先代の歌姫様


「もうお湯が張ってあるなんて…食事している時に準備してくれていたのかしら」


まだあの時はご厄介になるって決まっていなかったはずなのに。何というか、準備がよろしいですよね。

『それに私どもも是非とも歌姫様にお使い頂きたいですから!』

案内してくれた方が言っていた言葉…あれはどういう意味合いだったんだろう?言葉そのままの意味だろう、とは思うんだけど、それにしたって部屋が広すぎます。いくら客人だからといって、たった1人を通す部屋ではないことは明らかなのに。…まるで、この部屋は歌姫様のみが使えるような言い方でもあった、気がしないでもない。いや、わかりませんけど。

ボーッと考え事をしながら湯船に浸かっていたら、何だか外―――というか、部屋の中が騒がしくなったように感じました。泥棒、ってわけじゃあありませんよね?だって、もし本当に泥棒だとしたらこんなにも騒がしくしちゃったら意味がありませんもの。気づかれてしまいますから、今の私のように。
…あ、もしかして八戒くん達かしら?お風呂を済ませたら遊びに来る、って言ってましたもんね。お風呂の中まで入ってくることはないでしょうが、来ているのなら早く上がらないとダメですよね。


「あれー?香鈴、何処に行っちゃったんだ?」
「風呂じゃねーのか?どう考えても」
「……覗くなよ、エロ河童」
「覗かないでくださいね、悟浄?」
「お前ら、俺を何だと思ってんの?つーか、八戒、てめぇ笑顔が怖ぇよ!!」


お風呂場から出ると、賑やかな声が聞こえてきました。何というか、何処に行ってもブレない方々ですねぇ本当。
髪や身体を拭きながら、時折聞こえてくる彼らの話し声に自然と笑みが零れてくる。だって漫才みたいで面白いんですもの。


「クスクス…ダメですよ、人の部屋に勝手に入ったら」
「香鈴いた!風呂入ってたのか?」
「ええ、のんびり沈みすぎたみたい」
「だろうな。俺達が部屋に案内されてから、1時間半は経ってんぞ」
「僕達もゆっくりお風呂に入っていたつもりですが…」
「ま、それでも男女の違いっつーのはあるんでないの?」


まだ濡れたままの髪をカバンの中にしまいっぱなしだった髪留めで留めてから、人数分のお茶を準備する為に簡易台所へ立った。
わ、お茶の種類もたくさんある…旅に出てから紅茶の茶葉を置いている宿ってなかったから、道中で買っていたんだけどここには紅茶もあれば、コーヒーや中国茶まであるじゃないですか。選り取り見取りですねぇ…こんなにたくさんあると色々飲んでみたくなりますが、寝る前だしなぁ…コーヒーは却下しておきましょうか。いつも飲んでるじゃん、って言わないでください。
たくさん並んでいる茶葉を眺めていたら、後ろに誰かが立った気配がした。誰だろう、と思って振り向けば、そこにいたのは不思議そうな表情でこっちを見下ろしている八戒くん。何か私に用事でしょうか?


「何をガン見しているのかと思えば…茶葉、ですか」
「そうなんです。種類が豊富だったのでどれにしようか悩んでしまって」
「成程…だったらこれはどうです?ほら、家でよく淹れていたでしょう?」


これ、と八戒くんが手にした茶葉の缶は確かによく見ていた銘柄のものでした。そういえば私が気に入って、食後のお茶によくこれを淹れていましたっけ…旅に出てからはほとんど飲まなくなっていましたが、久しぶりに飲みたくなっちゃいました。うん、これにしましょう。
人数分のお茶を淹れて皆さんの元へ戻れば、テーブルの上に大きな袋が鎮座していました。これは、何でしょう?


「あっそれ!アイスとかお菓子とか買ってきたんだ」
「そうなの?じゃあアイスは冷凍庫にいれておかないと溶けちゃうね」


このお部屋って何でもあるみたいで、小さな冷蔵庫も完備されてるんです。本当にここで暮らせちゃいそうですよねぇ…料理も簡単なものなら作れそうですし。まぁ、器具は少ないですけど…本来はこういうお部屋にあるものでもありませんしね。

アイスをしまい終えて、大量のお菓子はこれから食べるのかな…と、ちょっと遠い目をしていると、八戒くんに名前を呼ばれました。何ですか、と振り向くとにっこり笑って手招き…え、本当に何ですか?
意味がわからないまま近寄れば、座ってください、とベッドに座らされました。…もっと正しく言えば、八戒くんの足の間だったりします。何ですかコレ、羞恥プレイか何かですか?
八戒くんは時々、よくわからないことをするなぁと思いつつも立ち上がる気がない私は相当この人にやられてる、そう思う。恥ずかしいは恥ずかしいんだけど、でもそれ以上に背中に感じる他人の―――というより、彼の気配と体温が温かすぎて仕方ないんだもの。気持ちはバレないように隠しますから、時々、こうやって彼に近づくことだけは許して下さいね。…なんて、誰に言うでもなくそっと心の中で呟いた。

髪留めを外され、ソファにかけていたタオルで髪をわしゃわしゃと拭かれながら、カードゲームで騒ぐ悟浄くんと悟空…と、三蔵様の姿を眺める。あの御方が2人とゲームするなんて珍しいなぁ…麻雀はよくやってるのを見ますけど、カードゲームは八戒くんと悟浄くんと悟空の3人でやることが多くて、たまーに私も参加してますけど、三蔵様が参加されるのは部屋割とか、1つしかないベッドを使う方を決める時だけだったような気が。


「三蔵様がカードゲームしてる…」
「ああ、珍しいですよね。というか、三蔵がこの時間にこの部屋に来ていることも大分珍しいですが」
「…そういえば、三蔵様ってえらく早寝ですよね。お坊様だからかな」
「恐らく。生活習慣が違うんでしょう、僕達とは」


成程、お坊様は朝が早いですものね…お手伝いしていた頃も、私が出勤するのはそれなりに早い時間でしたが、寺院に着く頃にはもうたくさんのお坊様方がお掃除をしたり、忙しそうに動いていらっしゃいました。それに三蔵様も眉間にシワを寄せながら、次々に運ばれてくる巻物や資料や書類に目を通されたり判を押していたりしてらっしゃいましたものね。悟空は大抵、夢の中でしたけど。

…というか。八戒くん達がお風呂を済ませて遊びに来る、と聞いた時は、三蔵様は来られないものだと勝手に思い込んでたんですけどね。だってこの御方は他人にペースを握られるのが大嫌いなはずでしょう?自分で決めたことならともかく、八戒くん達に言われて素直に来るような御方ではないと思っていました。
面倒くせぇ、の一言で片づけられることが今までもたくさんありましたし。ほら、買い出しとか。


「香鈴、この部屋ってドライヤーありました?」
「え?ああ…お風呂場で見かけた気がしましたけど」


そうですか、ちょっと取ってきますね。と言いながら彼は立ち上がり、それまで背中に感じていた温もりが離れていった。ちょっとだけ寂しいな、とか思っちゃったけど、ドライヤーを取りに行っただけなのですぐに戻ってきましたけどね。


「八戒くんって人の髪を触るの、好き?」
「急に何です?」
「え、いや、だって…同室の時って、いつも私の髪を乾かしてるから」


そう、そうなのだ。見た目通りなのか、世話焼きな八戒くんは私と同室になるとこうやって髪を拭いてくれたり、ドライヤーで乾かしてくれることが多いんです。彼の手は温かくて、優しくて、だから乾かしてもらうのも拭いてもらうのも大好きなんですけど…ふと疑問が浮かんだ、どうしていつもやってくれるのかなぁって。
それでようやく浮かんだのが『人の髪を触るのが好きなんじゃないか』ってこと。私自身に何か問題があるとか、この時はちっとも思っていなかったんです。


「香ちゃんが乾かさないからじゃねーの?」
「あれ、カードゲームは決着ついたんですか?」
「おう。悟空のボロ負け。今は三蔵とやってンぞ」
「それまた珍しい光景…というか、悟浄くん。さっきのってどういう意味ですか?」


ンなの言葉通りだっての。
慣れた仕草で煙草に火をつけた悟浄くんは、くつくつと喉を鳴らして笑いながらそう答えた。言葉通りって、…私、そんなに乾かしていませんでしたっけ?今までのことを思い返してみるけれど、ちゃんと乾かしていたような気がするんだけど。
首を傾げてそう言葉にすれば、それは八戒が乾かしてっからだろーとまた笑われた。…あれ?そうでしたっけ。


「変な所、適当ですよねぇ貴方って」
「そうですか?」
「几帳面そうだし、きっちりしてそうに見えんのにな」
「面倒くさがりですよー。好きなことはちゃんとやりますけど」


髪を乾かしてもらった後は、悟浄くんと悟空が買ってきてくれたというお菓子やアイス、そしてお酒を飲んだり食べたりしながらたくさん笑った。カードゲームしたり、お話したり、…何だか旅をする前のあの頃に戻ったみたいです。
長安を発ってからは宿でこんなにもリラックスすることってありませんでしたもの、いつ妖怪の襲撃を受けるかわかったもんじゃなかったですし。それなりに気を抜いてはいましたけど、今ほど楽しめてはいませんでしたねぇ…宿に泊まっても大体、次の日には出発することが常だから。
今回はしばらく出発できないことが明白ですし、皆さんも気を抜いていらっしゃるのかもしれません。





「うあー、身体いってぇ…!」
「そりゃ床で雑魚寝しちゃいましたからね、身体も痛くなりますよ」
「あ、これうめぇ!!」
「小猿ちゃんはいつでも元気ね、ホント」
「三蔵様、食べながら船漕がないで下さいよ」
「………おう」


私が泊まらせて頂いている部屋で夜中まで過ごし、そのまま床で眠り込んでしまった彼らは朝方、自分達の部屋に戻っていかれました。多分、バレたらまたうるさく言われてしまうから…なんでしょうね。昨夜も部屋割のことをお話した時に、熱く語られてしまいましたから。
その後、ベッドで寝直そうとしたみたいなんですけど―――朝食です、と早々に叩き起こされてしまったみたい。その時間、何と5時半です。さすがにびっくりしちゃいました…この時間に朝ご飯って、他の皆さんは何時に起きていらっしゃるのか不思議でなりません。
なので皆さん(私含む)寝不足で、三蔵様なんて朝食を食べながら、うとうとしていらっしゃいますもん。赤ちゃんってこんな感じですよね、前にテレビで見たことあります。


「おはようございます、歌姫様!」
「あ、…おはようございます」


歌姫じゃありません、って弁解するのも段々面倒になってきてしまったので、そのままスルーすることにしました。だって言ったって聞いてくれる様子ありませんし。
朝も早いのににこにこ笑っていらっしゃる町長さんに、朝食が済んだらお話がありますと言われました。そういえば、昨夜もそんなことを仰っていましたね…でもこの町に来たばかりの私にお話しって、一体何なんでしょうか?嫌な予感とか、そういうものは全く感じませんけど、何というか…面倒なことに巻き込まれそうな感じは昨夜―――というより、歌姫様と勘違いされてしまった時から思っていますけど。
できることなら逃げてしまいたい。でもきっと、それは許されることではないのでわかりました、と笑顔で返す。それに満足したのか町長さんは笑みを深くして、部屋を出ていかれたのだけど。

悟空がようやくお腹いっぱいになった所で私達の食事は終了。昨夜、部屋に案内してくれた方―――英朋さんに町長さんが待っているという応接間に連れて行かれました。
もちろん、八戒くん達も一緒ですよ。さすがに1人じゃ嫌ですもの。


「失礼、します…」
「朝から申し訳ありませんな、皆さん」
「いいえ、それでお話というのは…?」


お掛け下さい、と勧められたソファに腰を下ろしてお話の内容を伺ってみると、とんでもない内容でした。


「実は歌姫様には今度開かれる祭の舞台に立って頂きたいのです!」
「………はい?」


この町の方々にとって歌姫様というのは守り神のようなもので、祈り歌によって町の繁栄や作物の豊作が守られているのだと。
それを祈るのが年に一度開かれているお祭りのようですが…そのお祭りで祈り歌を歌ってほしい、とお願いされてしまったんです。でも私はずっとお伝えしている通り、歌姫様なんかじゃありませんし、その祈り歌も知りませんし、何もお役に立てないと思うんです。けどそんなことはない、と言われてしまって…どうしよう、これ。


「あの、話に水を差すようで申し訳ないんですが…本当に彼女がその歌姫様なんですか?」
「間違いありません!銀髪に黒目…そして先代の歌姫様によく似ていらっしゃいます」


町長さんが見上げた先―――そこには1枚の写真が飾ってあった。
その写真を見た瞬間、ドクリと心臓が高鳴った。だってその写真に写っている方の顔は、私がよく知っている人にそっくりだったから。
…いいえ、そっくりなんてものじゃない、その人そのものに間違いないと思う。幼い時、その写真を見せてもらった記憶があるから。


「お、ばあちゃん…?」
「香鈴?」
「あの写真、…間違いない、私の祖母の若い頃の写真です…!」
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