舞い戻る堕天使


ふわり、ふわりと漂う意識。まるで水の中に浮かんでいるようで、心地がいい。ああこのまま、身を委ねたままでいたい…そうすれば、何も見なくて済む。痛い思いも、辛い思いも、見たくない現実も、知りたくない真実も…全て、なかったことにできるから。
だから私は、…現実を見ることを止めた。全てから目を逸らすことにしたの。





 side:八戒


奥の扉を開け、アトラクションをクリアしつつ最上階に辿り着いた僕達は、あっという間に1階へと落とされたわけなんですが。強かに打ちつけた身体を起こすと、そこに広がっていた光景に思わず息を飲んだ…床を、というより部屋自体を埋め尽くすほどの玩具の数々―――言葉で言い表すのならば、異様だった。
途端にカミサマの笑い声が部屋中に響き渡った。ステンドグラスから降り注ぐ光を背に受け、とても無邪気に笑っている彼は…ただ僕達と『遊んでいるだけ』なんだとわかった。そりゃあウマも合わないはずですよね、根本的なものが違うんですから。

そして再び僕達とカミサマとの戦いの火蓋が切って落とされた。今度は、―――負けたりなどしません。


「ちょっかいを出しに近づく、怖くなると逃げる、癇癪おこして暴れる…子供の行動パターンを読むのは造作もないことです。現役保父さんを侮らないでくださいね?」
「…くっ…―――そぉお!!」


伸びてきた数珠が僕の首に巻き付き、ギリギリと締め付ける。けれど、一発の銃声によって数珠は砕かれ、解放された僕の身体は床へと叩き付けられました。痛いは痛いですが、あのまま絞殺されるより数段マシって所ですよね。
弱いくせに、と叫ぶ彼に向かって悟空が、僕が、悟浄が攻撃を仕掛けるけれど、すぐに数珠によって身体を貫かれてしまう。ああ、もう服がボロボロになってきましたね…でもねカミサマ、お生憎様。僕達はもう諦めたりしない、負けることを前提になどしていないんです。
だから、


「必ず取り返すと決めたんです。香鈴も、経文も」
「〜〜〜あの子は返さない、絶対絶対返してなんかやらない!!!」
「それでも返してもらわねぇと―――困るんだよ、なぁカミサマ!」


早くこの男を倒して、あの子を捜しに行かなければ―――ケリをつけてやろう、と掌に力を溜め始めた時、ジャラリと金属が擦り合わさる音が聞こえてきた。音の出所を探ろうと視線を巡らせていると、玩具の中から人の手が―――のそり、と出てきたのが見えた。手首には重そうな枷がつけられ、動くたびにジャラジャラと鎖が音を立てている。

そしてゆっくりと玩具の中から這い出てきたのは、美しい銀髪を持つ彼女…香鈴、でした。

だけどどこか様子がおかしい、開かれた瞳はいつもの見慣れた黒ではなく金色。悟空の瞳よりも眩い金色を灯した瞳は、どこか虚ろで無表情。香鈴の姿をした、別人…?けれど、感じる気配は香鈴のもので間違いないように思える。


「…ほら、君を否定した奴らだよ?殺しちゃえ」
「物騒なことを言いますねぇ、…けど、貴方の言うことを彼女が聞くわけ―――」


ない、と続くはずの言葉は、不自然に途切れた。次の瞬間、肩から鮮血が舞い激痛が走る。斬られたんだ、と自覚するまでそう時間はかからなかったけれど、でもその事実をなかなか受け入れることができなかったのは確かで…だって今、僕の肩を切り裂いたのは他でもない―――香鈴だったんだから。
それには僕達4人、全員が驚きを隠せずにいました。彼女が自我を忘れ、暴走状態になったことは一度だけあった。でもあの時は妖怪を全て喰らい尽くしただけで、僕達に危害を加えるようなことは一切ありませんでした。刃を向けられることだって、一度もなかったのに…それなのに今、何の躊躇いもなく刃を振るった。


「香ちゃん!お前なにしてんのかわかってんのか?!」
「……」
「―――違う、あれ、香鈴だけど香鈴じゃない」
「人語喋れ、バカ猿が」
「あん時と一緒だ、八戒が刺されてそんでおかしくなった時と、気配がまるで一緒だ…!」
「ッ…血塗られた、歌姫の狂気……?!」
「…確かに瞳の色が同じだな。眩い程の、金色」


スッと香鈴の瞳が細められた。同時に地を蹴った彼女が僕達に向かって突進してきたんです、けれど攻撃できるはずがない…!彼女の動きを止めなければやられるだけだとわかっていても、それでもあの身体に宿る魂も、あの身体も香鈴自身であることには変わりないんだから。仲間である彼女に攻撃をしろ、それも傷をつけるだなんてことできるはずもない。

振り下ろされた刀を避けると、足元に転がっていたぬいぐるみ達がぶわりと宙に舞った。視界を遮るにもってこいな大きさをしているそれらが舞ったことで、一瞬だけ香鈴の姿が見えなくなっていたんです。攻撃されたことに動揺、していたんでしょうね…気配を追えば一発だったのに、何故か視線だけで彼女の姿を捜してしまっていたから―――わからなかった。
すぐ後ろに、真っ黒い手が蠢いていたことに。


「八戒、危ねぇ!!」
「え?―――う、わ…っ!」


ズルリと這い出てきたソレは僕の足を掴んで、そのまま暗い闇へと引きずり込もうとしていた。突然のこと過ぎて全く対処ができない、気功を放とうとした時にはもう身体の半分が闇に沈んでいてどうにもならない。
諦めかけた瞬間、言い表しようがない程の絶叫が響き渡り、沈んでいた僕の身体は勢い良く引きずり出されていました。僕の腕を掴んでいたのは悟浄、その逆の手には錫杖が握られていたからきっと、それであの黒い手を引き裂いたのでしょう。何はともあれ、助かりましたね。

ホッと息をついたのも束の間。すぐに間合いを詰めてきた香鈴の攻撃を躱し、更にはそこら中から這い出てきている黒いソレらを避けなければいけなくなりました。片方に神経を集中させれば、もう片方に持っていかれそうになる…これが味方であるならば心強いことこの上ないですが、でも今は―――僕達を殺そうとする、敵となってしまっている。
この状況は些か不利、ですね。


「チッ性懲りもなくトチ狂いやがって、あのバカ女が…!」
「香鈴の意志とは限りませんよ!恐らく、カミサマが一枚噛んでいるのでしょう」
「それ操られてるってこと?!」
「けどよ、正気を失ってる以外におかしなとこは見当たらねぇぞ?!」


そう、そうなんです。操られていることに変わりないとは思うんですが、悟浄の言う通りおかしな所が見当たらないんです。カミサマが原因なら、彼が何かしら持っているものだと思ったんですが…媒体となるようなものは一切持っていないし、合図を出しているような素振りもないんです。

それならどうやって彼女の正気を奪ったんだ―――?

何かしら、…何かしら彼女にしたはずなんです。そうでなければこうも簡単に正気を失うはずがない。考えろ、方法さえ見つかればきっと彼女の自我を取り戻す術だって見つかるはずなんですから。あの時、彼女が初めて暴走状態に陥った時、どんな様子だった?思い出せ、悟空と悟浄に聞いたことを一言一句逃さずに、全て。

―――八戒が刺されて、そんで急にだよ。急に妖怪共をあの黒い魔の物が喰らってった。
―――多分、動揺してたんだと思うぜ?村人を殺しちまった時も、同じような状態だったみてぇだし。

目の前で起こったことに動揺して、抑えが効かなくなった…その可能性が高い、ということですか。
そういえば前に感情が異常に高ぶると暴走してしまうんです、と教えて頂いたことがありましたね。…ということは、カミサマに動揺して感情が異常に高ぶってしまうことをされた―――そういうことですか?


「彼女がこうなった理由はわかりましたが、どうすれば…っ」
「迷ってる暇はねぇ、あのバカ女―――気絶させるぞ!」
「ダッダメだ、三蔵!香鈴を傷つけんのは、絶対ダメだ!」
「バカ言ってんなよ悟空っ!それ以外に正気に戻す方法はねぇだろうが?!」


―――ねぇ、ねぇ八戒くん。

頭の中で優しい、でもどこか悲しげに呟く彼女の声が再生された。それと同時に大好きな、花が咲いたような笑顔も脳裏に映り込んできた。
ああそうだ、これは…観世音菩薩に彼女のことを全て聞いた日の夜のことだ。偶然、2人で話す機会ができて、それで、


『きっとね、きっと…私はまた、暴走してしまう気がするの』
『え?』
『私は、弱いから―――だからきっと、また誰かを傷つける。守りたいものも、傷つけちゃうかもしれません』
『香鈴、それは…』
『だから約束してください。私が…貴方達に刃を向けてしまったその時は、』


グッと拳を握り込んで、その中に力を込める。光の玉は少しずつ、でも確実に形を成していく。


「大丈夫。…僕が止めますよ、香鈴」


だから、だから―――どうか泣かないで。
綺麗な金色の瞳から止め処なく流れ落ちる、透明の滴。彼女は抑え込まれたその奥底で、必死に戦っているんだ…自分を取り戻そうと、僕達を傷つけることを恐れてそれで苦しんでいるのなら。
助けて、と声にならない声で僕達を呼んでくれているのなら、それに応えなくちゃ。そうでなくちゃ、男じゃないでしょう?


「悟浄、悟空!伏せて!!」
「ッ?!八戒、何して―――」
「何考えてっ…やめろ八戒、やめろおぉお!!」


2人の制止の声は僕には届かない。いえ、届いてはいますけどでも、止めるわけにはいかないんです。これが唯一、彼女を苦しみから解放する術だとそう思っているんですから。あの子を取り戻す為には、躊躇っている時間などないんです。

僕の放った光の玉は真っ直ぐに香鈴へと向かい、そして彼女の身体を壁際まで吹っ飛ばした。少しの加減もしなかったせいか、壁はガラガラと崩れ落ちて彼女の身体も―――ドサリと、瓦礫の中へと倒れ込む。
まさか攻撃をするとは思っていなかったんでしょうね、カミサマが目に見えて焦っていた。まぁ、それもそうでしょうね…つい先日までは僕と彼女は確かに仲間で、彼と対峙していたんですから。
それにあの子を捕らえて自我を抑え込んだのだって、僕達は絶対に香鈴に手を出せないと理解していたからです。そうすれば負けを認めて、自分の欲しいものが全て手に入ると思っていたからです。
だけどそれは、僕の一撃で全て崩れ去ったと言っても過言ではないはずだ。

―――ゴクリ、と喉が鳴る。
これは一種の賭けだ、ギャンブルだ…加減をしたら失敗するかもしれないと思って、全力で放ってしまったけれど、それで彼女が死なない確率はかなり低い。壁を抉ってしまったんだ、生きていたとしても大怪我を負わせてしまっているでしょうし…後で悟浄と悟空にこっぴどく怒られそうですね。香鈴自身はきっと、笑うのでしょう、大丈夫ですよって。


「よくも、よくも僕の大事な宝物を、玩具を…っ!何で攻撃できるんだよ、何でッ!!!」
「約束をしたんですよ、彼女と。『私が貴方達に刃を向けてしまったその時は、』」

―――私を殺してください。

「っえ……?!」
「そう、私が彼にそう言ったんです。手加減なんてしなくていい、殺してください―――そう約束して頂いたんです」


ガラガラと瓦礫を掻き分け、砂埃が上がる中でゆらりと人影が揺らめいた。そして凛とした声が僕達の鼓膜を、優しく揺らすんです。
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