桜に託す、桜に寄せる
バサリ、と音を立てて書類をデスクの上に投げ捨てた。ダメだ、出撃命令が出てないうちに片づけてしまおうと思ったのに…全く集中できないじゃないか。
別に執務室がうるさいわけじゃない、今日に限って天蓬も捲簾も自室で仕事してるし、悟空と兄様だって遊びに来ていない。来るとすれば、追加の書類を持ってくる同僚くらいのものだ。だから集中するにはバッチリのはず、なんだけど、…どうにもこうにもダメだー。そこまで事務仕事は得意じゃないにしろ、そこそこ出来るつもりでいたんだけどなぁ。
―――わかってる。集中できない理由なんて、とっくのとうに見当がついてるんだ。わかっていて知らんぷりして、遠ざけようとしているのは、紛れもない自分自身。
ああ…でもわかんないことだらけで、どうしたらいいんだろう。私。
(天蓬がしてきたことの意味もわかんないけど、でももっとわかんないのは私の気持ちだ)
どうしてドキドキしてるのか、天蓬の顔を見れなくなっちゃってるのか、上手く話ができなくなっちゃってるのか、どうして…熱いくらいに顔が赤くなるのか。どれもこれも、考えれば考える程にわかんなくなってきてしまっている。
こんな気持ち、今までに一度も抱いたことがないんだもん。わかりっこないよ、…誰も教えてくれなかったし。きっとこれは自分で知るものなんだ、と思うけど、それでも何かきっかけがない限り、このモヤモヤの正体に気がつくことができないんじゃないかって思うの。
はぁ、と溜息を吐いてデスクに突っ伏していると、ドアがノックされた。そのままの状態ではぁーい、とくぐもった声を上げれば、静かにドアが開く音。誰だろう、と視線だけを上げてみると、そこにいたのは、
「お久しぶりです、紅英様」
「えっ蘇芳?!どうしたのっ」
「お休みを頂きましたので、様子を見に参りました」
にっこりと笑ったのは、私が小さい頃から面倒を見てくれていた蘇芳。所謂、世話役だね。西方軍に入ってからは全く会ってなかったし、私が出て行った後は兄様の世話役になったって聞いてる。この人はいつだって私達兄妹のことを第一に考えてくれていて、悪いことをしたらきちんと叱ってくれるような人。…だから私も兄様も、あの屋敷の中で唯一…蘇芳にだけ、懐いていたんだよねぇ。今でも大好きだけど。
ああ、それにしても本当に久しぶり!一度、天蓬に言われて帰った時には会えなかったんだよ。ちょうど、出かけていたみたいでタイミングが悪かったんだ。
デスクの上に広げた書類をそのままに思いっきり抱き着けば、何か手に持っていることに気がついた。その包みは何?と聞けば、私が大好きなお饅頭を作ってきたんですよ、って広げて見せてくれたの。蘇芳が作るお饅頭って本当に美味しくて大好き!!
「蘇芳のお饅頭なんて久しぶり!今、お茶淹れるから適当に座ってて」
「おや、お茶が淹れられるようになったのですか?」
「そのくらいできますー!…というか、そういうの仕込んだの蘇芳じゃない」
それもめっちゃスパルタで。
「紅英様は女性なのですから、一通りの礼儀と作法は叩き込んでおいた方が良いのですよ」
「確かに役立ってるなーとは思うけど…」
叩き込まれた時のことを思い出すと、いまだに青褪める。そのくらいすごかったのだ、蘇芳の指導は。今思えば、体力以外で軍のしごきに耐えられたのって―――この人のスパルタ教育があったからなんだろうなー、って。多分、それがあったから精神面では倒れなかったんだと思うのね。ほら、私って一応温室育ちだから。…蘇芳がいなかったら、私は途中で諦めていたかもしれないもん。
淹れたてのお茶が入った湯呑みを渡すと、成長されましたねぇと目を細めた彼。本当に嬉しそうに笑うから、何だか気恥ずかしくなってきちゃう。だってただお茶を淹れただけなのよ?誰にだって出来ることをして、それで褒められるって…普通は子供がしてもらうことだもの。これでも長く生きている方なんだけどなぁ…それでも蘇芳には敵わないんだけどさ。
―――あ、そうだ。蘇芳の方が断然長く生きてるんだもの、ここ数日悩んでモヤモヤしてるこの気持ちの名前を彼なら知ってるかもしれない。ちょうどいいお茶の肴になるでしょうし、…一応、自分のことっていうのは伏せておくけどね!何か恥ずかしいし。
「ねぇ、蘇芳。ちょっと、さ…友達から相談受けたんだけど」
「何でしょう」
「あのね、特定の人物に会うと心臓がバクバクいって苦しくて、ちゃんと顔を見ることができないし、上手く話もできないんだって」
「…ほう」
「これって何なのかな、って聞かれたんだけど…私もわかんなくて。蘇芳ならわかるかな、って思ったんだ」
お茶を啜りながらそうですねぇ、と蘇芳は思案顔。
でもそれはほんの数十秒で、コトリ、と湯呑みを置いた彼が口にしたのは驚くべき言葉。
「紅英様。―――その方は間違いなく、恋をしていらっしゃるのでしょう」
「こ、い…?」
「恋情、と申し上げれば解りやすいでしょうか。相手の方のことをお慕いしている、ということです」
「だからドキドキしたり、上手く話せなかったってこと?」
「ええ、恐らくは。好いていらっしゃるのですね、相手の方をとても」
好きだから、ドキドキして―――顔を見れなくなったり、上手く話せなくなる。
恋なんて今までしたことなかったし、よくわかんないけど、でも蘇芳の話は何だかすんなりと納得できたっていうか…うん、胸のつかえが取れた感じがする。そっか、私…天蓬のことが好きだったんだ、だから彼がしてきたことの意味を知りたいと思うし、こんなにも気になっちゃうんだ。
うっわぁ…自覚する前からきっと挙動不審だっただろうけど(特に最近は)、自覚しちゃったら余計にどう接したらいいのかわかんなくなってきた!無視したりしたくないけど、どうしよう、変な態度とか取っちゃったら!!それで天蓬に嫌われたりしたら、もうそれこそ立ち直れないぞ私…!
湯呑みを握りしめたままぐぐぐ、と考え込んでいたら、突然「似合っていらっしゃいますね」って言われた。何のことだかわかんなくて首を傾げれば、蘇芳が自分の胸元をトントンと指差したの。…あ、もしかして天蓬からもらった桜のネックレスかな?
「これのこと?」
「貴方はあまり装飾品に興味を示されませんでしたが…どうされたんです?」
「―――もらったの。すっごく尊敬している人に」
「そうでしたか…貴方によく似合っていらっしゃる。その方は紅英様のことを、よく理解してくださっているのですね」
きっと天蓬は私のことを妹のようにしか思ってない。もしくは、ただの部下。…けどね、それでもいいかなって思うの。この気持ちを伝える勇気が出るかどうかはわかんないけど、今、あの人の一番近くにいるのは私だって自負してるから!だから、…まだこのままでいい、というか、このままでいたいんだよね。
いつか、いつか―――この気持ちを告げられる勇気が出たら、あの口づけの意味も聞くことができるだろうか。
-13-
prev|back|next
TOP