染まる紅
この町に滞在して5日目。お祭りで歌う予定の祈り歌はメロディ・歌詞と共に何とか覚えることができたので、することがなくなってしまった私は逗留させて頂いている屋敷内にある書物庫に来ています。この部屋には数えきれないほどの本がたくさんしまってあって、暇つぶしにちょうどいいかなぁと思って。
ちなみに本好きの八戒くんと、私と同じく暇を持て余していた悟空も一緒だったりします。何かいい本が見つかるといいんですけどね。
「うーわー、本当にすげー数!」
「すごいですね…ここまでとは思ってませんでしたよ、僕」
「書物庫って言っていただけのことはありますねぇ」
案内された先に広がっていたのは、これでもか!ってくらいに棚に納められた本。大きいですよ、とは聞いていましたけど、本当にすごい数の本ですね。確かにこれなら書物庫ですね、数もすごいですけど本のジャンルも様々でどれから読もうか迷ってしまいそう。
私と八戒くんは気になる本をそれぞれ読んでいたのだけれど、もとよりあまり本を読まない…というか、じっとしていることが得意ではない悟空は早々に飽きてしまったらしく広い書物庫の中を探検してくる、と言って奥の方へ入ってしまいました。まぁ、入ってはいけない所があるとは聞いていないし、読まれたり触られたりするとマズいものが眠っている所へ部外者をいれたりしないはずだから問題ないとは思いますけどね。
…とは思っているのだけど、あの子は好奇心旺盛な子だからなぁ。何か壊したりしないか、少しだけ心配にはなりますね。本に目を向けながらも意識は悟空が入っていった奥の方へ向けてはいますから、何か起きたらすぐに気がつけると思うけれど。
「こんなにゆっくり本を読むの、久しぶりです」
「普段は5人一緒にいますからね、静かな空間なんてあってないようなものですから」
「あの騒がしさも嫌いじゃないですけどね、でも…たまにはこういうのもいいかもしれません」
「おーいっ香鈴!八戒!!」
此処が書物庫でなければお茶でも飲みながら読みたいな、と考えていたら、奥に入り込んでいた悟空が大きな声で私達の名前を呼んだ。けれど、それは決して切羽詰ったものではなくて…何か面白いものを見つけた時の声に似ている気がします。何か見つけたのでしょうか?
八戒くんと首を傾げながら悟空の声がする方へ足を向けてみると、一点を興味深げに見つめている彼の後ろ姿を見つけました。悟空、と声をかけてみれば、満面の笑みで見てみろよコレ!と指をさしたのでその方向へと視線を向けてみると、そこにはとても綺麗に磨かれた大きな水晶玉が置かれていたんです。
「水晶玉ですか、ずいぶんと大きいですねぇ」
「でもどうして書物庫に置いてあるんでしょう…勝手なイメージですけど、こういうのって宝物庫にあるものじゃありません?」
「宝物庫も兼ねてるんじゃね?こっちの奥、色んなもんあったぞ」
ほら、と彼が指さす先には確かにたくさんのものが置かれていました。豪華な衣装だったり、扇子だったり…何か見たことないものばっかりでキョロキョロしちゃいますね。でもどうして書物庫の奥にこんなにたくさん置いてあるんでしょう…これだけ豪華で煌びやかな屋敷だったら、宝物庫くらいありそうなものなのに。
それにしても、…この衣装すごく豪華です。装飾品もたくさんついていますし、それに裾に施してある刺繍もとっても細かくて綺麗。あ、同じようなデザインで色合いが違うものが何着もある…民族衣装みたいなもの、なんでしょうか?それともこの屋敷に住まう家系の正装とか?これだけの屋敷に住まうってことは、由緒ある家系なんでしょうしね。
触ったらマズイかな、と思いつつも、私も好奇心に勝つことは出来ずに少しだけ、と飾ってある衣装にそっと触れた。
その瞬間―――脳裏に何か映像が映ったような気がして、思わず衣装に触れていた手を離してしまった。何だろう、今の…気のせい?
「香鈴ー!…って、どうしたんだ?じーっと掌なんか見つめちゃって」
「あ、…ううん、何でもない。それより私に用事?」
「用事っつーかさ、この水晶玉って占いに使うやつなのかなって」
「もう、ダメよ悟空。大切なものかもしれないんだから、勝手に触っちゃ」
そう諭しながらも私もさっき触っちゃったからな、と内心苦笑する。そんな私の胸の内を知る由もない悟空は素直に謝罪の言葉を口にして、持っていた水晶玉を元の場所に戻そうとした時、近くに立っていた私の手にそれが軽く触れたんです。
すると、さっき衣装を触った時のように脳裏に映像が映った。けれど、それはさっきの比ではなく―――たくさんの映像が映っては、消えていく。まるでたくさんの人間の一生を早送りで見ているような気がしたんです。
悲しみとか、痛みとか、幸せとか、怒りとか、…とにかく色んな感情が身体中を駆け巡っているような感じで、自分の身体なのに、感情なのに上手くコントロールができない。
気がつけば、私はボロボロと涙を流してしまっていた。
「どうしたんです、香鈴!」
「あ、の、わたし…っ」
何かを言おうと口を開くのに、出るのは嗚咽のみで何一つ言葉にならない。しゃくり上げるほどに涙を流しても、それは一向に止まる様子がない。袖口でいくら拭っても、拭っても、決壊したダムのように次々と溢れ出してくる。
何で止まらないんだろう、悲しいわけじゃないのに勝手に流れ出てくる涙に僅かながら恐怖心を覚えてしまったんです。誰かの感情を―――自分の身の内に受け入れてしまったような、そんな気がして。
何も言えずにただ泣き続ける私に、八戒くんと悟空は黙って寄り添ってくれた。八戒くんに至っては背中を擦りながら大丈夫ですよ、と優しい声をかけてくれて。そんな2人にありがとう、と言いたいのに、やっぱり口を開けば嗚咽ばかりが零れ落ちてくるんです。
「〜〜〜…っう、ふ……っく、」
「大丈夫、なーんも怖いことなんかねぇから泣き止んでくれよ香鈴〜…!」
「困りましたね、…とりあえずずっと此処にいるわけにもいきませんし、出ましょう」
「お、おう!」
蹲ってしまったまま動けない私を八戒くんが軽々と抱きかかえる。…所謂、お姫様抱っこというやつで。
この方にこうして抱きかかえられるの何度目でしょう、と涙が止まらない状況で思い返していた。自分でも何を考えているんだろう、と思うけど、こうでもしないと内側に渦巻く感情に押し潰されてしまいそうな気がして怖かったんだ。
―――ガチャッ
「悟浄!すみませんがお湯を沸かしてください」
「は?!おっまえ、帰ってきて早々何言って―――…って、香ちゃんどうしたんだ?!」
「事情は僕達にもわかりません、いいから沸かしてください」
連れてこられたのは八戒くん達が泊まっている部屋。書物庫からはこっちの方が近いから、という理由で来たみたいです。ドアを開けた先にいたのはもちろん悟浄くんと三蔵様なんだけど、八戒くんと悟空のただならぬ様子と抱きかかえられた私を見てギョッとした表情を浮かべてますね。…まぁ、確かに急にボロボロ泣いた女が抱きかかえられて部屋に入ってきたらびっくりして当然か。
ああでも、さっきに比べれば落ち着いてきたかもしれません。あれほど止まる気配がなかった涙も少しずつおさまってきているし、途切れ途切れにはなるけれど言葉も紡げるようになってきましたもの。
「八戒、タオル持ってきた」
「ありがとうございます、悟空。…香鈴、手をどけてください」
「ん、…」
そっと手をどければ、瞼にひんやりとしたタオルが当てられた。しばらく目に当ててください、と言われたので素直にその状態のままでいることにしました。さっきまで目を思いっきり擦っちゃいましたからねぇ…これ、冷やしていたとしても明日腫れちゃいそう。そうなると人前に出れない顔になりそうで怖いです。
目の上にタオルを載せ、そのままの状態で上を向いたままでいること数分。いい加減に首が悲鳴を上げ始めたので、大分温くなった濡れタオルを外した。
「うわ、眩しい…」
「数分とはいえ、視界を遮っていましたからね。落ち着きましたか?」
「あ、はい…とんだご迷惑を」
悟浄くん、悟空、三蔵様にもすみませんでした、と謝罪すると、三蔵様はふん、とそっぽを向いてしまって…でもいつもと何ら変わりない。けど、悟浄くんと悟空は一瞬だけムッとした表情を浮かべてこっちにずいっと近寄ってきました。
何事だ、と身体を引こうとすれば、腕を掴まれて額にすごい衝撃。あまりの痛さに声も出せず、悶絶しているともう一発バチーンッといい音が部屋の中に響きました…そりゃいったいよ、何ですか今の音!!
ああもう、せっかく止まった涙がじわじわと浮かんできちゃったじゃないですか。
「別に香鈴は迷惑かけてねーし。謝んなよな」
「ま、今回ばっかりは猿に同意だな。香ちゃんはもーちょい迷惑かけても問題なくね?」
「いや、すでに結構かけてる気が…というか、今のは2人共ひどいですよっ!めちゃくちゃ痛かったんですから!」
「そのくれぇやんねーとこりないだろ?お前は」
「もう悟浄くんっ!」
「……なんだ、元気じゃねーか」
三蔵様の言葉にピタッと私達の動きが止まる。…言われてみれば、さっきまで内側で渦巻いていた色んなものがすっかりなくなっていることに気がつきました。あんなに苦しかったのに、今では何ともありません。本当にあれは何だったんでしょう。
再度、ベッドに腰を下ろして淹れてもらった温かいミルクティーを口にする。少しずつそれを飲み下していけば、じんわりと身体が温まってきてほう、と息を吐いた。
何で温かい牛乳って気持ちを落ち着けてくれるんでしょう…理屈はわからないけど、牛乳多めに入れてくれた八戒くんに感謝ですね。
「で、何があった」
しばし続いた和やかな時間は三蔵様のひっくーい声によって終わりを迎えた。いや、別に怒っていらっしゃるわけではないみたいなんだけど…何故か眉間にめちゃくちゃシワが寄っていらっしゃいます正直怖いですよ。
「僕と悟空も何が何だかわからないんですが…」
「香鈴が急に泣き出しちゃったんだ。なぁ、あれなんでだ?」
「えっと、……」
なんで、と聞かれると正直、私も困ってしまうんだ。だって自分のことだけれど、上手く説明できないんですもん。流れ込んできた映像、流れ込んできた様々な感情、その全てに引きずられるかのようにボロボロと流れ出した涙。
…やっぱり、あの映像と感情が原因なんだろうか。だけど、こんなオカルトみたいなこと皆さんに話した所で頭おかしいのか、って言われるのが関の山ですよね。それに詳しく聞かれても私には何も説明できないだろうし…ううん、どうしたらいいんだろう。
何でもありません、と誤魔化そうとしてもきっと、この方達はすんなり引いてくれるとは思えないしなぁ…思いっきり泣いちゃった後ですしね。
「何て言ったらいいんだろう、…急に、流れ込んできたんです。たくさんの映像と感情が」
「どういうことだ」
「嬉しいとか、幸せとか、痛いとか、怖いとか、苦しいとか…誰かの―――いいえ、今思えばたくさんの人の感情が一気に、私の中に流れ込んできて…」
「コントロールが効かなくなってしまったんですね」
八戒くんの言葉にコクリ、と頷いた。彼の言う通り、あの時の私は完全に感情のコントロールができなくなっていたんです。
「それ、どんなんだったか覚えてんの?」
「ザーッと早送りで見ている感じでしたからあんまり…だけど、」
途端、こみ上げてくる吐き気を飲み込んで口を開いた。
真っ赤に染まった光景の中に、転がる死体があった、と。
「うえー…」
「どれも最後に映るのはそれ、なんです」
泣き叫びながら助けを乞い、逃げ回る女性達の姿。でもその声は誰にも届くことなく、真っ赤な華を咲かせていくあの光景は―――忘れようにも、忘れられませんよね。落ち着いてから思い返してみれば、あんなにも早送りで見ている感覚だった光景の1つ1つが鮮明に思い出されてきて自然と眉間にシワが寄っていくのがわかる。
イタイ、タスケテ、―――シニタクナイ、マダイキテイタイノ。
声は一切聞こえなかったはずなのに、どうしてだか紡いでた言葉がわかったような気がした。伸ばされた手も私に向けられていたものじゃないのに、あれはきっと過去の映像のはずなのに…どうしてだろう、助けられなかった―――なんて、思ってしまうのは。
後悔の念が、生へしがみつきたい彼女達の執着心が、ドロドロとした何かが私の身体を、縛る。
「…大丈夫ですか?」
「あ―――…は、い…大丈夫、です」
視界に映った翡翠の瞳。その色にひどくホッとしている自分がいた。ようやく、ちゃんと呼吸ができたような気がして大きく息を吸って、全て出しきるかのようにそれを吐き出す。
まだもやもやして気持ちが悪いけれど、さっきよりかはずいぶんとマシになったと思う。
「(あの映像の最後に映ったのは、)」
あの姿は、顔は、間違いなく私の祖母―――おばあちゃんの、最期だった。