ふわり、包まれる


「っぷは!」


ゲホゴホと入り込んだ水を吐き出し、大きく呼吸を繰り返す。これ、…どこまで流されちゃったの?私。
辺りを流れるのは綺麗な川の水と、流木のみ。あとたまに私達が倒したであろう妖怪の死体。粗方は三蔵様の放った大技、魔戒天浄により塵も残さずに消え去っていると思いますけどね。

多少、流れが強いものの―――さっきよりま幾分マシになっている川の流れ。何とかかんとか泳いで、僅かな川岸に上がることができた。
それにしてもあの3人は大丈夫かなぁ…死んではいないでしょうけど、同じようにびしょ濡れでしょうし風邪とかね、ひいていないといいなぁと思うのだけれど。ああ、悟空と坤くんも無事に川から上がれたのでしょうか。妖怪に襲われたりしていないといいのだけれど。
服の裾を引っ掴んで思いっきり絞れば、バチャバチャバチャとすごい勢いで水が乾いた地面へと吸い込まれていく…結構、流されちゃいましたからねぇ。これだけ絞れるのも頷けますね。


「さて、どうしたものか…多分、もう西側にいるのは間違いないと思うんですけど、」


ひとまずこの崖の上に登らなければどうにもなりませんね。だけど、生憎私は体力バカではないのでこの高さの崖は登れない、絶対にどう頑張っても登れない。ということは、崖沿いを歩いていくしか方法はない…ってことかなぁ。うーん、行き当たりばったり感は拭えませんが、他にどうしようもないでしょうし…頑張ってみましょうか。
下ろしたままだった髪をひとつに束ね上げ、私は崖沿いに歩みを進めることにしました。近いうちに普通の道に出られることを、願って。

そして歩くこと数十分。運がいいのか悪いのか、さっきよりは高さが低めの崖を見上げている私。
さっきまでの崖は絶対に無理だ、って気持ちが大きかったけれど、このくらいならまだ―――イケる、かも。掴まれる場所も多いし、何とかなるでしょう。
ある意味、楽観的だなー私。と内心笑いながら、手と足を出っ張っている岩にかけてグッと力を込める。やったことないけど、流行のロッククライミングってこんな感じなのかしらね…っ!確
かに腕とか足の筋肉はつきそうだし、特訓にはいい成果を出してくれそうだ、とは思うけれど、好き好んでこんなことしたがる気持ちが理解できません。これはきっと、明日には腕が筋肉痛になるだろうなとげんなりしながらも、1つ、また1つと岩を足場にして上を目指す。


「あれですね、あの方達に無事会えたら―――あんな場所で大技ぶちかました三蔵様に、文句の1つくらい言っても罰は当たりませんよね…!」


どれくらい時間がかかったか、なんて考えたくもない。とにかく今は、皆さんを捜さないと。
何とか崖を登りきったけど、休む間もなく歩き出せば、人の気配を感じたんです。1人じゃない、2人―――いや、6人?だけど悪意ある殺気は感じない、でも妖気は感じる…敵では、ないの?疑問を抱えながらも走ってその気配がする場所まで急ぐと、そこには気を失っているのか地面に倒れている悟浄くん、苦しんでいる八戒くんと三蔵様。そして独角ジさんと八百鼡さんと、見たことのない妖怪が立っていた。

現状を見ただけでは理解ができないし、状況の把握もできない。けれど、あの見たことのない妖怪が何かをしているであろうことだけは、理解出来たんです。ホルスターから銃を抜いて構え、引き金を引いた瞬間―――2発の銃声が、鼓膜を揺らす。


「―――香鈴さん?!」
「ってて、…香ちゃん、無事だったのか」
「ええ、何とか。…悟浄くんこそ問題ありませんか?」
「ああ」


見たことのない妖怪―――雀呂さんは何ともセコイ退場の仕方で、姿を消しました。
何かよくわからないけど、とりあえず変な人だっていうのは何となくわかりました。何というか、劇団員みたいな…言葉の1つ1つが芝居かかってるような感じ?


「ふ、…っくしゅん!」
「香鈴、大丈夫ですか?」
「うー…さすがに濡れたままで歩き回ったのは失敗ですね」


とは言え、服を脱いで乾かすわけにもいきませんでしたし。ズズ、とくしゃみをした拍子に出てしまった鼻水をすすって冷えた体を擦る。着替えられたら一番なんだけど、残念ながらジープは悟空と坤くんと一緒にいるから此処にはいないんです。あの子がいなければ新しい服を出すこともできませんからねぇ…どうしましょう。
八戒くん達は火をおこして服を乾かしたみたいで、今はそれを再び身に着けている最中です。もう一度、くしゅん、とくしゃみをしてどうするべきか頭をフル回転させていると、誰かに名前を呼ばれた。


「私を呼んだの、八戒くん?」
「そうです。そのままにしておくのはマズイので、これに着替えてください」
「え、でも…」
「僕はシャツ着てますし大丈夫ですよ」


だから、ね?とにっこり笑顔で渡されたのは、八戒くんが着ている緑の上着。確かに彼はこの下に黒のシャツを着ているから問題ないでしょうけれど…でも濡れたのは彼らだって一緒だし、と渋っていると、もう1発派手なくしゃみが飛び出した。そして背中に感じる悪寒に気がついて、大人しく借りることを決意しました。
このままお断りして風邪でもひこうものなら、きっと真っ黒なオーラを背負った八戒くんに怒られること間違いない。笑ってるのに笑ってないあの笑顔で、だから言ったでしょう?って言われちゃうと思う。それは絶対に勘弁願いたい。

濡れた服を脱ぐ為に大きな木の幹の裏に隠れて、濡れて役に立たない服達を脱ぎ捨てていく。贅沢を言っていいなら、乾いたタオルがほしいです…それもジープがいない限り、叶うことのない願いですけどね。
はぁ、と溜息を吐き出して、彼の上着を羽織ってしっかりと前を留める。私が着ると完全にワンピースみたい…きっと前は開けた方がまだマシに見えるでしょうけれど、中には今、下着しか身に着けていないのです。前を開けるとブラが丸見えになっちゃうんです、それはマズイ。マズすぎる。


「あ、香鈴さん、着替え終わって―――…」
「八百鼡?なに急に押し黙って、…ああ、成程」
「え、え?何ですか、八百鼡さんも独角ジさんも!」
「いや、その格好見たらそりゃ黙るって。香ちゃんの格好、マジえろい!」
「…それは私にも、貸してくれた八戒くんにも失礼だと思わないんですかね、君は…」


怒る気力もない。いいや、服が乾くまで―――もしくはジープに会うまでの我慢だし。風が吹いてふわり、と香る八戒くんの匂いに頬が熱くなる。…ダメだ、気にしないようにしないと私、完全に変態になっちゃう。
こういう時、惚れた弱みっていうんですかね、怖いなぁって思うんです。…好きな方からの一挙一動が、嬉しくて、嬉しくて、他のことがどうでも良くなってしまうなんて。そんなの、…そんなの、違うでしょう。


「…香鈴?どうかしましたか?」
「ッ、…い、いえ、何でもないです、あの、服…ありがとうございました」
「いいえ、お礼を言われる程のことじゃないですよ」


ちょっとだけ、優越感を感じちゃいますね。
耳元でポツリ、と呟かれた言葉の意味がわからなかった。どうして彼が優越感を感じているのだろう、そしてどうして…それを私に言うのだろう。


「おい、香鈴!悟空の居場所を探れ!」
「ぅあ、はいっ!」
「探る―――って、妖気を感じ取るってことか?」
「んー?違いますよ、視るんです。彼が今いる場所を」


きょとん、とした顔をしている八百鼡さんと独角ジさんに笑みを向けて、目を閉じる。ザァッと変わりゆく景色の中に、悟空の姿を捜して―――見つけた、と思った瞬間、彼の身体がぐらりと傾いでそのまま地面へと倒れ込んだ。突如映り込んできた光景に私は思わず、目を見開いてしまった。

だって、悟空が倒れ込んだ先にいたのは…紅孩児さん。

あの人は敵だ、どれだけ優しい心を持っていようとも私達にとっては倒すべき敵。彼が悟空を倒そうとするのも当たり前のことなのかもしれないけれど、でも―――あれは本当に、紅孩児さんの意思?


「どったの香ちゃん、固まっちゃって」
「悟空はいたのか」
「―――八百鼡さん、独角ジさん…」
「え?」
「なんだ、嬢ちゃん」
「紅孩児さんに、…何が起きてるんですか」


ゆっくりと振り向いて問いかければ、八百鼡さんも独角ジさんも息を飲んで言葉に詰まっている様子がうかがえる。それはつまり、肯定の意。紅孩児さんの身に何かが起きた、ということに他なりません。
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