることもなく、ぎゅっと両手を握りしめる。
「ねぇ、八戒くん。貴方は幸せでしたか?」
「幸せ、…?」
「花喃さんと出会えて、一緒に過ごせて、愛して、愛されて…幸せだった?」
「―――…は、い。とても、言葉では言い表せないくらい…幸せでした。花喃を、愛していたんです」
「うん」
貴方の話を聞いていたらわかります。貴方がどれだけ花喃さんを愛していたか、心から純粋に―――恋人として彼女を愛していたのか。どれだけ相手のことを想っていたのか。
ただその相手が、実の姉だったというだけなんですよ。確かに近親者ですから、他人からすれば穢れた関係だったかもしれません。歪んだ愛情だったかもしれません。…でも、彼の口から語られる彼女との生活は愛で満たされていた…花喃さんは彼にとって姉ではなく、命よりも大切な恋人だったんだ。
きっと花喃さんだって幸せだったと思います。実の弟でも、家族でも、ただひたすらに愛情を注いでくれた八戒くんの傍にいられて。これは私の推測でしかありませんけどね?最期のその時まで、貴方をただ愛して、貴方を想っていたんじゃないでしょうか。
今はまだ幸せだった頃を思い出すのは辛いでしょうけど、でもそれは一生忘れられないことでしょう?それだったらもう、一緒に生きていくしか術はないんじゃないかな。時々、花喃さんとの思い出を振り返って―――彼女を想って穏やかに笑うことができたら、八戒くんは前を向けるようになったってことなんだと、私は思うよ。
それまでは泣いたって落ち込んだっていいんです、自分の感情にほんの少しだけ素直になってあげてください。
だから、…だからね?花喃さんと出会ったこと、愛し合えたことだけは―――後悔しないで。
「…本当…敵いませんね、香鈴には」
「ふふっ私だって八戒くんには敵いませんよ?」
お互いに顔を見合わせていると、何だか廊下が騒がしくなってきた。一瞬、何かあったのかなと思ってしまったけれど、その声の主が悟浄くんと悟空であることに気が付いて何となしに時計を見てみれば、もうすぐ夕食の時間であることに気が付きました。
―――バンッ!
「香鈴っ八戒!腹減った!!」
「おいこら猿!ノックくれぇしろっつーんだよ!!」
「…悟浄、悟空…仕方ないですねぇ」
「時間が時間ですもん、私もお腹空いちゃいました」
今日は、一緒にご飯食べましょうか。
この宿に滞在してからというものの、私はこの部屋から出ることがほとんどなく、ご飯も此処で食べていたんですけど…にっこり笑った八戒くんがそう提案してくれました。正直、1人で食べるご飯は寂しくて堪らなかったので即座に頷きましたとも!