覚悟を決めろ


全部、夢であったら良かったのに。
それは現実逃避かもしれない、でも夢であったならどんなに良かったか―――なんて、思わずにはいられないんです。





「―――ん、」


痛む頭を押さえて起き上がると、八戒くん達が眠っている姿が目に飛び込んできた。ベッドは私と八戒くんが寝ている2つしかなくて、残りの3人は床で雑魚寝をしていました。ベッドの数からして2人部屋しか取れなかったのでしょうか…でもそれならば布団を借りているはずですし、何故そのまま床に転がって眠ってしまっているんでしょうね?この方達は。
身体が痛むだろうに、それでもぐっすり眠っている3人を見てクスリと笑みが零れる。

そっとベッドから下りてまだ眠り込んでいる八戒くんの元へと近寄る。
顔色は少し良くないけれど、でもちゃんと呼吸をしている…その事実にホッと胸を撫で下ろした私がいて。この方を失うことにならなくて良かった、と心底思ったんです。もう大切な人を失うのは、死んでもごめんなんですよ?


「守れなくて、…ごめんなさい」


眠る彼の頬にキスを1つ。生きてくれていたことへの感謝と、怪我をさせてしまったことへの謝罪…私があの時、油断さえしていなかったら彼は―――八戒くんはこんな大怪我をせずとも済んだんです。戦いの場で一瞬でも気を抜くことは死に繋がることだったのに、それなのに私は…自分の身を守れないだけではなく、大切だと、守りたいと思っていた方を傷つけた。
優しいこの人は私のせいじゃない、と笑うでしょうけど、でもきっと私は、この事実を一生忘れることはできない。そして私自身を許すことだって、できないと思う。

怒りに呑まれてはいけないよ―――
あの日、祖母から言われた言葉を頭の中で反芻する。この約束を破ったのはこれで二度目…だけど、家族を失った時の感覚と昨日の感覚はまるで違った気がするの。家族を失った時真っ暗な闇の中にいた感覚だったけれど、今回のは…何て言ったらいいのだろう?黒と赤が混ざり合ったような、とても澱んだ世界にいるような、そんな感覚でした。上手く説明ができないのだけれど。


「外の空気…吸ってこよう」


床で眠り続ける彼らを踏まないように気を付けて、私はそっと部屋を出た。もうとっくに朝を迎えていたらしく、廊下に出ると至る所から賑やかな声や足音が聞こえてくる。ああ平和だ、と他人事のように思いながら―――外へと繋がる扉を開けたんです。

宿屋の女将さんに近くに綺麗な川があるんだよ、と教えてもらった私は、黙々と歩いてその場所を目指している。そこは人通りも少ないと聞いていましたから、きっと考え事をしたり、頭の中を整理するのに適しているんじゃないのかなぁと思ったの。今日はこの町に留まるかもしれないけれど、明日にはまた西へ向けて出発するでしょうし…それまでにしっかりと気持ちを切り替えておかないといけませんから。

―――あの人達は、変わらず私を連れて行ってくれるのだろうか。

ふっと疑問が浮かんだ。
あの夢だと思いたい凄惨な光景は、今でもしっかりと覚えている。確かにあの場所に立っていたのは私自身だけれど、でもまるでそれを別の場所から見ているような―――そんな感じだったんです。私であって、私ではない…妙な感覚だった。
だけど、…やっぱりあれは私。私がやったんだ、あれは―――妖怪を、喰らったのは、私以外の何物でもない。そう指示を出したのは、私なんですよね。次々と喰われる光景を目にして、逃げ惑う姿を目にして、真っ赤な血が舞う瞬間を見て、嫌悪感なんて一切感じなかった。
気持ち悪いとも感じなくて、唯一感じていたのは…恍惚、だ。そう、あの凄惨な光景を見て私は確かに、悦びを感じていたんです。笑いが込み上げてきて、響き渡る薄気味悪いあの音が気持ち良くて仕方がなかった。

今思うとゾッとする。何故、あんな状況下で笑えていたのか。何故、あんな光景を見て悦びを感じていたのか。…自分のことなのに、自分のことであるはずなのに…ちっともわからない、理解できないんです。だって今の私は確かに、あの光景を思い出す度に吐き気を覚えるから。見たくない、と心から思うから。
襲ってくる妖怪は殺さなければ、こっちが死んでしまう…だから、殺すことを躊躇っていたら生き残ることができないのもわかってるんです。だけど、それでも…あそこまでする必要なんてなかった―――そう思ってしまうのは、エゴ?偽善?


「そんなこと、今更思ってどうするっていうのよ…っ!」


もう怒ってしまったことだ。どうにもならない、時間は巻き戻ったりしないのだから。
辿り着いた川。橋の欄干に寄り掛かってそっと息を吐く…ああこんなにも気分が優れないのなら、煙草でも持ってくればよかったなぁ。それで気分が良くなるとは思えないけど、でも気分転換にはなったと思うんですよね。
こんな綺麗な川が流れている場所で吸うなんて、怒られてしまいそうだけれど。


「何だ、しけた面してやがんなぁ?香鈴」
「ッ、?!」


突然聞こえた声に肩がびくりと震えた。誰だ、と思って顔を上げると、そこにはいつぞや三蔵様を助けて頂いた露出狂の神様―――菩薩様が、相も変わらず偉そうな態度でそこに立っていらっしゃった。
今回はどうやらお1人の、よう、です…困った顔をしたお付きの二郎神様は見当たらない。


「菩薩、さま…?」
「よう、姫さん。元気ねぇじゃねーか。…ま、それも当然か」


戸惑ってるんだろ?昨日の自分に。
菩薩様の言葉にグッと眉間にシワが寄ったのがわかった。…そうだ、この人は神様で…天界から私達を見ているんだ、それなら私がどうなったのか―――それを知っていたとしても、不思議ではないですよね。三蔵様を助けて頂いた時も、見ていたからああやって降りてこられたのでしょうし。

…けれど、今回はどうして?あの時はイレギュラーなことで、もう二度とこの御方と会い見えることはないと勝手に思っていたのだけれど。というか、そう簡単にホイホイと天界を離れていいのかもわかりませんしね。よくわかりませんけど、観世音菩薩がとても偉い方ということだけは知っていますから。


「あまり干渉はしたくねぇんだけどな…何も聞かされていないっつーのはフェアじゃねぇだろ?だから、」

教えてやるよ、お前の能力について…な?

「どういう…?」
「香鈴―――お前に何故、あんな能力があるのか。そして何故、それが暴走したのか…」


菩薩様はそこで言葉を切って、徐に私の顎を持ち上げた。それによって少し上にあった菩薩様の目と私の目が、しっかりと合わさって逸らすことが、できない。じっと見つめてくるその目に、眼力に、吸い込まれそうになってしまう。


「全てを聞いて、それでも尚、生きていく覚悟が―――お前にあるか?香鈴」


逃げることだって、選択できた。聞かずに、全てを曖昧にして、蓋をして鍵をかけてしまえば…二度と見なくて済むかもしれないって。
それも1つの方法だし、目を背けることはできるけど―――でも本当に、逃げてしまっていいの?今ここで逃げることを選択して、私は前を向くことができる?素知らぬふりをして、偽ることができる?
その答えは、きっと否。私自身から逃げたらきっと、何も変わらないから。


「―――教えてください。私の、全てを」
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