交差する瞳


一気にたくさんのことを聞いてしまったせいで放心状態になっている自分自身を奮い立たせる為、私は思いっきり両頬を叩いた。少し痛むくらいがちょうどいい、だってそのくらいしないと整理ができないし…それにそろそろ宿に戻らないと、皆さんに心配をかけてしまう。
きっともう起きているだろうし、誰にも何も言わず、更には置手紙すらしないで出てきてしまってるからなぁ…びっくりさせてしまったかも。

寄り掛かっていた欄干から身体を離し、川のせせらぎしか聞こえていなかった場所から喧騒が支配する町中へとゆっくりと足を進める。宿を出てきた頃より賑やかになっている町の中は、観光客や町の人、それからお店の人でごった返していた。
色んな所から美味しそうな香りがして、お腹がきゅるりと鳴き声を上げる。…変なの、心配事で苦しいはずなのにちゃんとお腹って空くのね。

早く帰らないと、とは思っているんだけど、でも、どうしてかもう少しゆっくり町の中を見て歩きたい気分になって、私は宿とは反対の方向へ向きを変えちゃいました。別に帰りたくないわけじゃないんだけど…何と言うか、今の気分のままであの方達の所へ戻って、上手く笑える自信がないんです。
きっと、というか絶対に不自然なぎこちない笑みになるのは間違いなくて、八戒くんなんか特に聡い人だから気がついちゃうと、思うんです。それでまた余計な心配をかけちゃうと思うから、だから、もう少し―――もう少し、だけ、落ち着いてから宿に戻りたいなぁって。


「『聖』と『魔』を併せ持つ者―――かぁ」


菩薩様から聞いた私自身の話。それなのにどこか他人事のような気が、してしまってる。だって急にそんなことを言われても、よくわからないというのが本音だ。
あの御方は私の存在―――というか、能力は異端だって仰っていましたけど、言うなれば祖母だって似たようなものでしょう?私と同じ、異形の魔の物を飼っていたのだから。でも菩薩様曰く、その他に呪いの歌を紡ぐことができる私の方が危険性が高いんですって。
それに魔の物を飼っていたとしても、今までに危害を加えた事例はないときた。どこまでもよく見てるんだなぁ、と思ったけれど、でもきっと菩薩様が言っていることに嘘偽りはないのでしょう。

昨日のことは今でもハッキリと覚えてる。今までに一度も歌ったことのないあの歌も、今では昔から知っていたことのように奏でることができる。歌詞を覚えるのが苦手だったはずなのに、最初から最後までしっかりと紡げる。自分でも信じられないけれど、本当のことなのだから仕方ないのかなぁ。

呪いの歌―――その名の通り、歌で殺すのだと思っていたけれど、それはどうやら勘違いだったらしい。

呪いの歌を奏でることによって、裏の世界、所謂異界に住む異形の者達をこの世に呼び出すことができる歌、らしいんです。呼び出された者達は、人間・妖怪問わず、生きているものなら何でも喰らってしまうとのこと。
もちろん、呼び出した本人の命がなければしないらしいですが、でもまぁ…脅威になることは違いないですよね?昨日のように我を失ってしまったら、全てを喰らい尽くしてしまうのでしょうから。


「(だからこそ、天界に―――ということなのでしょう)」


神様は全てに平等。だからあの御方は、あんな提案をしてきたのだと思うんだ。どうするかはまだ決めかねているけれど、でも…言う通りにするのが一番いいこと、だというのはよくわかってるの。私にとっても、皆さんにとっても。
家族を失ったばかりの頃の私だったら、きっとどうでもいいと思ったのでしょうけれど…今はそうは思えない、守りたいもの。どんな手を使ってでも。

うーん、でもなぁ…頭では理解していても、私は此処にいたいと思ってるんです。離れがたい、ですよねぇ?やっぱり。けれど、離れなければきっと遠くない未来で、私はあの方達を失う可能性がある。離れがたいけれど、でも失ってしまう方がもっと嫌。
…知らなかったな、私ってこんなに優柔不断だったんだ…いや、そう簡単に決められることではないとわかっているんだけどね?一応、自分の行く末なのだから。


「皆さんに何てお話しよう…色々と突拍子もないことだよなぁ」


話さない、という考えは最初からない。ないんだけど、…どう説明したらいいのかがわからないんです。私だって噛み砕くのがやっとで、どうにかこうにか理解したことなのに、それを当事者ではない彼らに話すのは結構大変だと思うんですよね?話す方も大変だし、理解する方も大変だ。かいつまんで話すことも考えたけれど、どこも端折ることができないし、端折ってしまったらきっとわけがわからなくなりますよね。やっぱり一から順を追っていかないと。

悩みながら歩いていると、肉まんを蒸しているいい香りがしてきました。美味しそうなものを見つけると、皆さんと一緒に食べたいなーと考えちゃうんだよね、これも一種のクセなのかな。特に悟空が好きそう、とか考えちゃう…あまり甘やかすな、と三蔵様から言われてはいるんだけど。でもきっと、今回は三蔵様もお腹を空かせていらっしゃるでしょうし、買っていっても怒られませんよね?
大丈夫、きっと大丈夫。そう思い込むことにした私は、肉まんを人数分買ってようやく宿へ戻ることにしました。





―――ガチャッ

「ただいま戻りましたー」
「香鈴!!」


もうお昼近いからさすがに起きているだろう、と思って声をかけながらドアを開けたら、悟空が突進してくる勢いで抱きついてきました。え、いや、こういう所可愛いなぁって思うから全然構わないですし、むしろばっちこい!状態なんですけど…でもどうして急に?何かあったんだろうか、と首を傾げて視線を上げると、いつも通りの仏頂面の三蔵様、ホッとしたような表情を浮かべている八戒くんと悟浄くんの姿。
いまだギュウッと抱きついたまま離れようとしない悟空の頭を撫でながら、さあどうしようと考えていると、小さな声で名前を呼ばれた。呼んだのは悟空のようでどうしたの?と問いかけてみれば、さっきよりは少し大きめの声で何処にも行かないよなって言われちゃったんですけど。
…もしかしなくても皆さん、私のことを聞いたのでしょうか。


「ええっと…」
「…先程、観世音菩薩が来ましてね?全部、…聞いたんです」
「ああ、やっぱりですか」


案の定、でした。だから悟空は私を見るなり抱きついてきて、それだけではなく何処にも行かないよなって聞いてきたんですね。きっと、少し前の私だったらその言葉に即座に頷けていたと思うんです、大丈夫だよ、何処にも行かないよって。
でも…全てを聞いて、私が今どんな状況の中にいるのかを知ってしまったから…だから尚更、頷けないんです。本当なら嘘でも何処にも行かないよ、って言うべきなのかもしれないけど、悟空はこう見えてもとても聡い子だから見破ってしまうでしょうね。


「香鈴、なあ…!」
「―――何処にも行かないよ、って言えればいいんだけど…嘘は、つけないから」
「?!じゃあ…」
「迷ってるの。どうするべきなのか、どうすることが最善なのか…まだ、決めかねてるの」


それが今の私の本当の気持ち。行くと決めたわけではない、けれど行かないと決めたわけでもない。


「ひと月、お前に猶予をやると言っていた。その間に決めろ」
「…ええ、もちろんです」


私に残された時間はひと月。長くも短い時間だ、ゆっくり考えられるようで…旅をする中で決めなければいけないから、そんなに考えていられる時間はないかもしれませんね。でも今の私には少し急かされるくらいがちょうどいいかもしれません。あまり時間があり過ぎると決められないような気がしますから。


「あ、そうだ。美味しそうな肉まんを買ってきたんです。皆さん、朝ご飯食べていらっしゃらないでしょう?如何です?」
「美味そうな匂いってそれだったんだ!急に腹減ってきちゃった、ちょうだい香鈴」
「切り替え早すぎんだろ、悟空」
「あんまんはねぇのか」
「ちゃんと買ってきていますよ、どうぞ」


暗い雰囲気は一瞬にして消え去り、あっという間にいつもの喧騒が戻ってきました。うん、やっぱりこの空気が、雰囲気が私は大好きです。
肉まんの取り合いを始めた悟浄くんと悟空を視界の端に捉えながら、私はお茶の準備を始めた。緑茶でもいいんですけど、ここはやっぱり中国茶かなぁ。口の中がサッパリするし、肉まんにもよく合うでしょうから。
お湯を入れて茶葉を蒸らしていると、てっきり肉まんを食べていると思っていた八戒くんが隣に立っていました。


「…おかえりなさい」
「はい、ただいま。八戒くん」
「―――決めかねて、いるんですね」
「そう簡単に決められませんよ。ひと月の間、じっくりゆっくり悩ませて頂きます」


そう答えて八戒くんの顔を見上げれば、何か言いたそうにしているんだけど…開いた口を閉じて、何もなかったかのように見慣れた笑顔を浮かべていらっしゃいます。何かありましたか、と問いかけてみても、何でもないですよ、と言われてしまってこれ以上は聞いても答えてくれそうにありませんね。

…だけど、一瞬だけ見せた淋しそうな表情が、脳裏にこびりついて離れそうにない。どうしてそんな顔を、するんですか?
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