覚醒


妖怪の襲撃にあった。でもそんなのはいつものことだ、だからいつも通りブッ倒してさっさと町へ向けて出発する予定だった。
―――そう、予定、だったんだ。


 side:悟浄


牛魔王の刺客であることには変わりないはずだった。三蔵一行、覚悟ー!とか聞き飽きたセリフ言ってたしよ、それは間違いねぇと思う。けど、1つだけ違ったのは―――経文を寄越せ、じゃあなく、銀髪の女を捕らえろって叫んだことだ。アイツらの狙いは何故か三蔵の経文じゃなくて、香ちゃんだったってわけ。
その言葉は俺達も、もちろん当人であるあの子も予想外で。ほんの一瞬にしか過ぎなかったけど、香ちゃんの動きが止まっちまった。多分驚いてたんだと思うぜ?自分に矛先が向いてたんだからな。
前にも一度だけ、殺し損ねた奴があの子を狙って手を伸ばしかけたことがあったけど、それ以降は一切なかったからそんなことがあったことすら今まで忘れてた。まぁ、思い出した所で香ちゃんが狙われる理由なんざわかんねーけどな?下っ端には何も情報がいってねぇのが世の常、ってな。


―――ズサァッ!

「っ、……!」
「香ちゃんっ!!」
「香鈴?!」


俺の声が、八戒の焦った声が彼女の名前を呼んだ。悟空と、珍しく三蔵ですらあの子の名前を叫んでいて―――この状況はマズイ、と直感が囁いたような気がした。
現に香ちゃんを引きずり倒した妖怪はあの子の刀を引っ掴んで、ソレを思いっきり振り上げてる真っ最中。鎖ガマを操って助けようにも、俺がいる所からじゃあちっと遠すぎて届きそうにねぇ…!

こっちに向かってくる奴らをブッ倒して香ちゃんの元へ駆けだした瞬間、吐き気がするほどの赤が、視界を真っ赤に染めたんだ。
その赤が流れ出ている元は、八戒。腹に風穴を開けて、そこからドクドクと止まる気配がない程に血を流してて、閉じられた瞳は開かない。倒れた体も動かねぇ。…こんな状態のコイツを見るのは、これで二度目だ。
悟空が、三蔵が、俺が―――2人の元へと駆け寄る。八戒、と名前を呼んでも返事はねぇ…この出血量はマズイ、このままじゃコイツ、マジで死ぬぞ?!傷を塞げる気功術を使えるのは、今ぶっ倒れてるコイツ自身だけ。…ならば、どうにかして出血を止めねぇとだろ!
八戒が肩に巻いている白い布を外して、それで傷口を塞いでみるもののあっという間に白い布は赤く染まっていった。グッと抑え込んでみてもちっとも止まらねぇ…!

どうする、どうすれば―――その時、パシャンッと水が跳ねるような音がした。視線だけでその音の先を辿れば、大きな瞳を更に大きく見開いた香ちゃんが、血だまりの中に座り込んでいた。
コイツが刺された瞬間、一番近くにいたのは香ちゃんだ、そのせいか彼女の顔や服には紅い斑点がいくつもあった。それはきっと、八戒の、血だ。
こういう非常事態の時、焦りを浮かべながらも的確な指示を飛ばしてくれていた彼女は今、呆然と血を流して横たわっている八戒の姿をただ見つめているだけ。でもすぐに異変に気がついた。彼女の身体がカタカタと震えている、その震えは止まることをせずに香ちゃんは苦しそうに浅い呼吸を繰り返す。
尋常じゃねぇ彼女の様子に三蔵も気がついたらしく、香鈴、と名前を呼んだけれど―――


「『喰らってしまえばいい。』」


返ってきたのはその一言のみだ。その言葉が合図だったのか、香鈴ちゃんの影からずるりと姿を現したのは今までに二度見たことがある魔の物、香ちゃんの腹ン中に棲んでいる異形の怪物。

ソレが彼女の刀を奪い、八戒を刺した男の―――頭を、喰らった。

それだけでは足りないのか、腕も、胴体も、足も…何一つ残さないとでも言うかのように、全てを喰らい尽くしていく。そこに残ったのは、彼女の愛刀のみだった。


「喰らい尽くしなさい。骨も、血も、何もかも―――遺すことは許さない。」


その声は無邪気で、綺麗で、でも―――憎悪に満ちていた。その声は今までに聞いたことがない程に、低く、背筋がゾッとする程に冷たくて。そこに座り込んでいる姿は確かに香ちゃんなのに、それなのに何故か香ちゃんではないような気がしてならない。
数えるのもめんどくせぇくらいにいたはずの妖怪の数が、1人、また1人と地面の中へと消えていく。どれだけ叫ぼうとも、逃げ惑おうとも、真っ黒な手らしきモノは決して獲物を逃がさない。
腹を貫き、頭を潰し、胴体を切り裂き、腕を足を切り落として―――バリバリと気味悪ィ音を立てながら妖怪だったモノを貪っている。この世のものでありながら、この世のものではない光景を目の当たりにして、大声で叫びたくなった。もうやめろと、もういいんだって叫んで、止めたい衝動に駆られるのにどうしてだ。


「(身体が―――動かねぇ)」


ごくりと息を飲んで、そこら中に広がる地獄絵図を見続ける。後ろでゆらりと立ち上がる気配がした。誰、なんて考えることもねぇ…俺達の後ろにいるのは1人しか、香ちゃんしかいねぇ。
ザクリ、ザクリ、とゆっくりと地面を踏みしめる音。ようやく姿を現した彼女からは、いつもの温かい空気など微塵も感じねぇ。その小さな身体に纏っていたのは冷たく、そして禍々しい空気。
制御装置を外した様子もねぇのに、彼女から感じるソレは妖気に酷似していて背中を冷たいものが流れ落ちた。それくらい怖いと、思ってしまったんだ、彼女であって彼女でない目の前に立つこの―――銀髪の女に。

ふわりと、その綺麗な銀髪が揺れた。揺れたと同時に、綺麗な旋律が鼓膜を揺らした。でもそれを綺麗な音だとはどうしても、思えなかった。
紡がれる旋律も、声も、言葉も、彼女が生み出す何もかもが氷のように冷たかったから。


―――グチュリ、
―――ゴキ、バキン、

「な、なんだこれぇ!!」
「ひぃ!に、逃げろっ…こいつらがいない遠くまで走って逃げろォ!!」

―――ゴリ、バリ

「あれ、…本当に香鈴なのか…?!」
「てめぇの目は節穴か。…アイツ以外の誰に見えるってんだ…!」
「だ、だってぜってー違う!香鈴はあんな冷たくないし、それにっ」


ゆぅらりとこっちを向いた彼女の頬には真っ赤な血。そしてにんまりと口を歪め、本当に楽しそうに破顔した。まるでこの光景が楽しいとでも言うように、クスクスと笑っていたんだ。
そして黒だったはずの瞳は、眩いほどの金色へと色を変えていた。


「俺の知ってる香鈴は、あんな風に笑わねぇよっ!」


彼女が言葉を紡ぐ度に、旋律を奏でる度に、悲鳴もナニカを貪る音も大きくなっていく。地面から生える真っ黒な手も同時に、どんどん増えていった。香ちゃんが奏でる歌によって異形の化け物は増えていってるように感じた…つーか、それがきっと事実。
香ちゃんの狂気は止まらない。歌って、笑って、貪って、どれだけその身を真っ赤に染めても止まってはくれない…きっと全てを壊しきるまでは、彼女の気が済むまでは。


「ぅ、…香―――」
「あっ…八戒?!気がついたのか!」
「ゲホッ…かの、じょは……?」
「目の前にいる。…トチ狂っているがな」


グッと身体を起こした八戒は、目の前に広がる光景に驚愕したらしい。目を大きく見開いて言葉を失って、ただ黙ってその光景を見つめている。
制御装置が外れた悟空のように暴れ回っているわけじゃねぇ。だから止めようと思えば止められるはずだったんだ、それでも俺達は指一本すら動かすことができずにただ―――彼女が殺戮を繰り返す様を、眺めていることしかできない。
身体を覆うこれは、恐怖とかいうやつなんだろうか。


「止め、ないと…!」
「?!バカ野郎っお前、ひでぇ怪我なんだぞ!」
「それでもっ!…それでも、誰かが彼女を―――香鈴を止めてあげなくちゃ、」


あの子の涙を、止めてあげる必要があるでしょう?
ゼイゼイと浅い呼吸を繰り返しながら八戒は、そう言った。それから立ち上がって、フラフラと香ちゃんの元へと足を進めたんだ。


―――ギュウ、

「―――…だぁれ?」
「もう、…もういいでしょう香鈴。もう敵はどこにもいません、どこにもいませんから大丈夫ですよ」
「ひどい傷…わたしが、治してあげる」


再び聞こえ始めた歌は、さっきのとはまるで違う。優しくて、温かくて、何度も聞いたことのある彼女の歌声だった。慣れ親しんだその声にホッと息をついたと同時に、身体中から力が抜けていくような感じ。…あれだ、緊張の糸が切れたのと一緒なんだ、きっと。

八戒の身体の周りに無数の光の球が浮かんでいた。あの時、不可思議な町でこの子が歌を歌った時―――見たやつと一緒だと思う。触るとすぐに弾けて消えちまうけど、でも、それでもすっげぇ温かくて思わず泣いちまったのを覚えてるんだ。


「はっかい、くん―――」
「ええ、僕です。大丈夫、だから…泣かない、で、」

―――ドサッ

「八戒!!」
「ごめん、なさい、私、…わ、たし」


八戒が倒れ、香ちゃんも糸が切れたように倒れ込んだまま動かない。
彼女が倒れる瞬間に見えたのは、頬を流れ落ちる一筋の涙と―――見慣れた、黒曜石の瞳だった。
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