ぼくの太陽は、


 side:八戒


「香鈴!」


紙束をギュッと抱え持って緊張した表情で部屋を出て行った彼女の名を呼べば、やっぱり不安気な瞳が僕を見上げている。そんな彼女に大丈夫ですよ、と言葉をかければ、ホッとしたように表情を緩ませていつもの笑みを浮かべてくれました。


「いってらっしゃい、香鈴」
「はい。…いってきます、八戒くん」


ようやく落ち着いたらしい彼女を送り出してから、僕達も彼女が立つ舞台が設置されている広場へと向かうことにした。出来れば前の方で見たいですね、と話していたんですが、まぁ無理でしたよね…思い返してみれば、この町に辿り着いた時の彼女の人気っぷりはすごかったですから。
40年ぶりに歌姫様が戻ってきた、となればその舞台を観に来る人の数もぐっと増えて当然だろう。さすがにこの人混みを掻き分けて前方へ行くのは困難だ、と判断した僕達は、偶然見つけたベンチに腰掛けて彼女の歌を聴くことにしました。
三蔵が人混み嫌いですし、むしろこの方がいいかもしれませんね。舞台から少し離れてしまっていますが、角度的にちょうど人が立っていない所だからよく見えますし。いい場所かもしれません。

ベンチに座ってボーッと待っていると、急に騒がしくなってきた。視線を舞台に戻してみると、そこには楽器を持った方々と―――綺麗に着飾った香鈴の姿があった。表情はまだ少し硬いけど、でも笑う余裕はあるみたいで歌姫様、と声をかけられる度に笑ってお辞儀をしているのが見える。
ふふ、何というか彼女らしいですねぇ。


「あっ香鈴だ!もう始まんのかな?!」
「みたいですよ、楽しみですね」


始まった演奏。そして彼女の歌声が耳に届いた瞬間―――鳥肌が、立った。
歌声を聴くのはこれが初めてではない、今までにも2回ほど聴いたことがあった…けれど、それとは比べものにならないほどに澄んでいて、綺麗で、スウッと胸に直接響いてくるその声に魅了されてしまう。息を飲む、その表現が一番しっくりくるような歌声に僕達はただ、耳を傾ける。

そのままじっと聴き惚れていると、ふわり、と温かい光が辺りを舞っていることに気がついた。その光は香鈴を中心にするように、どんどん広がっているようで。
蛍だろうか、と思ったけれどどうやら違うみたいです。触れれば泡のように消えてしまったそれは、ひたすらに温かくて優しい光を灯している。どこか彼女―――香鈴が纏う雰囲気に似ていますね、と笑みを零した。


「綺麗…」
「ああ…これこそ歌姫様の祈り歌の力だ」


ポツリ、ポツリと聞こえる町の方々の話し声。確かにこの歌声は素晴らしいと思います、迷いも、悩みも、悲しみも、怒りも…全てを優しく包み込んでくれるような、そんな温かい何かを持っているんだと。
この歌声は彼女そのもの、ですね。


「すっげぇ……」
「…ああ」
「優しくも力強い声…すごいですね」
「歌だけでこんなにグッとくんの初めてだわ」


歌が終わる頃には自然と涙が零れてきていてびっくりした。それは悟浄と悟空も一緒だったようで、男3人が歌を聴いて涙を流すという、何ともシュールな画が出来上がっちゃいましたよ。三蔵は泣いてはいないように見えましたが、鼻を啜っていたので僕達にわからないように拭っていたのかもしれません。
町の方々も泣いている人が多くて、皆さん涙を流しながらも大きな拍手を送っている。その後も4曲ほど歌い、計5曲を歌い終えた彼女は1つお辞儀をして舞台を下りていきました。

これで彼女の出番は終了、ですよね。あとは宴の時間まで自由にできるはずなんですが、今、彼女の部屋に行って会うことはできるのだろうか?できれば香鈴にもこのお祭りの雰囲気を味わってもらいたいなーって思うんですよ、前にお祭りに行った時、とても楽しそうにしていたから好きだと思うんです。こういうの。


「はっかーい、俺達適当に祭見てくっからさ、お前香ちゃん連れてきたら?」
「え?」
「宴まで時間あるんだし?あの子と一緒に回ってこいよ」


その方が嬉しいんでない?お前も。
僕だけに聞こえるように紡がれた言葉。ギョッとして悟浄の顔を凝視すれば、楽しそうに笑ってる彼がそこにいた。この人、…僕の反応を見て遊んでいませんかね?そういう節が多少なりともある人なので。


「何を言ってるんですか、貴方は。…でも彼女もお祭り見たいでしょうし、連れてはきますけど」
「あれ?もしかしてお前、無自覚?」
「だから何の話をしているんですか…ほら、置いて行かれますよ?」
「あ、ヤッベ!」


慌てて駆け出して行った悟浄に背を向けて、さっき彼が言った言葉を反芻する。本当に何を言っているんだろう、あの言い方じゃあまるで僕が彼女に恋をしているみたいじゃないですか。そんなこと有り得るはずがないのに何故、あんなことを言ったんだろうか。それとも本当に僕をからかっていた、とか?

―――本当に?本当に、…僕は彼女に恋をしていないと言い切れるか?

ふと歩みを止めて思案する。確かに彼女のことは好きだ、それは断言できるけれど…でもそれが恋なのか、と聞かれたら即答できないと思うんです。だってそうなのかわからないから、自分でもどういう気持ちを彼女に抱いているのか…ハッキリしないんですよ。
同居人で、一緒に旅をしている仲間で、…僕を照らしてくれた人。彼女が僕に向けて紡いだ言葉は今でも胸の奥に残っているし、支えになっている。香鈴の言葉があったからこそ、僕は前を向けたと思うし自分の為にもう少しだけ生きてみたい、と思えるようになったんだから。

悶々と考えながら歩いていたら、いつの間にか香鈴が泊まっている部屋の前に着いていました。ノックをして声をかけてみれば、すぐにドアが開き笑みを浮かべた彼女が顔を覗かせる。


「八戒くん!」
「お疲れ様でした。綺麗な歌声で感動しちゃいましたよ」
「へへ、…そう言ってもらえると嬉しいです」
「もう自由にしていいんでしょう?一緒に…お祭り行きませんか?」


てっきり喜んで承諾してくれると思っていたんですが、そんな僕の考えとは裏腹に困ったような表情を浮かべていることに気がついて、びっくりしちゃいました。まさか困ってしまうとは思っていなかったので。迷惑、だったんでしょうか…これは結構、堪えますね。
僕と行くのが嫌だったり、やることがあるならいいんですよ、失礼しました、とドアを閉めようとしたら違うんです!と大きな声が響いて、またびっくり。


「えっと、香鈴…?」
「ち、違うんです、やることがあるとか八戒くんと一緒に行くのが嫌だとかっそういうんじゃ、ないんです…!」


僕の服を掴んで必死にそう訴えてくる黒曜の瞳に、思わずドキッとしてしまう。今まで意識したことありませんでしたけど、この角度で見上げられると…色々とマズイような、気がしますね。
ドキドキと忙しなく心臓に気づかぬフリをして、ゆっくりでいいから聞かせてください、といまだ慌てて弁解しようとパニックになりかけている香鈴を部屋の中へ入るよう促すことにした。このまま廊下で話すよりその方が落ち着けるでしょうしね。
パタン、とドアを閉めて振り向けば、さっきよりは幾ばくか落ち着いた様子の彼女がソファに座っている。


「あの、…さっきの歌で皆さんが感動してくれたらしいんです」
「はい」
「だから、その…私がお祭りに顔を出すとパニックになってしまうかもしれないから、宴まで此処にいてほしいって言われてしまいまして」


ああ…成程、だからさっき困った顔になったんですね。納得しました。
ふむ、でもそれなら―――





「リンゴ飴はどうだい?甘くて美味いよ〜」
「じゃあ1つもらおうかな」
「まいどっ!」


変装してしまえばいいんですよ。僕のその言葉にさっきまで着ていた衣装を脱いで、化粧も落として、普段の格好になった香鈴。目立つ銀髪は前に町へ遊びに行った時のようにキャスケットの中に仕舞い込んでみました。
あの舞台で顔が広く知れ渡ってしまった彼女はそれでも心配そうな表情を浮かべていたけれど、全く気がつかれていないことがわかったのか徐々に表情が柔らかくなってきましたね。
買ったばかりのリンゴ飴を渡せば嬉しそうに噛り付いてます。本当に甘いものが好きなんですね。


「長安のお祭りも賑やかでしたけど、この町のお祭りもすごいですね!」
「ええ、出店もたくさんありますし、広場で行われている出し物もすごい数のようですよ。遠くから見に来る、というのも頷けます」
「お祭りの様子は見れないと思ってたので嬉しいです」


連れ出してくれてありがとう。
そう言って満面の笑みを浮かべた彼女を見て、また心臓が跳ねた。ほぼ衝動的に彼女を―――香鈴を抱きしめたいと、思ってしまった。この花が咲いたような笑顔を自分だけに向けてもらえたら、と柄にもなく思ってしまったんです。
わからないと、ハッキリしないと、ずっと目を背けてきました。だけど僕はきっと、彼女に救われたあの日から恋をしていたんです…他の誰でもない、香鈴に。向けられる笑顔を独り占めしたい、彼女を誰にも渡したくない・譲りたくないと…強く思った。彼女が泣くことのないように、悲しむことがないように、ずっと笑っていられるように、僕がこの手で守ってあげたいってそう思うんですよ。

この手に刻まれた罪は一生消えることはないけれど、まだ穢れてしまったこの手で眩しすぎる彼女に触れることは怖いけれど…だけど、譲れないんです。それくらい好き、なんだ、香鈴。貴方が。


「(いつか―――…この気持ちを告げることができたのなら、)」


貴方は今と変わらぬ笑顔を僕に向けてくれるのでしょうか?
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