兄妹、団欒
「そういえば、たまには顔を出しに来やがれって怒ってましたよ」
書物を机の上に広げながら、煙草を咥えたまま、彼―――天蓬はそう呟いた。
だけど、私はその言葉の意味が理解出来なくて「はい?」とマヌケな声を上げるだけで精一杯だった。
「貴方の兄様ですよ」
「あ、ああ金蝉兄様のこと、………ん?げんす、じゃなくて、天蓬って兄様と知り合いだったっけ?」
「今のは特別セーフにしてあげます。まぁ、奇妙な縁で知り合いになりまして」
ふぅん…あの兄様が他の人と会話するなんて、何か想像がつかない。そりゃあ菩薩様や二郎神様、それからお付きの人達とは喋るけど。それ以外の人とは、自分から関わろうとすることなんて一度もなくて。
なのに、天蓬と私のことを話すまでに親しくなるなんて…この人、どうやって知り合いになったんだろうか。聞きたいような気もするけど、何か触れちゃいけないような気もするからやめておこう。
「…そーいえば、西方軍に入隊してからは一度も帰ってないかも」
「元帥に昇進したことも言ってなかったんですって?金蝉、ちょっと拗ねてましたよ」
「あの人、私の兄のはずなのに…やってること弟みたい」
いつだって私のことを可愛がってくれた兄様。昔は泣き虫だった私を慰めてくれたのも、守ってくれたのもずっとずっと兄様だったんだよね。そんな大切な家族を捨ててまで天界軍に身を寄せたわけなんですが、…だから正直ね、もうとっくのとうに愛想尽かされてるもんだって思ってたの。
だって今の私は、確実に兄様よりも天蓬と捲簾を選んでしまうから。兄様のことも大好きなんだけど、大切なんだけど、やっぱり…私の世界を作ってくれたのは、この2人だから。
「―――明日。」
「え?」
「明日、貴方には一日休みを命じます。…会ってきなさい、家族なんでしょう?大切な」
「会って、…くれるかなぁ?」
怒っていた、ということは、少なくとも愛想は尽かされていないと思う。忘れられているわけでもないのだから、きっと会ってくれる。昔と変わらぬ笑顔でおかえり、って笑ってくれるような気もしているけど…そこまで考えてガバッと頭を抱える。
ダメだ、出陣してる時以外にこんなに頭使ってるとオーバーヒートで爆発しちゃいそう。頭使うのは嫌いじゃないし、天蓬と一緒に布陣とか作戦とか考えるの大好きなんだけど、それ以外の時は極力使いたくないという深層心理があるのか、考えすぎるとぶっ倒れそうになってしまうんだ。
実際にぶっ倒れたことは一度もないけど、でも倒れかけたことはある。…一回だけ。考えすぎた原因とか、そんなのはもう覚えてないけどでも、きっと良からぬことで悩んでたんだろうなぁとは、思うのです。
「ほら、私って所謂不良娘じゃないですか。兄様のことを捨てて此処に来て、今となっては家族よりも上官である元帥と大将を一番に考えちゃってるし…」
「紅英…」
ポツリ、と名前を呼ばれたので、何ですか?と視線を上げてみると、そこにはにっこり笑顔を浮かべた元帥殿がいらっしゃいました。
あ、あれ?何だかすっごく嫌な予感しか―――
「呼び方と敬語。…罰金ですよ」
「―――あ。」
言われてようやく、さっき2人のことを慣れた呼び方で呼んだことと、これまた慣れた敬語で話してしまったことに気がついた。今日こそは!と起きた時に決心していたのに、やっちまったーーーっ!!…あれかな、兄様のこと話してて気が緩んじゃったのかな。でも1回、元帥って言いかけてたし元々、向いていないのかもしれない…名前で呼ぶことと、敬語使わないこと。
だって配属当初からずっと天蓬のことは元帥って呼んでいて、捲簾のことだって初めて会った時から大将って呼んできていたんだもの。どのくらいの時間をそう呼んできていたのかは、もうわからないけれど、下界で言う処の『数年前』―――という所だと思うから。
「うー…ほんと、近いうちに焼肉行けちゃいそう…」
「あはは、楽しみですねぇ奢りでの焼肉」
「語尾にハートマークつけんな」
「でも最初の頃よりは大分抜けてきたんじゃないんですか?」
「…まぁ、2人に言われた頃に比べれば慣れはしたけど」
その話はともかく、明日は金蝉の所へ行ってきなさい。
しっかりと罰金だけは徴収しつつ、言い切った天蓬の顔には―――清々しい、でもちょっとだけ腹黒さが見え隠れする笑みが浮かんでいたのであります。
「……マズイ、緊張してきた」
昨日言われた通り、本当に休みにされた私は軍服から私服に着替え、幼い頃からずっと暮らしてきた館へ来ていた。…のだけれど、門をくぐる前に緊張感がじわじわと迫り寄ってきて、足が竦んでいる状態。
軍人のクセに情けない、とか言われちゃいそうだけど、でも本当のことなんだから仕方がない。得体の知れない生物を相手にするより、怒った兄様を相手にする方がよっぽど怖いんだもん。
いや、―――違う。本当に怖いのは、怒っている兄様じゃなくて…兄様に、捨てられることだ。
先に捨てたのは私なのに、それなのに捨てられたくない・捨てられるのが怖いなんて、どれだけ愚かなんだろう。私は。
ドクドクと鼓動を刻む心臓。まるで全力疾走した後のような速さで、今にも息が詰まりそうになってしまう。今すぐ逃げ帰りたい、と思うけれど、天蓬は私のことを思ってああ言ってくれたのだし…それを無碍にするのは良くない、絶対に良くない。それに、久しぶりに兄様に会えるのはやっぱり…嬉しいのだ。
ええい、ままよ!意を決して門をくぐり、大きな扉の前へ差し掛かると門番である男2人が、私の顔を見てギョッとしているのが視界の端に映った。そして慌てて門を開け、「紅英童子様がお帰りになられたぞーっ!!!」って叫びやがりました…うん、まぁ予想はしてたけれどもさ。ここまで大騒ぎになるとは思ってなかったよね、さすがに。
こんなことになるくらいなら、せめて連絡だけでもしてから帰ってくれば良かったなぁと青い空を仰ぎ、溜息を吐いた。
「―――紅英!」
「あ、…ええっと、お久しぶりです、金蝉兄様」
「ああ、久しぶりだな―――とでも言うと思ったか、このバカ娘がっ!!」
―――スッパァアアアアンッ!
くわっと大口を開いたかと思えば、小気味いい音が響いて、脳天に何とも言えない衝撃が走った。
痛い、マジで痛いっ…!この人、筋トレとかしてないから筋力なんてないに等しいはずなのに、それなのにどうしてこんなに威力のある平手打ちをできるのかなぁ?!そして容赦なさすぎるでしょ、久しぶりに会うたった1人の肉親に対して!
でも逆に言えば、肉親だから―――なのかなぁ。容赦ないの。
「いったぁ………!!」
「突然、西方軍に入ると言って飛び出していったと思えば、何の連絡も寄越さねぇで…!」
「だ、だって連絡して、も…兄様の迷惑になるかも、って思っちゃって…」
「はぁ…だからバカなんだ、お前は。俺はお前の兄だ、家族だ、…そいつからの連絡を何で迷惑だって思う」
「に、にいさまぁ…」
おかえり、と珍しく微笑んだ金蝉兄様。
全ては私の思い込みで、この人はいつだって私のことを心配して、考えてくれていたんだ…そう、昔から何も変わっていなかったのに。
「少しはこっちにいれんのか」
「今日はお休みもらってるからいられます。明朝には戻りますけど…」
「なら、夕食は一緒に食えるんだな」
わ、兄様とご飯だなんてどれくらいぶりだろう?楽しみだなー、と考えながら頷けば、ふっと表情を和らげて頭を撫でてくれた。この温かさも昔となにひとつ変わってないなぁ…兄様の手の温かさも、撫でる強さも大好きなんだけど…天蓬に撫でられるのとは、何かが違う気がする。あの人に撫でられると、何て言うのかな…胸の奥がぎゅうってするの。
その気持ちが、胸の痛みが何をするのかは全くわからないし、見当もつかないんだけど、でも嫌なものではないなーって思うから、だからいつだって放っておいてるんだ。何となくね、その痛みすらも失くしたくないなって思っちゃってるから。
「それでね、大将と元帥がとても良い人で…あ、もちろん第一小隊に所属してる人は皆良い人なんだけど!」
「天蓬は変わり者じゃねぇか?」
「まぁ、変わってますけど…でも話していて楽しいですよ」
「そうか。…紅英、お前―――昇進したのか?」
「はい。元帥に着任しました」
最後の一口を放り込んでから答えれば、神妙な顔つきになって…それならどうしてあの2人の下に就いている、と言われた。
元帥という地位にいるのならば、もっと上にいけるはずだろうと。
「何故、小隊を纏める2人の下にいる?」
「あのね兄様。私、別に地位が欲しいわけじゃないんです。それだったら、此処にいた頃と何も変わらなくなっちゃうもの」
「……」
「私は、あの2人の傍にいたいんです。背中を守りたいんです。その為には、元帥という称号を取っておいた方がいいかなぁって思っただけなんですよ」
だから別に、上に伸し上がろうとかそういうのは一切考えてないんですよね。矛盾してるかもしれませんけど。
「元帥という称号があれば、多少は無理がきくでしょう?」
「お前って奴は、―――天蓬があの子は男前ですよ、と言っていた意味がようやくわかった」
「ええ?あの人、そんなこと言ってたんですか?」
「ああ。小隊に所属する誰よりも男前だ、とな…それと頼りにしている、とも言っていた」
―――頼りにしてますよ、紅英。
ザァッと―――桜の花弁が舞う中で、穏やかに微笑んでいる天蓬の姿が脳裏に浮かんだ。
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