敗走
今、私達が通ってきたのは目の前で笑っている男―――カミサマが創りだした、『霧の迷路』らしい。彼は面白かった?と聞いてきましたけど、面白くも何ともありませんよ。ただ素敵に不愉快だった、ただそれだけだ。それこそ反吐が出るくらいに。
その笑みが、とてつもなく嫌いだと奥歯を噛みしめる。その苛立ちを発散するかのように、私達を地を蹴った。蹴りを、拳を繰り出すけれど、それはカミサマを掠ることすらせずにただ空を切るだけ。
ふわり、ふわりと宙を舞う男の身体は今、柱の上にあった。その柱を悟浄くんが蹴りでぶっ壊すけれど、また楽しそうに笑いながら宙を舞うんだ。何ひとつ、当たらない。ひらり、と躱されるごとに苛立ちが増していくことに私は今更ながら気がつくけれど、それをどうすることもできなくてまたひとつ、舌打ちをした。
逃げてばかりいないで、闘え。悟浄くんがそう叫んだ瞬間、私達の身体は数珠に貫かれた―――。
一瞬、そう一瞬だった、それはあまりにも速すぎて避けることすら敵わなかったんです。まるで意志を持っているかのように動くその数珠は、刺さった場所から抜けぬまま私達を壁へと叩き付ける。
「ぅ、あ―――!」
―――ズザァッ!
「あーあ、だから言ったのに。もう壊れちゃった?」
これくらいで、壊れると…思わないで!!
咳き込むと地面に紅い華が咲いた。でもそれに構ってる暇なんてない、グッと顔を上げればすぐ近くに神様が座り込むようにして、私の顔を覗き込んでいた。
「―――俺は、てめぇが何者だろうが興味ねぇんだよ。…ただな」
「小さな子を騙して、あまつさえ人殺しまでさせて…最後には殺してしまう、その理由はなに?」
数瞬考えた後、カミサマはあの子達か、とどこかつまらなそうな表情で言葉を続けた。新しい玩具が欲しかったからあの子達に集めてもらっていたそうですが、…でも自分のものなんだからどうしようと自由でしょ?と笑ったんです、まるで―――命をモノとしてしか、見ていないかのように。
ギュルリと数珠が悟浄くんの首に巻き付き、その身体を持ち上げ、その呼吸を止めようとしている。その命を奪おうとしている。そんなこと、…させるものですか。
―――ガゥンッ!
私が銃を握ろうとするよりも早く、銃声が響き渡り数珠が砕け散った。誰、だなんて考えることもない…だってこの気配はよく知っているから。いるはずがない、西へと進んだものだとばかり思っていた方達が―――太陽の光を背に受けて、ふてぶてしく立っていたんです。
「―――ふん。ザマぁねーな、クソ河童。バカ女」
「お前ら、何で…?!」
悟浄くんのその言葉に返ってきたのは、悟空の鋭い蹴り。そして八戒くんと三蔵様も一緒になって、彼に蹴りを入れまくってます。怒りの声は上げるものの、疲労と怪我を負っているせいか悟浄くんが反撃する様子はない。
ある意味、袋叩きに遭っている光景をぽかんとしながら見守っていると、後頭部にものすごい衝撃を受けました。スパーンッて音がしたから、これは確実に三蔵様の渾身のハリセンだと思います…!私も一応、怪我人なんだけど容赦ないなぁ本当!
「なんっで私まで殴られるんですか!ちゃんと残ります、って言ったじゃない!!」
「そういう問題じゃないんです、よっ!」
―――ベチンッ!
「〜〜〜ったぁ?!」
「俺も。納得なんかしてねーんだから、なっ!!」
―――ベッチンッ!!
「いっ?!!」
「何すんだよイキナリ!!」
本当ですよ、もう!出会い頭にハリセンで叩かれて、それだけじゃなく八戒くんと悟空からデコピン食らうって…!
「―――さぁ?やっぱり空き缶を灰皿にした罰と、…吐き出さなかった罰じゃないですか?」
「……ワリ」
「そう、でしたね。…うん、すみません」
―――あんまり飲み込まないでくださいね。時々でいいですから、こうやって吐き出してください。
あれはいつだった?…そうだ、闇そのもののような男性と会った日だ、あの時確かに彼はそう言って…私も約束を、したんだ。それに皆さんの傍で生きていく、って言ったのに、その約束も破ったようなものだったのかな。
そのまま姿を消すつもりなんてなかったし、自分の中でケジメをつけたらまた彼らの元に戻るつもりでいたんですが…でもそんなの、言わなくちゃわかりませんよね。
「悪いがな、このバカ共を殺すのは俺達だ。手を引いてもらおうか」
「おい…」
「え、私も殺されなくちゃいけないんですか?」
「当たり前だろうが」
「…嫌だよ、僕の新しい玩具なんだから」
えーっと、…私も悟浄くんも貴方の玩具になったつもりはこれっぽっちもないんですけどね。
「誰も貴方にあげるなんて言ってないじゃないですか」
「そーだ、そーだ」
「〜〜〜〜あのなァッ!!俺も香ちゃんも、このニヤケ野郎をブッ殺さなきゃ気が済まねぇんだ。ここまで来て「お邪魔しました」って帰れっかよ!!」
「…フン。苦戦してたんじゃねぇのかよ」
三蔵様の一言に私達はグッと言葉に詰まった。その通りなんだ、今の今まで苦戦していて…何ひとつ当たらなくて、掠らなくて、それだけではなく2人共、傷を負ってしまっている始末。一発殴らないと気が済まない気持ちはあるのに、身体がついていっていない―――そんな感覚だった。
助けて、と言うべきなのかもしれない。だけど、これは…このカミサマをブッ飛ばしたいと思っているのは、私と悟浄くんのわがままでしかないんです。そもそも牛魔王の刺客ではないようですし、本来なら無視して先へ進むべきもので、首を突っ込まなければいいだけのことなんだ…でも、そうできなかったから私は今、此処にいる。それなのに敵わない、と拳を握り込んだ時、悟空の声が耳に届いた。
さっさと片付けちまおうぜ、と拳を握る悟空。その姿を見て、私と悟浄くんはようやく笑みを零した。やっぱりダメだ、私達はこうして5人揃っていないと―――どうしようもない。
「もう、…ダメですねぇやっぱり」
「これが僕達、でしょう?勝手な行動は許しませんよ、もう二度と」
「あはは。覚えておきます」
いつもの私達だ―――そう、改めて認識した。
そんな空気の中、カミサマの笑い声が木霊する。癪に障るその声に、三蔵様の低い声が問う…何がおかしい、と。地を這うような低い声を耳にしても彼は表情一つ崩さず、それどころかいまだに笑いながら言葉を紡いでいく。
私達はお話にならない、そうキッパリと口にしたかと思えば、三蔵様は三蔵法師の器じゃない―――そう言い放った。
その言葉が開戦の合図。三蔵様の銃弾が、悟空の如意棒が、八戒くんの気功が、その全てがカミサマを狙うけれど、私達の時と同様、何ひとつ掠らなかった。お城の壁を壊し、瓦礫へと姿を変えただけだ。ふわりと舞うその姿は、楽しげに笑うその様は、まるで…子供が玩具で遊んでいるかのようで。
ああ、そうか…
―――ドッ…
そうか、この男は最初から、…『遊んでいる』だけだったんですね。
「がっ…」
「がはっ…っはぁ、は…!」
さっきの比じゃあないほどの激痛が全身を駆け抜けた。頬が、腕が、胸が、お腹が、足が―――吐きそうな程に、痛い。四方からガタンッと何かがぶつかる音が聞こえてくる、痛みを堪え顔を上げれば、同じように全身を真っ赤に染めた4人が壁や床に叩き付けられているのが見えた。
い、一体、何が起こったの…?カミサマが何かを召喚した所までは見えていた。でもその後は、何が起きたのかさっぱりわからない…気がついた時にはもう、全身が痛くて、口から大量の血を吐き出していたんだから。
「―――コレで、満足した?」
場にそぐわない明るい声が私達に問いかけるけれど、何も…答えられない。5人揃えば何とかなる、いつものように勝って…勝てるはずだと、そう思っていた。
だけど、現実はそう甘くはない。圧倒的な力の差、私達は―――負け、た?
「"無一物"って知ってる?―――僕のセンセーの受け売りなんだけどね、『仏に逢えば仏を殺せ 祖に逢えば祖を殺せ ただあるがままに己を生きること』―――」
…わかる?捕らわれるなってゆーことなんだ。
「君らは執着し過ぎたんだ、生きることとか、勝ち続けることに」
それの、どこが悪いの?勝たなければ生きていけない、生きることに執着するのは―――この世に生を受けたものならば、誰でも思うことじゃないの?
「…だからね。君には"三蔵"を名乗る資格はないんだよ」
バサリ、と三蔵様の双肩にかけられていた経文、魔天経文が奪われる。取り返そうと銃を握るけれど、即座に顔を蹴られて倒れ込んでしまった。
そしてカミサマはその経文が自分のものだ、とでも言うように、自らの双肩へとかけた。
「死にたくないんでしょ、不様だね」
「ッ…」
「―――あれ?もう聞こえてない?…サヨナラ、『三蔵法師』くん」
カミサマの足が、三蔵様に触れた。その刹那―――黒いモノが襲いかかる。
それを避けようと動かした足にジャラリ、と巻き付いた鎖…そのまま体勢を崩したカミサマは壁に叩き付けられたんです。
「…ンの、クソ野郎…ッ!」
「ゲホッ…ダ、メ…あの男、傷ひとつ負って、ない、」
確かに壁に叩き付けられたのに。壁はガラガラと崩れていったのに。…それなのに、男の身体には綺麗なままだ。傷も、血も、何もついていない…経文も法衣も、真っ白なまま―――そして男の顔には相変わらず、薄い笑みが張りつけられていた。
不意にカミサマの目がこっち―――私を、真っ直ぐに映し出した。音も立てずに近寄ってきたかと思えば、クイッと顎を持ち上げてにっこりと微笑む。
「な、に…?」
「さっきの化け物みたいなの、君が出したんでしょ?それにその銀髪と黒曜石みたいな瞳―――見た覚えがあると思ったら、そっか、君がセンセーのお気に入りの『呪われた歌姫』ちゃんか」
「―――――ッ?!」
センセーのお気に入り、って一体どういうこと…?!
血を流しすぎているのか、私にはもう考える力は少しも残っていなくて、視界が少しずつ霞んでいくのが自分でもわかりました。でもここで気を失ったら、それこそ最期…私達は誰一人、生きていないでしょう。
この男に殺されるか、それとも玩具にされるのか、それはわからないけれどでもきっと、良い結末なんて1つもないに決まっているんです。
「化け物を身体の中に飼ってて、歌声で人を殺せて―――センセーのお気に入り。…うん、決めた」
―――ギリッ
「ぐっ…!」
「香ちゃん!!」
「君を捕まえたらきっと、センセーは褒めてくれるんだ。だから、今から君は僕のものだよ―――ね?」
ギリリ、と拘束された腕はどれだけ力を入れても外れそうにない。だからと言って、このまま黙ってカミサマの手に堕ちることだけは避けたい…あの子を、もう一度呼ぶしか―――そう考えた時、カミサマの叫ぶような声とバサバサと何かが羽ばたく音が聞こえた。この音、もしかして…バッと顔を上げれば予想通り、カミサマに襲いかかるジープの姿。
そっか…あの子は戦闘中、安全な所で待たせているんだと、前に八戒くんに聞いたことがある。きっと飼い主である彼の危機を感じ取って、来てくれたんですね。
こうすることはきっと、皆さん嫌がるでしょうが…このまま5人仲良くあの世逝き、なーんてごめんですし、洒落にならない。
「ジープ変身してっ!悟浄くん、3人をっ」
「わかってる!!」
車の姿になったジープの座席に気絶した3人を放り込んで、運転席に座った悟浄くんが素早くアクセルを踏んだ。逃げることはしたくないし、悔しくて仕方ないけれど…死ぬより、マシだ!
開きっ放しだった扉から外へ飛び出れば、すぐに階段に行き着いた。このまま行けば逃げ切れると思ったけれど、カミサマはそれを許すことをせず、タンッと軽やかに飛び上がりこっちに向かってくる。
それを止めたのは気を失っていたはずの八戒くんの気功。辛いはずなのに、意識を保つことすらきついはずなのに、それでも普段と変わらない威力で放たれたソレは、カミサマの身体を思いっきり吹き飛ばしてくれました。
「―――八戒!!」
「このまま走って!!」
ガクンッと車体が大きく揺れた。ああそうか、階段に差し掛かったんだ…そう他人事のように考えていて。だから、気がつかなかったんです―――すぐ傍まで、彼が迫ってきていたことに。
―――グンッ
ひゅ、っと喉が鳴った。一瞬にして息ができなくなって、何が起きたのか、自分自身のことなのに全くわからなくて、掴めなくて…だけど、ものすごい力で後ろに引っ張られた感覚でようやく理解が出来ました。
首に、カミサマの数珠が巻き付いているんだって。震える手で首に触れてみれば、やっぱりそこには数珠が巻き付いてギリギリと音を立てている。
「逃がさない。―――君だけは、絶対に逃がさない。」
すぐ傍でカミサマの声が、聞こえる。
香鈴!と、必死に私の名前を呼ぶ声。そしてこっちに伸ばされる、八戒くんの手。ほぼ無意識に掴もうと自らの手を伸ばしてみたけれど、それは宙を掴むだけで…あの温かさを感じることは出来なかった。
「はっか、」
「―――っ香鈴!!!」
意識を失う寸前に見たのは、泣きそうなくらいに顔を歪めた八戒くんの顔と…階段を転げ落ちるように消えていく、ジープの姿。