飲み込まれる想い


それは彼女が約束通り舞い戻った日から、およそ4日ほど経った日のこと。





「っはー…ベッドだぁ」
「久しぶりの野宿続きで疲れたでしょう?ご飯の前にお風呂、行ってきたらどうです?」


残念ながら大浴場はありませんが。
肩を竦めて苦笑する八戒くんに大丈夫、と首を振って、素直に着替えを取り出す。大浴場があったらそりゃあ嬉しいですけど、でもお風呂に入れるだけでも有難い。川で水浴びはしていたけど、割と気温が低くて風邪引きそうだなぁって思ってたくらいだし。それに比べれば、お湯で身体の汚れを流せるのは嬉しいです。
じゃあお先に頂きますね、と用意した着替えを抱えて、私はお風呂場へと姿を消した。だから気がつかなかったんです、八戒くんの安堵したような呟きに。


「良かった、……ちゃんと、帰ってきましたね」





ふー、気持ち良かった。しっかり温まってから出てくると、八戒くんがベッドに寝っ転がっていた。しかも大の字で。珍しいなぁ、と思いつつも、お風呂出ましたよーって声をかけようと顔を覗き込んでみたら、すやすやと夢の中。穏やかな寝息をたてていました。八戒くんの寝顔って、すっごく貴重だ。
同室になることは少なくないし、何度か見たことはあるけれど…基本、この方は誰よりも早く起きるからそうそう見れるものじゃないんです。じっくり見たのは、…ああ、あの時だ。カミサマの一件で魂を吸い取られてしまった時。でもあれか、あの時は仮死状態だったから寝顔ではありませんね。今思えば。

彼が寝ているベッドの端にそっと腰掛けて、せっかくだから彼が自然に起きるまで傍にいることにしました。いや、普段から傍にいる―――って自覚はそれなりにありますけど、ほら、彼が起きている間は無遠慮に顔を見ることは出来ないじゃない?大きな理由としては、見ている間に目が合っちゃうと恥ずかしすぎる!からなんだけれど。
…でも、眠っている間ならまじまじと顔を見ていても、何ら問題はないかなぁって。起きられた瞬間、きっとすごい勢いで恥ずかしさが押し寄せてくるとは思うんですけどね。
髪の毛をわしわしと拭きながらそっと、深い眠りに入ってしまっているらしい八戒くんの顔に目を向ける。閉じられた瞳はまだ、開く気配がなく。一瞬、仮死状態になっていたあの映像が脳裏を過るけれど、ゆっくりと上下する胸を見てそっと息を吐く。

生きている、確かにこの方は今―――生きているんだと。


―――サラ…ッ


「わ、髪サラサラ…それにまつ毛ながーい…」


私より長い気が、しないでもない。うん、八戒くんは自分のことを地味だって言っていたけれど、決してそんなことはない。十分カッコイイし、とても素敵な人だと思う。というか、三蔵一行である彼ら4人はかなりの美形集団なのだ。
それは出会った頃からずーっと思っていることでもあるんです。顔が整っている方達だなぁって。…その時は何も思っていなくて、付き合いを重ねていくうちに面白い方達だって認識して―――

いつから、だったんだろう。この方に、八戒くんに恋心を抱いたのは。

気づかせてくれたのは悟浄くん。だけどきっと、それよりも前から私は八戒くんに惹かれていたのは間違いないと思うんですよね。ただ自覚していなかっただけで。
でもそれがいつからだったのかは、ハッキリとは覚えていない。…あ、でも初めて長安のお祭りに行った時、胸が苦しいくらいにドキドキしていたのを覚えている。もしかしたらあの時から私は、恋をしていたのかもしれません。


―――グイッ

「っきゃ……!」
「寝ている僕に悪戯ですか?香鈴」


髪に触れていた手が引っ張られて、驚いて声を上げれば八戒くんがニヤリと笑みを浮かべて、私を見上げていました。い、悪戯するつもりも、してるつもりもなかったんですけど、と、とりあえず顔が近い…!あまりの至近距離に彼の顔があって、絶対今の私は真っ赤な顔をしている気がします!というか、照れない人がいたら会ってみたいくらいですよ!!絶対、この距離感は照れちゃいますって…!


「すみません、眠っちゃってましたね…」
「い、いえ、眠ってたといっても多分30分くらいだし、まだ夕飯まで時間も―――」

―――ギュウ、

「…そうですか」
「は、はい、あの…っ八戒、くん…?!」
「んー?何ですか?」


いや、何ですかじゃなくてですね!何で私は彼に抱きしめられているんでしょうか?!
もしかして八戒くんってば、寝惚けてます?さっき、私を見上げてきた瞳はしっかりと開いているように見えましたけど、どこか間延びしている声はふわふわしているような気がするし。…それに、寝惚けていなかったらこんなこと、してきませんよね?きっと。私を誰かと間違えてるってわけではないみたいですけど、…どうしたんだろうか。
今、この部屋に誰かが訪ねてきたら確実に誤解されること間違いないと思います…それまでに八戒くんがしっかり覚醒することを祈りたいくらい!


「あ、あの…寝惚けて、ます?」
「まだ意識がふわふわしてますが、…でも寝惚けてはいませんよ」
「じゃあ何でわたし、抱きしめられて…?!」


ああ、ダメだ。私、完全にパニックになってる。


「嫌ですか?こうされるの」
「ッ、…その聞き方は、絶対、ズルい、」
「ふふ、すみません。貴方の反応があまりにも可愛いので、ちょっといじめたくなりました。…でも、」


抱きしめたのは、からかってるわけでも何でもありませんよ?
耳元で囁かれた言葉に、思わず肩がビクリと跳ねる。その様子を見て八戒くんが笑ったのを確認したけど、今の私には反論する余裕なんてないんです。ただ一言、嫌じゃないです、と呟くので精一杯。
それでまた抱きしめている腕の力が増したから、頭の中はオーバーヒート寸前だ。頭から、煙出そう…それなのにこの温もりにもう少し浸っていたいなんて、本当に…末期のような気がしますねぇ。

抱きしめられたまま、そのままベッドに寝転がってどれくらいの時間が経っただろう。不意に八戒くんがそういえば、と口を開いた。


「……?」
「言い忘れていました。―――おかえりなさい、香鈴」
「!…あ、…た、ただいま、ただいま八戒くん…!」
「ああもう、どうして泣くんです?泣くようなことは1つもないでしょう」
「だ、だって何か急に…っ」
「仕方ない子ですねぇ、本当に」


再び彼らの元へ戻れると決まった時、そして天界を去る時。私であった証の銃を、刀を手にした時―――確かに予感があったんです、私はきっと彼らに会ったら泣いてしまうことに。
だけど、会い見えたタイミングがすこぶる悪かったから、涙は一滴も零れることはなく今日まで来ていたの。その予感すら忘れてしまっていたのだけれど、…やっぱり外れてなんかいなかった。彼らの、この方の傍はこんなにも温かくて心地良い。

―――戻って、きた。戻ってこれたんだ、今の私がいたいと思える場所に。今の私が、唯一の居場所だと思える場所に。

そっと息を吐いて、いつの間にか力が入っていたらしい身体の力を少しずつ抜いて、それから八戒くんの肩口に顔を埋める。


「香鈴、覚えてます?貴方が天界に行く、と伝えてきた日の夜のこと」
「え?ええ、皆さんとお酒を飲んだ日のこと―――ですよね」
「…じゃあ、帰ってきたら貴方に伝えたいことがある、と言ったことは?」


『帰ってきたら、…貴方に伝えたいことがあるんです。聞いてくれますか?』
『私、に?』
『はい、貴方に」
『…聞きます、聞かせて…ください』
『じゃあ約束です。絶対に、『此処』に帰ってきてくださいね』

あの夜の会話が、脳内で再生された。そう、あの時、彼は確かに伝えたいことがあるって笑っていて、聞いてほしいんだって真剣な瞳で私に訴えかけてきたんだ。そして私は聞かせてください、と伝えて…あの場所を、離れた。

覚えています、と言葉にする代わりに1つ頷けば、背中に回っていた手がゆるりと解かれて、寝転がっていた身体を起こされて正面から彼と向き合う形に座らされる。
かちりと合う、彼の翡翠の瞳と私の瞳。じっと見つめてくるその瞳は、全てを救ってくれそうで、でも反対に全てを縛り付けてしまいそうな―――そんな危うさも秘めているように思えて、尚更、逸らすことができない。
私の思いに呼応するように心臓がドクリ、ドクリ、と鼓動を繰り返していた。


「僕、貴方のことが―――」

―――バンッ

「八戒、香鈴っ!夕メシの時間―――って、…アレ?」
「おい猿、ドア開ける前にノックしろって言って……何してんの、お宅ら」
「いっ…いいえ何でも!!」
「何でも、って…八戒の奴、ベッドから転げ落ちてっけど」
「あ、あのこれはですねっ…!」
「いたた……急にドアが開いたので驚いて、滑り落ちただけですよ」
「珍しーな、お前が驚くなんて」
「僕だって驚くくらいしますって」


―――嘘。
本当は音に驚いた私が思わず、八戒くんのことを突き飛ばしてしまったんです。

いまだにドクドクと痛い程に鼓動を刻む心臓が、うるさい。何かを話している3人の声も聞こえているはずなのに、でも遠くで話しているかのように声が届かない。それくらい、…私は動揺、していたんだと思う。
彼はあの時、何かを言いかけた。私に伝えたいことがあると言った。でも紡がれるはずだった言葉は、ゆっくりと喧騒に飲み込まれていき…今となっては、知る術は残されていない。
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