紫煙に込める
あの街から逃げるように出たのは、もう夕方を過ぎてからだった。そのまま次の町に行くこともできたけれど、どれだけ時間がかかるかわからなかったので、やむを得ず野宿をすることに。
買い出しをお願いしておいた3人も途中で襲われていたから、買えた食材は缶詰だけだったみたいです。なので、必然的にしばらくは缶詰生活ということ…まぁ、慣れたもんだと言われれば慣れたもんなんですけれども。
さすがに八戒くんは食欲がないみたいで、今はジープの上でぐっすり眠っています。本当なら横にならせてあげたいんですけど、この辺りには洞窟や風除けになる大きな岩などがないようなので…仕方がないですね。
これで少しでも体力が回復すればいいんですけど。何せあの街ではゆっくり眠っている暇がありませんでしたから。
「お前、寝てなくて平気か?」
「悟浄くん…」
「顔赤いし、熱出てんだろ?それに怠そうだし…」
「あはは…街を出たら一気にきちゃったみたいで」
ズイッと毛布を押し付けられて、そのまま引き倒された。ぱちくりとしていると、目を覆われて大人しく寝てろー、とカラカラ笑う声が耳に届く。
…というか、何故にどうして悟浄くんの膝枕…。
「八戒くん、…大丈夫かなぁ」
「ぐっすり眠ってるみてーだし、大丈夫だろ。お前もアイツの心配ばっかしてねぇで、自分の心配しろっつーの」
「……ん、…ちょっとだけ、寝ます…」
どれだけ熱があるんでしょう。額に触れている悟浄くんの手が冷たく感じる…いつもは熱いくらいなのに、そんなこと全然ない。
ああ、こんなことならさっき水を汲みに行った時にでもタオルを冷やしてくれば良かったですね。そうしたらもう少し、らく、だった―――
「…寝ました?香鈴」
「おう、ぐっすり。ったく、お前といい、このお姫様といい、無茶ばっかりしやがって」
「あはは。…具合が悪くなければ、貴方と代わってもらったんですけどねぇ」
「バーカ。病人が何言ってんだ、…お前ももっかい寝ろ。んで、朝まで起きんな」
「はい。おやすみなさい、悟浄、香鈴」
あっという間に深い眠りに落ちていたらしい私は、そのまま朝まで目を覚まさなかった―――と、思っていたんですが、僅かな振動に目を開けると、木々がゆっくりとした一定のスピードで移動しているのが見えました。…移動?一定のスピードで?
―――パチッ
ぼんやりとしていた意識が一気に浮上したのがわかりました。そこでようやく、自分が置かれている状況が少しずつ理解できてきたような気がして…ザァッと血の気が引いていく。だ、だって、私がいるのはジープの上なんかじゃなくって、八戒くんの背中。
そりゃあ血の気も引くってもんでしょう?!彼は昨日、気功の使い過ぎで体調を崩していたんだから。
「あっ香鈴、起きたんだな!はよ!」
「お、はよう、ございま、す……というか八戒くん下ろして!今すぐ下ろしてー!!」
「ダメですよ。貴方、朝に妖怪の襲撃があったの気がついてないでしょう?」
「………え、襲撃、ですか?」
「あれだけの妖気が漂っていながらぐーすか寝こけやがって…バカ女が」
八戒くんと三蔵様の一言にまた血の気が引いていきました。これ以上はもう無理、ってとこまで。
えええ…寝ている間に妖怪の襲撃とか、今までにも何度もあったのに今回に限って何で気がつかなかったんでしょう?私。普段なら深い眠りについていようが何だろうが、妖気を感じれば目を覚ますことができていたはずなのに―――!
我ながら情けなさすぎる…下ろしてもらうことが叶わなかった八戒くんの背中でガックリと項垂れていると、疲れていたんですから仕方ありませんよ、と優しい声に慰められました。
「むしろ、体調不良に気がつけなくてすみませんでした…」
「え、別に八戒くんのせいじゃありませんし…!」
「けど、悪化させてしまったのは僕のせいですから。…この森を抜ければ町が見えてくるそうですから、今日はゆっくり休んで。ね?」
「……もう身体は大分いいです。お腹が空いてるくらいで」
「それはちょうど良かった。お昼はヘイゼルさんがごちそうしてくださるそうですよ?」
「―――はぁ?」
新しい町に着いた所で私はようやく、八戒くんの背中から下ろしてもらうことができました。ずっと寝てたのもあって、まだ少しだけフラフラしますけど、歩く分には問題がなさそうです。
このフラつきもご飯をしっかり食べれば元に戻るでしょうし……けど、どうして急にヘイゼルさんとご飯をご一緒することになったんでしょう?森の中を歩いている時には姿を見ていないし、どこかに隠れているような気配もなかったのに。…私が眠っている間に会っていた、ってことしか考えられませんけど。
ひとまずご飯だ!と一目散に走って行った先のお店に、ヘイゼルさんとガトさんの姿がすでにあった。
「嬢ちゃん、目が覚めたんやねぇ。具合はどうどす?」
「はあ、全快です」
「それは良かったわ」
…何というか、やっぱりこの人と話してると調子が狂う。全てを見透かされているような、…いや、見透かそうとしているような物言いと、瞳。怖い、とは思わないけれど、あんまり近づきたくない感じがする。
それにあの不思議な力―――あの力によって生き返った人達は、総じて黄色い瞳に変わって、尚且つ、妖怪だけを殺そうとしていました。
確かヘイゼルさんは妖怪退治が目的だ、って仰っていました。それを理由に生き返らせた人達を操っているのだとしたら?そこまで考えて、ヘイゼルさんの後ろに静かに控えているガトさんに視線を移す。
この方も瞳の色は黄色だ、でも一度も私達を襲ってきたことはない…彼の命令で妖怪を殲滅している姿は見たけれど、それ以外に妖怪を殺している姿は一切…というか、ガトさんが自らの意志で動いている所を見ていない気がします。
まぁ、それはいいとして…ガトさんが妖怪を殺そうと暴走していない所を見ると、黄色い瞳になると妖怪を襲う―――という仮説は成り立たなくなる、ってことでしょうか…八戒くんが瞳の色が黄色くなる以外、生前と変わりなく甦らせることが可能なのか、と聞いていました。
それに対する答えは、副作用はないんじゃないか?ですって。けれど、ヘイゼルさんの力で生き返った人達は皆さん、妖怪に命を奪われた人ばかり…だから妖怪に対する憎しみの感情までも、一緒に甦らせてしまうのだ、と。それを拭い去ることができないのは、自分の力の至らない所だ、と…そう、仰っていました。
その言葉は本心か。はたまた、何かを隠す為の蓑なのか。張りつけられたような笑顔の裏には、一体何が潜んでいるのでしょうか。
―――ガタッ
「香鈴?」
「…ごちそうさまでした。私、ちょっと買い物に行ってきますね」
「嬢ちゃんも一杯、飲んで行かん?」
「―――残念ですが、お酒は苦手なんです。お気持ちだけ頂いておきますね、失礼します」
きっと八戒くん達には嘘だっていうのがバレてるでしょうけれど、何かもうあの空気に耐えきれなくなっちゃったんですよね…あの人と話していると腹の探り合いをしているようで、居心地が悪い。…ほぼ初対面に近くて、ほとんど話したこともない人にこんな嫌悪感染みた感情を抱くのは、多分間違っていると思ってはいるんですけどねぇ。どうにもこうにも、ダメ…苦手、なんだろうなぁ。私、ヘイゼルさんが。
ガトさんは一切話したことがないけど、でも嫌な感じは少しもしない。好感をもっているわけでもないけど、少なくとも―――苦手だとは、感じていないと思う。
「あ――――もう、グダグダ悩んじゃうのは悪いクセだなぁ…」
よしっ!ひとまず、お腹はいっぱいになったし気分も悪くない!今日はこの町に滞在決定なんでしょうから、1人でゆっくり買い物を満喫してこよう。
まずは本屋に行って面白そうな本でも―――気持ちを切り替えて本屋を探そう、と踵を返した時だった。キュウ!と可愛らしい声が聞こえて振り返ると、バサバサと羽音をさせて私の肩に下り立ったのは、ジープ。
あら、お前、ご主人様である八戒くんを置いてきぼりにしてついてきちゃったの?そっと背中を撫でてあげれば、気持ち良さそうに目を閉じるもんだからつられて口元が緩んでしまいます。本当に可愛い子だなぁ、ジープは。
せっかくだしこの子も連れて買い物に行こう、今度こそ―――と一歩を踏み出した途端、まるでダメだ!とでも言うようにジープは、私の服を咥えて必死に引っ張っていました。…え、なぁに?
「どうしたのジープ。八戒くんの所に帰りたいなら、先に行っていいのよ?」
「キュ、キュウ!キュ〜〜ッ!!」
「……もしかして、彼らに私を捜して来いって言われたの?」
そう問いかけてみれば、コクコクと頷くように首を縦に振っている。ああそうですか…それはいいんだけど、ジープに捜しに行かせるってどういうことなんですか皆さん…。それ以前に、勝手に出てきちゃった私も私なのかもしれませんが。
わかったよジープ、一緒に戻ろうと声をかければ、満足したのか服を引っ張るのを止めて、また私の肩に腰を落ち着けたのです。
…戻ろう、と言ったのはいいけれど、皆さんはまだあの中華料理屋さんにいるのだろうか?私がお店を出て行く時はまだ悟空が食べている最中だったし、ヘイゼルさんもワインに口をつけていただけで料理には一切手を出していた様子がなかったんですよね。
それからまだそこまで時間が経っていないし、普通に考えればまだあのお店にいると考えて問題はない―――でしょうか。…ま、考えても埒があかないし、とりあえずは来た道を戻ることにしましょう。
「―――あっ…香鈴!ジープ!!」
「八戒くん」
「良かった、見つけられたんですね。ありがとう」
「キュー!」
「それで、…何でヘイゼルさん達までお揃いなんですか?」
「ええっと、実はですね…」
私がお店を出て行った後、町の方々が話しかけてきたんだそうです。―――ヘイゼル司教様の御一行でいらっしゃいますか、って。思わぬ言葉に私はずっこけそうになりました。それはさすがに堪えましたけど、思いっきり何ですかソレ!と叫ぶのは我慢できませんでしたね。
だって何でそんなことになってるの。しかも私達も一緒くたにされている、ってことですよね?!…なんだろ。すっごく納得できない…!
違う、本題はこっちじゃない…ええっとですね?町の方々が言うには、この町から7キロ程行った森の中に1年前から妖怪達が住みついてしまったそうなんです。だからてっきり町に攻め込んできているのか、と思いきや、そうではないみたい。町までは来ないけど、…その森は元々、隣町とこの町を繋ぐ最短ルートになっているんですって。
ですから、そこを通りがかった方々が次々とその妖怪の犠牲になってしまっているらしい。男性は殺され、女性は多くが行方知れずになったまま―――。
「…喰われてしまったか、はたまた意図的に生かされているかのどちらかでしょうが…女性ならまだ生かされている可能性は高い、かなぁ」
「色を好んでいる場合もありますからね。…それでですね、2人をジープに乗せることになりまして」
「…………は?!」
「あはは。やっぱりそんな反応になりますよねぇ」
笑ってる場合じゃないですよ!この町の方々に起きていることは理解出来ましたし、妖怪退治をヘイゼルさんに頼んだことも、それをあの人が受けたこともわかりましたけどっ…最後のその一言だけは、どうしたって理解も納得もできません!!それこそあの人が受けた依頼なのでしょう?それなのに何で私達が西に向かうついでに乗せる、っていう結果になるんですか。
「嬢ちゃんはそんなに、嫌ですか?うちらが乗るの」
「〜〜〜〜っ…!三蔵様方が、許可なさったんなら…私に拒否する権利なんてありません」
建前であり、本音。八戒くんが申し訳なさそうに言ってきたということは、もう決定してしまっているということなんでしょう?それをわかっててあんな言い方をしてきたんだとしたら、…やっぱり私はこの人が苦手だ。
「だけど、ジープはそんなに広くないですよ?どうやって7人も乗るんですか」
「ンなの決まってんだろ?ジャンケンだ、ジャンケン!」
「…そう。精々頑張って席を確保してくださいね、悟浄くん、悟空」
「へ?香鈴はどうすんだ?行かねーの?」
「行くけど、…席争いに巻き込まれるのは勘弁だわ。一番後ろでいいです」
縁にでも腰掛けますから、とぶっきらぼうに告げる。2人は少し不服そうな表情を浮かべていたけれど、本当に面倒なんですもん…それだったら最初から一番後ろに座っていた方がまだマシ、というものですよ。
ヘイゼルさん・ガトさん・悟浄くん・悟空の4人でジャンケン(すごい滑稽)をしているのを、八戒くんと三蔵様と一緒に半ば呆れた瞳で見つめる。
「―――いいのか」
「言ったでしょう?面倒なことは嫌なんです…それに、隣になるのはごめんだわ」
「貴方がそこまで苦手意識を持つなんて、珍しいですね」
「んー…何が嫌とか、苦手とか、ハッキリはしてないんですけどねー」
でも苦手なんです。一言だけ呟いて、私は煙草に火をつけた。