道筋
「なかなか面白いものを見せてもらったけど、…でも壊れちゃったか」
少女の身体が倒れ込むのと同時に、私もその場に座り込んでしまって肩で息をしていると、白衣を着た男性が姿を現した。その手にはウサギのぬいぐるみを抱え、楽しそうに紡がれた言葉は…目の前に倒れている少女へ向けられたもの?
彼女もその男性の存在に気がついたらしく、震える手を伸ばして「博士」と口にした。ああ…この子がずっと呼んでいた博士というのは、この男性のことだったのね。…でも何だろう、真っ当な関係に思えないのは。
その場を離れることも出来ないまま、ただ目の前で繰り広げられる2人の会話をただぼんやりと聞いていたんです。でも少女の声はもうほとんど私には聞こえない、男性の声も微かに聞こえる程度…まぁ盗み聞きするような趣味もないですし、この2人の会話に然程興味があるわけでもないのだけれど。だけど、伸ばされていた手は一度も男性が掴むことはなくて…それをどうしてだか、悲しいって、思ってしまった。
「さぁて、新しいゲームの準備は済んでるし…今度は君自身で遊ばせてもらおうかなぁ」
―――ね?美しい銀髪の歌姫、香鈴ちゃん?
「ど、して…私の名前、」
「…さあ、どうしてだろう?」
ニヤリ、と歪められた口元。真っ直ぐに私を見下ろしてくる瞳。その全てに身体が拒否反応を起こしているような、そんな錯覚をしそうになる。
だってこの人の瞳は、怖い…何かを見つめているようで、でも何も見ていない―――映し出されているのは、真っ暗な闇だ。光を一筋も通さないような、全てを飲み込んでしまいそうな…深い、深い闇のようだと思ったんです。この瞳に囚われたらきっと、終わりだと。
「ひとつ、イイことを教えてあげよう。君のその綺麗な歌声は、癒しにもなれば凶器にもなる」
「え…?」
「あれ?もしかして聞いてない?…人を呪い殺す歌を紡げる、血塗れの歌姫だ」
「ッ?!」
その男性曰く、かつてはおばあちゃんの身に宿っていたその力は全て私に受け継がれているらしい。…そういえばあの時、町長さんも言っていたっけ。歌姫の紡ぐ歌は傷を癒すことも、魂をあの世から呼び戻すことも出来るんだって。
けれど、人を呪い殺す歌って…そんなの、一言も聞いた覚えがない。この方の戯言?それともーーー本当に?
「…貴方、どこまで知っているの?」
「どこまでも♪恐らくは君の知らないことまで、…隅々まで教えてあげられると思うけど?」
クイッと顎を掬われ、間近で瞳を覗き込まれた。近くで見れば見るほど、その真っ黒な瞳に吸い込まれそうになってしまう…一瞬でも気を抜いたりでもしたら、全てを持っていかれてしまうでしょう。
「気を付けるといい、君の内側に眠る血塗れの歌姫の狂気は―――いずれ、お仲間をも滅ぼすよン」
「わ、たしが…皆さんを…?」
「うん、イイ瞳だ。…ま、その方がボクにとっては都合がいいんだけどね」
君の歌姫としての力はまだ発展途上中だ。全ての力が解放されるのを、願ってるよ。
そう呟いた男性は、一瞬にして私の目の前から姿を消した。
一体、あの人は何だったの…?全てを知ってるような口ぶりで、飄々として全く掴み所がない。私に仲間がいることも知っていたし、もしかして牛魔王サイドの…?だけどどう見てもただの人間でしたよね、制御装置をしているようには見えませんでしたし…でもあの全てを飲み込んでしまいそうな闇だけは気になる。
「…とりあえず、戻ろう。皆さん心配していらっしゃるかもしれませんし」
勝手に森の奥まで走ってきてしまいましたけど、まさか置いてかれているとか…そんな恐ろしいオチが待ち構えてはいませんよね?大丈夫ですよね?…さすがにそれはないだろう、と笑い飛ばしたいけれど、三蔵様ならやってのけてしまいそうだなぁと思ってしまうんです。うう、嫌だなぁ…戻ったら誰一人いないとか。さすがにそんな光景を見たら大泣きできますよ、私。
内心、涙を流しながら森を抜けると―――そこには、ジープのボンネットに座って道を確認している八戒くんと、その隣で煙草を吸っている悟浄くん。助手席で煙草を吸いながら新聞を読んでいる三蔵様と、三蔵様に話しかけている悟空の姿がありました。
よく見る光景にホッとしていると、私の姿に気がついた八戒くんが穏やかな笑みを浮かべておかえりなさい、と声をかけてくれました。
「あーっ香鈴、やっと帰ってきた!!」
「遅い。さっさと乗らねぇか、出発するぞ」
「なーんだよ、三蔵様だって心配してたくせによー」
「…その暑っ苦しい頭、涼しくしてやろうか?」
「あはは、まあまあ。…香鈴、腕を怪我していたでしょう?診せてください」
「あ、…はい」
何も聞かないでくれることに、正直ホッとした。私は今、ちゃんと笑えているのでしょうか?
「どうかしましたか?」
「八戒くん…」
「昼間のことがあってからずっと元気がありませんが、森の奥で何かありました?」
はい、と渡されたマグカップを受け取りながら曖昧な笑みを浮かべる。何かあった、と答えるのが正しいのだろうけれど…でもどう話せばいいのかわからないんです。
『あなたさえいなければ、博士のいちばんはわたしのままだったのに…!』
『君の内側に眠る血塗れの歌姫の狂気は―――いずれ、お仲間をも滅ぼすよン』
あの少女に言われた言葉。あの男性に言われた言葉。それがずっと頭の中をぐるぐると回っていて、離れてくれない…考えないようにしていたけれど、私の存在は誰かを不幸にしかできないのでしょうか。私が住んでいた村の人達も、私達があの地にいなければもっと幸せだった?そうすれば私の家族が殺されることも、私が村人を殺すことも―――なかった?
ああ、…色んな感情が渦巻いていて気持ちが悪い。どうすれば、どうしたらいいの?
「香鈴、…香鈴、僕を見てください」
「あ……」
「何があったのか、言いたくないならそれでも構いません。でも、無理に飲み込んでそれを抑えつけるなら…僕は貴方が嫌がっても吐かせる」
泣きたいなら泣いていい。時には弱音を吐いたっていい。生きてるんだから、それくらい許されるでしょう?
握りしめたままだったマグカップをそっと奪い取られ、テーブルに置かれる音がいやに大きく響く。それが合図だったかのように、ボロボロと流れ落ちていく涙。八戒くんのくれた言葉が嬉しくて、けどやっぱり悲しくて…一体、どうして自分が泣いているのかさえわからなくなってきてしまいました。
何も言葉を発さぬまま涙零す私が心配になったのか、彼はそのまま優しく抱きしめてくれた。…その行動にびっくりして涙、止まりましたけど…まだしゃくり上げてはいますが。
「は、…八戒、くん…?」
「こうすれば見えませんから、泣きたいだけ泣いて。…涙が止まったらまた、いつもの笑顔を見せてください」
「っ……八戒くんってば、天然タラシですよね」
「ええ?それは心外ですねぇ…」
「―――…でも、嬉しいです。ありがとう」
「いいえ。僕で良ければいつでも頼ってください、1人で泣かれるのはごめんですから」
ぎゅうっと抱きしめてくれている腕に力が籠る。さっきよりも体温を感じられるような気がして、おずおずと彼の背中に腕を回したら微かに身体がピクリと揺れたような気がしました。も、もしかして嫌だったんでしょうか…?グス、と鼻をすすりながら不安を感じるけれど、一向に身体が離れることがなかったので多分、大丈夫だったのかなって思うことにしました。
とくり、とくり、と聞こえる彼の心音と、温かい体温に安心したのか涙は完全に止まり、私は昼間言われたことをポツリポツリと口にし始めていた。怖い、と思いつつも、それでもこの方には聞いてほしいって思ったのかも、しれません。
「私の内側には眠る狂気はいずれ八戒くん達を滅ぼすって、私の歌声は―――凶器になる、って…そう言われ、ちゃってちょっと、ちょっとだけですよ?ショックだな、って思っただけなの」
私は妖怪だから。いつ異変の影響を受けるのか自分でもわからない、もしかしたら急に皆さんを殺そうとするかもしれません…内に棲み付くあの子を制御することはできるようになってきましたけど、それでも不安定には変わりなくて―――いつ暴走してしまうのか、その恐怖はいつだって付き纏ってるんですもの。眠る狂気がいつ牙をむくのかも、わからないし。
「…嫌、です。この声で、この手で―――皆さんを傷つけるのは」
私のせいで皆さんを危険な目に遭わせてしまう可能性が1%でもあるのだとすれば、此処にいるべきじゃない―――そう言おうとした瞬間、むにっと頬を抓られました。それも両側。
「香鈴って意外とバカなんですねぇ」
「へ…?」
「なに勝手に想像して、勝手にショックを受けてるんです?それはあくまで可能性でしょう?そうなると決まったわけではありませんし、異変の影響で暴走する恐れがあるのは何も貴方だけじゃない」
僕も、悟浄も、悟空だって―――同じなんですよ。
「そう、ですけど…」
「狂気だって、きっと誰の内側にも少なからずあるものだと思ってます。それに呑み込まれてしまうか否かは、ある意味、その人の精神の強さだと思いません?」
八戒くんの言っていることも、それを私に言った意味もわかりますけど…だけど、そう簡単に済ませていい問題なのでしょうか?というか、自分の身が危険に晒されるかもしれないって言われているのにどうして、この方はこんなにも穏やかに笑っていられるのでしょう?まるで、…私はそんなことをしない・できないって思ってるみたいです。
素直にそう口に出せば、思ってるみたいじゃなくて思ってるんですよって言われちゃいました。あらら…結構簡単に肯定されて今、ちょっと拍子抜けしている私がいます。だって…絶対に否定されるものだ、と最初から思っていましたから。
「だ、って…」
「全く…香鈴って他人のことはすぐに肯定して受け入れることができるのに、自分のことは頑なに否定したがりますね?」
「―――嫌い、なんだと思います。多分。何も救えなかったあの時から、ずっと…」
「まぁ、僕も自分を好きだって断言はできませんけど…でも1つだけハッキリ言えるのは、今の自分は案外悪くない。それだけです」
好きだ、とは言えないけど、でも少なくとも嫌いではない。悪くないと、そう思えるようになったんだと八戒くんは笑っていました。
清一色との件があって、過去の自分と向き合うことができて、今度は自分の為に生きてみたいんだって思えるようになって…そう思えるようになった自分は、案外悪くないんじゃないかって。
「無理に好きにならなくていいですよ。…でもね、香鈴。貴方を好きだって言ってくれる人がいることだけは、忘れないで」
「私を、好きな人…」
「そう。家族と僕達―――皆、香鈴のことが好きですから」
「!」
「それに言ったでしょう?貴方がいなくなったら困ります、此処にいてくださいって」
…ああ、そうだ。約束するって、私はそう答えたんです…何があっても、この方達の傍で生きていこうってそう思ったんだ。
「うん、…うん…!」
「ああもう、案外泣き虫なんですね。貴方」
「八戒、くんが、泣きたくなるようなこと言うから悪いんですよ〜!」
「僕のせいにしないでくださいよ……でもいいです、香鈴の本心聞けましたし」
あんまり飲み込まないでくださいね。時々でいいですから、こうやって吐き出してください。
涙を拭われながらそう言われてしまったら、しまいには約束ですよって微笑まれてしまったら、…頷く他ないですよね。でもまぁ…否定されなくて、ホッとしてます。そんな危険性がある貴方はいらないです、って言われちゃったらきっと私は立ち直れない。あの男性に真実を突きつけられた以上に、ショックを受けてしまうこと間違いなしでしょう。
不安が消えたわけではないけど、恐怖がなくなったわけではないけれど…それでも傍にいてくれる彼らがいるのなら、私はまた歩くことができる。そう、思えたんです。
「(やっぱり―――私は彼らを失いたくない、…守りたい、な)」
都合がいいとか言われたっていい。迷って、悩んで、立ち止まって…それでもまたこうやって、何度でも立ち上がって進んでいくんだから。