ふわり、つぷり、ぼとり。
『遅くても夜には着けるんじゃないかなぁ』
朝、宿屋の食堂で聞いた八戒くんの言葉が脳裏に浮かんだ。そして目の前に広がる光景をもう一度瞳に映して、盛大な溜息をつきたくなりました。だって、
「今日はまーたずいぶんと多いなぁ」
「毎度のことながら暇な奴らだ」
「まあまあ。これも彼らの仕事なんでしょうから」
「お仕事で三蔵一行の抹殺?穏やかじゃありませんねぇ…」
「いーじゃん、何でも!向かってくるなら蹴散らすのみ、だろ?」
私達5人と1匹を囲むようにゾロゾロと姿を現した、大量の妖怪達がそこにいるんですから。溜息をつきたくなる気持ち、わかるでしょう?
しかも前の町を出発して1時間くらいしか経っていない所で、この状況になってしまったわけですから…これはもう、完全に次の町に辿り着けるのは夜になってからですね。きっとこの襲撃さえなければもっと早めに着けたのかもしれませんけど。
帰ってくれ、と内心思いつつも、言った所で大人しく帰るような輩なら最初から襲ってきたりしないはずだ。…仕方ない、諦めてお相手をするしか方法はないですよね。召喚した刀を右手に、ホルスターに収めている銃を左手に、そして私達は地を蹴った。
そう、それは今までの襲撃と何ら変わらないはずだった。数は多いけれど、でもきっと5人でならあっという間に終わらせることができる―――そしてさっさとジープに乗って、次の町へと出発するんだ。
さっさと片付けることだけを考えて刀を握り直した時、「銀髪の女を捕まえろ!」そんな言葉が耳に届いて、一瞬、ほんの一瞬だけ、動きが鈍ってしまったんです。敵だってバカじゃない、身体を強張らせた私に気がつかないわけがなく―――両手に持っていた武器はあっという間に弾き飛ばされ、その次の瞬間には地面へと倒れ込んでいた。
4つの声が、聞き慣れた声が私の名を呼んだ。それに言葉を返す余裕はない。捕まえろ、と叫んでいたくせに私を地面に引き倒したらしい妖怪は、私が落とした刀をいつの間にか拾って振り上げた。
ああそうか、決して抵抗しないよう、抵抗できないよう、死なない程度に痛めつけるつもりなのか。それはとてもいい手ですねぇ…五体満足で、少しも傷をつけられていない奴が大人しく捕まってくれるなんて、そんなのはきっとドラマやマンガの中でのことだ。
少なくとも私は、―――抵抗しないなんて選択肢は、絶対にないもの。
そう簡単に捕まるわけにも、怪我をさせられるわけにもいかない。振り下ろされた刀は寸での所で避けられたけど、本当にギリギリで切れ味の良いソレは、私の腕を深々と切り裂いていて。ジクジクと鈍い痛み、真っ赤な血が流れていくその光景にグラリと視界が揺れたような気がした。
―――モット、
―――モットダヨ、モット、
―――ソ ノ 紅 ヲ ソ コ ラ 中 ニ 咲 カ セ テ ヨ 。
脳内に響いた声は誰のもの?グラグラと揺れ始める意識の中、切迫した声が―――私の名を呼んだような気がした。
ようやく目の前がクリアになったと思った瞬間、信じたくない光景が目の前に広がっていく。振り下ろされた刃が、翠を纏う彼の腹を貫いたのだ。
溢れ出した真っ赤な液体。グラリと傾いだ八戒くんの身体。そのままドサリと倒れ込んだ彼は、ピクリとも動かない…貫かれたお腹からはおびただしい程の紅が流れ続けていて、止まる様子も見せないんです。
どうして、…どうしてこの方が倒れているの?どうしてこの方が紅に染まっているの?
「八戒!!!」
「おい、しっかりしろ八戒!」
―――パシャンッ…
「あ、あ……は、ぁ……や、いや…っ!」
「―――おい、香鈴?!」
―――憎イカ、哀シイカ。
―――ナラバ全テヲ壊シテシマエバ良イ。
――― 私 カラ奪オウトシテイル輩ヲ 全テ壊シテ、
「『喰らってしまえばいい。』」
「あ?香ちゃ、―――」
身体が震える。それは怒り?哀しみ?憎しみ?…いいえ、どれでもないわ。私の身体中を支配しているのは、ただ恍惚のみ。
―――唄エ、唄エ。
―――ソノ憎シミヲ、
―――ソノ哀シミヲ、
―――呪イノ旋律ニノセテ、全テヲ壊セ。
ずるりと影の中から姿を現したのは、愛しい愛しいあの子。さあ…お腹が空いたでしょう?思う存分、あなたの気が済むまでいくらでも、
「喰らい尽くしなさい。骨も、血も、何もかも―――遺すことは許さない。」
グチュリ、
ゴキ、
バキ、ゴリ、
―――ボトリ。
しん、と静まり返ったどこまでも続いていそうなだだっ広い荒野に、似つかわしくない程の薄気味悪い音が鳴り響いていた。その音は絶えず聞こえ、そして―――状況を理解した輩は一斉に、悲鳴を上げる。悲鳴を上げて逃げ惑う。
…だけど、逃げられると思って?貴方達は一人残らず、『あの子達』の餌となる運命なの。どれだけ逃げ惑おうとも、叫ぼうとも、助けを乞うたとしても、運命は何も変わらない。
「ふふ、さあおいで…可愛いわたしの子。この世の全てを、真っ赤に染めましょう?」
逃げ惑う妖怪達を、地面から伸びる手が捕まえて引きずり込む。深い、ふかぁい闇の底…そこに引きずり込まれたら最期、もう二度と出てくることは叶わない。だってそこは魔の物の腹の中だ。どうやっても出ることなどできないでしょう?
それが―――お前達の罰だ、お前達がしでかした罪なんだ。抗うことは許さない、その身をもって罪の深さを知るがいい。