不安と焦燥
―――お前達は、アイツの太陽でいられるか?
僕は彼女の太陽になんてなれない、だって彼女自身が僕の太陽だと…出会った時からそう感じていたから。だからきっと、無理だとそう思っていたけど―――でも、それでも、彼女の、…香鈴の為に僕ができることがあるのなら何でもしてあげたい、とは思ってるんです。
side:八戒
悟空の慌てた声で目が覚めた。悟浄と三蔵も彼に起こされたらしく、半分寝惚けながらも何があったのか聞いている。悟空は落ち着きがないけれど、でもここまで慌てているのは珍しい気がしますね…一体、何が―――と体を起こしながら考えていたら、もう1つのベッドがもぬけの殻になっていることに気がついた。
確か、夜中に一度目を覚ました時はあそこに香鈴が寝ていたはず、普段なら目を覚ましてシャワーでも浴びているのかもしれないと思う所だけど、何故か今回はそんな風に思えなかったんです。どこにも、彼女の気配がないから。
買い物に出かけているのかもしれない。宿屋のご主人に食事を頼みに行っているのかもしれない。部屋の中にいない、イコール、姿を消してしまった―――とするには、早とちりだとは思うんですが…昨日の香鈴の様子を考えると、目を覚まして出て行ったと考えてもおかしくはないんじゃないかな、と思ったんです。
現に悟空が慌てた声を出していたのも、それが要因のようですからね。最初に目を覚ました悟空は何となしに部屋の中を見回して、ベッドに寝ているはずの香鈴がいないことに気がついたらしい…それでびっくりして僕達を起こした、ということのようです。…しかし、何処に行ってしまったんでしょう。
「出かけているだけだろう。すぐに戻ってくるんじゃねぇのか」
「そうっ…かも、しんねーけどさ、でも、」
「…だーいじょうぶだろ。あの子は、勝手にいなくなるような子じゃねーよ」
「ですね、きっと散歩にでも出ているだけだと思いますよ」
悟空にはそう告げたけれど、僕も本当は彼と同じだ。すぐに戻ってくるかもしれないけど、戻ってこないかもしれない…そう考えてしまっている部分も、あるんです。
ダメだ、こんな風に考えてしまっては。…大丈夫、香鈴は黙っていなくなったりしない。きっと、…戻ってきますから、だから大丈夫。この腕をすり抜けていなくなるなんてこと、
―――ドクリ、
嫌な予感ばかりが胸の中を渦巻いていた。大丈夫だと思う自分と、もう帰ってこないと思う自分…このまま僕は、黙って彼女の帰りを待っていることなんてできるでしょうか?いっそのこと、出かける風を装って捜しに出かけてしまおうか、と思った時だった。部屋の中心が、光ったのは。
「お、全員揃ってんな」
「…は?!アンタ、あの時の露出きょ―――」
―――バキィッ!
「口の利き方に気をつけろ。…初めて会った時にも言ったはずだが?」
「いってぇ…!!」
「思いっきりやられましたね…ええっと、観世音菩薩―――と仰ってられましたよね?その節はどうも」
「あーそういうのはいい。今日はお前らにちっと用事があってな、全員、面貸しやがれ」
ニィッと笑みを浮かべた彼女(いや、彼?)は、今のこの状況を楽しんでいるようにしか見えない。けれど、一体何を楽しんでいるというのだろう?何も楽しめるようなことはないように見えるんですが、…そもそも僕達に用事があるなんて初めてのことだ。
あの時は緊急事態だっただけで本来、神様は人間を救ってくれなどしない。こっちが勝手に崇め奉っているだけに過ぎないし、何よりこの人の性格上、人助けというものをそう簡単にしそうにありませんしね。唯我独尊という言葉はきっと、この人の為にあるのだろう。…で、結局この人は何をしに来たんだろうか。
「…てめぇ、何の用だ」
「何の用事か知んねーけどさ、仲間を捜しに行かねぇと…」
「―――用事は香鈴について。」
「…え?」
「そう言ったら、納得できるか?チビ助」
まるで自分の家かのようにベッドに座り、呆然としている僕達を一瞥した。すると、さっきまでの挑発的な笑顔は何処へやら、スッと目が細められ真剣な表情になったんです。一度しか会っていませんが、あの時もこんな表情は見た記憶がない…ということは、それ程にまで重要な話―――ということですか。
「お前ら、香鈴が暴走したのを見ていたな?」
落ち着いた、けれどやや固い声が室内に響き渡った。暴走、というのは…やっぱり昨日の状態のことなんでしょうか。妖力制御装置を外してたわけじゃない、決して妖怪の姿になっていたわけではないのだけれど、でも確かにあの時の彼女は―――正気では、なかったんだと思う。観世音菩薩の言葉に各々、頷きを返すとそっと口が開かれた。
そして静かに語られるは、彼女―――香鈴の、能力の全貌。
何故この人が知っているのかはわからないけれど、それをわざわざ僕達に話に来るということはこの先の旅路に関係する事柄があるからということなのでしょう。…けど、語られる真実は何でもないことのように紡がれているけど、僕達からすれば驚きの連続だ。
「アイツの家系が歌姫だっつーのは知ってるな?」
「前に聞きました。彼女自身も知らなかったことのようですが」
「ま、それはトーゼンだな。蓮花―――アイツのばあさんは一言も、それについて話はしていなかったらしいから」
彼女の家系には必ずと言っていいほど、歌姫となり得る女性が生まれるらしい。けれど、それはただ1人だけ―――次の歌姫が生まれるのは、先代の歌姫が亡くなった後のことらしい…だから、香鈴のように先代が生きているうちに次の歌姫が生まれることは本来なら有り得ないことだったらしいんです。
歌姫の能力は魂に刻まれている、だからこそ先代の魂が生涯を終えない限りは次の歌姫が生まれるわけがないと…そういうことのようだ。何となくは理解ができたけど、まるで御伽噺を聞いているみたいですねぇ。
話には辛うじてついていけているが、如何せん現実味を帯びないのが現状で。いや、あの子の歌声に不思議な力があるのはわかっているし、現に昨日はお腹の傷を治してもらっている。だから信じていない、というわけではないのだけれど…それに桃源郷は意外と何でもアリの場所のような気がしていますしね…妖怪とか、その他諸々。
それに真剣な顔をして語られているんだ、その話が全て嘘―――だなんて、そんな馬鹿げたことをしてくるとは思えませんし。とりあえず、今は。
「んー…何かよくわかんねーけど、香鈴は特別ってことか?」
「ざっくりだな、おい」
「概ねその解釈で間違ってはいねぇ。…が、特別というより、どっちかっつーと異端だな」
「異端…?」
そう、異端。アイツは、香鈴の存在は異端と呼ぶに近い。
紡がれた言葉、声音、そして細められた僅かに殺気を含んだ瞳に、背中を何か冷たいものが流れていくのを感じていました。その殺気が誰に向けられたものなのか―――僕達4人か、はたまたこの場にはいない彼女か。それは本人にしかわからないことだけれど、けれど今のこの状況は少し…いや、かなり居心地が悪いものであるのは確かで。
「異端と呼ばれる所以は、アイツに潜む狂気―――血塗られた歌姫の狂気だ」
「血塗られた歌姫ぇ?何だ、そりゃ」
「…歌姫の声に秘められた力。わかるか?」
「確か傷を癒すこと、魂をあの世へ送ること、亡くなった魂を呼び戻すこと―――ですよね?」
「正解だ。本来、歌姫っつーのは癒し…要するに『聖』の存在だ」
…何となくですが、観世音菩薩の言いたいことがわかったような気がします。癒しの力しか持たないはずの歌姫の力、だけど香鈴は正反対とも言える力をその身に宿しているということなんじゃないでしょうか?ただの推測でしかないけれど、ボソリと口に出してみればその通りだ、と肯定の言葉が返ってきた。
昨日、暴走する直前までは彼女の歌姫としての力はほとんどが眠っていたままだったらしいです。『聖』も『魔』も。あの不可思議な町での件で多少は目覚め始めていた節があったらしいけれど、それでも本来の力の10%も発揮していないというのだから驚きだ。
でも昨日の一件で彼女の『魔』の力が覚醒してしまった、らしい…恐らく、それに引きずられるように本来の力も徐々に覚醒していくはずだ、と教えてくれました。それが彼女にとっていいことなのかは、僕には皆目見当もつきませんけど。
「んじゃ何か?昨日の香ちゃんは狂気に呑まれちまってた、ってことか?」
「そういうことだ。今のアイツの存在はかなり危うい、下手すると狂気に呑まれてそのまま―――ってことも有り得ねぇ話じゃねぇぞ」
「香鈴は、…そんなに弱くねぇ。だから大丈夫だ!」
ムッとした顔で言葉を返した悟空が、大丈夫だと言い切れる彼が、少しだけ羨ましかった。僕だって彼女がそう簡単に呑まれてしまうとは思っていないけれど、ああ見えて危うい部分を持っているのは確かだったから…観世音菩薩の言っていることもわかるな、と思ってしまう。
今回は運良く完全に呑まれずに済んだけれど、これから先もそうだとは限らない。二度と戻れなくなる可能性だって、ゼロじゃないんだから。
「あの、…このことを彼女は」
「知ってるぜ?此処に来る前に、アイツには全部話してある」
全てを知りたいと願ったのは、彼女自身だったらしいです。自分の能力、身体の奥深くに眠る『魔』を宿す血塗られた歌姫としての自分を知った時、香鈴は諦めたような笑顔を浮かべただ一言、「そうですか」と呟いたらしい。ただ、それだけで…他には何も話さなかった、と。その姿が観世音菩薩には事実を飲み込んで、受け入れようとしているように見えたそうですよ。
そうですね、あの子はそういう子です。危うい一面を持ちながらも、芯が強くて、意外と頑固者で、誰よりも…努力を惜しまない人だ。そして逃げることを許さない、と決めている、だからこそ今回のことだって全てを受け入れようとしているのでしょうから。
ただ…そんな彼女が心配だと、思ってしまうんです。その分、辛い・苦しいなどのマイナスの感情を胸の内に秘めてしまうクセを持っているから。
「…で、だ。こっからが本題」
「は?本題?」
「今のが本題ではなかったんですか?」
「まぁ、それも本題に違いないが―――今から話すことの方が重要だ」
「―――もったいぶらずにさっさと言え」
「あの女を、―――香鈴を、天界で保護する」
ピタリ、とこの部屋の時間だけが止まったように感じた。今、この神様は何と言った…?天界で保護する?一体、誰を?―――香鈴を?
「ちょっちょっと待てよ!何で急にんなこと…っ!」
「これ以上、暴走されんのは危険だと判断されたんだよ。それに『聖』としての能力も厄介なんでな」
「…亡き者の魂を呼び戻す、」
「おー、さっすが勘が働くなぁ?玄奘三蔵。その通り、魂を呼び戻せる歌を紡げるっつーのが、アチラさん―――牛魔王蘇生実験に加担してる奴らに知れ渡ってんだ」
あ、…そうか、だから急に香鈴を捕えようと動き始めていたんだ。ずっと理由がわからなかったけど、それなら納得がいく。あの子に魂を呼び戻してもらおうとしてるのか、その魂が本人のものでないとしてもきっと動くことは出来る、と考えているのかもしれません。
そんなことが出来るのかは甚だ疑問ではありますが試す価値アリ、と思われてるのでしょう。そうでなければ、あの子が狙われる理由なんてないはずだ。
それは確かに僕達にとって不利益極まりないことですが、だからと言ってはいそうですか、と易々あの子を渡そうとは思いませんが。
悟浄と悟空も僕と同じ考え(三蔵はわかりませんが)のようで、提案を―――というより、命令に近いソレを投げかけてきた観世音菩薩を睨みつけています。まぁ、命令というよりは決定事項なんでしょうけれどね。
「…天界で決定しただか何だか知りませんけど、彼女は―――渡しませんよ」
「ほーう?神様に逆らうか、猪八戒」
「申し訳ないですが、僕、神様なんて信じちゃいないんです」
いたとしても無能だ―――ずっとそう思って生きてきた、可愛げもない子供でしたからね。
「ははッいーねぇ、面白いじゃねぇか…ま、少しだけ猶予をやるよ。だが、それはお前達にじゃない。香鈴に、だ」
「香鈴に、」
「そうだな…1ヶ月、アイツに考える時間をやる。1ヶ月後にアイツがどういう決断をするか、それをお前達は受け入れろ」
アイツの下した決断に逆らうことは、許さねぇぜ?
…確かに、あの子自身が決めたことならば、僕達にどうこう言う権利はないでしょう。ですが、それを無条件に受け入れろというのは些か、無茶じゃないですか?逆らわずに飲み込んで、もし、天界に行くことを香鈴が望んだとしたら―――彼女の手を、離さなければいけないということだ。
彼女自身の人生。それに口出すことはしたくないと思ってはいるけれど、それが別離に繋がるのだとすれば、素直に頷けるわけがなかったんです。何も返せず黙り込んだ僕達を見て、観世音菩薩はニィッと笑みを浮かべた。その笑みを腹立たしい、と思ってしまうのは、香鈴を連れて行こうとしている犯人だからなんですかねぇ。
「―――玄奘三蔵、孫悟空、沙悟浄、猪八戒」
「…?」
「お前達は、アイツの太陽でいられるか?」
その言葉が、奥深くまで突き刺さったような気がした。