悪夢が醒める時
今もまだ、撃った瞬間の感触が手に残ってる。独特の火薬の臭いも、英朋さんの笑顔も、声も、何もかもが鮮明に残っているのに…でももう、彼の身体はどこにも見当たらない。そこにあるのは媒体であっただろう、一粒の石。それをぎゅうっと握りしめて、私は蹲る。
いつ町の方々が私達を見つけるかわからない、早く町全体にかけられた術を解かなければ出ることさえできないのはわかっているのに…だけど少しだけ、このままでいたかった。
香鈴、と私の名前を呼んだのは誰だったろう。近くで紡がれたであろう声なのに、ひどく遠くで聞こえたような気がして誰の声かすら判別できなかったんです。ああこれじゃダメなのに、しっかりしなくちゃ…ぐるぐると回る思考に埋もれてしまいそうだ、と思った時、温かい手が頬を撫ぜた。
ハッと顔を上げると、そこには心配そうな瞳でこっちを見つめている八戒くんの姿。私はそこでようやく意識を、我を取り戻したような気がしたんです。
「はっかい、くん…?」
「そうです。…しっかりしてください、今は落ち込んでる場合じゃないですよ」
「…ええ、そうですね。もう大丈夫、すみませんでした」
顔をぱん、と一度だけ叩いて、皆さんの方へ向き直る。ぎこちなくも笑顔を見せれば、悟浄くんと悟空もホッとしたような笑みを浮かべている。三蔵様だけはいつも通りだけど、でもそれでいい…これが私達5人の姿なんだもの。
とにかく術者と町全体にかけられている術の媒体を探さなくちゃいけませんよね、と立ち上がろうとした時、足元に何か大きな袋があったことに気がつきました。あれ?さっきまでこんなものあったっけ…私達は誰も荷物なんて持っていなかったし、と中を覗き込んでみると、見慣れた服が入っていて。1つずつ取り出してみれば、それは確かに私達が着ていた服に間違いはない。
そっか…英朋さんが銃と一緒に持ってきてくれていたんですね、靴まで全部。きっと今日、こうなることをあの方はわかっていらっしゃったんだ。それで終わりにしよう、と…私達に終わらせてくれ、と全てお話してくれたんですね。
「…アイツ、どこまで用意周到なんだかな」
「でも助かったじゃないですか、スーツじゃ思うように動けませんでしたよ?」
「無駄口叩いてねぇでさっさと着替えて片づけるぞ」
「だなっ!あいつらもいつ戻ってくるかわかんねーし」
「そうですね、急ぎましょう」
着慣れたそれらに袖を通し、靴を履き替え、2つのホルスターを腰に装着すれば出来上がり。
何だかこの服を着るのも、ホルスターをつけるのもとても久しぶりに感じてしまいますね…この町に滞在し始めたから一度も、これらを身に着けることはありませんでしたから。
―――ガサッ
「んで?どーすりゃいいんだよ、三蔵」
「術者と媒体を探す。術を解きゃあ町の奴らもさっきの男のように崩れ落ちるはずだ」
「向かってくる奴らはぶちのめすつもりだが…ま、放っておいても問題はねぇってことだな」
「媒体は何処にあるんですかねぇ…」
「―――…社、」
ポツリと呟いた言葉に4人の目が一斉にこちらを向く。それに驚いて肩を震わせつつも、私は自分の推測を口にした。
生贄である歌姫様達の遺体は社に捧げていた、と英朋さんが仰っていましたから、きっと媒体もそこにあるのではないかと思うんです…本当に生贄を捧げることで守りが強固になっていたとすれば、社が一番力が強いはずだから。
まぁ、あくまで推測でしかないので本当にあるのかはわかりませんが、闇雲に探すよりはまだいいかなーと思いまして。
「術者は捜し回るよりも待つ方がいいと思います。私達が媒体に近づけば…」
「それを壊されまいとして術者本人も動く―――ということですね」
「一番手っ取り早いのはそれだな。社に行くぞ!」
町中を一度探検していて助かりました。そうじゃなきゃ、今頃は何処に何があるのかわからなくて5人でてんやわんやしていたかもしれませんもの。
休むことなく足を動かしていると、遠くの闇の中で何か赤いものが光ったような気がした。一瞬、気のせいかもしれないと思ったけど、でもすぐに風をきる音が聞こえてガツンッと鈍い音が響き渡った。
さっきまで私がいたであろう場所に鉄パイプが振り下ろされていて、背中に冷たいものが流れ落ちる。わー…ギリギリだったけれど避けられて良かった、そうじゃなきゃ頭から血を流す羽目になっていましたね。確実に。
「うっわ、すげぇ数!!」
「恐らく宴に参加されていた方達以外の人も呼び出されたんでしょう…参りましたね」
「さすがに無視して奥に行けるような数じゃねぇな。…八戒、香ちゃん、お前ら先に行け」
「え、悟浄くん?」
「俺ら3人いりゃあ、何とか道開けられんだろ。その間に社に走れ」
「…ふん。河童にしちゃあいい案だな」
「でも、」
「じゃあ任せましたよ、3人共。行きましょう、香鈴!」
八戒くんに腕を引っ張られて、私達は駆け出した。その先には目が赤く光っている方々がたくさんいらっしゃいましたが、悟浄くんの鎖ガマが彼らを一気に引き裂いていく。そうして生まれた隙間を縫って私達は社を目指した。
途中、3人の様子が気になって後ろを振り向いたけれど、もう囲まれてしまったらしく姿が見えない…大丈夫だと思う、けど、それでもやっぱり心配になってしまいます。怪我とかされていないといいんですけど…。
後ろを気にしながら走っていたら、握られていた手にギュッと力が込められた。
「…あの人達なら大丈夫ですよ、すぐに追いついてきますから」
「八戒くん……はい、そうですよね」
私達が今、最優先でしなくちゃいけないのは彼らの心配じゃない。町にかけられた術を解くことだ。その為には後ろばかり向いていたら意味がない、彼らが作ってくれた道を―――前を見なくちゃ。
しばらく走ると見晴らしのいい、ひらけた場所に着きました。大きな鳥居と祠、それから社…ああ、間違いありませんね、此処が歌姫様達の遺体が捧げられていた場所だ。
この場所のどこかに術の媒体となるものがあるはずなんですが、一体どこに…?地中に埋める、なんてことはしないでしょうし、術者が持っているはずもないと思うんですけど…もしかして社にあるっていう私の推測は間違っていたんでしょうか?
ふっと祠に目を向けた時、扉が開いていて中が丸見えになっていたんです。そっと中を覗いてみると、梵字が書かれた石が置いてありました…よく見てみると何か赤黒いものが付着してる。これって血…?梵字も赤黒いということは、これも血で書かれたものってことですよね。こんなものが祠に置かれているということは、これが媒体ってことでしょうか。
「おやおや、此処に辿り着いてしまうとは…予想外でしたな」
「!貴方は、…町長さん…?」
「その口ぶり、やっぱり貴方が術者ですか」
「いかにも。事切れる直前に術を施し、この町を維持しているんですよ」
詳しいことはよくわかりませんけど、この町自体が式神みたいなもの…ってことなんですよね?多分。そして祠に置かれているあの石がその心臓部分。
…それを壊せば、結界も術も解けて元の姿に戻るってことだと思うんです。でも彼はそう簡単に壊させてくれそうにありませんね。
「…いくら待ったって無駄です、もう二度と―――私の祖母に会うことは叶わない」
「ほう…?」
「だってもうあの人は、この世にいない。死んでしまったんですから」
「―――…そう、そうでしたか。あの愚かな少女は死にましたか」
おろ、か…?
「大人しく私達の手にかかっていれば、この町の安寧の糧となれたものを…愚か以外に何と言えば?」
「どうしてっ…どうして、生きたいと思うことが愚かなの。愛する人と生きていきたいと思うことが愚かなの!生きていれば…誰だってそう思うはずなのに、」
「あの家系に生まれたことが運のつき…そういうことなんですよ。ねぇ?歌姫様」
人間を食い物にする妖怪など、全て滅んでしまえばいい。その為の生贄だったんですから。
町長さんのその言葉に私は視界が真っ暗になっていくような気がした。だってその言い方はまるで、歌姫様なんて最初からいなかったような…そんな言い方だったから。
ぐらり、と傾ぐ身体を支えてくれたのは、やっぱり八戒くん。そっと顔を上げてみると、彼の表情は怒りで歪んでいました。肩を支えてくれている手が微かに震えているのも、怒りのせい…?
そんな私達を余所に町長さんは楽しそうに笑いながら、この町に伝わった偽りの歌姫様の話を紡いでいく。歌姫様がこの町を守ってくれているというのも、彼女達の血が守りになっているというのも…全ては彼らが作り出した嘘だったんです。妖怪と共存していくことに僅かな恐怖を感じていた当時の役場の方達が、考え出したものだそうです。
「…では、何もしていない彼女達を毎年…?」
「ええ、そうですよ。妖怪が傍で暮らしているなんて、怖くて仕方がないですからねぇ…でももっと怖かったのは、あの愚かな少女の家系です」
「おばあ、ちゃんの…?」
初代から19代目の歌姫様と称された子達は、本当にただ歌が上手かっただけの妖怪の少女。でも20代目となった少女―――私のおばあちゃんは、本当に歌姫だったそうです。
ただ歌が上手いだけではない、その歌声には何とも言えない力が宿っていて…傷を癒すことや、彷徨う魂をあの世へ送ること、亡くなった方の魂をこの世に呼び戻すことができた。
おばあちゃんの紡ぐ歌には、そんな力があった。更に体の中に異形の魔の物を飼っていたものだから、いつ自分達が殺されてしまうのか、魔の物に喰われてしまうのか、それを考えると村の人間は気が気でなかったそう。
いつ訪れるかもわからない恐怖に怯え、毎日を暮らしていた。だからその恐怖の元凶であるおばあちゃんを、殺してしまいたかった…でもただ殺すだけではバレてしまう、だから歌姫様に選んだ。今までに殺した少女達のように、町の安寧の為だ、と嘯いて。
「そしてあの日、あの少女は村から逃げ出した。その直後にこの町は妖怪に襲われ、滅んだんですよ…あの少女のせいでね」
「それは違うでしょう。少なくとも香鈴のおばあさんのせいではない…数十人もの少女の死が、血がこの町を守っていないのなら…ただ運が悪かった、そういうことじゃないんですか?」
「くくっ運が悪かった…?それこそ違いますよ、お兄さん…妖怪達を連れてきたのはあの少女―――蓮花だ!そうでなければあんなタイミングで襲われるはずがない!!」
おばあちゃんがそんなことをするはずがない。どんな仕打ちを受けていたとしても、人間が好きなんだと笑っていたあの人が、恨むことはしてはいけないと口酸っぱく言っていたあの人が…そんなバカなことをするはずがないんです。あの人は、おばあちゃんはひたすらに優しくて―――全てを愛していたんだもの。
でもきっと、目の前にいるこの方の耳にはどんな言葉も届かないんだわ。そう思い込んだまま壮絶な体験をし、死を迎えた状態では…きっともう、染みついた恨みを引き剥がすことは出来ないんだと思います。恨みの感情はひどく深くにまで根を張り、そう簡単に晴れるものではないから。
耳を傾けてくれないのなら、壊すしか方法はない…全てを壊して無に帰す他、出来ることはないんだと思う。それは弔いにすらならないのだろうけれど。
「(…いいえ。きっと私は、弔う気持ちなんて一つもないんだ)」
この方達に、この町に恨みなど持っていない。祖父母は確かに生きていて、幸せだと笑っていた。私の家族を奪ったのはこの方達ではないんだから。
…だけど、どうしてだろう…この町も確かに理不尽な急襲で滅んでしまった町なのに、奪われた命のはずなのに、自業自得だと思ってしまった。恨むことで現状を生き永らえているこの方を哀れと思いこそすれ、それ以上の感情は一切湧いてこない。終わりに、しよう。この馬鹿げた風習も、何もかも…消してしまいましょう。
チラリ、とすぐ後ろにある祠に目をやる。扉は開いたまま、中にある媒体の石もそのまま鎮座している…少し手を伸ばせば届く距離にあるそれを壊せば、この悪夢はすぐにでも覚めるのだ。
ただ問題は、地面に叩き付けることでこの頑丈そうな石が壊れるのか否か、ということ。私の力でそれができるのかはわからないけれど、まずやってみなくては始まりませんよね。
祠の奥にある石を掴んで叩き割ろう、と振り上げた瞬間、ガサリと木々が揺れてたくさんの人が姿を現した。もしかして悟浄くん達はやられてしまったんだろうか、と不安が胸をよぎるけれど、彼らが出てきた場所は私達が走ってきた方向から僅かばかりずれていますし…多分、あの時の方達とは違うんだと思う。さすがに一人一人の顔を覚えているわけではありませんから、断言はできませんけど。
「…蓮花がもうこの世にいないのならば仕方がない、私達の恨みは貴方に受けて頂くとしましょうか―――第21代目・歌姫様?」
町長さんが手を挙げた瞬間、一斉に向かってきた村の方達。一度失われている命とはいえ、人間を殺すのは不本意ですが…やらなければやられてしまう、そういう世界で私達は生きているから。
向けられた刃を受け流し、露わになった項に手刀を一発。これで気絶してくれたはず、と背を向けた瞬間、タイミング良くこっちを向いた八戒くんが慌てた様子で私の名を呼んだ。どうしたのかと思えば、後ろで何かが動いた気配がして…視線を動かせば、さっき項に手刀を決めたはずの人が―――刀を振り上げていた。避けようにももうどうにもならない、やられると覚悟してきつく目をつぶった。
けれど、いくら経っても痛みも衝撃も襲ってこない…代わりに感じたのは、誰かの優しい温もり。
―――ズシャァッ!
「ぐ、…!」
「八戒くん?!」
「だ、大丈夫です…ちょっと腕を切っただけですから」
「今のうちだ!殺してしまえ!!」
囲まれてしまった私達、絶体絶命かと思ったんですが―――数発の銃声、打撃音、何かを切り裂く音が耳に届いた。
そして私達を殺そうとしていた方達は、砂のように散っていく。
「やーっと追いついたぜ!」
「何だ、まだ壊していねぇのか」
「うわっ八戒、怪我してんじゃん!大丈夫か?!」
「ええ、問題ありませんよ」
「悟浄くん、悟空、三蔵様…!」
「き、貴様ら…私の放った式達を全て倒したというのか!」
悔しそうに言い放った町長さんに挑発的な笑みのみを返した3人。当然だろ、と言いたげなその笑みを、3人の瞳を見た彼はグッと顔を歪め、懐から何か紙を取り出したかと思えばそれを一気に燃やした。あれは一体何だったのだろう、一体何をしたんだろう…でもすぐにその答えを知ることになる。
ガサリと揺れた木々の間から姿を現した町の方達。彼らの瞳は真っ赤に染まっており、攻撃本能もむき出し…とことん増やされたその数はざっと数百人って所でしょうか。本当に町の方々全てが町長さんの式にされている、ということなんですね。
襲いかかってきた人達を躱しながらどう石を壊そうか、と模索していたら、突然誰かに腕を引っ張られて地面に転がされた。その拍子に手を離してしまったせいで媒体の石が転がっていく、慌てて手を伸ばした所を何かに踏まれてしまった。
「ぃあ、…!」
「散々、めちゃくちゃにしてくれましたね…やはり貴方にはその命で償って頂くしかないようだ」
「っ、香鈴!」
グイッと胸倉を掴まれ無理矢理に立たされる。空いている手には刀が握られていて、それで私を殺すつもりなのだろう…自らの恨みを、長年の恨みを晴らす為に。…けど、そう簡単に殺されてあげるほど…私は弱くないんですよ。
いまだ胸倉を掴んだままの彼の腕に手を添えて、それを思いっきり捻り上げた。私が抵抗するとは思っていなかったのか、拘束は簡単に外れて私は落としてしまった石を拾い上げて町長さんから距離を取る。
足を一歩、後ろに引いた時カランッと何かが落ちる音が聞こえて振り向けば、そこは崖―――もう少しで私は奈落の底へと落ちる位置に立っているようでした。
背中がひやりとするけれど、ここで引くわけには…いきませんよね。
「…さあ、その石を返せ。そして我らの町の礎となりなさい」
「―――悪いですけど…貴方の恨みを晴らす為に投げ出す命なんて、私は持ち合わせていませんので」
足に力を込め、私はその場から―――身を投げた。