取り返した宝物


渦巻く妖気を感じて、沈んでいたはずの意識が一気に浮上した。この妖気は以前にも感じたことがある、…そう、三蔵様が悟空を庇って六道という法力僧に刺された時―――初めて、斉天大聖を目にした時だ。
つまり、今ここら一体に漂っている妖気も彼のものだということ。一体、何故…自ら金鈷を外したのか、はたまたあの時と同じように暴走して砕け散ったのか、それとも…誰かに壊されたのか。誰かに、だとしたら確実に、紅孩児さん達しかいない。意識を飛ばす瞬間に見たのは、あの方達の姿でしたから。
斉天大聖の妖気を感じるということは、彼らは生きているということなのだろうか。いえ、生きていたとしても今はそれを手放しで喜べるような状況ではなさそうですけれどね。


「―――…ッ!」


暑さでボーッとする頭を一振りして、グッと身体を起こすと…そこにはさながら地獄絵図が広がっていた。血塗れで倒れている紅孩児さん、その傍らに気を失っているのでしょう、独角ジさんが倒れている。…きっと、紅孩児さんをあそこまで傷つけたのは斉天大聖ね、暴走した状態で誰かを傷つけて…それで苦しむのも、悲しむのも、傷つくのも貴方なのよ?それを…わかっているのかしら。
ふっと視線を動かした先に倒れ込んでいる八戒くんと悟浄くんの姿が見えた。そして三蔵様の、姿も。


「八戒くん!悟浄くん!三蔵様!」
「ゲホッ香、ちゃ―――」
「ダメです香鈴!こっちに来たら―――」


ゆらりと、悟空の視線がこっちに向いた。その無垢な瞳は私を映してはいるけれど、『私』としては認識していない。やっぱり、あの時と一緒だ…判別、できないのね?その姿になってしまうと。

貴方自身で自分のことを止められないのなら、それなら―――私が止めて差し上げます。


「香鈴っ…お願いだから、逃げて……!」
「―――いいえ。逃げませんよ」
「ダメだ、香ちゃん…そいつは、止めらんね、」
「それでも。私が逃げる理由には、なりませんよ」


一瞬でいい。体のどこかを傷つけて、それで抑え込むことができれば―――その間に金鈷をつけることができるはず。私だって…敵うとは思っていない、前回だってこっぴどくやられてしまいましたし、今だって暑さで体力をかなり消耗している。まともにやり合うことさえ、難しいでしょうね?それでもやっぱり、取り戻したいものは自分の手で取り戻したいの…このままには、しておけません。
右手に意識を集中させれば愛刀が召喚された。それをギュッと握りこみ、私は視線を斉天大聖へと向ける。


「さあ…いらっしゃい?斉天大聖。私を殺してごらんなさいな」


―――悟空、ごめんなさい。貴方には痛い思いをさせてしまうけれど…でも、悪く思わないでちょうだい。

彼が静かに地を蹴った。相も変わらずすばっしっこい動きで、先読みしていなければ避けることすら難しい…!あの子を呼び出せばきっと少しは時間を稼げるかもしれないけれど、いくら何でもそれだけはやりたくないことよね…だって私はあの子をまともにコントロールすることができないのだから。下手すると彼を喰らってしまうかもしれません、それはどうしても避けなければならないことだから、魔の物を召喚することだけはしてはいけない。
このまま止めることができないのなら、私達の命が失われていくだけなのなら、斉天大聖の命を奪うことも考えなくてはいけないかもしれないけど…でもやっぱり、こんな姿になってしまっても悟空は悟空なの。
甘いと言われようとも、


「殺すことだけは―――できそうにない、わよね」


大きく跳躍して飛び込んできた斉天大聖の肩目掛けて、私は刀を振り下ろした。―――けれど、それは腕を軽く掠った程度で動きを止めるまでにはいかなくて。ニィ、と悟空の口元が歪んだ瞬間、腹部に悟空の拳が一発、そして間を空けることなく膝蹴りが入った。ミシミシ、と嫌な音が耳に届いたからきっと、肋骨が1〜2本やられているかもしれませんね…!
ゴホッと咳き込めば砂漠が鮮血で赤く染まっていく…ああやっぱり、私は無力だ。どれだけ強くなりたいと願っても、どれだけ鍛錬を重ねても…失いたくない人を止めることすら、できないなんて。

―――バカか、私は!

自分の無力さを嘆くのは後でいい…後でいくらでも嘆けばいい、でも今は…そんな下らないことを、考えている場合じゃないでしょう?グッと拳を握って身体を起こした時だ、誰かの影で太陽の光が遮られた。
それを誰だ、と確かめる間もなく、何か熱い感覚が全身を駆け巡った―――そして真っ赤な血が、私の身体から噴き出しているのを見て、ああ斉天大聖の爪で切り裂かれたのか、と他人事のように認識したんです。

―――ガゥンッ!

もうダメだ、と諦めかけた時、一発の銃声が響き渡った。銃を使っているのは私と―――三蔵様だけ。視線だけを動かしてみれば、そこには三蔵様が銃を斉天大聖に向けて今にも発砲しそうな程の殺気を放っていた。
だけど、腰元で留められている真っ白な法衣が赤黒く染まっている…ということは、あの御方は怪我をしているということ。…そうだ、さっきまであの御方は倒れ込んでピクリとも動かなかったじゃないか。それなのに、どうして…!


―――ガチャ、

「来い」


そこからはあっという間だった。魔戒天浄によって動きを止められた彼は、金鈷を付け直されてぐっすりと眠り込んでしまったんです。三蔵様も気力を使い果たしたのか、そのまま倒れ込んでしまわれて…痛む身体を叱咤して2人の元へ駆け寄ると、独角ジさんの悲痛な声が聞こえる。必死に、主君である紅孩児さんの名を呼ぶ彼の声は…ただただ、悲しみに濡れていたんです。

紅孩児さんと悟空の戦いは、紅孩児さんがふっかけたことだったみたいです。彼の話だけではイマイチ理解できませんがきっと、悟空も紅孩児さんも…大切なものを守る為に命を懸けて戦ったのでしょう。


「―――だが俺は、お前らを許せねぇ」


それは怒り。それは憎しみ。…我が主君が望んだことだとしても、傍から見れば2人の戦いは戦いではなかったでしょうから…だからこそ、一方的に傷つけられたことが許せないのかもしれません。
気持ちは、わからないでもありませんね。私だってきっとあっちの立場だったら、許せないと思うでしょうから。


「ゲホッ…八戒くん、三蔵様に何があったんです…?」
「サソリの毒に、やられたんです…それからもう30分は経ってるはずですよ」
「…今から飲ませて効くかはわかりませんが、これを三蔵様の口に突っ込んでください」
「薬…?」
「毒消しの薬です。多少の気休めにはなるかも…」


八戒くんが三蔵様に薬を飲ませている間に、私はジープを呼んだ。ごめんね、暑さで参っているでしょうけれど、辛いでしょうけれど、皆を町まで連れて帰らなくちゃ…だからもう少しだけ、頑張ってね?

身体が重いとか、傷が深いとか、そんなことを言っている場合じゃない。まずは悟空を後部座席に引き上げて、次に悟浄くんを―――と、腕に手をかけた時、彼の身体が誰かに持ち上げられた。
浅い呼吸を繰り返しながら視線を上げると、そこには八戒くんの姿。でもいつもの笑みは消えていて、とても辛そうに見える…きっと彼の怪我もひどいんだわ。治してあげられればいいのに、と思うのに、私にはそんな力は一切備わっていない。
改めて自分の無力さが歯痒くて、唇を噛んだ。


「―――香鈴、乗ってください。行きますよ」
「ええ。でも…貴方だってひどい怪我をしているんでしょう?私が運転します」
「バカ言わないでください。僕より―――貴方の方がひどい怪我で、出血も多いんです!これ以上…心配をかけないで」


翠の瞳が、哀しみでゆらゆらと揺れていた。今にも零れてしまいそう、そう…直感的に思ったんです。

ごめんなさい、と呟いて後部座席に背中を預けると、急速に意識が沈んでいく気がした。ジープのエンジンがかかって、発進したのを体で感じた瞬間に、私は意識を手離した。
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