鎮魂の儀式
あの忌々しい日からどれくらいの時間が流れていたのだろう。早く来なくては、と思っていたのに、怪我をしていて動けなかったのもあるけれど…それ以上にやっぱり、もう一度この惨状を目にすることに躊躇いを感じていたのかもしれません。誰一人、私の家族が残っていないという現実を認めなくなかったから。
「住む人がいなくなった村って、こんな風に寂びれてしまうのですね…」
「その首謀者はお前だろう」
「おい三蔵、んな言い方―――」
「いいんですよ、悟浄くん。本当のことですので」
そう、三蔵法師様の言う通りなのだ。この町をこんな風にしてしまったのは間違いなく、この私。その事実が変わるわけはないし、その罪も未来永劫消えることなくこの体に圧し掛かり続けるのでしょう。…けれど、それはきっと当然のことだから。私はそれだけのことをしでかした、それを後悔するつもりは今でもないのだけれど。
だからなのでしょうね。村に誰もいなくなってしまっても、寂れて、いつか消えることになってしまっても―――私はきっと、寂しいとは思わない。
確かに此処は私の生まれ故郷ではあるけれど、ほとんど足を踏み入れることはなかったんだもの。故郷はこの村自体ではなく、あの家だけなんだと幼い頃から思っていた。あそこだけが私が帰るべき場所で、私の存在意義だったの。
―――サク、…
「此処が香鈴の家なのか?」
「そうよ。存外、そのまま残っているものなのね」
本当にあの日、私が見た時のままの状態で家は残されていた。ドアは壊されてはいるけれど、それ以外は特に何も壊れていなくて…まるで、時間が止まってしまっているようだと錯覚してしまいそうになるくらいに。
意を決して中に足を一歩、踏み入れてみる。明かりをつけずとも窓から差し込む太陽の光が少しくらい室内を照らしてくれていて。見たくない、と思っていてもそれらは遠慮なく私の視界に映り込むのです。
黒く変色してしまった血は、室内の至る所に飛び散っていて、家族だったモノが転がっているその光景は現実のようで…でもどこか夢現のようにも感じられる。今私は、夢と現実、どちらに立っているのだろうか。
「…ひっでぇな…」
「村の方は死体も綺麗に片づけられていましたが、此処だけは…そのままにされたんですね」
「大方、気づきもしなかったんだろう。森のかなり奥深くに建てられているからな」
―――妖怪は村に近づくな。
「私の祖父母が、そう言われたそうなんです。それで建てられたのがこの家だと、悲しそうに笑って言っていました」
それでもいつか、村の人間ともわかりあえる。種族が違うだけで、同じ世界に生きている者同士がわかりあえないわけがないのだから。
それが祖母の口癖。いくら疎まれようと、迫害されようと、罵詈雑言を吐かれようともあの人は決して、人間を恨みはしなかったんだ。それどころか、人間が好きで仕方ないんだって笑って…昔の村がどれだけ素敵で綺麗な所だったか、そんな御伽噺をよく聞かせてくれたの。
なのに、…命を奪われた。とても理不尽な理由で。
「今でも、どんな気持ちだったんだろうって思うんです。大好きな人間に襲われたその時、祖母は―――何を思ったんだろうって」
「香鈴…」
「優しい、人だった。とても優しくて、迫害され続けても誰も恨むことをしなかったの」
いいかい、香鈴。どんなことがあろうとも、怒りに呑まれてしまってはいけないよ。恨みや怒り、それらはとても疲れることだ…だからね、いつだって笑いなさい。辛い時にこそ、笑顔が必要なんだ。
ごめんなさい、おばあちゃん。私、その約束守れなかったの。
「香鈴はさ、そのばあちゃんのことが―――家族のことが大好きだったんだな」
「!…はい、大好きでした。何よりも大切、だったの」
ポタリ、と頬を冷たい何かが流れ落ちていく。それが涙だと気が付くまでそう時間はかからなかった。
この惨状を目にした時も、彼らに拾われた後も、一度も泣いたことなんてなかったのに…私はこの時、ようやく自分の中にあったどうしようもない寂しさに気が付いたんです。
「おーい、こんくらいでいいのか?」
「ええ、大丈夫です。悟空、悪いのだけどこれらを家の周りに敷き詰めてもらえる?」
「おうっ任せろ!!」
泣くだけ泣いて、ようやく落ち着いた頃。私達はありったけの枝を集め始めた。何に使うかはもちろん説明済みです。
悟空に枝を敷き詰めてもらっている間に、私は家の中に枝を次々に放り込んでいく。その時、ふっと視界を過った写真立て。
父と母と姉と弟、そして祖父母と私が笑っている家族写真…色んなものが奪われて、壊れてしまった中で唯一被害を受けなかったんでしょうね。これを盗っていったとしても一銭にもならないのは目に見えていますから。
これも置いていこうかと思った。持っていってもきっと寂しくて、虚しくなるだけ…だけど、私達を繋ぐものがもうこれしかないのも確かなんですよね。数秒考え込んで私は、その写真立てをカバンの中に仕舞い込んだ。
やっぱりこれだけは持っていこう、ずっと忘れない為に。家族のことを、この忌まわしい光景を。
「…よし。悟浄くん、ライター貸してください」
「ん。…でもよ、本当にいいのか?」
「いいんです。供養になるかはわかりませんが…」
私はそう言って苦笑を浮かべた。そう、これは私の自己満足にしか過ぎないんですよ。―――私が、前に進む為の。
「―――ごめんなさい」
火をつけた新聞紙を枝に近づければ、パチパチと音を立てながら少しずつ少しずつ火が他の枝にも燃え移っていく。私の家が、家族が炎に包まれるまでそう時間はかからなかった。全てを浄化するように煙は、天高く昇っていくのです。…きっと、皆の魂も一緒に。
すう、と大きく息を吸い込んでメロディを紡ぎ出す。幼い頃、祖母に教えてもらった歌。とても綺麗なメロディなのに、何故か切なくって寂しくって一度も歌うことをしなかった歌。…でもようやくわかったの、この歌がどんな時に歌われていたものか。
「すっげー綺麗な声だ…」
「…鎮魂の歌。恐らく、この一族に代々受け継がれているものなんだろう」
「成程な、…あの子の家族にとっちゃあ、坊さんの経よりもこの歌の方がいいかもしんねーな」
「ええ、きっと」
―――さようなら、愛しい人。
―――さようなら、大切な人。
―――私の願いはただ一つ、貴方の魂が安らかに眠れますよう。