懇願


「お兄ちゃんの言う通りだね。この人達、悪い人だったよ」


脳ミソ胃袋なバカ猿。エラッソーな生臭坊主。うるさいオフクロみたいな男。
あの時、悟浄くんが言った言葉と一字一句違わないソレを口にして、彼はにっこりと微笑んだ。これでお兄ちゃんの嫌いな人達いなくなったね、と。大きな―――怪物に抱えられた彼の顔に浮かぶのは、本当に嬉しそうな笑顔…良いことをしたんだよ、と言わんばかりの笑みだ。これを、本当にこの子供がやったとでも言うの…?!

怒りで震える拳をグッと握り込んで、私はひとまず八戒くんに駆け寄った。脈を、と彼の首に触れた瞬間…驚くほどの冷たさが指に伝わってきた。
いつだって私のことを安心させてくれていた体温は、少しも残っていない…氷のように冷たくて、まるで―――死んでいるかの、ようで。


「瞳孔が、開いてる…?」


バッと悟空の顔を見てみれば、彼も八戒くんと一緒で瞳孔が開ききっていた。外傷なんてないのに、それなのに体温がなくて瞳孔も開いてしまっている。一体、彼らに何が起こってしまったの。


「貴方、…3人に何をしたの」
「お前まさか…牛魔王の刺客か?!」
「ぎゅうまおう…?知らな、」
「すっとぼけてんじゃねぇ!!―――てめぇ、こいつらに何しやがった?!」


悟浄くんの怒りの声が、耳に届く。彼が錫杖を召喚したのに倣い、私も愛刀を召喚して握り込む。子供相手に―――と思わないでもないけど、彼らに危害を加えたのがこの子なのだとしたら…申し訳ないけど、無傷で帰すわけにはいかない。それに牛魔王の刺客である可能性だって捨てきれていないんだ、もし本当にすっとぼけているだけなんだとしたら、容赦はしません。

怪物に抱えられた少年が悟浄くんの怒りの表情を見て、わかりやすく狼狽え始めた。どうして怒るの、貴方が望んだのに―――そう、口にした。だから悪い奴をやっつけたのに、と。
その少年を守ろうとしているのか、それはわからないけれど怪物が悟浄くんへと襲いかかった。


「―――銀閣!!!」
「―――ッ!!」
「っ悟浄くん!!」


握っていた刀を消して彼を抱きしめるように覆い被さった瞬間、室内にガゥンッと銃撃音が響き渡った。私は銃を撃ってなんていない、…ということは、


「おい、悪人裁いてヒーローごっこのつもりか?このクソガキが」
「三蔵様っ…!」
「そんな…嘘だ、確かにやっつけたのに…」
「よか、…良かった、無事だったんですね…!」
「勝手に人を殺すんじゃねぇよ―――あとの2人はどうかわからんがな」


―――そうだ。あの2人は瞳孔が完全に開いてしまっていた…この旅を始めて何度も、何度も死体を目にすることがある。だからわかるんだ、あれは死んでいる状態だって。でも同じように襲われた三蔵様が生きている、そして八戒くん達の身体に一切外傷がない所を見ると、何か術を使った可能性だってある。そうだとすれば何かしら助ける術があるかもしれないってことなんです。
全ての鍵を握っているのは、妙な瓢箪を抱えた金糸の髪を持つあの少年のみ、だ。


「―――おいガキ、何が目的だ?その瓢箪はどこで手に入れた」
「僕…僕、何も悪いことしてないっ僕はただ……!!」


大きな怪物は少年を抱えて窓に向かって走り出した。きっと逃げるつもりなんでしょう、逃がすまいと三蔵様が銃を構えたけれど、その銃弾は発砲されることはなかった。彼の手を悟浄くんが止めてしまったから。
悟浄くんの気持ちもわからないでもないけれど、でも今すべき判断としては間違っているとしか思えない…!だって何か手がかりを持っているのはあの子しかいない、それなのにここで逃がしてしまっては手がかりさえも失ってしまうことになるから。

三蔵様が離せ、と声を荒げたけれど、その隙に窓を割り、窓枠を壊して少年達は―――闇の中へと紛れてしまった。慌てて窓際に走り寄って辺りを見回してみるけれど、あれだけ目立つ容姿をしているのにもかかわらず何処にも姿は見えない…千里眼を発動させてみるものの、もう追うことは出来なかった。
でも起こってしまったことはどうしようもないですね。一度、話を整理してあの子達を追いかけるしか術はないでしょう…ひとまず床に転がっている2人をベッドに運んであげないと―――そう思って振り向いた瞬間、三蔵様が悟浄くんを思いっきり殴り飛ばしていた。


「あのガキは敵だろうが!!!」
「……ワリ…」
「…それとも何か?あのガキの言う通り、これが貴様の望みなのか」
「ちょっと三蔵様!悟浄くんの狼狽えぶりを見ていなかったわけではないでしょう?!」


今ここで冷静さを失って言い争って何になりますか!話をする前に部屋の中を整えて、2人をベッドに寝かすのが先決です。
そうキッパリ告げて、何とか三蔵様を落ち着かせた。のろのろと動き始めた2人の背を見つめ、そっと溜息を吐く。割れてしまったコップやお皿の破片を拾い集め、ぐしゃぐしゃになったベッドを整えて、倒れてしまっているテーブルや椅子を直して、そして八戒くんと悟空の身体をベッドへと寝かせる。

瞳を閉じさせた2人の身体はいまだ冷たいまま。だけど、こうして見るとただ眠っているようにしか見えない…私達が町へ出ている間に、彼らの身に何が起こったというのだろうか。
それを知っているのは1人だけ難を逃れた三蔵様だけ…先に私達が町で出会った少年のことを話して、その後に何があったのか聞くつもりだったのだけれど―――この御方、一向に話す気配がないんですけれど。
それに痺れを切らせたらしい悟浄くんがブチ切れちゃいまして…まぁ、確かに宿の場所を教えてしまったのは悟浄くんの失態と言えるのかもしれないけど…何と言うか、本当に馬が合わないんだなこの方達は。


「―――俺達も油断はしていた」


部屋でくつろいでいたら、あの少年が突然訪ねてきたそうです。応対したのは八戒くんで訪ねてくるなり、「お兄ちゃん達が『悪いヒト』だね?」と言い放って、いつの間にか部屋の中に大きな怪物が入り込んでいた。
それに驚いている隙にあの少年が抱えていた妙な瓢箪から触手のようなものが出てきて―――3人の身体に巻き付いたんだそう。


「悟空がタンスに叩き付けられて、そのままあの状態だ」
「…それだけ?」
「ああ。八戒も同じように俺にぶつかって、そのまま―――だが、その時に瓢箪が何かを吸い込んだように見えた」
「あ?」
「―――あ、そっか…そういう仕掛け、だったんですね」


だから外傷もないのに瞳孔が開き、脈も、心肺も停止している状態になってしまったんだ。三蔵様の話を聞いてようやく理解が出来ました。…でもどうして三蔵様だけ無事だったんだろう。
話の続きを促すと、仕掛けがわかったこの御方は床に叩き付けられ、意識を失いそうになった瞬間にまだ火がついたままの煙草をギュッと握り込んだんだそう。それで意識を保っていたから、だから魂を吸い取られずに済んだということなんですね…少年がいなくなった後は意識を失ってしまったそうですが。


「…どーゆーことだそりゃ」
「身体から意識だけを離脱させて、精神だけを吸収したんだと思います」
「―――つまり、今そこにいる八戒と悟空は魂を吸い出された抜け殻ということになる」


完全に死んでしまったわけではない。早々に精神を取り戻さないと手遅れになるとは思いますが、それでも『まだ死んでいない』という事実に心底ホッとした。
冷たいけれど、心臓も止まってしまっているけれど、でもまだ生きている…取り戻せるということなのだから。


「じゃあ完全に死んじまったわけじゃねぇんだな?!」
「恐らくな。だが断言はできん、時間が経てばそれだけ危険かもしれねぇし」
「そんなに長くは持たないでしょうね…心臓が止まってしまっていますから、直に腐敗が始まるでしょう」


そう、のんびりしている暇はない。早々に動き始めるのが吉でしょうが、どうすべきか…そう思案していると、悟浄くんが上着を持って立ち上がった。


「おい。何処へ行くつもりだ」
「自分のケツ拭いにだよ。あのガキとっ捕まえなきゃ何も始まんねぇ、追いかける為の手がかりを探すんだ」
「―――待て、俺も行く」


ガタッと立ち上がった三蔵様に私も彼もびっくりしてしまった。面倒事を嫌うこの御方が自ら動くなんてこと、そう多くはないですから…もしかしてこの御方も八戒くん達のことを心配していらっしゃるのかしら?それとも悟浄くんの身を案じてる?
でもそのどちらも違っているようだった、三蔵様の口から出たのは「貴様に任せるとロクなことにならんからな」という一言で。あまりにもらしい言葉に、思わず苦笑が漏れる。
さっさと出て行く三蔵様の背中を追いかけようとしたら、グイッと引っ張られた。引っ張ったのは他でもない悟浄くん。どうしたんでしょう?


「悟浄くん?」
「ったくよ…蠍座は厄日か?」
「あはは、否定はできません。それよりどうしたんです?早く三蔵様を追いかけないと…」
「それなんだけどよ、…香ちゃんは此処に残ってて」
「え?」
「手がかりは俺と三蔵で探す。その間、こいつらのこと頼むわ」


妖怪の襲撃がないとは言い切れない、だからもしものことを考えて此処に残って。
彼は真摯な紅い瞳で私を見つめ、静かにそう口にした。拒むことは簡単にできた、大切な人達をこんな目に遭わせたあの子達を許せはしない…そして大切だからこそ、この手で取り戻したいと心から願うけれど―――でも、こんな顔をされてしまったら何も言えないじゃない。


「な?頼むよ、香ちゃん…」
「―――わかりました。2人のことは任せてください」
「ん、頼んだ。じゃあ行ってくんな」
「いってらっしゃい。気を付けて、くださいね?」
「わぁってるって」


―――バタン、

静かに閉まるドアを見つめ、ベッドに寝かされた2人に視線を移す。ただ眠っているように見えるこの身体は、何も入っていない空っぽの器。それを取り戻す術を、手がかりを探しに行ってくれた2人…私はまた、待つことしかできないんですね。
待つことはとても苦しくて、苦手だ…あの2人なら大丈夫、きっと何か手立てを見つけてきてくれる、そう思っていたいのに、僅かな隙間から増殖する不安と恐怖は徐々に胸を侵食していくんです。何もできない私を嘲笑うかのように。

お腹の上で組まれた八戒くんの手をそっと握る。相変わらず冷たいその手に体温を移すように、ギュッと。
…お願い、いなくならないで。私を、置いていかないでください…大切なの、失いたくないの―――


「好き、好きなの…貴方のことが、八戒くんのことが大好きなの」


だから、だからどうか―――この方達を、私に返して。奪わないで。連れて、いかないで。
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