無邪気≒無垢


―――夢だと、これは悪い夢なんだと。そう思った…いいえ、そう思いたかったんだと思います。


「八戒くん、悟空、三蔵様…?!」
「は…何だよソレ…冗談だろ…?」


クスクスと無邪気な笑い声が聞こえる。無邪気なのに、子供特有の高く、とても可愛らしい声なのにどうして、…こんなにも背筋が凍るのだろう。


「だって貴方が望んだんじゃない」





新しい町に着いたのは昨日のお昼過ぎ。早々に宿を確保して休憩していたのだけれど、今日の朝くらいからジープの様子が少しおかしくて…そっと触れてみると、身体がひどく熱かった。
風邪かもしれません、それに連日走行しっ放しですから疲れも溜まっていたんだと思います。具合が良くなるまでこの町に滞在するのが一番いいかもしれませんね。
八戒くんが三蔵様に滞在の許可を頂いている間に、私は水で濡らしたタオルを小さく切ってジープの額に載せていた。熱が高いから氷枕の方が気持ち良いかもしれませんが、さすがにこの子のサイズの氷のうを作るのは難しいですから、小さな濡れタオルで許容してもらいましょう。
…ごめんね、いつも無理をさせてしまって。しばらくはゆっくり休んでちょうだい。そう呟きながら背中を撫でると、いつもよりか細い声できゅう、と返事が返ってきて笑みが零れる。

その間に買い出し係が悟浄くんに決まった(というより、八戒くんの独断?)らしく、買い出しのメモを手渡していた。確か宿に着いて早々に私と彼で必要なものを書き出していたもの、よね?…結構な量で、1人で行くには大変だったような気がするのだけれど。
でも八戒くんはジープの看病をするでしょうし、悟空と悟浄くんの2人で行くと面倒なことになるのは今までの経験でわかっていること…そして三蔵様は決して動かないでしょうね。


「―――三蔵様、カード貸してください」
「ああ。マルボロ赤買ってこい、ソフトでな」
「はいはい、承知致しました。買い出しついでに買ってきますので、遅くなりますが勘弁してくださいね」
「…香ちゃん?」
「はい?何をボサッとしてるんです?行きましょう、悟浄くん」


いってきますね、と3人に声をかけてから私達は宿を出た。
少しだけ前を歩く彼の背中を小走りで追うと、当たり前のように足を止めて私が追いつくのを待っていてくれる。女性好きで、遊び人だと言われる悟浄くんだけれど、この方は見た目によらずとても優しい人だ。そりゃあ自堕落な所もありますけど、気遣いが一番上手な人だと思うんですよね…空気を読むのが一番上手だと。決してしっかりと考えているのではないらしいんですが、多分、感覚的に―――というか、肌で感じ取ってるんだと思うんですよね。

…っと、別にそういう話をしていたわけではなかったんだった。ぼんやりと自分の世界に入ってしまっていた思考を現実に引っ張り出してくると、悟浄くんが紫煙を燻らせながらこっちを見下ろしていることに気がつきました。あら?もしかして私、呼ばれてたのかしら。
なぁに?と首を傾げると、少しだけ眉間にシワを寄せて、それから首の後ろに手を当ててんー、とだけ呟いた。


「…良かったの?八戒の傍にいなくて」
「どうしてそんなことを聞くんです?それとも、私がいない方が良かった?」
「いンや?俺としては香ちゃんと2人で出かけられんのは嬉しい。せっかくだしデートでもしちゃう?」
「ふふっもう悟浄くんってば。相変わらず口が上手いですね」


クスクス笑ってそう答えると、本気なんだけどな、と拗ねたような声が返ってきた。そっと表情を盗み見てみると、唇を少し尖らせていて。それが小さな子供が拗ねているように見えて、何だか面白くて、でも可愛らしい方だなぁと思いました。
悟空も感情表現が豊かですけど、悟浄くんも意外とわかりやすいですよねぇ…一番わかりにくいのは三蔵様だな、やっぱり。


「悟浄くん、メモ貸してください。ちゃっちゃと済ませちゃいましょうね」
「おう。最初は何処だ?」
「食材は最後の方がいいので、…雑貨から攻めましょうか」


メモ片手に次々と店を回り、書き出されたものを購入。宿を出る前に予想していた通り、あっという間に私達の両手は買った袋で塞がれてしまっています。今この状態で襲われでもしたら、あっさりやられちゃいそうな気がするなー…いや、そんな無様な姿は晒さないよう頑張りますけれども。
紙袋を抱え直してメモに視線を落としていると、路地裏からカツアゲをしているような声が聞こえてきました。あーあ、今でもいるんですねぇ馬鹿なことをする輩が。


「やぁね、こんな町のど真ん中で…」
「―――って、おい、香ちゃん。わざわざ首突っ込むのかぁ?」
「そういう悟浄くんだって黙ってついてきてるじゃない」


きっと貴方は1人だったとしても、同じように行動してたと思うわよ?笑いながら言えば罰の悪そうな顔で、いまだ馬鹿なことをしている男性の横っ面を蹴っ飛ばした。


「どこ行ってもこーゆー馬鹿がいるんだよな。みっともないっしょ、お兄ちゃん達ー?」


ぐりぐりと後頭部を踏みつけられている男性の呻き声は無視して、その人の向こう側にターゲットにされていたであろう人を見つけた。綺麗な金糸の髪を持った、小さな男の子。…この人達、こんな小さな子を相手にカツアゲしてたってことですか?全く…ダメ人間にも程があるんじゃないでしょうか。
溜息を吐いて腰を落とし、怯えた表情をしている少年に目線を合わせる。怪我はない?と尋ねれば、ぎこちないけれど大丈夫だと頷いてくれたので、ひとまずは良かったかな。


「―――おいっ!!何なんだテメェ、ブッ殺すぞ!!」
「へぇ?」


珍しく殺気の籠った声に、私は目を瞬かせた。…ま、買い出しを押し付けられたようなものですし、機嫌がよろしくないのはわかってましたけれど…この3人、ボッコボコにされちゃうんだろうなぁ。悟浄くんの鬱憤晴らしに。
巻き込まれないように、とぽかんとしてしまっている少年を抱き寄せる。


「『俺は今ソーゼツに機嫌が悪い』…先に言っとくかんな」
「…程々にね、悟浄くん」


一応、警告だけはしておきます。私の言葉にニヒルな笑みを浮かべた彼だったけれど、すぐに殺気を秘めた表情へと変わって男性達に突っ込んでいった。次々と蹴り飛ばされる光景を目にして思わず苦笑が漏れるけれど、すぐに子供に見せてはいけない光景だということに気がついて、抱き寄せていた少年に視線を落とすと―――少年は、少しも怯えてなどいなかった。
普通このくらいの歳の少年だと、人が暴力を振るわれている光景を見にしたら驚いたり、ひどいと怖がったりするはずなのに…この子は一切、そんな素振りを見せない。それどころか、楽しそうに無邪気な笑顔を浮かべていて。
ゾクリと、背中に悪寒が走る。どうして、どうしてだろう…ただ無邪気な笑みを浮かべているだけのはずなのに、何故か―――不気味だと、感じてしまった。


「うっし、終了ー!」
「あ、…もう、程々にって言ったのに」
「加減はしたっつーの、その証拠に殺してねぇし」
「当たり前よ。殺しちゃったら過剰防衛もいいとこだわ」


ひとまず場所を移して、何となく連れて来てしまった少年にオレンジジュースを渡した。3本で安くなるとお店の方に聞いちゃったから、私と悟浄くんもそれを飲んでます。ジュースなんて久しぶりに飲んだなぁ…普段はコーヒーかお茶が多いし。
缶に口をつけながら、悟浄くんと少年の会話に耳を傾ける。この子の両親は亡くなっていていないそうです、けれど双子の弟がいてとても仲良しなんですって。そう言う少年の顔にはとても嬉しそうな笑顔が浮かんでいたけれど、さっき感じたような不気味さは一切感じない。
やっぱりさっき感じたのは私の勘違い、だったのかなぁ…喧嘩に怯えなかったのも、見慣れてるからっていう理由があるのかもしれないものね。町でよく見かけるだろうし。


「それよりお兄ちゃんすごい強いんだね!!一瞬で3人倒しちゃって」
「―――あ?まぁ一応な。…俺と旅してる奴らと比べりゃ大したことねーけど。このお姉ちゃんだってかなり強いぜ?」
「…お兄ちゃんの友達?」
「ダチとかそんなんじゃねぇよ」
「あら違うんですか?私はずっとそう思ってましたけど」


仲が良いか、悪いかと問われれば、即座に悪いと答えるでしょうけれど、でもほら、悪友って言葉もあるでしょう?そんな感じかなー、と昔からずっと思ってはいたんですけどね。でも悟浄くんはそうは思っていないみたい、かと言って心の底から嫌ってるとは思っていませんけど。


「だってよー、脳ミソ胃袋なバカ猿と、エラッソーな生臭坊主と、口うるさいオフクロみてぇな男だぜ?あいつらと行動するようになってから女にはモテねぇわ使いっぱにされるわでよ」
「トモダチじゃあないの?何でそんな嫌な人達と一緒にいるの?」
「何でっつったってなぁ…」


言葉に詰まっている悟浄くんにクスクス笑みを零していると、ふっと少年の瞳が私を映し出した。その目はまるで、他人を品定めしているような―――そんなように感じて、鳴りを潜めつつあった微かな違和感と不気味さがまた首をもたげつつあった。

そっと細められた瞳に宿る光は、―――僅かなる殺気。


「…このお姉ちゃんのことも、嫌い?」
「ンなわけねーだろ。香ちゃんのことは大好きよ?俺。…ま、俺以外の男に心奪われてんのはちょーっとアレだけどな」


少年の口元が、ニヤリと歪んだ。


「じゃあその人達のこと、嫌い?」
「―――あ?いや、嫌いっつーか…」


…ダメ、


「だってこの買い物もさせられてるんでしょ?悪い人達じゃない」


ダメ、これ以上はこの子の傍にいては、ダメ。


「まーそりゃあ、…『いい人達』とは言えねぇけどよ―――俺も人のこと言えた義理じゃ…」
「―――お兄ちゃん。僕、その人達やっつけてあげるよ!!」


僕には神様がついてるんだ。
無邪気な微笑み。子供特有の、とても無邪気な…だけど、何故でしょう。心臓がドクリと跳ねた、嫌な予感しかしない…鼓動はバクバクと早くなる一方で、早くその子から離れろ、と脳内で警鐘が鳴り響いている。

この子は―――危険だ、と。

はやく、…早く宿へ帰らなくちゃ。日も暮れてきているし、皆さんが待っているでしょうし、それにジープの具合も気になるし…早くこの場を、離れなくちゃ。この子に関わり続けたらきっと、良くないことが起こってしまうから。
地面に置いてあった荷物を慌てて抱えて、私は悟浄くんの腕を引っ張った。


「ご、じょうく…はやく、早く戻ろう」
「香ちゃん?」
「戻ろ、皆さんが待ってます。悟空がお腹空かしてるだろうし、私もお腹空いちゃいました」


だから、早く宿に―――。
驚く彼を余所にグイグイと腕を引っ張って歩みを進める。でもその少年は悟浄くんに泊まってる宿は何処?とずっと尋ねていた。最初はあしらっていたみたいだけど、でもずっとずーっとしつこく聞いてくるものだから、最終的には宿の場所を教えていた。

相手はただの子供だ、さっきのだって子供の冗談のはず…だからきっと大丈夫、あの方達に危害を加えたりしないし、そもそも宿の場所がわかったって泊まってる部屋まではわからないはずだから。
そう思うのに、どうしてだろう…嫌な予感は消え去ってくれないし、鼓動も気持ち悪いくらいに速い。それこそ今にも吐きそうな、くらいだ。それが原因なのか、半ば走るようにして宿を目指していた私を止めたのは、悟浄くん。


「待てって香ちゃん!」
「あ、……」
「はっはぁ、はぁ…おま、どーしたんだよ急に」
「ご、めんなさい…何か、ずっと嫌な予感がしてて、それで早くあの子から離れなくちゃって―――」
「…もしかしてやっつけるつってたの本気にしてる?」


悟浄くんの言葉に少しだけ考えて、でも否定しきれなくてコクリと頷いた。あんな小さな子にやられるとは思っていないけど、でもどうしても気になって仕方ないんです。あの無邪気すぎる笑みが、神様がついているという言葉が胸に引っかかっているのは確かで。


「冗談、ですよね?子供の…」
「そうに決まってるだろ。ガキにどうこうできねぇって、大丈夫、大丈夫」


よっぽど不安そうな顔をしていたんでしょう。大丈夫だ、と笑った彼は私の頭をぽん、と撫でて宿へと入っていった。
慌ててその背を追いかけて、泊まっている部屋の扉を開けようとして僅かな違和感を感じたんです。

…静かすぎるの、物音1つしない、彼らの声すら聞こえない静かな部屋―――

時間的に、お腹が空いたと騒ぐ悟空の声が聞こえてきていてもおかしくないのに…何も、聞こえない。
大丈夫だと思い直していたのに、またドクリと心臓が嫌な音をたてた。


―――ガチャ、

「おー、とりあえず一通り買ってきたー…」


最初に目に入ってきたのは、床に転がったコーヒーカップ。そして倒れたテーブル、割れたお皿にコップ、その奥に見えたのは、

―――ゴトリ、

私達の手から零れ落ちた荷物が鈍い音を立てて、床に転がった。頼まれていた煙草や、ジープにと買ってきたリンゴが足元を転がっていく。だけど、それを拾い上げる余裕なんて今の私達には一切なくて。
ただただ、目の前に広がる光景に目を奪われてしまっていたんです。


「八戒くん、悟空、三蔵様…?!」
「は…何だよソレ…冗談だろ…?」


―――これは悪い夢。私達が見ている、胸クソ悪い夢なんだ。
- 63 -
prevbacknext