狂宴の始まり
―――こうなるかもしれない、と予想はしていました。予想出来ていて、それでいて尚、私は止めることをしなかった。見張ることもせず、ただ彼の好きなようにすればいいと思っていたんです。
…だって、本当は私もそうしようと思っていたから。行きそびれちゃいましたけどね。
「…一応伺いますけど、どうします?三蔵」
「―――知るか。昼にはここを発つ」
「…そう言うと思いました」
これ以上拘わりのないことで足止めされるのは真っ平だ。
そう、あの腹の立つ男が牛魔王の刺客でない以上は私達には何の関係もないことなんだ。悟浄くんがいなくなろうと、それが彼自身の意志でいなくなったのならば―――三蔵様は放っておく、そういう御方だから。それに昨日の話は悟浄くんも聞いていたはず、それを承知の上で出て行ったのならば…追いかける義理はない。そう思っているのでしょうね。
三蔵様の意見に反発したのは悟空。あの男を放っておくことにも、悟浄くんを置いていくことにも反発したのは…異議を唱えようとしたのは、彼ただ1人だけ。八戒くんはあくまでも中立な立場を崩さないでしょうし。
悟空は『誰かが欠けること』を昔から嫌がるタイプでしたからね、どうしたって悟浄くんを置いていく決断に頷くことができないんだと思います。…それが彼の、良い所なんですけど。
「―――それとも、お前も残るか?」
残酷な一言ですこと。三蔵様を絶対的な存在と思っている悟空が、そんな風に言われて頷けるわけがないのをわかっていて言うんですから、本当にズルい御方。
「私、―――此処に残ります」
「…あ?」
「ちょ、香鈴?!貴方まで何を―――」
「悟空に言いましたよね?お前も残るか、と。…残ってもよろしいのでしたら、私は此処に残ります」
「勝手にしろ」
「ええ、勝手にさせて頂きます」
寝る前にまとめておいた荷物を持ち、私は足早に部屋を出た。後ろから八戒くんの止める声が聞こえたけれど、それに振り向くこともせずドアを、閉めた。
些か、子供じみていたかもしれないと思う。売り言葉に買い言葉みたいなものでしたし、だけど別に怒っていたわけじゃないんだ。…いや、多少は三蔵様のあの物言いに腹を立てましたけど、でもまぁ言ってることは正論だと思いますしねぇ?間違っては、いないと思います。それにあの御方が素直に悟浄くんを追いかけよう、と言うような方ではないことは重々承知してますし。
…ああダメだ、何だか思考が色んな所に飛んでいる気がします。
「っ香鈴!!」
「…悟空?どうしたの、早く準備をしないと置いていかれちゃうわよ?」
「なぁ、本当に行っちゃうのか?!何でっ…悟浄も香鈴も、一緒に行こうって言わねぇの?!そしたら三蔵だってっ…!」
「―――ごめん。ごめんね、悟空」
貴方が欠けることを恐れているのを知っているのに、5人でいることを望んでくれていることを知っているのに、それでもこの決断をしてしまった私を―――許して、なんて言わない。でもただ黙って、送り出してちょうだいな。
「三蔵様の言っていることは正論よ。でも、でもね?…私にだって、許せないことがあるの」
ただそれだけ、と思うかもしれません。けれど、このまま飲み込んで先に進もうという気にはどうしてもなれないの。何の意味もない行為だってこともよーくわかってる、さっさと先に進むべきだというのも理解してはいるのだけれど、どうしても心がついていかなかったんです。
「やだ、やだよ俺、このまま2人を置いてくなんてっ…」
「でも…貴方は三蔵様から離れるなんてこと、できないでしょう?」
小さな声で呟いたそれは、悟空の耳にしっかりと届いていたらしい。俯いていた顔をバッと上げて、驚いた表情で私を凝視している。そう、いくら貴方が置いていくことを望んでいなかったとしても…絶対に三蔵様のお傍を離れること・あの御方と別行動をするなんてこと―――できるはずがないんですよ。
別行動を命じられない限り、悟空自身の意志であの御方から離れようとは、思わないのが現実でしょう。悟空にとっての三蔵様は、絶対的存在。何があっても絶対に、見捨てることも置いていくこともできない…そんな存在なんです。
最後にもう一度、ごめんね、と呟いて私は踵を返した。もう、彼の声も足音も追いかけてくることはありませんでした。
さて…あのカミサマとやらは昨日、金閣くんが殺されたあの山にいるのでしょうか。出会ったのがあそこでしたから、きっと間違いはないと思うんですけど。今から急いで行けば悟浄くんに追いつくことができるかな…部屋を覗いた時、ベッドが使われた形跡はなかった、でもビールを飲んだ形跡と煙草を吸った形跡があったから、少なくとも悟空が眠りに着くまでは宿にいたということになるはず。
それに朝になれば八戒くんが起こしに来ることもわかっていたでしょうから、それよりも早く出て行ったと考えると…やっぱり夜中、かなぁ。そうなると私が追いかけても、彼に追いつくことはできないかもしれない。
でもま、彼を追いかけるのが本来の目的ではありませんし…そこは気にせずに行きましょう。着いた時に全てが片付いた後、だったら笑うしかありませんけどね。
「うーん…体力には自信ありましたけど、ただ黙々と登り続けるのは…少々厳しいものが、ありますねっ…!」
山道はそこまでではなかった。そりゃあ疲労感はありますけど、この階段に比べればまだ可愛いものでしたから。…けど、あの山道―――というか、獣道の方が正しいかも―――を登って体力削らされた後に、どれくらいあるかわからない階段を昇るのはきっついなぁ、さすがに。でもきっと、この階段の何処かに悟浄くんもいると思うんですよね。彼が吸っている銘柄の煙草の吸い殻が落ちているのを何本か見つけましたし、この他に道がなければ確実に進んだ先にいるはずなんですけど。
ポタリ、と伝い落ちる汗を拭って、大きく息を吐く。何だろう、…この霧、すごく気持ちが悪い。ふわふわするというか、なんというか…方向感覚を失ってしまいそうでちょっと怖いです。山道や階段だけが原因ではなく、この霧にも体力を奪われているような気がするのは、気のせいでしょうか?
だって絶対に自然発生したものじゃないですもの、どう考えてもあのカミサマとやらが創りだしたものに間違いはないでしょう。幻術、のようなものなんですかね?今の所、変なものは見ていませんけど。
―――お前達が、いなければ。
何か声が、聞こえたような気がした。憎しみがこもった、とてもとても低い声がどこからか―――いや、耳元で聞こえたような気がしたんです。
―――どうしてお前だけ生きてるの。
今度は女性の、声だ。どこかで聞いたことのある、それでいて心の底から安心できる…そうだ、この声は、
「お前のせいで、私達は死んだのに。」
そこに立っていたのは、口から、お腹から、胸から大量の血を流しているお母さんとおばあちゃん。確かにあの日、その生涯を無理矢理終わらせられたはずの2人がそこにいて、憎しみを込めた瞳で私を見下ろしている。
2人の手には包丁と、斧がしっかりと握られていてギョッとした。だってそれは、まるで私を殺そうとしているみたいだったから…お前が邪魔だ、と言われているようだったから。
「お前さえ、いなければ。」
「ちが、違う、私のせいじゃ」
ない―――そう言いたいのに、言えるはずなのに、ふわりと風に舞った髪の下に見えたお母さんとおばあちゃんの顔が、大粒の涙で濡れていたから。だから、言葉を飲み込まずにいられなかった…いつだって笑っていて、私を愛してくれていると思っていたけれど、本当はそうじゃなかった?私だけが生き残っていたことを、あの世で恨んでいたの?全てをしまい込んで新しい道を歩こうとした私を、怒っている?
お母さんが、おばあちゃんが―――大切で、大好きな家族が命を落とす羽目になったのは村人のせいじゃなくて、私のせいだった?
ねえ、そうなの?だからこうして、私を殺そうと2人は…
―――ザシュッ!
カツーンッと甲高い音が、耳に届いた。そっと閉じていた目を開けると、そこには真っ赤な数珠がいくつも転がっていてカンカンッと階段を転げ落ちていくのも見えた。それをぼんやりと眺めていると、ジャリッと何かが踏みしめる音が聞こえてきました。
もしかしてカミサマか、とゆっくり視線を向けると、そこにいたのは姿を消したはずの悟浄くん。
「香ちゃん?!」
「ご、じょう…く、」
持っていた錫杖を消した彼は階段を一段飛ばしで下りてきた。どうして、…いや、此処にいるであろうことは予想できていましたが、こんな近くにいるとは思っていませんでしたし、そもそも何で私を助けてくれたのかわからないことだらけ。
「ど、して…」
「それはこっちのセリフだっつーの。あいつらと先に進んだんじゃねーのかよ」
「だって…私だって、譲れないものくらい、許せないことくらいありますもん」
別に悟浄くんを迎えに来たわけじゃない、私は私でアイツを―――カミサマと名乗った腹が立つ男を、一発殴らないと気が済まないと思っただけなんです。…傍から見れば、この方を迎えに来たような感じになっちゃってますけどね。
でも心配してなかったわけじゃないし、相談ができるような性格じゃないとわかっていながら声をかけようとしなかった自分自身に、多少なりとも腹を立てていたのも事実だけど。それとほんの少しの罪悪感も、あった。その反面、何で1人で行くんですかバーカって言いたい気持ちもあるんですけど、それは私も一緒だから言わないでおこう。
いつの間にか流れていたらしい涙を乱暴に拭って立ち上がる。さっきよりも近い位置になった彼の顔を見上げると、目元が薄らと赤くなっていました。それも両目。痒くて擦ったのかな、と一瞬思ったけれど、そういうのではなさそうだ。
もしかして、…彼もさっきの私のように「何か」を見た―――ということなのかも。この気持ち悪い霧はやっぱりあのカミサマが創りだしたもので、幻覚作用があったということなのかなぁ。
「…お前も、見た?」
「ええまぁ…ひどく趣味の悪い夢を見させて頂きました」
「俺もよ。あのニヤケ野郎の仕業―――か」
「そうとしか言えませんね。真偽の程は、わかりませんが」
あの幻覚が本当なのだとしたら、私はどうしたらいいんだろう。
「とりあえず、先に進みましょうか」
―――グッ
「あれは悪趣味な幻術だ。だから、…本当のことじゃねぇよ」
「悟浄くん…?」
「村人を殺したのはお前でもよ、でも家族が殺されたのはお前のせいじゃねぇ」
「…、でも」
誰かを恨むような人じゃ、なかったんだろ?お前のばあちゃん。
悟浄くんの言葉にハッとした。…そうだ、おばあちゃんは何があっても、何をされても、誰かを恨むようなことだけはしなかった。それだけはしちゃいけない、と私達にも口を酸っぱくして言っていたんだ。だからきっと、あれは本当のことじゃないと彼は言いたいんですね。
…本心は、もう誰にもわからない。知る術もない。それでも、いつまでも過去を引きずって生きていくわけにはいかないから。前を見て生きる、と家を焼いた時に決めたんじゃないか。もし本当に家族が私のことを恨んで死んでいったとしても、その分を私が生きていかなくちゃダメだ。
「「お前が生きて変わるもんもある」…昔、どっかの誰かさんに言ってたんだ。確かに、生きて変わるもんってあんのかもな」
「…ええ、そうですね」
そして私達は一段、また一段と階段を昇り始めた。
霧で視界が悪い中、どんどんと体力が削られていく感覚だけがいやにハッキリしていて…ガクリ、と膝をついた時だ。あれだけ真っ白だった世界がサァッと開けて、大きな大きなお城と―――にっこりと笑っている『カミサマ』が姿を現したのは。
「僕のお城へようこそ。あかい色のお兄さん、銀色のお姉さん」