目覚める王子様


―――洗脳。
それが独角ジさんと八百鼡さんの口から語られた、紅孩児さんに起きた真実。それを施したのは恐らく、化学者らしい人間だとのこと。

私が此処に辿り着く少し前に2人に助けてもらったらしい3人は、経文を置いて逃げてくれ、とそう言われたそうなんです。どうしてそんなことを言うのかわからなかったらしいですけれど、今の話を聞いて理由がわかったみたいですね。
血も涙もない殺戮マシンのようになってしまった彼を、独角ジさんは「あんなのは紅じゃねぇ」と眉をひそめている。成程…それでわざわざ三蔵様達に忠告をした、というわけか。
それはきっと、私達の身を案じているわけではなく―――紅孩児さんがその状態で私達を倒すことを、勝つことを望んでいるわけではないと思っているから。


「貴様らの大将が同情や降伏を望むとも思えんがな」


そう。正気の状態じゃないままの勝利を望まないのと同じように、彼はきっと敵からの同情を望まない。それこそ屈辱以外の何物でもないんですから。
…けれど、洗脳ですか…だから瞳に光が一切なかったんだ、仄暗い色を灯したソレは恐ろしいくらいに、何も映してなどいなかった。ただ目的を果たす為だけにその拳を振るい、邪魔者を排除せんとしているような、そんな印象を受けた。あの状態の紅孩児さんと対峙している悟空が心配ですね。ないと思いたいですが、あのまま殺されてしまうことだってないとは言えないんですから。

ジープがいないので、私達は歩いて悟空がいるであろう場所を目指した。歩いてみればそう遠い距離ではなかったらしく、妖怪に襲われたような村を抜け、その先の丘へ赴けば―――倒れたまま動かない紅孩児さんと、肩で息をしている辛そうな悟空がそこにいた。

―――パンッ!

乾いた音が静かな空間に響く。そしてドサリ、と悟空は倒れ込んで眠ってしまったみたいです。血だらけだし、傷だらけ…頑張ったんですね、たった1人で。こんなになるまで。


「…あとで傷の手当、しましょうね」
「っ香鈴さん!!」


八百鼡さんの切羽詰った声に視線を上げれば、拳を握り込んだ紅孩児さんが飛び込んできた。―――ああ、すっかり忘れていましたけど…そういえば私も、牛魔王サイドに狙われている身だったんでしたっけ。
まぁ、この殺気だと殺さない程度に痛めつけて連れて帰る、って感じがビシバシと伝わってきますけどね。


「……おいで」

―――ォオオオオオォオッ!

「な、んだありゃあ…!」


ズルリと影から這い出てきた異形の姿。私がお腹の中で飼っている魔の物は、この世のものとは思えない雄叫びを上げて紅孩児さんを喰らうべく、その身を翻した。彼はソレを容易く殴り飛ばすけれども、それで終わりだと思ったら…大間違いよ?
あと数センチで拳が私に届くという所で、紅孩児さんの身体は真っ黒な闇―――いいえ、蠢く無数の手に包み込まれていった。確かに捕まえた、と思ったのだけれど…


「やったか?」
「いいえ。手応えは少しも―――八戒くん、後ろです!」


いつの間に抜け出していたのだろう。その手に紅い光を灯した彼は大きく跳躍し、背を向けている八戒くんを狙い撃ちしようとしていたんです。間一髪の所で防げたみたいですが、威力は前の倍以上のようですね…あの時も辛そうな顔をしていましたが、今回の方がずっと辛そうに見えます。

恐らく、今の紅孩児さんには痛覚というものがないようですね。悟空との戦闘で腕を負傷しているようですし、それに三蔵様に腕を撃たれても顔色一つ、変えやしませんでした。まるで何でもないことのないような顔をして、私達に向かってくる。
何かを守る為ではない、操られるがままにその拳を振り上げて。


「中途半端に手を伸ばして、その手を掴んで、今度はその手を振り払うの?―――ねぇ、紅孩児」
「香鈴、さん…?」
「その程度の気持ちで、立ち向かえるとでも思ったの?」


刀を召喚し、一閃。紅孩児さんの身体は赤い飛沫をあげて、ゆっくりと傾ぐ。


「嬢ちゃん、お前…っ!」
「守りたい?守りたいのなら、失いたくないのならば、…何故迷う?覚悟を決めたと、思い込んでいるだけなんじゃない?」
「ッ……!」
「ねぇ、八百鼡さん。独角ジさん。貴方達は―――『どうしたい』の?」


大事なのは、それでしょう。『自分』がどうしたいのか、それだけでもハッキリしていれば迷うことなんてない。ただその道をひた走ればいいだけなのだから。

―――ジャキッ

銃口が、抑えつけられている紅孩児さんへと向けられた。引き金を引こうとした瞬間、大きな爆発音と煙に包まれる。少しずつ晴れていく煙の先に、紅孩児さんを守るように立つ独角ジさんと八百鼡さんの姿が見えた。

2人の顔にはもう迷いも戸惑いもない、あるのは笑み―――

凛とした瞳はもう迷わないと、そう言っているようですね。
それにしても、…私もお人好しなのかもしれませんね。迷っている方達に助言のようなものをしてしまうなんて、それも敵である彼らに。


「嫌なんです。私、紅孩児様のお傍にいないと嫌なんです。望まれなかろうが、そんなの知ったこっちゃないんです」
「そーそー。俺達ぶっちゃけ玉面公主の命令も、…悪ィけどお前の母親すらどーでもいいんだ。…紅、お前がいる。それが全てだ」


その言葉を皮切りに仕切り直された戦闘。
眠っていたはずの悟空も復活して5対3―――ま、卑怯だなんだって言っていられるような相手じゃありませんし構いませんよね?


「あとは貴方だけですよ、紅孩児さん。その意味をもたない拳で―――大切なものを守れるなんて、思わないでしょう?」


振り下ろされた拳を避ける際に呟いた言葉はきっと、紅孩児さんの耳には届いていないのでしょうけれど。
爆音と煙が充満する中、悟空の如意棒が独角ジさんへ向けて振り下ろそうとしているのが見えた。直後に響く鈍い音、けれど地面に倒れ込んだのは独角ジさんではなく、紅孩児さん。
もしかして今、…独角ジさんを庇ったの?邪魔をするなと、邪魔をするなら殺すと言っていたのに、それなのに今確かに彼は、殴られそうになっていた独角ジさんを身を挺して庇ったんです。無意識?それとも、洗脳が解けたんでしょうか?
でも洗脳というのは、そう簡単に解けるようなものではないと思うのだけれど…どうなんでしょう?疑問が浮かんでは消えていくけれど、それを確かめる術なんてなくて。

倒れ込んだ紅孩児さんを抱えていた独角ジさんがゆらりと立ち上がって、刀を振り上げた。それを避けるように後退していけば、あと少しで崖―――このまま下がってしまったらきっと、川へ逆戻り。
………ちょっと待って、何か、真言が聞こえる…?


「―――ッ逃げて!!」
「散れっ罠だ!!」
「開!炎獄鬼!!」


現れたのは、炎を纏った召喚魔。術者の人格が別人に変わった場合、召喚術は使えないのではないかというのが私達の見解だった。それを証明するかのように、彼はさっきまで一度もこれを呼び出そうとはしていませんでした。炎や霧や体術だけで戦っていたはずだったのに…それなのに今、確かに真言を唱えて召喚魔を呼び出したんです。
それはつまり―――ああもう!そんなことを考えている暇はないですね、召喚魔は真っ直ぐ彼らに向いている。真正面からぶつかったら、崖から真っ逆さまに落ちて行ってしまうのは明らかです。それだけは避けないとっ…!
3人の前に気功でバリアを張ろうと八戒くんが立ち塞がる。でもきっとそれだけでは防ぎきれない、魔の物であるあの子を呼び出して、衝撃を減らそうと試みるけれど…それでも足りなかったらしい。大きな音を立てて崖が崩れ落ち、ドボンッと水に落ちる音が遠くから聞こえてきました。


―――バッ

「八戒くん!悟浄くん!三蔵様!悟空!」
「―――ぶはぁ!!…あっ香鈴、無事?!」
「私は何ともないよ!待ってて、すぐジープと一緒に…」
「香鈴!後ろ―――」


崖下を覗き込んでいた顔を上げ、後ろを振り向けばそこには紅孩児さんの姿。その瞳はもう仄暗い色を宿してなどいなかった、前に見たことのあるしっかりとした、光を宿した揺るぎない瞳。
焦る彼らとは裏腹に、紅孩児さんからは一切殺気も敵意も感じない。凪のように落ち着いた気を放つ彼の口元に、ゆっくりと笑みが浮かぶ。借りが出来たな、と。今日は見逃してやる、とそう呟けば、当然ながら彼らは反論の言葉を崖下の川の中から投げかけてくるのだけれど。…ま、当然ですよねぇ。
そのまま立ち去るのかと思えば、私の方を向いてじっと見つめられちゃってるんですが。


「…香鈴。お前の言葉も届いていた、礼を言う」
「敵である相手にお礼を言うなんて、おかしな方ですね」
「フッお前に言われたくはないがな。…だが、ますます気に入った」

―――チュ、

「は、……」
「計画の為でも、命令でもない。俺は俺の意思で、お前を攫いに来る」


三蔵一行、絶句。紅孩児一行の2人も絶句。そんな状況も何のその、紅孩児さんはやることがある、と八百鼡さん達を引き連れてその場を去ろうとしてるんだけど。ハッと我に返った私は顔に急激に熱が集まるのを感じて、思いっきり腕を振り上げて―――

―――バッチィイイイインッ!!!

紅孩児さんの頬に渾身の平手打ちをかましてやりました。ズザーッと地面を滑っていく姿を視界の端に捉えたけど、やり過ぎたとは思わない。私が悪いとも思いません!!


「こっ…紅孩児様ああぁああ?!」
「あーあ…でも今のは紅が悪いだろ、絶対」
「こンの変態バカ王子様ああああぁあああっ!!!」


捨て台詞。それはもう立派な捨て台詞。
だけど、だから何だ状態の私はジープを連れて、皆さんがいる所へと走り出した。



(……ほんと、ナメてますねー)
(こわっ!八戒、笑顔こわっっ!)
(感情ダダ漏れじゃねぇか)
(俺達の前ではいいけど、あの子が来るまでに引っ込めとけよー。絶対ビビるから)
- 86 -
prevbacknext